ほほーい! ぼくトーハクくん!
ついに、考古展示室がリニューアルオープンしたんだほ!!
待っていたほ(泣)。ずっと楽しみにしていたんだほ(号泣)。
というわけで、さっそく広報大使として考古展示室に行ってきたほ。
まずは、入口で迎えてくれるトーハクのプリンスに注目だほ。
国宝 埴輪 挂甲(けいこう)の武人
ポスターにもチラシにも1089ブログにも登場しているから、すっかりお馴染みだほ。
ケースが新しくなったから、ユリノキちゃんのハートを射止めた顔や、背中の武具や、鎧の細かいかざりまでよーく見えるほ。
そして、ここからが展示の本番だほ。
はじめの展示は「旧石器時代」(写真左)。展示室のなかはぐるりと壁ぞいに展示室ケースが並んで、最後は「江戸時代」(写真右)…。
…ふむふむ。ということは、壁ぞいに展示室を1周すれば日本の歴史がわかっちゃうんだほ!?
わんだほー! わかりやすいんだほー!
展示の方法も、もっとわかりやすくなったらしいほ。
たとえば、縄文時代の土器のコーナーでは、古いものから順番に並んでいるから、だんだん形がかわっていくのがわかるほ。
よーく見ると、いろんな形や文様があるんだほ。
時代や地域によってちがいがあったり、似ているところもあったりして、おもしろいんだほ。
おっと、縄文時代といえば、土偶センパイを忘れちゃダメほ。
土偶センパイ、おつかれっす!
トーハクのプリンセスとして活躍中の重要文化財「みみずく土偶」センパイはこちらにいます
土偶センパイがいるのは「縄文時代の祈りの道具・土偶」というテーマの展示コーナーだほ。
壁ぞいに1周できる展示とは別に、時代ごとにテーマ展示もあるんだほ。
さて、弥生時代までを見て角をまがると・・・キタ―!
埴輪(ともだち)がいっぱいだほ! 近いほ! 大興奮なんだほ~!!
リニューアルを機に、新しく展示台を作り直しました
※トーハクくんは展示されていません
そして、こっちがうわさのVIPルームだほ。中からただならぬ気配が漂ってくるほ。
国宝 銀象嵌銘大刀(江田船山古墳出土)と重要文化財 石人(岩戸山古墳出土)という、2件のためだけの展示コーナー
石人の背中には靫(ゆき/矢を携行するための武具)が表現されています。
360度見える展示、貴重です
土偶センパイにも埴輪にも挨拶をすませたし、残りはぱぱっと見るほ…なんて思った人! もったいないこと禁止だほ。
「リニューアルでいちばん変わったのは、実は飛鳥時代以降の展示なんだよね」って、研究員さんが言ってたほ。
作品もテーマもレイアウトも展示方法も、たくさん変わったんだほ。
たとえば古代の瓦は、葺き方がイメージしやすいように展示方法を変更したんだほ。
平安時代のコーナーでは、こんなかわいい像に出会えるほ。
土偶センパイや埴輪に続く、次世代アイドルを目指しているほ。
重要美術品 押出蔵王権現像
お金の展示も充実したほ。小判の金色がま、まぶしい!
奈良時代~平安時代の銭(写真上)と江戸時代の小判(写真下)
今まであまり展示されなかった作品も、実は公開されているんだほ。
石製塔婆の一種である板碑が立ち並ぶ、中世の展示コーナー。
本格的な展示も、立てた状態での展示も、今回が初めてです
他にも、縄文時代の石棒や江戸時代の慶長大判も、長期間展示されるのは初めてらしいほ。
しかも、一部の作品は約半年ごとに展示替えをするから、これからの展示も楽しみなんだほ。
ああ、見どころ盛りだくさんで、コーフンがおさまらないほ!
これは研究員さんにもっと話をきくしかないほ。
ちょっといってくるほー。
一体どんな話が聞けるのでしょう? 今後の見どころ紹介にご期待ください
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posted by トーハクくん at 2015年10月16日 (金)
10月14日(水)、平成館考古展示室がリニューアルオープンします。
これに先立ち、10月5日(月)、報道関係者向けに展示室を公開しました。
今回は、その模様をお伝えするとともに、新しい展示室をチラリとご紹介します。
冒頭、副館長の松本伸之よりご挨拶を申し上げたあと、早速、展示室の扉が開かれます。
すると…
国宝 埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀
展示室では背負った靫(ゆき)もご覧いただけます
「埴輪 挂甲(けいこう)の武人」が出迎えてくれました。
埴輪では唯一の国宝指定の作品です。
「何か見たことがあるような…?」と、特定の世代の出席者がざわめきます。
そうです、某テレビ局が1980年代に放映していた某こども向け番組のキャラクター「はに○」に、似ているのです!
それだけ埴輪界では有名な作品ということですね。
チラシでも、ト-ハクのプリンスとして活躍中です
展示室では、4人の研究員がリレー方式でギャラリートークを行いました。
考古室長がリニューアルの概要を説明した後、旧石器~弥生時代、古墳時代、飛鳥~江戸時代の各担当者が、それぞれ見どころを解説しました。
担当者それぞれが思い入れをもって臨んだ今回のリニューアル。
解説にも熱が入ります
そう、ポイントは旧石器時代から江戸時代まで、考古遺物で日本の歴史をたどれることなんです!
トーハクの考古コレクションの特徴は、時代・地域を限定しない幅の広さなんです!
しかも、教科書にも登場するような、有名で資料的価値の高い作品を多く所蔵しているんです!!
そのため、「どの時代にどんなモノがあったの?」という考古学ビギナーさんにも、「埴輪が大好き!」という特定の時代・遺物を愛する人にも、ご満足いただける展示になっています。
今後も、1089ブログで研究員が見どころを紹介していきます。
そして、トーハクのプリンスに密かなジェラシーを燃やしているあの子も…。
ぼくが広報大使なんだほ!
美術作品だけにとどまらないトーハクの魅力、ぜひ考古展示室でお確かめください。
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posted by 高桑那々美(広報室) at 2015年10月07日 (水)
土偶(どぐう)とは縄文時代を代表する祈りの道具。粘土で作られた人形(ひとがた)で、縄文時代を代表する造形物としても人気があります。
当館で土偶といえば、教科書でもおなじみの青森県つがる市木造亀ヶ岡出土の遮光器土偶(以後、亀ヶ岡土偶と呼ぶ)が有名ですが、当館にはこれに匹敵する遮光器土偶の名品が所蔵されています。
それが、本館1室で展示中の宮城県大崎市恵比須田出土の遮光器土偶(以後、恵比須田土偶と呼ぶ)です。
重要文化財 遮光器土偶(亀ヶ岡土偶)
青森県つがる市木造亀ヶ岡出土
縄文時代(晩期)・前1000~前400年
遮光器土偶だけではなく、日本の土偶代表ともいえる土偶です。
1887(明治20)年に学界に報告され、広く知られるようになりました
※現在は九州に出張中のため展示されていません(九州国立博物館で開催の特別展で展示予定)。
重要文化財 遮光器土偶(恵比須田土偶)
宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比須田出土
縄文時代(晩期)・前1000~前400年
本館1室 ~11月23日(月・祝)
亀ヶ岡土偶(晩期中葉)に年代的に先行する恵比須田土偶(晩期前葉)。
遮光器土偶は年代が新しくなるとともに、首が長く、胴が短く、腰が幅広に体の表現は変化していきます
恵比須田土偶は足先を欠くものの、ほぼ完全な形が残る希少なもの。
しかも、遮光器土偶としては大形のものです。
実はこの土偶、1943(昭和18)年に畑の耕作中に石囲いの中から偶然発見されました。
近来、いわゆる優品と呼ばれる大形で造形的にも優れた土偶が、遺構(住居や墓など過去の人びとが残した痕跡)から出土し、土偶の謎を解明するうえで注目されています。
「中空土偶」や「合掌土偶」、そして「縄文のビーナス」や「仮面の女神」といった愛称をもつ国宝土偶もその一例です。
多くの土偶が破片として出土するなかで、特別な扱いをされたこれらの土偶は、縄文時代の人びとの祈りの形を強く表わしたものといえます。
そもそも、遮光器土偶とは、縄文時代晩期(前1000年~前400年)の東北地方を中心に盛行した土偶です。
大きな特徴的な目の表現が遮光器(スノーゴーグル)に似ていたことから遮光器土偶と呼ばれるようになりました。
遮光器土偶の見どころは、極端にデフォルメされた体の表現とともに、全身に施された文様です。
縄文を施した部分と無地の部分と描き分けることで装飾効果を高めた磨消縄文手法を用い、多彩な文様が全身を覆うように表現されています。
恵比須田土偶の胴部(左:オモテ/右:ウラ)
一見複雑なこの文様、無地の部分に注目すると線対称と点対称とをうまく組み合わせて、三叉文や弧線文などの文様を配置していることがわかります。
そのルールがあるために、多彩な文様は煩雑に見えず、調和した印象を与えるのです。
ユーモラスな顔にデフォルメされた体、そして緻密な文様と何度も楽しめる、この遮光器土偶。
縄文人の祈りや想いとともに、そのデザインの妙も合せてお楽しみいただければと思います。
10月14日には平成館考古展示室がリニューアルオープンします。
展示室ではハート形土偶やみみずく土偶などさまざまな土偶たちが皆様をお出迎えいたします。
考古展示室のリニューアルにも、ぜひご期待ください。
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posted by 品川欣也(特別展室主任研究員) at 2015年09月21日 (月)
トーハクくんとユリノキちゃんがやってきたのは、リニューアルのため休室中の平成館考古展示室。
本日のミッションは、10月14日(水)にリニューアルオープンを控えた考古展示室への潜入調査です。
さてさて、考古展示室はどのように変わるのでしょう?
※今回は、『東京国立博物館ニュース8・9月号』掲載の記事に加筆した、特別バージョンでお届けします。
このトビラの奥に、リニューアルのひみつが隠されているんだほ
いよいよ調査スタート!
↓
1.大スター「挂甲の武人」にいきなり遭遇!
ほー! 挂甲の武人(けいこうのぶじん)さんだほ。
トーハクで大人気の埴輪(はにわ)のひとつね。
武人なのに、あどけないかわいい表情をしていて、このギャップにキュンとしちゃうわ。
いきなりスターを投入してユリノキちゃんをときめかせるなんて、新しい考古展示室はハートをつかむのがうまいんだほ。
スターどころか、トーハクの王子様よ!
むむ。同じ埴輪としてちょっとジェラシーなんだほ…。
国宝 埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀
※(左)現在、展示ケース内の「埴輪 挂甲の武人」はレプリカです
考古展示室に入ってすぐ、2人が出会ったのは国宝「埴輪 挂甲の武人」。
トーハク所蔵の埴輪のなかでも抜群の知名度を誇る作品です。
リニューアルを機に、専用のケースを新設しました。
新しい考古展示室では、トーハクのスター、もといプリンスが皆様をお出迎えします。
↓
2.もしかして、展示が見やすくなった・・・?
あれ…? そういえば、なんだか展示ケースのなかが見やすくなった気がするほ?
そういわれてみれば、あまりケース越しって感じがしないわ。
もしかして、特別展示室のようにガラスの反射がおさえられているんじゃないかしら?
きっと照明も変わったんだほ。だから見やすいんだほ。
こういう展示室の環境だと、つくりの細かい作品もじっくり見られるわね。
まだ作品は展示されていませんが、腕利き調査員(自称)である2人は、展示ケース内がリニューアル前に比べて、より見やすくなっていることに気がつきました。
展示ケースのガラスには低反射フィルムが貼られ、さらにLED照明や有機EL照明も導入し、作品が一層見やすくなります。
やっぱり見やすくなったんだほ。気がついたぼくはスゴイんだほ。
はいはい(ため息)。
↓
3.展示がバージョンアップ!!
リニューアルっていうわりには、壁沿いのケースはそのままみたいだけど…。
ふふふ…。ユリノキちゃんは、まだまだなんだほ。
な、なによ。
確かに壁沿いのケースはそのままだけど、新しい展示室では、壁沿いに展示を一周すると、日本の歴史がたどれるようになったんだほ。
!!!
時代ごとの「テーマ展示」もあって、各時代についてもっと深く知ることができるんだほ。
なんで、トーハクくんがそんなことまで知っているの?
それはもちろん、ここに来る前に研究員さんにお話を聞いてきたからだほ。
もう、ひとりで行くなんてずるいじゃない!
ふふん♪ どんな展示になるか、今から楽しみなんだほー!
(左)壁沿いのケースでは「通史展示」を展開します
(中央)重要文化財 みみずく土偶(どぐう)
埼玉県さいたま市 真福寺貝塚出土 縄文時代(後期)・前2000~前1000年
縄文人の祈りの形を紹介するテーマ展示で展示されます
(右)素弁蓮華文軒丸瓦(そべんれんげもんのきまるがわら)
奈良県明日香村 飛鳥寺出土 飛鳥時代・6~7世紀
飛鳥時代の瓦のコーナーでは、瓦がどのように葺かれていたかがわかるような展示方法をとります
思わぬトーハクくんの抜け駆けでしたが、おかげでどんな展示構成になるかがわかりましたね。
展示は、大きくは「通史展示」と「テーマ展示」の2種類。
まず、壁沿いに展示室をぐるりと一周すると、旧石器時代から江戸時代まで、考古学で日本の歴史が追えるようになります。
また、テーマ展示によって各時代についての理解を深めることができます。
さらに、展示方法自体の見直しもしているので、リニューアル前よりも一層わかりやすい展示室になります。
随所に工夫を凝らした展示に、ご期待ください。
↓
4.展示室 in 展示室。謎の小部屋を発見!
こ、こんなコーナーは今までなかったほ。意味ありげな空間だほ。
これは何かスゴイものが展示されるんじゃないかしら?
中にあるのは、展示台がひとつと展示ケースがひとつだけだほ。
つまり、ここには2件の作品しか展示しない…?
そんなスペシャルな作品って何なんだほ?
2人の推理どおり、この独立コーナーに展示されるのはたった2件。
江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」と岩戸山古墳出土の重要文化財「石人(せきじん)」です。
「銀象嵌銘大刀」は古墳時代の漢字の使用例として大変貴重な作品で、「石人」は埴輪と一緒に古墳に立てられたもので、北部九州地方の一部にしか見られない独特の作品です。
(左・中央)国宝 銀象嵌銘大刀
熊本県玉名郡和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~6世紀
(右)重要文化財 石人
福岡県八女市吉田 岩戸山古墳出土 古墳時代・6世紀
↓
5.埴輪の展示がダイナミックに生まれ変わる!
ほー! このおっきな展示台はもしかして…
ま、まさか…
埴輪の展示台なんだほ?!
リニューアル後は2つの展示台が並んで設置されるのね。
ここにズラリと埴輪(ともだち※)が展示されるんだほ。すごい迫力なんだほ!!
※埴輪と書いてともだちと読む。埴輪であるトーハクくんにとって、形や時代の違いはあっても、埴輪はみんな友達なのです。
リニューアル前の考古展示室のハイライトといえば、埴輪の露出展示です。
この埴輪の展示がリニューアルによって、さらにパワーアップ!
展示台は2つとも作り直し、今までは離れて設置されていたのを、2つが連なるように置かれます。
埴輪がズラリと展示された展示台が連なる様子は、想像するだけでも興奮の迫力です!
↓
調査終了!
なるほー! リニューアルで考古展示室はいろんなところが新しくなるんだほ。
リニューアル前よりもさらに見やすく、わかりやすい展示室になりそう!
10月14日(水)のリニューアルオープンが楽しみなんだほー!
最後に皆様にお知らせです。
考古展示室リニューアルオープンにあたり、我らがトーハクくんが広報大使を務めることになりました。
リニューアルオープン後、1089ブログで考古展示室の見どころを、トーハクくんがたくさんご紹介する予定です。
どうぞお楽しみに!
カテゴリ:考古、トーハクくん&ユリノキちゃん、展示環境・たてもの
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posted by トーハクくん at 2015年08月21日 (金)
特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方4-トピック編-
本特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺」(2014年9月9日(火)~12月7日(日):平成館考古展示室)も、あと2週間足らずとなりました。
平成26年度考古相互貸借事業で、大阪府立近つ飛鳥博物館から拝借した畿内地方中枢部・古市古墳群の円筒埴輪や動物・人物埴輪を軸に、展示テーマを構成(第1回)しています。
左:前半期の埴輪、右:後半期の埴輪
これまで、埴輪のカタチやその移り変わりを規定する製作技術の“秘密”(第2回)と、人物・動物埴輪の登場を背景にした(?)形象埴輪のドラスティックな造形の変化(第3回)についてお話ししてきました。
いわばミクロとマクロの視点で、今回の特集展示をご覧頂くにあたって、全体構成を読み取るために必要なキーポイントをご紹介したものです。
もちろん、(埴輪だけではありませんが)作品(考古資料)の“なりたち”(製作過程)を明らかにすることは、考古学の基本中の基本です。
(かなり長い・・・ジミな作業を要しますが)その特徴を的確に捉え、構造を掴む優れた方法で、対象の本質に迫る“王道”でもあります。
ときに「製作者の意図」さえも、(おぼろげながらも・・・)明らかになる場合があります。
ところで、今回の個々の展示品の中には、やはり普段なかなかお目に掛けることができない、ウッカリ見落としてしまいそうな見どころがまだたくさんあります。
そこで、常設展示品も含めた展示品の中から、是非注目して頂きたい幾つかつかのポイント(=オススメ・・・)を絞ってご紹介します。
さっそく、中央に(ド~ンと)展示された3本の大型円筒埴輪に注目して頂きましょう。
円筒埴輪・盾形埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)大阪府近つ飛鳥博物館蔵
第2回でもご紹介しましたように、雄大な規模の割には(失礼・・・)均整の取れたシルエットと、リズミカル(≒等間隔!)に繰り返される均質な突帯の特徴から製作者の高い技術が窺えます。
ややもすると、その“巨大さ”ばかりに目を奪われがちですが、胴部に繊細な(?)線刻文様が施されていることにお気づきになった方も多いかと思います。
最初は、中央のもっとも高い大型円筒埴輪です。
(左) 円筒埴輪 大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀 大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(直弧文:同左部分)
この円筒埴輪には、正面に二つの円形の透孔があります。
下段透孔の下方の、2本の突帯を挟んでやや左側に、不思議な文様が刻まれています。
少々変形していますが・・・、多数の円弧を複雑に組み合わせた線刻文様で、「直弧文」とよばれています。
日本列島にしか見られない、独自に発達した呪術的な幾何学的文様として有名です。
名前の由来は、本来は直線と弧線を組み合わせた文様の特徴にありますが、その起源には多くの説があります。
その一つは、特集展示ケースの向かい側にある低い独立ケースに入った、これまた実に不思議な石造物(謎の物体?・・・)を覆う文様です。
展示室見取図
(左) 模造 旋帯文石 (原品=弥生時代(後期)・3世紀 岡山県楯築神社 伝世) 東京国立博物館蔵
(右) 浮彫文様 (旋帯文:同左部分)
正面(?)に人が顔だけを出している(?)ような表現があり、そのほかの部分は全体が幾何学的な文様で埋め尽くされています。
まさに緩やかに描かれた円形や直線状の帯と、巻き込む渦のように見える円形や弧線状の帯で構成されています。
弥生時代の終わり頃(2~3世紀前半)になると、瀬戸内・山陰や近畿地方などでは、墳丘墓とよばれる古墳の原型となった大規模な墳墓が築かれました。
この旋帯文石は、瀬戸内地方最大の楯築墳丘墓(岡山県倉敷市:全長約80m)から出土したとみられ、被葬者やリーダーに率いられていた集団の祖霊の姿を表現したという見解もあります。
古墳出現前夜の列島社会の激動期に、亡き首長の葬送儀礼において重要な役割を果たした“存在”を表現した石造物かもしれません。
そして、古墳時代になると「直弧文」が成立します。
(左) 鹿角製装具(柄頭直弧文)古墳時代・5~6世紀 福井県吉田郡永平寺町松岡吉野堺 二本松山古墳出土 東京国立博物館蔵 ※この作品は現在展示されていません。
(中) 直弧文鏡 古墳時代・4世紀 奈良県広陵町新山古墳出土 宮内庁蔵
(右) 埴輪 盾 古墳時代・5~6世紀 奈良県磯城郡三宅町石見出土 東京国立博物館蔵
とくに刀剣装具・石棺や装飾古墳、家形埴輪や靫・盾・大刀形埴輪などの武器武具形埴輪などに多く施されることが特徴です。
古墳時代後期(6世紀)に至るまで形骸化しつつ、さまざまな器物に施された、古墳時代を代表するといってもよい文様です。
次は、右側のやや太い大型の円筒埴輪です。
この円筒埴輪には正面に1つ円形透孔がありますが、その透孔の左側に、やはり奇妙な文様が刻まれているのがご覧頂けると思います。
(左) 円筒埴輪 大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀 大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(騎馬人物像:同左 部分)
シンプルな線描ですが、どうも脚を前後に踏ん張った大型の動物に人物が乗る様子を描いているようです。
動物の胴体はかなり長いことが特徴で、おそらく騎馬人物を描いたと考えられています。
同様な例は、古墳時代後期(6世紀)の土器などに描かれた例のほか、各地の装飾古墳の装飾や横穴墓の線刻画にも数多く見られます。
立体的な造形としては、装飾須恵器の騎馬人物装飾などもあります。
(左)平瓶 古墳時代・7世紀 岡山県新見市唐殻出土 東京国立博物館蔵 ※この作品は現在展示されていません。
(中) 線刻文様 (騎馬人物像:同左 部分)
(右) 子持装飾付壺(騎馬人物装飾) 古墳時代・6世紀 岡山県赤磐市可真上出土 東京国立博物館蔵 ※この作品は現在展示されていません。
以前、馬形埴輪の解説(「動物埴輪の世界」の見方7─馬形埴輪2)でもお話しましたが、日本列島では古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀)に馬具が古墳の副葬品として現れ、5~6世紀には広く乗馬の風習が普及したことが知られています。
金銅や銀で装飾を施された煌(キラ)びやかな馬具は、その形や色彩はもちろんのこと、徒歩による移動しか経験がなかった日本列島の人々に、憧れをもって受け容れられたことでしょう。
(左) 馬具展示コーナー(中央・模造 金銅装鞍)
(右) 埴輪 馬 古墳時代・6世紀 群馬県内出土 東京国立博物館蔵
ちょうどこの円筒埴輪が造られた頃(5世紀前半)は、馬は稀少な最先端の乗り物として、人々の羨望の眼差しを集めていた頃と考えられます。
この線刻画は、当時の人々の密やかな乗馬への憧れを映し出しているのかもしれません。
もう一つ、左側の盾形埴輪との間にある大型円筒埴輪の口縁部にもご注目ください。
円形透孔が二つある正面の口縁部やや左側に、(これまた・・・)不思議な文様が描かれています。
(左) 円筒埴輪 大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀 大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(同左 部分)
鋭い鉤状の三つの突起をもち、緩やかに丸みのある円弧で文様が描かれています。
残念ながら何を表したものかは判りませんが、二重線で表されることから、やや厚みのあるモデルを想像することも出来そうです。
このような鉤状の突起をもつ造形は、弥生~古墳時代の青銅器や貝製腕輪などに例があります。
弥生時代以来、繰り返し副葬品として貴人の装身具や宝器に登場しています。
(左) 貝釧(スイジガイ製) 古墳時代・4世紀 静岡県磐田市新貝 松林山古墳出土 東京国立博物館蔵
(右) 重要文化財 巴形銅器 古墳時代・4世紀 奈良県天理市櫟本町東大寺山北高塚 東大寺山古墳出土 東京国立博物館蔵
いずれも貴重な宝器として取り扱われたことがうかがえ、日本列島の人々にとって重要な意味をもっていたと考えられています。
また、沖縄県地方の南海産貝殻、あるいはそれをモデルにしていたとみられ、遠隔地から運ばれた稀少な素材であることから特別な存在であったことも注意されます。
さて、これらの埴輪に施した文様にはどのような意味があったのでしょうか?。製作者が何らかの意図を込めて描いた可能性は、十分に想像できますね。
実はこれらの大型円筒埴輪は、第2回でも紹介されたように、埋葬専用の円筒棺として製作されたものなのです。
埴輪製の円筒棺は、古墳時代の初めからしばしば製作されています。
とくに、古市古墳群周辺では100基を超える発掘例があり、ほかに大阪府百舌鳥古墳群や奈良県佐紀古墳群・馬見古墳群も密集する地域として知られています。
瀬戸内に面する兵庫県最大の前方後円墳・五色塚古墳(全長194m)の周辺では古くから多数発見されていて有名ですが、各地方で最大級の古墳でもしばしば見つかっています。
いずれも大王陵古墳を含む大型古墳群か、またはそれに匹敵する古墳が築造された地域と見事に一致しており注目されます。
このような地域では多数の埴輪が断続的に製作され、大勢の人々が従事していたことでしょう。
もちろん、その作業を統括・指導し、製品の水準を保ったリーダーの存在を想定することができます。
また、彼らは埴輪造りの他、巨大な古墳造りのための測量や土木技術をもった特別な人物であった可能性も高いと考えられています。
このような“特大”の円筒棺は、このような人物のために製作され、またそれを使用することはほかの人々ではまねできない、いわば“特権”のようなものであったのかもしれません。
展示全景
これらの円筒棺には、首長の葬送儀礼で用いられる副葬品と共通するような、呪術的や新来の憧れの存在を示す文様が刻まれていました。
少なくとも、これらの文様を描いた人々は畿内地方中枢の古市古墳群において、大王陵古墳の築造や埴輪製作に携わった可能性は非常に高いと想定することができます。
彼らは古墳を築造するような社会的立場ではなかったのかもしれません。
しかし、このような“大仕事”に従事したリーダーやその一族たちの、いわば王権を支えた「技術」に対する誇りが如何ばかりであったのかは、容易に想像することができますね。
これらの円筒棺の完成度と文様に、その自信と自負がうかがえるような気がしますが、如何でしょうか。
今一度、じっくり彼ら(製作者)の“声”に耳を傾けて頂ければ幸いです。
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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2014年11月25日 (火)