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「保存と修理」展、あと10日!

第14回目を迎えた特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」も、展示に合わせて先週行われたバックヤード・ツアー(事前申込制。当選倍率3.5倍!)を終え、残すところあと10日ほどになってしまいました(3月30日(日)まで、平成館企画展示室)。

展示風景
特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」展示風景

前回のブログでも紹介いたしました「応急修理」と「本格修理」以外にも今回の展示には隠れたみどころがあります。
それは当館が日頃行っている「予防」「調査診断」「修理」の連携を展示からコンパクトに見る事が出来るという点です。


まずは「予防」。
展示室には建物備え付けの温湿度センサーがありますが、より細かく温湿度の様子を捉える為の測定機器(データロガー)が下の写真の作品付近に備え付けられています。
通常、平成館で行われる特別展示では約20個程度が作品の環境を陰から測定しており、本館、東洋館では約200個が常時設置されています。影ながら見守っていますので、ほとんど目に付く所にはありません。


和泉国図展示の様子。画像右下に測定機器(データロガー)があります。


次に「調査診断」。
今回の展示作品の中で、考古、絵画、磁器の3分野6作品でX線を用いた修理前調査が行われており、展示室にて展示パネル、リーフレット等でそのX線透過画像を見る事ができます。
鉄鉾と石突のX線透過画像は解説パネルでもご覧いただけますが、少々小さいので以下にちょっと見やすくしてみました。
スマートフォンやタブレット端末を片手に展示作品と照らし合わせて、診断をなさってみてください。


鉄鉾、石突
左:鉄鉾、右:石突のX線画像


そして「修理」。
これは、言うまでもなく全ての作品をご覧ください。
コレクションを守る「保存と修理」の事業は今後も長く続いてまいります。今後も皆様のご支持を得られるように日々努力してまいります。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ保存と修理

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posted by 荒木臣紀(保存修復課主任研究員) at 2014年03月21日 (金)

 

博物館からはじまる春!「博物館でお花見を」

この冬は予想外の大雪に見舞われ、トーハク庭園の桜も枝が折れるなど影響を受けました。
ようやく、3月中旬にさしかかったところで、春らしい気温に戻りつつあります。

春の庭園開放(2014年3月8日(土)~4月13日(日))はすでに開催中ですが、
今年の東京の桜の開花予想は3月25日、満開は4月2日頃とのこと。
庭園の桜も懸命につぼみを膨らませているところでしょう。


オオシマザクラのつぼみ
つぼみを膨らませたオオシマザクラ


恒例のさくらカフェもオープン。池のほとりのベンチでゆっくりおくつろぎいただけます。

さくらカフェ
左:さくらカフェではコーヒー、ココアなど飲み物のほか、パンケーキやクッキー、マフィンなどもご用意
右:自家焙煎ドリップコーヒー(350円)と、桜マドレーヌ(200円)




そして明日、3月18日(火)から、恒例の「博物館でお花見を」が始まります。
桜をモチーフにした作品の展示や、ワークショップ、コンサートなど、まさに春爛漫の企画となっています。

館内にて配布している「博物館でお花見を」パンフレット(A4二折)をご覧ください。

パンフレットとバッジ

こちらは、さくらスタンプラリーの台紙にもなっています。
展示室では、桜のマークを目印に、名品の中に咲く桜をご鑑賞いただけます。
そのうち、5つのポイントでスタンプをご用意しています。全部集めるとオリジナル缶バッジをプレゼント!
今年は、かわいらしい仏像のデザインとなっています。
モデルは本館11室に展示されている桜材でできた如意輪観音菩薩坐像(奈良・西大寺蔵)です。


そして、今年のメインビジュアルはこの作品。
ひときわ華やかに展示室を彩ります。
源氏物語絵合・胡蝶図
源氏物語絵合・胡蝶図屏風 狩野晴川院〈養信〉筆 江戸時代・19世紀(4月20日(日)まで本館8室にて展示)


また、本館10室(浮世絵)では、3月25日(火)から4月20日(日)まで、すべて桜が描かれた作品の展示となります。
江戸の美人たちがお花見を楽しむ姿をご覧ください。


そのほか、
東博句会「花見で一句」、桜コンサート「桜の街の音楽会」、桜ワークショップ、ギャラリートーク、
ボランティアによるガイドツアーなど当日参加いただけるイベントが盛りだくさん。
(イベント情報は「博物館でお花見を」ページの関連事業欄でご確認ください)


また、WEBサイトでは、桜の名品の人気投票を行っています。
展示室でお気に入りの作品をみつけたら、ぜひ一票を。


ひとあし早い満開の桜たちが、皆様のご来館をお待ちしております!

 

 

カテゴリ:news博物館でお花見を

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2014年03月17日 (月)

 

支倉常長像に描かれた刀剣

こんにちは。
支倉常長像と南蛮美術」展(3月23日(日)まで、本館7室)をご覧になりましたか。
今回、400年前の日本人を油絵で描いた作品を見ることは大変貴重な機会であり、日頃、金工・刀剣を研究している私にとっても勉強になっています。

今回は、支倉像の刀剣の外装について少し考えてみたいと思います。
支倉像には刃を上向きにして腰の帯に指す大小二本の刀がみられ、この場合は大きいほうは打刀(うちがたな)、小さいほうは合口(あいくち)とみられます(図1)。
どちらも金を多く使用しており大変豪華です。

支倉常長像
(図1)支倉常長像 アルキータ・リッチ作 17世紀 イタリア・個人蔵

大の打刀に注目してみましょう。
絵画作品からの推測を承知で言えば、柄は茶熏韋巻(ふすべがわまき)、縁頭(ふちがしら)と鐺(こじり)は金、鐔(つば)は金色を呈し、伊達家の家紋である九曜紋を透彫にし(図2)、鞘は鮫皮包黒漆塗研出(さめがわづつみくろうるしぬりとぎだし)だと思われます(図3)。
金の鐔はやや厚みがあって文様を透彫にしていますが、これと類似したものに埋忠派の作とされる「桜花透金無垢鐔(おうかすかしきんむくつば)」(安土桃山~江戸時代・17世紀 個人蔵 図4)があります。
同派は、安土桃山時代を代表する装剣金工一派で、鐔の素材に当時としては斬新であった真鍮や金を用いるなど、革新的で華やかな表現を特徴としています。
鞘の鮫皮包黒漆塗研出とは、鮫皮(実際にはエイの皮)を巻きつけ、上から黒漆を塗り、さらに研ぎ出すことで鮫皮の凸が斑紋となってあらわれる技法のことです。
近世初期の著名な作例には、細川三斎が創案し、「歌仙拵(かせんごしらえ)」と通称される「腰刻黒漆研出鮫打刀(こしきざみくろうるしとぎだしさめのうちがたな)」(江戸時代・17世紀 永青文庫蔵 図5)があります。

支倉常長像(拡大)   支倉常長像(拡大)
(図2)   (図3)

桜花透金無垢鐔 
(図4)桜花透金無垢鐔 埋忠作 安土桃山~江戸時代・17世紀 個人蔵(出典:雑誌『刀剣美術』531号 公益財団法人日本美術刀保存協会)

腰刻黒漆研出鮫打刀(歌仙拵)
(図5)腰刻黒漆研出鮫打刀(歌仙拵) 江戸時代・17世紀 永青文庫蔵


次に小の合口を見てみましょう。
この合口は仙台市博物館が所蔵する支倉常長像にもみられます。
柄は茶に塗ったと思われる鮫皮、頭は金、鞘は金圧出霰(きんへしだしあられ)とみられます(図6)。
金圧出とは凹凸をつけた文様の型の上に薄い金板を置き、上から叩くことで板にレリーフ状に文様をあらわす技法で、支倉像の場合は霰(小さな粒)の文様をあらわしています。
金圧出によって霰をあらわした作例は、やはり安土桃山時代の刀装にみられ、筑前・黒田家に伝来した「金霰鮫青漆打刀(きんあられさめあおうるしのうちがたな)」(重要文化財 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 福岡市博物館蔵 図7)では、鞘の腰元から先にみられます。


小の合口(拡大)
(図6)
重要文化財 金霰鮫青漆打刀
(図7) 重要文化財 金霰鮫青漆打刀 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 福岡市博物館蔵 

こうして支倉常長像の刀剣の外装をみると、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した作品、しかも上層階級の武士が使用した作品と共通点がみられ、常長が、時代の最先端で、最高級品の刀装を身につけ、遠い異国の地へ赴いたことが指摘できます。

カテゴリ:研究員のイチオシ2013年度の特別展

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posted by 酒井元樹(保存修復室研究員) at 2014年03月14日 (金)

 

東洋書画の修復と保存

東洋の絵画や書跡の作品の多くは、紙や絹など脆弱な基底材に墨や絵具などの素材で表現されています。その形態には掛軸、巻子、屏風、額、襖、折本、冊子、板絵などがあり、各々の素材や形態の構造体上の特性に起因する損傷や劣化がみられます。また、収蔵環境などによって生じる生物や水損による長期的作用からの被害、人災による被害、地震、水害、火災など短期的作用によっても被害を受けている場合もあります。加えて、過去に施された処置に用いられた材料や技術による被害がみられることもあります。

そこで東京国立博物館では収蔵品を取り巻く環境を整えることと、劣化や損傷がみられる収蔵品を早期発見し対処することによって収蔵品全体の保存状態を高めるように努めています。私たち技術者は収蔵品や展示品などを管理する立場で作品と向き合い、診ています。さらに、処置作品に関連する複数の作品にも目を向け、予防や保全を考えていくように心がけております。

本格的な解体修理に加え、活用や収蔵を目的とした劣化や損傷箇所にのみ行う対症修理も施しています。その際に展示や収蔵などのための保護器具の活用は、必要最小限の処置にとどめる事が可能となるため有効です。それは従来までの応急修理とは異なる考え方で保存処置対策を講じております。そのため新たな用語が必要になって来たからこそ、当館では対症修理と呼び、使い分けているといって良いかもしれません。

このような総合医療的な保存活動は、保存と活用の両立を目指さした中で、損傷の拡大を防ぎ、劣化の進行を遅らせるという予防保存の考え方に基づいて体系的に実施しています。博物館全体として組織的に体系的な保存活動を行うことで、予防保存対策がより効果的に行うことができるため有効で、重要であると考えます。

 
実際の例を写真で紹介します。

掛軸の対症修理の例
 
作品の損傷:掛軸下部
軸木部分に錘として埋め込まれていた鉛が、
腐食して表装裂を突き破り出て来ていました。
損傷の様子から巻かれた状態で生じたことがわかります。
  作品の損傷:軸木部分
腐食した鉛が表装裂を突き破り出て来ています。

 


診断と対症修理
掛軸の軸に鉛が埋め込まれているものや、
巻き癖や折れが強いものに太巻芯を装着して対応します。
(器具:中性紙製簡易万能型太巻芯)

 

大型の掛軸を安全に展示するための工夫

 
大型の掛軸装の展示
作品の縦寸法が長いために、展示ケース内に作品全体を展示できないことがありました。
そのため、安全性と活用を両立させた展示方法を案出することが急務となりました。
その結果、安全性を高めるための保護対策が求められ、
表装上部に展示補助器具を一時的に装着することで安全に展示することができました。
(器具:中性紙製巻芯型吊展示器具) 
  展示ケース内作業の様子
大型の掛軸に、展示補助器具を装着して展示をしました。
展示ケース内作業に複数人、横側や外側の正面などから
指示を伝達する人員を配し安全に作業が進められました。   

 

大きな紙資料の展示と収蔵方法

絵地図の展示と収蔵
展示方法として「壁面」より「傾斜台」、さらに「平置き」の方が安定した状態となり作品への負担は軽くなります。
しかしながら絵地図など大きな紙資料の場合には、必ずしも「平置き」にすることが可能な展示ケースがあるとは限りません。
そのため、従来から展示頻度の高い紙資料の多くは掛軸装などに形態を変えられてきました。
近年、当館では折り畳まれた絵地図に展示補助器具を一時的に装着して壁面に展示することがあります。
展示を終えた後に折り畳み、元の姿に戻して収蔵するようにしています。



関連展示 特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」
平成館 企画展示室   2014年3月4日(火)~ 2014年3月30日(日)



カテゴリ:研究員のイチオシ保存と修理

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posted by 鈴木晴彦(保存修復室) at 2014年03月12日 (水)

 

巨大肖像画が生まれた時-支倉常長像成立の「謎解き」-

通常、屏風や襖などを展示している本館二階7室。いまこの部屋では、ひときわ大きな、油絵の肖像画を展示しています。
特別展「支倉常長像と南蛮美術」で展示している「支倉常長像」です。

支倉常長は安土桃山時代から江戸時代初頭、仙台藩主伊達政宗に仕えた武将です。支倉は政宗の命により、メキシコとの交易許可を得るためヨーロッパへ渡りました。太平洋、大西洋という二つの大海を横断した最初の日本人でもあります。

この肖像画、日本の武士を最初に描いたものとしても大変貴重です。その他にも、見事な刀装、華やかな衣裳、愛らしい犬、キリスト教に基づく聖人像など、見どころ満載。これらに関しては会場で配布しているリーフレットをご参照下さい(なくなり次第配布終了。お急ぎを!)

細部に見どころ満載ですが、誰もが感じる、ぱっと見た時の素直な感想は、「大きい!」ということではないでしょうか?
縦はおよそ2メートルある巨大な肖像画で、支倉をほぼ等身大で描いています(いやむしろ、当時の平均身長を考えればそれ以上に大きく描いているかもしれません)。
なぜ、こんな大きな肖像画が描かれたのでしょう?

支倉常長像
支倉常長像は、高さ196.0センチもある大きさな作品です。

ヨーロッパやアメリカの美術館に行くと、ギャラリーに多くの肖像画が展示されています。その中にはもちろん支倉像のような大きなものもあるのですが、胸から上を描く半身像が圧倒的に多く、等身大の立像はそう多くありません。
下世話な話をすれば、画面が大きくなればなるほど手間もかかり、使う絵の具の量も増え、絵の代金も跳ね上がります。これは古今東西、どんな絵にでも言えること。
その意味において、支倉像ほどの大きさの絵を思いつきで描かせたとは到底考えられません。
この大きな肖像画が描かれるには、それなりの「意味」があったはずなのです。

支倉はローマ教皇パウロ5世に謁見するため、ローマに滞在します。その時の世話役だったボルゲーゼ卿が、アルキータ・リッチというイタリア人画家に命じてこの肖像を描かせたと考えられています。
ボルゲーゼ家はイタリア・シエナ出身の名門貴族であり、時の教皇パウロ5世はこのボルゲーゼ家出身です。
そうなると、支倉像が生まれる背景に、パウロ5世が深く関わっているように思えてきます。と言うのも、当時、教皇は聖職者特権などをめぐって、ヴェネツィア共和国と険悪な関係にあったというのです。
具体的な状況は省略しますが、重要なのはヴェネツィアが東地中海、アラブ、そしてインドなど、アジアの物産を取引した「東方貿易」を担ってきた都市国家だという点。ただ、16世紀前半頃から、オスマン・トルコの勢力伸長によりヴェネツィアの誇る東方貿易もだいぶ陰りが見えはじめてきていました。そんなとき、ヴェネツィアの繁栄を象徴する「東方」から、教皇を尋ねてきたのが支倉だったわけです。

支倉がローマに入市する際、盛大な入市式が行われました。「東方」からの使者の到来という歴史的な「事件」は、教皇の威光が「東方」へも遍く及んでいること、すなわち「東方」をめぐるヴェネツィアに対する教皇の優位をアピールする絶好のチャンスであったはずです。支倉の入市式はこれを内外に周知させる盛大なページェントでもありました。

そして、この「事件」を長く歴史にとどめようと描かれたのが支倉常長像だったのではないでしょうか。
支倉像は、他ならぬローマ入市式の際のいでたちを描くとされています。教皇の威光、とりわけヴェネツィアに対する教皇の優位を視覚的に表わす意図のもと、支倉像は描かれたのではないか、と考えられるわけです。

絵を前にした時、そこに描かれている「美しい」ものをめでる。そういった美術鑑賞の方法もありますが、こうやっていろいろと想像を膨らませて、「なぜこの絵が描かれたのか?」という「謎解き」をすることも、美術鑑賞のもう一つの醍醐味。

以上は、私のつたない世界史知識をもとにした、あくまで個人の感想です。
この巨大肖像画を前に、みなさんはどんな「謎解き」をされることでしょう。

カテゴリ:研究員のイチオシ2013年度の特別展

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室 研究員) at 2014年03月11日 (火)