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支倉常長像に描かれた刀剣

こんにちは。
支倉常長像と南蛮美術」展(3月23日(日)まで、本館7室)をご覧になりましたか。
今回、400年前の日本人を油絵で描いた作品を見ることは大変貴重な機会であり、日頃、金工・刀剣を研究している私にとっても勉強になっています。

今回は、支倉像の刀剣の外装について少し考えてみたいと思います。
支倉像には刃を上向きにして腰の帯に指す大小二本の刀がみられ、この場合は大きいほうは打刀(うちがたな)、小さいほうは合口(あいくち)とみられます(図1)。
どちらも金を多く使用しており大変豪華です。

支倉常長像
(図1)支倉常長像 アルキータ・リッチ作 17世紀 イタリア・個人蔵

大の打刀に注目してみましょう。
絵画作品からの推測を承知で言えば、柄は茶熏韋巻(ふすべがわまき)、縁頭(ふちがしら)と鐺(こじり)は金、鐔(つば)は金色を呈し、伊達家の家紋である九曜紋を透彫にし(図2)、鞘は鮫皮包黒漆塗研出(さめがわづつみくろうるしぬりとぎだし)だと思われます(図3)。
金の鐔はやや厚みがあって文様を透彫にしていますが、これと類似したものに埋忠派の作とされる「桜花透金無垢鐔(おうかすかしきんむくつば)」(安土桃山~江戸時代・17世紀 個人蔵 図4)があります。
同派は、安土桃山時代を代表する装剣金工一派で、鐔の素材に当時としては斬新であった真鍮や金を用いるなど、革新的で華やかな表現を特徴としています。
鞘の鮫皮包黒漆塗研出とは、鮫皮(実際にはエイの皮)を巻きつけ、上から黒漆を塗り、さらに研ぎ出すことで鮫皮の凸が斑紋となってあらわれる技法のことです。
近世初期の著名な作例には、細川三斎が創案し、「歌仙拵(かせんごしらえ)」と通称される「腰刻黒漆研出鮫打刀(こしきざみくろうるしとぎだしさめのうちがたな)」(江戸時代・17世紀 永青文庫蔵 図5)があります。

支倉常長像(拡大)   支倉常長像(拡大)
(図2)   (図3)

桜花透金無垢鐔 
(図4)桜花透金無垢鐔 埋忠作 安土桃山~江戸時代・17世紀 個人蔵(出典:雑誌『刀剣美術』531号 公益財団法人日本美術刀保存協会)

腰刻黒漆研出鮫打刀(歌仙拵)
(図5)腰刻黒漆研出鮫打刀(歌仙拵) 江戸時代・17世紀 永青文庫蔵


次に小の合口を見てみましょう。
この合口は仙台市博物館が所蔵する支倉常長像にもみられます。
柄は茶に塗ったと思われる鮫皮、頭は金、鞘は金圧出霰(きんへしだしあられ)とみられます(図6)。
金圧出とは凹凸をつけた文様の型の上に薄い金板を置き、上から叩くことで板にレリーフ状に文様をあらわす技法で、支倉像の場合は霰(小さな粒)の文様をあらわしています。
金圧出によって霰をあらわした作例は、やはり安土桃山時代の刀装にみられ、筑前・黒田家に伝来した「金霰鮫青漆打刀(きんあられさめあおうるしのうちがたな)」(重要文化財 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 福岡市博物館蔵 図7)では、鞘の腰元から先にみられます。


小の合口(拡大)
(図6)
重要文化財 金霰鮫青漆打刀
(図7) 重要文化財 金霰鮫青漆打刀 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 福岡市博物館蔵 

こうして支倉常長像の刀剣の外装をみると、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した作品、しかも上層階級の武士が使用した作品と共通点がみられ、常長が、時代の最先端で、最高級品の刀装を身につけ、遠い異国の地へ赴いたことが指摘できます。

カテゴリ:研究員のイチオシ2013年度の特別展

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posted by 酒井元樹(保存修復室研究員) at 2014年03月14日 (金)