このページの本文へ移動

1089ブログ

「クレオパトラとエジプトの王妃展」が20万人を突破!

大好評で連日たくさんのお客様においでいただいている「クレオパトラとエジプトの王妃展」ですが、9月9日(水)に20万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。

さて、記念すべき20万人目のお客様は、横浜の堀内美里さんとお母様の真理子さん。
比較的空いていそうな雨の日を狙ってお越しいただいたそう。

美里さんには、東京国立博物館学芸企画部長 井上洋一より、記念品として特別展図録、展覧会オリジナルTシャツ、そしてマンガ『王家の紋章』とコラボした展覧会のミニガイドブックを贈呈しました。


「クレオパトラとエジプトの王妃展」20万人セレモニー
左から
堀内真理子さん、美里さん、井上洋一学芸企画部長
9月9日(水)東京国立博物館 平成館ラウンジにて

堀内さん親子は、今日は国立科学博物館の「生命大躍進」展から当館の「ブルガリ」展と2つの展覧会を回ってのご来館!
大学で国際関係の勉強をしている美里さんは、「エジプトといえば、まずピラミッドやナイル川が生んだ肥沃な大地など、ステレオタイプなイメージだが、展覧会を通して知識を広げられれば」と語ってくださいました。
また、この夏に中国を訪れたばかりで中国史にも特に興味があり、10月27日(火)から始まる特別展「始皇帝と大兵馬俑」にも是非来てみたいとのこと。
兵馬俑展以外にも、トーハクではこのあとも続々と注目の展覧会やイベントが目白押し。
館内には「あ、こんなこともやるんだ!」という情報がたくさんありますので、チラシや看板、ポスターのチェックもお忘れなく。

さて。あっという間に9月も第2週。
シルバーウィークのご予定はお決まりでしょうか?
今週から表慶館では、「アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」も開幕しました(観覧には別料金が必要)。
同展ではエリザベス・テイラーが映画「クレオパトラ」で使用した衣装も展示されており、クレオパトラに関するコラボレーションが期せずして実現しています。
1度の来訪で2つの展覧会と出会える、1粒で2度おいしいトーハクへどうぞお越しください。

皆様のご来館を心よりお待ちしております。

 

カテゴリ:news2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by 田村淳朗(広報室) at 2015年09月09日 (水)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」天下分け目のアクティウム

「クレオパトラとエジプトの王妃展」のヒロイン、クレオパトラ。
彼女の人生を語るときに必ず登場するのが、アクティウムの海戦です。
今回の1089ブログは、特別編として、ギリシア・ローマ考古学が専門の青柳文化庁長官が、アクティウムの海戦を語ります。


紀元前31年9月2日、ギリシアのイオニア海側にある小さな町、アクティウムの沖でくり広げられた海戦は、ローマの命運を決した戦いでした。
カエサルが紀元前44年に暗殺されて以降、その名声と財産は二人の男に受け継がれました。
一人はカエサルの甥で弱冠19歳のオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)。
もう一人はカエサルと戦場をともにし、輝かしい戦功を挙げた将軍マルクス・アントニウス。
二人はカエサルの暗殺者たちを成敗するまでは互いに協力しあったばかりか、オクタウィアヌスの姉の小オクタヴィアがアントニウスと結婚し、強い絆で結ばれます。
しかし、東方世界を統治するためにエジプトに赴いたアントニウスはクレオパトラ(7世)とともに暮らすようになり、その地からローマ世界全体の支配を目論むようになります。
オクタウィアヌスと覇権をかけた戦いが不可避となった紀元前32年、両者はギリシアに進軍し総力戦の時期を互いにうかがっていました。

決戦の準備を進めていたマルクス・アントニウスは、アテネに滞在中、パルテノンの東側に並ぶ彫像のなかからディオニュソス像だけが崖下の劇場に落ちました。
このことをひどく気にしたアントニウスは、敗戦の予兆であることを懸命に打ち消し、自ら広言していたディオニュソス再来説を否定するほどでした。
カエサルとともに輝かしい武勲をあげた武将も、オクタウィアヌスの影におびえたのか、冷静な判断に欠けていた。
圧倒的な兵力を擁していながらクレオパトラの主張によって海上での戦いを選択したアントニウスは、アクティウム沖の海戦で決着をつける決心をし、陸上と海上の兵力すべてをアクティウム周辺に集結させました。
一方のオクタウィアヌス軍は歴戦の将軍であるアグリッパが指揮をとり、アントニウスとクレオパトラの艦隊を封じ込めるような戦陣をとります。



9月2日朝から小さな海上戦がいくつか繰り広げられましたが、互いに譲ることなく膠着状態になっていました。
この時、クレオパトラは自らの艦隊を率いて突如戦線を離脱するという行為にでます。
浮き足立ったエジプト軍は戦陣をたてなおすこともできず、ついにアントニウスも戦陣を離れ、クレオパトラの後を追うことにしました。
この結果、雌雄を決した海戦はオクタウィアヌスの勝利に終わったのです。


アクティウムの海戦のレリーフ
ローマ時代 ユリウス・クラウディウス朝(前27~後68年)
カルドナ公爵コレクション


 
(左)オクタウィアヌスが乗る船/(右)アントニウスが乗る船


海戦で敗退し、アレクサンドリアでの篭城戦に場所を移したものの結末は明らかでした。
翌年、武将にふさわしくアントニウスは自らの命を絶ちました。
アントニウスの死後、オクタウィアヌスに捕らえられたクレオパトラも、毒蛇に身を噛ませ、女王としての威厳をたもちながら亡くなります。
ほぼ1世紀にもおよぶ内乱が終結し、地中海域で唯一のこされていたエジプトは、オクタウィアヌスによって併合が完了しました。

本展覧会の最後の部屋に展示されている浮彫りは、このアクティウムの海戦を表すとされています。
100年もの長い内戦の末の決戦、アクティウムの海戦の様子を見ながら、エジプトを守るために身を犠牲にして活躍したクレオパトラにぜひ思いを寄せていただきたいと思います。

カテゴリ:2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by 青柳正規(文化庁長官) at 2015年09月09日 (水)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(3)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」で開催したキッズデーでは、何人かの子どもたちから古代エジプトのレリーフについての質問がありました。
レリーフとは、浮彫りとも呼ばれる平面を彫り込んで図像や装飾を表わしたものです。

今回の特別展では、数多くのレリーフが出品されていますが、「アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」(No.140)はその代表。
これらのレリーフは本来、王宮や神殿などの壁を飾り、彩り与えていました。
古代エジプトのレリーフは、いずれも目が魅力的。
王妃ティイの瞳もまるでこちらを見つめているようです。


アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ
テーベ西岸、ウセルハト墓(TT47)出土
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵
(C)RMAH



さて、子どもたちからの質問はというと「どうしてレリーフのなかの人物はみんな横向きなの?」というものでした。
子どもたちの素直な発見にうれしくなり、一緒にレリーフのなかの登場人物のまねてみますが、うまくできません。
そこで初めて、子どもたちに古代エジプトのレリーフの表現方法のルールを説明しました。
古代エジプトのレリーフに表わされた人物は、顔や腕や足は横向き、目や肩は正面から表現されています。つまり、視点が一定ではなく、表現された人物の特徴が最もよく表された部分を組み合わせて描かれているのです。
さらに頭、胴、足の大きさの比にも規則があることで、レリーフのなかにたくさんの人物が登場しても整然とした印象を与えるのです。
さまざまな場面や物語をレリーフに表わすために、このような方法が古代エジプト美術では発展しました。

たくさんの人物が登場するレリーフの例として「王の養育係の長メリラーと王子のレリーフ」(No.68)を見てみましょう。


 
王の養育係の長メリラーと王子のレリーフ
(写真下左:レリーフ上段/写真下右:レリーフ下段)
サッカラ出土
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ウィーン美術史美術館蔵
Kunsthistorisches Museum Vienna


上下に2段に、ふたつの場面を表すレリーフ。
上段ではメリラーが妻と神に捧げものをする場面、下段には王子を育む場面が表現されています。


本展で皆さんを最初にお迎えするレリーフが「ラメセス2世のレリーフ」(No.9)です。

ラメセス2世のレリーフ
新王国・第19王朝時代 ラメセス2世治世(前1279~前1213年頃)
滋賀・MIHO MUSEUM蔵


地にはレリーフの表面を整えた際のノミ痕がうっすらと残る一方で、弓をひくラメセス(ラムセス)2世の姿が丁寧に彫られています。
ラメセス2世は王権を守護するウアジェト女神を象徴するコブラのついた青冠を被り、頭上には聖蛇ウラエウスがついた日輪が表現されています。
この日輪と青冠には当時の赤と青の彩色が残されています。

ラメセス2世は、ラメセス大王とも呼ばれる古代エジプトを代表するファラオです。
世界史の教科書では、ヒクソスとのカデシュの戦いの後、世界最古の国際条約である講和条約を結んだ王として登場することから、みなさんもご存知かと思います。
60年を超える長い治世の間に多くの神殿や記念物そして彫像を作った王としても著名です。
なかでも、よく知られるのがアブ・シンベル大神殿です。
そして愛する王妃ネフェルトイリのためにアブ・シンベル小神殿もつくりました。

本展では、古代エジプトのレリーフが数多く出品されています。
子どもたちの発見を参考に、ご覧になってみてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by 品川欣也(特別展室主任研究員) at 2015年09月04日 (金)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(2)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」はおもしろい。

これまでのエジプト展といえば、どこに行ってもファラオ、ファラオ、ファラオ。
もうそろそろファラオ展はいいだろう。
むしろ近年研究が進んできた王妃や女王に焦点を当て、新たな視点で古代エジプトを俯瞰してはどうか。
これが今回の企画の出発点だった。

王妃・女王といえばクレオパトラ(クレオパトラ7世)。
よし、クレオパトラ展だ!
しかし、大きな問題あり。
クレオパトラに関するモノが圧倒的に少ない。これはクレオパトラのお墓が発見されていないことや彼女が住んでいた王宮が海に沈んでしまったからともいわれる。
では、クレオパトラ以外の王妃・女王たちにもご登場いただこう。

しかし、強敵がいた。
昨年、東京都美術館で開催された「メトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神」。
先を越されたか?!
でも、待てよ。この展覧会はメトロポリタン美術館の所蔵品のみで構成されたもの。
これに対し、当方は世界14ヵ国から集められた作品群で構成。文字通り世界中から王妃・女王に関する作品を集めたものだ。コンセプトは似て非なるもの。
気を取り直し、みんなでがんばった成果がこの特別展。
そして、実際展示されている作品も王妃や女王のものだけではない。ここに彼女たちを取り巻く男たちの物語も仕込まれている。それが最後の展示室で展開されているのだ。

ここには、クレオパトラを取り巻く3人の男たちの肖像が並ぶ。
まずはカエサル(No.169)。

カエサル
ローマ時代(前27~前20年頃) イタリア出土
ヴァチカン美術館蔵


言わずと知れたローマの英雄。しかし、巷では「ハゲの女たらし」「借金王」そして「遅咲きの英雄」などと揶揄されたともいう。
前髪を垂らしたその髪型は、後に「シーザーカット(カエサルカット)」と呼ばれ、ヨーロッパでは古くから男性の典型的な髪型の一つとして定着。
この像は老練な軍人・政治家としてのカエサルを表現したものとされるが、その表情からは「ハゲの女たらし」までを読み取ることはできない。
権力闘争に敗れ、一時王位を失ったクレオパトラはローマの時の権力者カエサルに保護を求める。
カエサルは彼女の魅力、知性に呑み込まれたのか、彼女を援護し、見事、エジプトの女王に復活させる。
クレオパトラに魅せられ、メロメロになったなどといわれるカエサルであるが、彼女を正式な「妻」とすることはなかった。
彼は彼女を政治的に利用したに過ぎないとする説すらある。
カエサルはクレオパトラをあくまで「愛人」としてクールに愛したのではないか。
これぞ大人の恋の駆け引きか。

次に、アントニウス(No.170)

アントニウス
ローマ時代(後1世紀頃) イタリア出土
ヴァチカン美術館蔵


カエサルの部下として数々の戦いで活躍。共和政ローマの軍人であり政治家。
帝政ローマのギリシア人著述家プルタルコスは、「アントニウスは威厳に満ちたオーラを放ち、張りでた額や高い鼻はヘラクレスを思わせる男性的な力強さをもっていた」と記している。
この表現にぴったりなのが、このアントニウスの像だ。

紀元前44年にカエサルが暗殺されるとクレオパトラはこのアントニウスに近づく。
そしてカエサル同様、アントニウスもクレオパトラの虜になり、彼女と運命を共にする。
No.173の銀貨の表裏それぞれに刻まれた二人の肖像が端的に当時の二人の関係を物語っている。
 
クレオパトラとアントニウスの銀貨
(左)クレオパトラ (右)アントニウス
プトレマイオス朝時代 クレオパトラ7世治世(前51~前30年)
シリア出土
古代オリエント博物館蔵


アクティウムの海戦で大敗したアントニウスとクレオパトラ。クレオパトラは先にアレキサンドリアに撤退。
これを追ってアントニウスもアレキサンドリアへ。そこでアントニウスはクレオパトラの死を告げられる。
しかし、これは誤報。そうとも知らず彼は失意のうちにクレオパトラの後を追うかたちで自殺。
男の美学がここにある。
これを知ったクレオパトラはそのおよそ10日後、オクタウィアヌスのはからいを受け入れず、自害。
39年の生涯を終える。

最後に、オクタウィアヌス(No.171)。

オクタウィアヌス
ローマ時代(前30年頃) ローマ出土
大英博物館蔵


カエサルはクレオパトラとの間に儲けたカエサリオンではなく、養子であるこのオクタウィアヌスを後継者とした。
先にも記したように、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを敗り、二人を死に追いやり、古代エジプト最後の王朝、プトレマイオス朝を終わらせた男。この像は理想化された若きオクタウィアヌス。
その表情はきわめて冷静。
彼は若い頃は病弱で、いつも腹巻・襟巻・毛の帽子を離さず、薬も持ち歩いていたという。
しかし、意志力と決断力は優れていたといわれる。
この力こそ、後にローマ帝国初代皇帝として君臨するアウグストゥスを生んだのである。

このオクタウィアヌスは他の二人の男たちのようにクレオパトラに惚れなかったのか。
もうクレオパトラなど何の役にも立たず、と切り捨てたのか。
逆に、クレオパトラも女を武器に彼に近づかなかったのか。
いや、愛するアントニウスを死に追いやった憎き敵将になど心許せるはずはなかったか。
多くの疑問が頭をよぎる。

いずれにせよ、自ら死を選んだクレオパトラ。
クレオパトラはこうした男たちがいたからこそ歴史に名を遺す女王として古代エジプトに君臨したのである。

世の女性たちよ。この展覧会は、いかに女性が偉大なる存在であるのかを確認するものであるが、こうした三者三様の男たちの物語もどうぞお忘れなく。

最後にカエサルの名言、「来た、見た、勝った!」をもじり、この展覧会を次の言葉で締めくくるとしよう。
「来た、見た、よかった!」

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by 井上洋一(学芸企画部長) at 2015年08月28日 (金)

 

トーハクくんのおつかい~「クレオパトラとエジプトの王妃展」編~

ほほーい! ぼくトーハクくん!
ユリノキちゃんが「女子力の高いグッズが欲しいわ」って言うから、「クレオパトラとエジプトの王妃展」のグッズショップにやって来たほ。
展覧会では、古代エジプトのキレイなお姉さんたちに会えるって聞いたんだほ~(でれでれ)。
きっとキレイなお姉さんのグッズもいっぱいなんだほ。楽しみなんだほ~(妄想中)。



おおっ! さっそくキレイな4人のお姉さんを発見だほ!!

ミニ付箋 400円(税込)

イラストからフキダシが出ていて、ちょっとした伝言にも使えて便利なんだほ。
ユリノキちゃんからのお願いごとも、この付せんに書いてあったら、きっと断れないんだほ・・・。

ああっ! 4人のお姉さんがお菓子になっているほ!!
 
千寿せんべい(5枚入り) 1188円(税込)

クッキー生地にクリームをはさんだお菓子で、クッキー生地には4人のイラストが描いてあるんだほ!
イラストがかわいくて、食べるのがもったいないんだほ・・・。
でも、ユリノキちゃんに食べられちゃうから、帰ったらすぐに食べるんだほ。

今回は、特に王妃ティイのグッズが大人気だって聞いたほ。

クリアファイル 400円(税込)

ティイは、展覧会で注目している王妃さまのひとりなんだほ。
王さま(アメンヘテプ3世)に、とってもとっても大事にされていたらしいほ。“とりこ”ってやつだほ。
王さまだけじゃなく、展覧会のお客様にも人気だなんて、スゴイ王妃さまなんだほ。
ちなみにティイのまわりのお花も、展示作品だほ。第2章「華やかな王宮の日々」の会場で探してみてだほ。

ティイのグッズがあまりに人気だから、8月12日(水)から新商品が追加されたんだほ。
「ティイのティーキャンディ」・・・ぷっ(笑)。
紅茶味のキャンディだほ。

ティイのティーキャンディ 650円(税込)

人気者は大忙しだほ。ぼくと一緒なんだほ~。
※ツッコミ役のユリノキちゃんがいないので、さくさく進めます。

エジプト塩も人気なんだほ。
数種類のナッツとスパイス、天然塩などを組み合わせた、いま、お料理好きの間でじわじわきている調味料らしいほ。


さらに! 今回は展覧会オリジナル商品として「クレオパトラ塩」も作ってもらったんだほ!
 
(写真左/上)クレオパトラ塩 1620円(税込) (右)エジプト塩 880円(税込)

ビンのふたを開けると、ふわっと異国の香り(※)がするんだほ~。
※サフランの香りです。
クレオパトラ塩にはミニレシピが付いているから、「使い方がわからない」っていう人も安心だほ。
ビンもかわいいし、これならユリノキちゃんも満足してくれるはずだほ!

王妃さまや女王さまが主役の展覧会だけに、今回はかわいいグッズが多かったほ。
みんな、ショップにも忘れずにお立ち寄りくださいだほー!

カテゴリ:2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by トーハクくん at 2015年08月14日 (金)