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「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(2)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」はおもしろい。

これまでのエジプト展といえば、どこに行ってもファラオ、ファラオ、ファラオ。
もうそろそろファラオ展はいいだろう。
むしろ近年研究が進んできた王妃や女王に焦点を当て、新たな視点で古代エジプトを俯瞰してはどうか。
これが今回の企画の出発点だった。

王妃・女王といえばクレオパトラ(クレオパトラ7世)。
よし、クレオパトラ展だ!
しかし、大きな問題あり。
クレオパトラに関するモノが圧倒的に少ない。これはクレオパトラのお墓が発見されていないことや彼女が住んでいた王宮が海に沈んでしまったからともいわれる。
では、クレオパトラ以外の王妃・女王たちにもご登場いただこう。

しかし、強敵がいた。
昨年、東京都美術館で開催された「メトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神」。
先を越されたか?!
でも、待てよ。この展覧会はメトロポリタン美術館の所蔵品のみで構成されたもの。
これに対し、当方は世界14ヵ国から集められた作品群で構成。文字通り世界中から王妃・女王に関する作品を集めたものだ。コンセプトは似て非なるもの。
気を取り直し、みんなでがんばった成果がこの特別展。
そして、実際展示されている作品も王妃や女王のものだけではない。ここに彼女たちを取り巻く男たちの物語も仕込まれている。それが最後の展示室で展開されているのだ。

ここには、クレオパトラを取り巻く3人の男たちの肖像が並ぶ。
まずはカエサル(No.169)。

カエサル
ローマ時代(前27~前20年頃) イタリア出土
ヴァチカン美術館蔵


言わずと知れたローマの英雄。しかし、巷では「ハゲの女たらし」「借金王」そして「遅咲きの英雄」などと揶揄されたともいう。
前髪を垂らしたその髪型は、後に「シーザーカット(カエサルカット)」と呼ばれ、ヨーロッパでは古くから男性の典型的な髪型の一つとして定着。
この像は老練な軍人・政治家としてのカエサルを表現したものとされるが、その表情からは「ハゲの女たらし」までを読み取ることはできない。
権力闘争に敗れ、一時王位を失ったクレオパトラはローマの時の権力者カエサルに保護を求める。
カエサルは彼女の魅力、知性に呑み込まれたのか、彼女を援護し、見事、エジプトの女王に復活させる。
クレオパトラに魅せられ、メロメロになったなどといわれるカエサルであるが、彼女を正式な「妻」とすることはなかった。
彼は彼女を政治的に利用したに過ぎないとする説すらある。
カエサルはクレオパトラをあくまで「愛人」としてクールに愛したのではないか。
これぞ大人の恋の駆け引きか。

次に、アントニウス(No.170)

アントニウス
ローマ時代(後1世紀頃) イタリア出土
ヴァチカン美術館蔵


カエサルの部下として数々の戦いで活躍。共和政ローマの軍人であり政治家。
帝政ローマのギリシア人著述家プルタルコスは、「アントニウスは威厳に満ちたオーラを放ち、張りでた額や高い鼻はヘラクレスを思わせる男性的な力強さをもっていた」と記している。
この表現にぴったりなのが、このアントニウスの像だ。

紀元前44年にカエサルが暗殺されるとクレオパトラはこのアントニウスに近づく。
そしてカエサル同様、アントニウスもクレオパトラの虜になり、彼女と運命を共にする。
No.173の銀貨の表裏それぞれに刻まれた二人の肖像が端的に当時の二人の関係を物語っている。
 
クレオパトラとアントニウスの銀貨
(左)クレオパトラ (右)アントニウス
プトレマイオス朝時代 クレオパトラ7世治世(前51~前30年)
シリア出土
古代オリエント博物館蔵


アクティウムの海戦で大敗したアントニウスとクレオパトラ。クレオパトラは先にアレキサンドリアに撤退。
これを追ってアントニウスもアレキサンドリアへ。そこでアントニウスはクレオパトラの死を告げられる。
しかし、これは誤報。そうとも知らず彼は失意のうちにクレオパトラの後を追うかたちで自殺。
男の美学がここにある。
これを知ったクレオパトラはそのおよそ10日後、オクタウィアヌスのはからいを受け入れず、自害。
39年の生涯を終える。

最後に、オクタウィアヌス(No.171)。

オクタウィアヌス
ローマ時代(前30年頃) ローマ出土
大英博物館蔵


カエサルはクレオパトラとの間に儲けたカエサリオンではなく、養子であるこのオクタウィアヌスを後継者とした。
先にも記したように、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを敗り、二人を死に追いやり、古代エジプト最後の王朝、プトレマイオス朝を終わらせた男。この像は理想化された若きオクタウィアヌス。
その表情はきわめて冷静。
彼は若い頃は病弱で、いつも腹巻・襟巻・毛の帽子を離さず、薬も持ち歩いていたという。
しかし、意志力と決断力は優れていたといわれる。
この力こそ、後にローマ帝国初代皇帝として君臨するアウグストゥスを生んだのである。

このオクタウィアヌスは他の二人の男たちのようにクレオパトラに惚れなかったのか。
もうクレオパトラなど何の役にも立たず、と切り捨てたのか。
逆に、クレオパトラも女を武器に彼に近づかなかったのか。
いや、愛するアントニウスを死に追いやった憎き敵将になど心許せるはずはなかったか。
多くの疑問が頭をよぎる。

いずれにせよ、自ら死を選んだクレオパトラ。
クレオパトラはこうした男たちがいたからこそ歴史に名を遺す女王として古代エジプトに君臨したのである。

世の女性たちよ。この展覧会は、いかに女性が偉大なる存在であるのかを確認するものであるが、こうした三者三様の男たちの物語もどうぞお忘れなく。

最後にカエサルの名言、「来た、見た、勝った!」をもじり、この展覧会を次の言葉で締めくくるとしよう。
「来た、見た、よかった!」

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 井上洋一(学芸企画部長) at 2015年08月28日 (金)