このページの本文へ移動

1089ブログ

意外と多い?女性画家

こんにちは。
今日は特集陳列「女性画家」(2012年6月5日(火)~7月29日(日))についてご紹介します。
この展示は、トーハクが所蔵する絵画のうち、江戸時代中期から昭和初期に活躍した12人の女性の画家による作品を一堂に集めたものです。
狩野派から浮世絵、文人画まで、充実した内容をお届けします。

ところで、いきなりですがトーハクのウェブサイトコンテンツ「投票」の「あなたが選ぶ女性画家No.1は?」に参加してみませんか?
今回作品を展示する女性画家12人の代表作をご覧いただき、お気に入りを選んでみてください。
そして、もし迷ったら(迷わなくても)、「あなたは誰派?女性画家タイプ診断」をお試しください。
お勧めの作品がわかりますよ!
12人それぞれの人生や画家にまつわるエピソードも盛りだくさんです。

ちなみに、私は晴湖さんタイプでした・・・


奥原晴湖筆 枯木群鳥 明治16年(1883) (2012年7月3日(火)~7月29日(日)展示)

モーダンガールとして仕事がんばるぞ~ 私は私!!


さて、トーハクには11万件を超える膨大な所蔵品があり、日頃からその調査・研究を実施しています。
今回の展示も、先輩と一緒に絵画作品の調査をするなかで「女性の画家って意外と多いなぁ」という印象を持ったところから始まっています。

現在のところ、日本絵画の作家のうち、女性と判別できたのは23人にのぼります。
記録が残されていたり、研究が進んでいて確実に女性と分かる人から、素性はわからないけれどその可能性が高いという段階まで、確信の度合は様々です。

 
読書美人図 素山女筆 (展示予定未定)
 
例えばこの絵は「素山女」という落款があります。
女性画家は名前や画号に「女」(または「女史」)を書き添えることが多いため、この作家も女性と判断できるわけです。
詳しい素性は不明ですが、当館以外でも歌麿風の美人画が数点確認されています。


調査は進行中ですので、今後もさらに女性画家と判明する人物が出てくるかもしれませんし、
素性がわからなかった人物について詳細が明らかになることもあるかもしれません。
どうぞご期待ください。

女性画家たちの様々な人生が、どのような作品へ結実していくのか、ぜひ会場でご覧になってみてくださいね。
 

カテゴリ:研究員のイチオシウェブおすすめコンテンツ

| 記事URL |

posted by 安藤香織(登録室) at 2012年06月05日 (火)

 

書を楽しむ 第15回「写された書02」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第15回です。

今回も、本館特別1室で開催中の、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))からご紹介します。

写す、
ということが基本中の基本であることは、
何回も言ってきました。

その、写すことに
人生を捧げた人がいます。
田中親美(たなかしんび、1875~1975)です。

親美は15歳のときに、多田親愛(ただしんあい、1840~1905)の門に入りました。
多田親愛は、当時、帝国博物館(トーハクの前身)で働いていて、
親美に、博物館所蔵の古筆(こひつ、平安から鎌倉時代の能書の筆跡)を写させました。

また、親美の父親は、画家の田中有美(ゆうび、1840~1933)、
父親の従兄弟は、冷泉為恭(れいぜいためたか、1823~1864)です。
冷泉為恭は、幕末の動乱期にあって、自らの絵を探求するために模写を続けていました。
その為恭の影響と、多田親愛の教えがあって、
親美は若い頃から、古筆や絵巻などの模写をするようになります。

紫式部日記絵巻、源氏物語絵巻、元永本古今和歌集…今日に残る名品の数々です。

もちろん、原本があっての模本ですが、
模本にもドラマがあります。

大正9年(1920)、
厳島神社の依頼により、国宝「平家納経」の模本を作ることになります。
親美はすでに、書や絵の模写だけでなく、料紙の再現まで行っていました。
「平家納経」では、さらに、軸首や発装、題箋、紐、経箱などの工芸品の模造まで監督。
関東大震災にも遭遇しましたが、5年かかって完成した「平家納経模本」33巻は、厳島神社に納められました。
その後さらに作ったのが、今回展示の「平家納経模本」です。

平家納経模本 平家納経模本 拡大
平家納経(模本)厳王品 田中親美筆 大正時代・20世紀 松永安左エ門氏寄贈 (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 厳島神社所蔵 平安時代・長寛2年(1164)


料紙や題箋などの工芸や絵は、弟子たちと協力して作りましたが、
書は、田中親美自身が全部写したそうです。

ふつう模写は、
字をそっくりに写すことに集中してしまうため、
行間や筆の動きなどが不自然になってしまいます。
でも、
田中親美の模写は、不自然さを感じさせません。

一行ごとの原寸大の写真を、左に、上に、真下において、
何度も何度も見て、目に焼き付けて、書を写していきました。
自分を捨てて、執筆した人になりきって、書を再現することに集中する。
それはとてもたいへんな作業であったと、本人も述べています。

今回の特集陳列「写された書 ―伝統から創造へ―」では、ほかにも、田中親美が模写した
「本願寺本三十六人家集模本」などを展示しています。

本願寺本 本願寺本 拡大
本願寺本三十六人家集(模本) 田中親美筆 明治40年(1907) (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 西本願寺所蔵 平安時代・12世紀


平安時代の作品を、明治・大正時代にこれだけ再現する、
その熱意と苦労の継続を想像してみてください。

文化財の保護と伝統文化の継承という
ふたつの大きな仕事を成し遂げています。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

| 記事URL |

posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月04日 (月)

 

東洋の青磁

現在、本館14室で展示中の、東京国立博物館140周年特集陳列「東洋の青磁」(~2012年7月29日(日))の展示作品についてご紹介します。

青磁輪花鉢は、コレクター横河民輔氏が昭和9年(1934)に紆余曲折の末に入手した際、「この鉢が入って、僕のコレクションは画龍点睛だよ」と語ったというエピソードがあります。その当時このように貫入と呼ばれる釉薬のひび割れが生じた青磁は注目されていませんでした。南宋時代(1127~1279)に都が置かれた臨安(現在の浙江省杭州)に郊壇下官窯(こうだんかかんよう)が発見され、この種の青磁は南宋時代に宮廷向けに焼かれた官窯の製品であることが明らかになりました。
この鉢は昭和12年(1937)に当館に寄贈され、以来館を訪れる多くの人々に親しまれています。


重要文化財 青磁輪花鉢 南宋官窯 南宋時代・12~13世紀 横河民輔氏寄贈

耀州窯(ようしゅうよう)は陝西省銅川市(せんせいしょうどうせんし)に位置し、北宋時代にオリーブグリーンの釉下にきびきびとした文様が刻まれた青磁を焼きました。このような青磁は、昭和初期には文献に名高い汝窯(じょよう)の青磁ではないかと考えられたことがありますが、戦後耀州窯が発見され、この種の青磁の中心的な生産窯であったことが明らかになりました。


青磁唐草文香炉 耀州窯 北宋時代・11~12世紀 広田松繁氏寄贈


耀州窯は中国の窯址の中でも、学術的な発掘が最も進んだ窯の一つです。調査の成果により、その起源は唐時代にまで遡り、五代(907~960)には文様の無い、青緑色の青磁が焼かれていたことが判明しました。


青磁碗 耀州窯 五代~北宋時代・10~11世紀 島田謹一郎・みつ子氏寄贈

この種の青磁は五代の後周の官窯とされる柴窯、あるいは北宋時代に都開封の東南にあったとされる東窯との関係が取りざたされています。陶磁史研究の進展により、幻の名窯は少しずつその実像が明らかになってきています。


国宝 青磁下蕪瓶 南宋時代・13世紀 アルカンシエール美術財団蔵

国宝に指定されている青磁下蕪瓶は、かつて南宋官窯の一つである修内司(しゅうないし)官窯の作ではないかと考えられていましたが、その後杭州に老虎洞窯址が発見され、修内司官窯説は否定される方向にあります。ただし、龍泉窯においてもこの瓶と完全に一致する資料は発見されていません。この瓶のもつ気品と風格をどのように解釈するか、中国の青磁の歴史は、核心に迫る部分にまだまだ大きな謎が残されています。


(関連事業)
列品解説 国宝 青磁下蕪瓶について 2012年6月1日(金) 当日受付

カテゴリ:研究員のイチオシ

| 記事URL |

posted by 今井敦(博物館教育課長) at 2012年05月28日 (月)

 

『至宝とボストンと私』 #7 平治物語絵巻

第2章の展示室には、在外二大絵巻といわれる「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が全巻展示されています。こんなに豪華な展示は、ボストン美術館でもなかなか出来ないそうです。
『至宝とボストンと私』第7回目は、絵画・彫刻室研究員の土屋貴裕(つちやたかひろ)さんと、平治物語絵巻を見てゆきます。

第2章展示室
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」絵巻のコーナー


『研究員の目はマニアック?』

広報(以下K):絵巻は、内容を知らなくても絵を追っていくだけで楽しいです。
さて、今回は全巻を全期間展示という素晴らしい企画ですね。

土屋(以下T):まさにそうですね。巻替えもなく、全場面を見ることが出来て大変嬉しいです。

平治物語絵巻
平治物語絵巻 三条殿夜討巻(さんじょうどのようちのまき)(部分)
鎌倉時代・13世紀後半

実は私はこの「平治物語絵巻」にはご縁がありまして、大学生の時に名古屋ボストン美術館での展覧会で、そして昨年、調査のために訪れたボストン美術館の収蔵庫で拝見する機会がありました。
今回で3度目の機会になりますが、何度見てもすごい作品です。

K:どんなところがすごいのか、ポイントを教えてください。

T:それではまず、武士たちの脚に注目してみてください。

平治物語絵巻 足部分

皆引き締まっていてたまらないですね!馬も良い脚してます。
ふくらはぎのもりもり感、すね側のすっきり感、そして足首にかけてのライン!

K:土屋さん…(汗)。でも、私も脚フェチなのでよく分かります!

T:そうでしょうそうでしょう!これを描いた人はきっと、脚の表現にこだわりがあったのだと思うのです。
この作品に限らず絵巻は、一人で描くのではなく工房で複数の人間が手分けして描くものですが、絵師によって画風がバラバラだと作品に統一感がなくなってしまいますよね?
それで、工房の親分のような人が、スタイルを指導するのです。
総合文化展(本館2室 国宝室)で展示中の国宝 平治物語絵巻 六波羅行幸巻(5月27日まで)でも、その表現が貫かれています。

K:脚の描き方まで、親分がしっかりディレクションしていたのですね。確かに、皆さんそろって脚が速そうです。しっかり作品を見たつもりでしたが、脚の表現までは注目していませんでした。
その他に注目のポイントはありますか?

T:やはり、火炎の表現です。

平治物語絵巻 炎部分

炎の勢いはいよいよ激しく、煙はもくもくと立ち昇り、そして火花が舞い散る。本当にリアルな表現です。
この火の粉には「吹墨(ふきずみ)」という技法が使われています。
絵具をつけた筆に息を吹き付けたり、筆の柄の部分をトントンと叩いて絵具を飛ばす技法です。炎をより恐ろしく、リアルに描こうとする絵師のこだわりを感じますね。
ちなみに、一番最後の詞書の部分をよく見てみてください。

平治物語絵巻 最後部分

最後の行に、赤い点があるのが見えますか?

平治物語絵巻 いの字の上

K:んー、小さい点ですが、確かに見えます。

T:実は、東博のOBでもある故秋山光和先生がこの赤い点を発見されました。40年前、ボストン美術館の名品展が当館で行われていた頃です。
この火の粉の跡によって、この詞書の左側にも火炎表現が描かれていた可能性があったのではないか、と発表されました。

K:現在では失われてしまった部分に絵が存在していた、ということですね?それをこの小さな点々から明らかにされたなんて、恐れ入ります!そこまで見るか!という感じです。

T:細部をじっくりと観察する。これぞ「プロの仕事」ですよね!私も常にそういった態度で作品に接したいと考えています。


『無残な表現は何のため?』

K:見れば見るほど、細かい表現が気になりますね。絵師たちの集中力、気迫が感じられます。

T:そうですね。例えば絵の中盤、屋根の下あたりをご覧ください。

平治物語絵巻 下書き部分 

下描きの線が見えますね。絵を描く途中で、構図の変更があったことがわかります。絵師が大変苦労してこの絵巻を完成させたことが伝わってきます。

K:確かに、一旦描いてしまったら簡単に消したり出来ないですもんね!神経をつかいそうです…。

T:こうやって、絵師の苦労に思いを馳せるのも、絵巻を楽しむポイントのひとつです。

K:楽しむといえば、この絵巻は誰かが鑑賞して楽しむものだったのでしょうか。何のために描かれたのですか?

T:それは、はっきりとは分かっていません。
この巻で特に繰り返し描かれる残虐な場面。これを鎌倉時代の人たちがワクワク楽しんで見ていたのか、私自身大変疑問に思います。
詞書にもこの三条殿での惨状が記されているのですが、ここまで詳しく描かないという選択もできたわけです。
ましてや殺されているのは、女房や御所に仕えるなど非武装の人たち。それを何故このようにリアルに描いたのか、誰が何の目的で描かせたのかは、謎のままです。
ただ、これだけ大きな作品をつくるとなると、莫大な資金も必要になるため、それなりの高位の身分の人間が依頼し、絵師たちは相当の覚悟をもって制作に挑んだはずです。
 
K:たくさんの謎、たくさんのトリビアが詰まった絵巻ですね。ボストン美術館展のハイライトと呼ぶに相応しい作品です。

T:ちなみに、本館3室で6月3日まで展示されている重文 天狗草紙絵巻と、重文 北野天神縁起絵巻も、この絵巻と同じ流れを汲んでいる工房の作品と考えられます。合わせてチェックしてみてくださいね。

K:土屋さん、どうも有難うございました。


土屋研究員
専門:日本中世絵画 所属部署:絵画・彫刻室

次回のテーマは「仏像」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月25日 (金)

 

書を楽しむ 第14回「写された書01」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第14回です。

本館特別1室で、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))がはじまりました。

写す、ということで、
まずは、私がエンピツで写した画像をお見せします。


エンピツの写し

今年のはじめに当館の特別展「北京故宮博物院200選」(2012年1月2日(月)~2月19日(日))に展示されていた、
中国の黄庭堅(こうていけん、1045~1105)の書をエンピツで写したつもりですが…。

上手ではありませんが、
エンピツでも写すと、黄庭堅がどういう字だったのかは、しっかりと頭に残ります。

写す、
という作業は、書にとって、とてもとても重要です。
手を動かすことで、見ただけよりも鮮明に記憶に残ります。
写すことによって、美しい文字の造形を、眼でも手でも鑑賞できます。
こうした伝統を基盤にして、新たな創造もはじまります。


 
(左)臨知足下帖 西川寧筆 昭和2年(1927)日本書道作振会展出品作 昭和2年(1927) 西川杏太郎氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
(右)十七帖(王文治本) 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀江川吟舟氏寄贈(展示予定未定)



左の画像は特集陳列に展示する作品で、右の画像を「臨書」したものです。
ようするに、右の画像を手本として書いています。

右の手本は、中国の書聖・王羲之(おうぎし、303?~361?)の拓本「十七帖」。
古くから、さまざまな能書が王羲之の書を学んできました。

左の作品は、西川寧(にしかわやすし、1902~1989)の25歳のときのもの。
昭和から平成初期の書壇を代表する書家です。

西川寧は、『自選集』という作品集で、この作品を一番目に紹介しています。
「つたないながら、若い日の苦悶にはちがいない」
「私なりの探求の跡が残っている」
と自身で述べています。

苦悶しながら、写し続ける。
これは、じつは楽しい作業でもあります。
音楽やスポーツと同様に、
レッスンやトレーニングをして、できるようになる。
それと似た感覚でしょうか。

そこから新しい作品が生まれる。
書は、その繰り返しなのかもしれません。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

| 記事URL |

posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月22日 (火)