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特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方4-トピック編-

本特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺」(2014年9月9日(火)~12月7日(日):平成館考古展示室)も、あと2週間足らずとなりました。
平成26年度考古相互貸借事業で、大阪府立近つ飛鳥博物館から拝借した畿内地方中枢部・古市古墳群の円筒埴輪や動物・人物埴輪を軸に、展示テーマを構成(第1回)しています。

左)前半期の埴輪、右)後半期の埴輪
左:前半期の埴輪、右:後半期の埴輪

これまで、埴輪のカタチやその移り変わりを規定する製作技術の“秘密”(第2回)と、人物・動物埴輪の登場を背景にした(?)形象埴輪のドラスティックな造形の変化(第3回)についてお話ししてきました。
いわばミクロとマクロの視点で、今回の特集展示をご覧頂くにあたって、全体構成を読み取るために必要なキーポイントをご紹介したものです。

もちろん、(埴輪だけではありませんが)作品(考古資料)の“なりたち”(製作過程)を明らかにすることは、考古学の基本中の基本です。
(かなり長い・・・ジミな作業を要しますが)その特徴を的確に捉え、構造を掴む優れた方法で、対象の本質に迫る“王道”でもあります。
ときに「製作者の意図」さえも、(おぼろげながらも・・・)明らかになる場合があります。


ところで、今回の個々の展示品の中には、やはり普段なかなかお目に掛けることができない、ウッカリ見落としてしまいそうな見どころがまだたくさんあります。
そこで、常設展示品も含めた展示品の中から、是非注目して頂きたい幾つかつかのポイント(=オススメ・・・)を絞ってご紹介します。

さっそく、中央に(ド~ンと)展示された3本の大型円筒埴輪に注目して頂きましょう。

円筒埴輪・盾形埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)大阪府近つ飛鳥博物館蔵
円筒埴輪・盾形埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)大阪府近つ飛鳥博物館蔵

第2回でもご紹介しましたように、雄大な規模の割には(失礼・・・)均整の取れたシルエットと、リズミカル(≒等間隔!)に繰り返される均質な突帯の特徴から製作者の高い技術が窺えます。
ややもすると、その“巨大さ”ばかりに目を奪われがちですが、胴部に繊細な(?)線刻文様が施されていることにお気づきになった方も多いかと思います。

最初は、中央のもっとも高い大型円筒埴輪です。


 左)円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)、右)線刻文様(直弧文:同左 部分)以上、大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(左) 円筒埴輪  大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀   大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(直弧文:同部分)

この円筒埴輪には、正面に二つの円形の透孔があります。
下段透孔の下方の、2本の突帯を挟んでやや左側に、不思議な文様が刻まれています。
少々変形していますが・・・、多数の円弧を複雑に組み合わせた線刻文様で、「直弧文」とよばれています。
日本列島にしか見られない、独自に発達した呪術的な幾何学的文様として有名です。

名前の由来は、本来は直線と弧線を組み合わせた文様の特徴にありますが、その起源には多くの説があります。
その一つは、特集展示ケースの向かい側にある低い独立ケースに入った、これまた実に不思議な石造物(謎の物体?・・・)を覆う文様です。


展示室見取図
展示室見取図

 
左)模造 旋帯文石(原品=岡山県楯築神社 伝世)、右)浮彫文様(旋帯文:同左 部分)
(左) 模造 旋帯文石 (原品=弥生時代(後期)・3世紀  岡山県楯築神社 伝世)  東京国立博物館蔵
(右) 浮彫文様 (旋帯文:同部分)

正面(?)に人が顔だけを出している(?)ような表現があり、そのほかの部分は全体が幾何学的な文様で埋め尽くされています。
まさに緩やかに描かれた円形や直線状の帯と、巻き込む渦のように見える円形や弧線状の帯で構成されています。

弥生時代の終わり頃(2~3世紀前半)になると、瀬戸内・山陰や近畿地方などでは、墳丘墓とよばれる古墳の原型となった大規模な墳墓が築かれました。
この旋帯文石は、瀬戸内地方最大の楯築墳丘墓(岡山県倉敷市:全長約80m)から出土したとみられ、被葬者やリーダーに率いられていた集団の祖霊の姿を表現したという見解もあります。
古墳出現前夜の列島社会の激動期に、亡き首長の葬送儀礼において重要な役割を果たした“存在”を表現した石造物かもしれません。

そして、古墳時代になると「直弧文」が成立します。
 左)鹿角製装具(柄頭直弧文)(福井県二本松山古墳出土:J-14342) 、中)直弧文鏡(奈良県新山古墳出土・宮内庁蔵)、右)盾形埴輪(奈良県石見遺跡出土:J-23833)
(左) 鹿角製装具(柄頭直弧文)古墳時代・5~6世紀  福井県吉田郡永平寺町松岡吉野堺 二本松山古墳出土  東京国立博物館蔵  ※この作品は現在展示されていません。
(中) 直弧文鏡 古墳時代・4世紀 奈良県広陵町新山古墳出土 宮内庁蔵
(右) 埴輪 盾 古墳時代・5~6世紀 奈良県磯城郡三宅町石見出土  東京国立博物館蔵

とくに刀剣装具・石棺や装飾古墳、家形埴輪や靫・盾・大刀形埴輪などの武器武具形埴輪などに多く施されることが特徴です。
古墳時代後期(6世紀)に至るまで形骸化しつつ、さまざまな器物に施された、古墳時代を代表するといってもよい文様です。


次は、右側のやや太い大型の円筒埴輪です。
この円筒埴輪には正面に1つ円形透孔がありますが、その透孔の左側に、やはり奇妙な文様が刻まれているのがご覧頂けると思います。

左)円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)、右)線刻文様(騎馬人物像:同左 部分):以上、大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(左) 円筒埴輪  大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀   大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(騎馬人物像:同 部分)

シンプルな線描ですが、どうも脚を前後に踏ん張った大型の動物に人物が乗る様子を描いているようです。
動物の胴体はかなり長いことが特徴で、おそらく騎馬人物を描いたと考えられています。

同様な例は、古墳時代後期(6世紀)の土器などに描かれた例のほか、各地の装飾古墳の装飾や横穴墓の線刻画にも数多く見られます。
立体的な造形としては、装飾須恵器の騎馬人物装飾などもあります。

左)平瓶(岡山県唐殻遺跡出土:J-20199)、中)線刻文様(騎馬人物像:同左 部分)、右)子持装飾須恵器(騎馬人物装飾)( 岡山県備前市可真上出土
(左)平瓶 古墳時代・7世紀  岡山県新見市唐殻出土  東京国立博物館蔵   ※この作品は現在展示されていません。
(中)
線刻文様 (騎馬人物像:同
部分)
(右) 子持装飾付壺(騎馬人物装飾)  古墳時代・6世紀 岡山県赤磐市可真上出土  東京国立博物館蔵  ※この作品は現在展示されていません。

以前、馬形埴輪の解説(「動物埴輪の世界」の見方7─馬形埴輪2)でもお話しましたが、日本列島では古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀)に馬具が古墳の副葬品として現れ、5~6世紀には広く乗馬の風習が普及したことが知られています。
金銅や銀で装飾を施された煌(キラ)びやかな馬具は、その形や色彩はもちろんのこと、徒歩による移動しか経験がなかった日本列島の人々に、憧れをもって受け容れられたことでしょう。

 左)馬具展示コーナー(中央・模造 金銅装鞍:J-21471)、右)馬形埴輪
(左) 馬具展示コーナー(中央・模造 金銅装鞍)
(右) 埴輪 馬  古墳時代・6世紀 群馬県内出土   東京国立博物館蔵

ちょうどこの円筒埴輪が造られた頃(5世紀前半)は、馬は稀少な最先端の乗り物として、人々の羨望の眼差しを集めていた頃と考えられます。
この線刻画は、当時の人々の密やかな乗馬への憧れを映し出しているのかもしれません。


もう一つ、左側の盾形埴輪との間にある大型円筒埴輪の口縁部にもご注目ください。
円形透孔が二つある正面の口縁部やや左側に、(これまた・・・)不思議な文様が描かれています。

左)円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土)、右)線刻文様(同左 部分):以上、大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(左) 円筒埴輪  大阪府藤井寺市 土師の里遺跡出土 古墳時代・5世紀   大阪府近つ飛鳥博物館蔵
(右) 線刻文様(同左 部分)


鋭い鉤状の三つの突起をもち、緩やかに丸みのある円弧で文様が描かれています。
残念ながら何を表したものかは判りませんが、二重線で表されることから、やや厚みのあるモデルを想像することも出来そうです。

このような鉤状の突起をもつ造形は、弥生~古墳時代の青銅器や貝製腕輪などに例があります。
弥生時代以来、繰り返し副葬品として貴人の装身具や宝器に登場しています。

左:貝釧(スイジガイ製)(静岡県松林山古墳出土)、右:巴形銅器(奈良県東大寺山古墳出土
(左) 貝釧(スイジガイ製)  古墳時代・4世紀 静岡県磐田市新貝 松林山古墳出土 東京国立博物館蔵
() 重要文化財  巴形銅器  古墳時代・4世紀   奈良県天理市櫟本町東大寺山北高塚 東大寺山古墳出土 東京国立博物館蔵

いずれも貴重な宝器として取り扱われたことがうかがえ、日本列島の人々にとって重要な意味をもっていたと考えられています。
また、沖縄県地方の南海産貝殻、あるいはそれをモデルにしていたとみられ、遠隔地から運ばれた稀少な素材であることから特別な存在であったことも注意されます。


さて、これらの埴輪に施した文様にはどのような意味があったのでしょうか?。製作者が何らかの意図を込めて描いた可能性は、十分に想像できますね。
実はこれらの大型円筒埴輪は、第2回でも紹介されたように、埋葬専用の円筒棺として製作されたものなのです。

埴輪製の円筒棺は、古墳時代の初めからしばしば製作されています。
とくに、古市古墳群周辺では100基を超える発掘例があり、ほかに大阪府百舌鳥古墳群や奈良県佐紀古墳群・馬見古墳群も密集する地域として知られています。
瀬戸内に面する兵庫県最大の前方後円墳・五色塚古墳(全長194m)の周辺では古くから多数発見されていて有名ですが、各地方で最大級の古墳でもしばしば見つかっています。
いずれも大王陵古墳を含む大型古墳群か、またはそれに匹敵する古墳が築造された地域と見事に一致しており注目されます。

このような地域では多数の埴輪が断続的に製作され、大勢の人々が従事していたことでしょう。
もちろん、その作業を統括・指導し、製品の水準を保ったリーダーの存在を想定することができます。
また、彼らは埴輪造りの他、巨大な古墳造りのための測量や土木技術をもった特別な人物であった可能性も高いと考えられています。

このような“特大”の円筒棺は、このような人物のために製作され、またそれを使用することはほかの人々ではまねできない、いわば“特権”のようなものであったのかもしれません。

展示全景
展示全景

これらの円筒棺には、首長の葬送儀礼で用いられる副葬品と共通するような、呪術的や新来の憧れの存在を示す文様が刻まれていました。
少なくとも、これらの文様を描いた人々は畿内地方中枢の古市古墳群において、大王陵古墳の築造や埴輪製作に携わった可能性は非常に高いと想定することができます。

彼らは古墳を築造するような社会的立場ではなかったのかもしれません。
しかし、このような“大仕事”に従事したリーダーやその一族たちの、いわば王権を支えた「技術」に対する誇りが如何ばかりであったのかは、容易に想像することができますね。
これらの円筒棺の完成度と文様に、その自信と自負がうかがえるような気がしますが、如何でしょうか。

今一度、じっくり彼ら(製作者)の“声”に耳を傾けて頂ければ幸いです。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2014年11月25日 (火)