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「クレオパトラとエジプトの王妃展」王妃のプロフィール(2)~ティイ~

「クレオパトラとエジプトの王妃展」で注目の王妃について、紹介するシリーズです。
第2回目のヒロインは、アメンヘテプ3世の王妃ティイ。
今から3400年ほど前、新王国・第18王朝時代の絶頂期であった頃の王妃です。
ティイの名前をご存知ない人も、彼女の次男・アメンヘテプ4世(後のアクエンアテン王)の名前は、聞いたことがあるかもしれません。
ティイとはいったいどのような王妃だったのでしょうか。
娘として母として、そして妻としてのティイをご紹介します。


アクミムのイウヤの娘ティイ
王妃ティイは、新王国・第18王朝時代の9代目の王であるアメンヘテプ3世の妃です。
一般に、ティイは王族ではなかったために、新王国時代で最初の平民出身の王妃であるとされていますが、実際は、アメンヘテプ3世の父親であったトトメス4世もまた、王族出身ではないネフェルトイリを正妃としています。
この王族ではない女性を正妃とするトトメス4世の婚姻は極めて異例のものであったとされています。
王族でなかったティイが正妃となったことも、異例な結婚としてしばしば強調されていますが、このことは何を意味していたのでしょうか。

新王国時代は、王族の女性と結婚することが慣例でした。
そんな伝統的な王の婚姻慣習を破ってまでも、王族出身ではない女性との結婚は、専制王としての王権の増大を示しているとの見方も存在しています。
「アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)」には、王妃ティイの両親の名前が刻まれています。


アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)
出土地不詳
新王国・第18王朝時代
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ウィーン美術史美術館蔵
Kunsthistorisches Museum Vienn


それによると、ティイの父親はイウヤ、そして母親はチュウヤという人物です。
イウヤは中部エジプトのアクミム出身の有力者であり、アメンヘテプ3世は、イウヤの娘と結婚することで強力な王権を築くことができたものと考えられます。
イウヤとチュウヤは、王家の谷に彼らの墓(KV46)を築く特権を得ました。
ちなみにこの墓は、1905年にイギリス人考古学者のキベル(J. E. Quibell)により発見され、墓内部からは非常に保存状態の良いミイラ・マスクをつけた二人のミイラが発見されるとともに、副葬された品々も発見されています。


王母としてのティイ 
「アメンヘテプ3世の記念スカラベ(湖の造営)」には、アメンヘテプ3世の治世11年に、王妃ティイの出身地であるアクミム近郊のジャルカという町に、長さが1.9㎞、幅が0.36㎞の巨大な人造湖を2週間ほどで完成させたことが記されています。


アメンヘテプ3世の記念スカラベ(湖の造営)
出土地不詳
新王国・第18王朝時代
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
大英博物館蔵
(C)The Trustees of the British Museum, all rights reserved


王は、この湖の完成の式典で「輝くアテン」という名の船に乗ったことが記されています。
アマルナ時代に唯一神として崇拝されたアテンの名前が使われていたことは、非常に興味深いことです。
この太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行したアメンヘテプ4世は、冒頭でもご紹介したとおり、アメンヘテプ3世と王妃ティイの息子でした。
このように王妃ティイは、王の母でもあったのです。

アメンヘテプ4世は、王の治世4年に中部エジプトに位置するテル・アル=アマルナの地を公式訪問します。
この公式訪問には、王妃ネフェルトイティとともに、母であるティイも同行しました。
そして、アマルナに新しい王宮の建設が決定され、王は自らの名前を「アクエンアテン(アテン神に有益なもの)」と改名し、アテン神を唯一神とし、伝統的な美術様式にはとらわれない「アマルナ様式」という新しい美術様式が作られました。
新王国・第18王朝時代の大きな変革期であるアマルナ時代の誕生に、王妃ティイは重要な役割を演じたと考えられます。


王のパートナーとしてのティイ
エジプトの首都があるカイロの南100キロほどのところにあるファイユーム地域のグラーブ遺跡には、新王国時代の王のハーレムがありました。
第18王朝時代のトトメス3世により造営が始まり、その後、新王国時代(第18~20王朝)を通じて利用されていたことが知られています。
このグラーブ遺跡から、ティイの名を刻した供物台が発見されています。
これはティイがアメンヘテプ3世のために副葬品として用意したものです。
この供物台では、ティイが夫であるアメンヘテプ3世を「兄」と呼んでおり、二人の親密な関係を想起させます。


王妃ティイの供物台
グラーブ出土
新王国・第18王朝時代
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
マンチェスター博物館蔵
(C)Manchester Museum, The University of Manchester


王妃ティイの名前が、アメンヘテプ3世の名前と並んで記されている作品が数多く残されています。
第18王朝時代の絶頂期の王アメンヘテプ3世のパートナーとして王妃ティイは、常に夫とともにいたことを示しています。
このことから王妃ティイは、王の補佐役として重要な役割を果たしていたと考えられます。


王家の谷・西谷に造営されたアメンヘテプ3世墓(KV22)の中には、ティイのための部屋(Je室)が用意されていましたが、王の死後、息子のアメンヘテプ4世とともにアマルナ王宮に移り住みました。
ティイの孫にあたるツタンカーメン王墓からは、彼女の髪の毛が発見されています。
ツタンカーメン王と祖母であるティイの関係はどのようなものだったのでしょうか。
アマルナ時代が終わった後に、ティイの遺体は再びテーベに戻されたと推定されています。
「年配の婦人(the Elder Lady)」と呼ばれる髪の長い女性のミイラが、ティイのものではないかとされています。
王妃ティイは、まだまだ謎の多い女性です。


アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」も必見です
左側が本展監修の近藤二郎教授
(写真右)アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ
テーベ西岸 ウセルハト墓出土
新王国・第18王朝時代
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
(C)RMAH

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 近藤二郎(早稲田大学教授) at 2015年06月24日 (水)