このページの本文へ移動

1089ブログ

琉球の漆工

沖縄は伝統工芸の宝庫として知られていますが、琉球時代には漆工や染織の工芸品が中国皇帝に贈られており、
これらは琉球を代表するものとして自負されていたように思われます。

染織については、すでに別にブログが書かれましたので、ここでは漆工について書きましょう。

 

琉球時代から沖縄では漆工が盛んなのですが、はたして沖縄で漆が栽培されていたかは議論がありますが、古い文献に沖縄で漆を栽培していたことを示す記事があることから、近年では栽培されていだのだろうと考えられています。その漆工の技法や意匠は、日本の本土よりも中国に似ていますが、まったく中国と同じというのでもありません。本土で漆器といえば、漆黒(しっこく)という言葉もあるように、黒塗りが基本ですが、琉球では朱塗りの漆器も多くつくられました。首里城正殿(しゅりじょうせいでん)の塗装にも漆が用いられており、「巨大な漆器」などといわれることもあります。

 
首里城公園 首里城正殿(平成26年(2014)撮影)
画像提供:一般財団法人 沖縄美ら島財団
2019年に焼失した首里城正殿。当日の朝のニュースを見て、あまりの衝撃に呆然としました。再び、あの赤い宮殿を見る日が来ることを願っています。
 
――― 
 
沖縄の漆工の技法は多様で、螺鈿(らでん)、沈金(ちんきん)、密陀絵(みつだえ)、箔絵(はくえ)、堆錦(ついきん)などがあります。
 
螺鈿は、貝殻の内側の白く輝く部分を薄く加工して、漆器に貼り付ける技法です。
沖縄のあたりでは夜光貝(やこうがい)という大きなサザエのような巻貝がいて、その貝が材料になります。
 

沖縄県指定文化財 黒漆雲龍螺鈿大盆(くろうるしうんりゅうらでんおおぼん)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
中国皇帝を象徴する五爪龍の文様を螺鈿で表わした大型盆。北京の故宮博物院には、琉球から贈られた同じ意匠の螺鈿盆が所蔵されています。
 
―――
 
沈金は、漆器の表面に彫刻刀で文様を彫り描き、その凹んだところに金箔を押し込む技法です。
 
浦添市指定文化財 朱漆山水人物沈金足付盆(しゅうるしさんすいじんぶつちんきんあしつきぼん) 
第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
中国の教養人が好んだような、山間で琴棋書画を愉しんで幽居する情景を沈金で表した足付の盆。このような形状の盆は、琉球の特徴的な器物です。
 
朱漆山水人物沈金足付盆 見込部分
 
―――
 
密陀絵は、顔料を油で練って絵具を作り、それで漆器の表面に文様を描く技法です。油でなく、漆を使って絵具をつくった場合には漆絵(うるしえ)といいます。
 
沖縄県指定文化財 朱漆花鳥螺鈿箔絵密陀絵机(しゅうるしかちょうらでんはくえみつだえつくえ)(天板部分) 
第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)
横長の天板には、まるで中国の花鳥画のような図様が密陀絵で表されています。雌雄の鳥が鳴き交わし、太湖石のあたりには大輪の牡丹が咲き誇っています。
 
―――
 
箔絵は、漆器の表面に漆で文様を描き、そこに金箔を貼り付ける技法です。
 
朱漆牡丹唐草箔絵茶弁当(しゅうるしぼたんからくさはくえちゃべんとう) 
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
琉球から清に派遣された通訳が用いた朱漆塗の弁当。蓋裏には「琉球人」、底には「大船大通事」という墨書があります。琉球の国際交流を生き生きと伝える歴史資料です。
 
―――
 
堆錦は、漆と絵具を練り混ぜて餅(もち)状のものをつくり、これを切ったものを漆器に貼り付けて文様を表す技法です。
 
朱漆菊堆錦食籠(しゅうるしきくついきんじきろう) 
第二尚氏時代・19世紀 東京国立博物館蔵
展示期間:通期展示
菊花を黄漆の堆錦餅で立体的に表し、唐草を緑漆の堆錦餅で平面的に表しています。赤地に黄と緑が映える色彩感覚など、デザイン性の高い作品です。
 
―――
 
かつて琉球王府には、貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)という役所があり、工房を管理していました。貝摺などという名前からすると、もっぱら螺鈿漆器の製作を担当していたように思われますが、この奉行所では螺鈿以外の漆器のほか、絵画や染織品の下絵などを製作する職人まで抱えていました。
貝摺奉行所は沖縄県の設置とともに消滅しましたが、奉行所があったとされる場所には、現在では沖縄県立芸術大学が建ち、沖縄における美術工芸の活動の拠点となっています。

沖縄県立芸術大学(貝摺奉行所跡)
画像提供:沖縄県立博物館・美術館 伊禮拓郎氏
かつて琉球王府の貝摺奉行所があった跡地には、現在は沖縄県立芸術大学が建っています。たとえ王朝は消滅しても、その芸術の精神は引き継がれています。
 
―――
 
特別展「琉球」では、さまざまな琉球漆器を展示していますので、技法にも注目してご覧ください。
本展は、平成館2階特別展示室にて、6月26日(日)まで開催しています。
 
 
 

カテゴリ:2022年度の特別展

| 記事URL |

posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2022年05月31日 (火)

 

織の国、琉球

約450年の歴史を持つ琉球王国の中で、その風土を生かし、独自にはぐくまれたのが、染物や織物です。
中でも紅型は、ヴァリエーションに富んだ型紙を用いて、南国の陽光に映える鮮やかな色彩と、さまざまな文化を融合した華やかな文様を染め、世界中から注目されています。

紅型も素敵ですが、琉球染織の魅力は「織物」にあります。今回は、特別展「琉球」に展示している作品の中から、琉球独特の織物の数々について、お話ししたいと思います。

【芭蕉布(ばしょうふ)】
「唐ヲゥーつむぎ、はたを織る」と歌われるように、沖縄に自生する糸芭蕉の茎から生まれた糸を用いて、手織りにした芭蕉布。琉球藍(青)やテカチ(焦茶)で絣や縞を織り出した素朴な風合いを思い浮かべる方も多いでしょう。


糸芭蕉(鈴木芭蕉布工房にて)


芭蕉の糸

琉球王国時代には「煮綛芭蕉(にーがしーばさー)」と呼ばれる、芭蕉の糸を紅や藍など華やかな色彩に染めた華やいだ芭蕉衣も用いられました。


国宝 黄色地経縞枡形文様絣芭蕉衣裳〔琉球国王尚家関係資料〕(きいろじたてじまますがたもんようかすりばしょういしょう)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月12日(日)

芭蕉布は「繊維が固い」というイメージがあるかと思います。ところが、細く均一な芭蕉糸を、撚りをかけずに平織にして砧で打つことにより、絹のような柔軟さと苧麻のような涼やかな肌触りとを兼ね備えた芭蕉布となります。


黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳(くろじこうぶくろさくらぼたんもんようかきえばしょういしょう)
第二尚氏時代・19世紀 愛知・松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)


黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳(部分)の顕微鏡画像

ちなみにこの衣裳は琉球王国の神事をつかさどっていた神女(ノロ)が首里王府から下賜された「絵描の御羽(えがきのみはね)」。現在では、この黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳と黒地桐鳳凰文様描絵芭蕉衣裳(愛知・松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵 展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日))の2領しか遺されていない、伝説の芭蕉衣です。

【花織(はなおり)】
沖縄方言(うちなーぐち)では「はなうぃ」と称します。首里で織られる首里花織は気品のある美しい浮織物ですが、庶民が愛好した木綿の花織には地域によって特徴が異なります。例えば、緯糸を浮かせて文様を織り出すのは読谷山花織(ゆんたんざはなおり)。経糸を浮かせて文様を織り出すのは知花花織(ちばなはなおり)。琉球藍で染めた紺地(くんじ)に愛らしく並ぶ赤・白・黄色の粒の浮き文様に心が癒されます。


(読谷山花織の衣裳)
紺地格子小花文様花織木綿袷衣裳/黄色地傘紅葉文様紅型木綿裏地(こんじこうしこばなもんようはなおりもめんあわせいしょう/きいろじかさもみじもんようびんがたもめんうらじ)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)


紺地格子小花文様花織木綿袷衣裳(部分)の拡大画像


(知花花織の衣裳)
紺地格子小花文様絣花織木綿袷衣裳/緑地小桜葉繋文様紅型木綿裏地(こんじこうしこばなもんようかすりはなおりもめんあわせいしょう/みどりじこざくらはつなぎもんようびんがたもめんうらじ)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)


紺地格子小花文様絣花織木綿袷衣裳(部分)の拡大画像

【手花手巾(てぃばなてぃさーじ)】

展示室にひっそりと展示されている手の込んだこの布、紺地手花芭蕉木綿手巾には、深い想いが込められています。「ウミナイティサージ(祈りの手巾)」「ウムイヌティサージ(想いの手巾)」と呼ばれるように、遠出をする親兄弟の道中の安全を祈り、愛する人への想いを託して、沖縄の女性たちが一つ一つの文様を縫取織にしたのですから。


紺地手花芭蕉木綿手巾(こんじてぃばなばしょうもめんてぃさーじ)
読谷 第二尚氏時代・19世紀 東京・日本民藝館蔵
展示期間:通期展示


紺地手花芭蕉木綿手巾(部分)の拡大画像

【桐板(とんびゃん)】
「幻の織物」と言われる桐板。製法が途絶え、どのような素材でどのようにつくられていたのかが、いまだに明らかになっていません。
琉球王国時代には、首里を中心に用いられた夏向きの織物です。
一説には、中国・福建省で龍舌蘭(りゅうぜつらん)の幹から採取した糸と伝えられています。他に類のない、ガラスのように透明感のある繊細な糸の質感をぜひ、展示室でご覧ください。


白地緯絣桐板衣裳(しろじよこがすりとんびゃんいしょう)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
※5月31日(火)~6月26日(日)では、白地経緯絣桐板衣裳(沖縄・那覇市歴史博物館蔵)を展示します。


白地緯絣桐板衣裳(部分)の拡大画像


白地緯絣桐板衣裳(部分)の顕微鏡画像

本展では、他にも、首里で士族が用いた手縞(てぃじま)や、島々で織られた宮古上布、八重山上布、久米島紬などを見ることができます。それぞれの織物を彩る琉球絣の文様にも、さまざまな意味があります。

織物を通して、はるかなる琉球への旅路をお楽しみください。

カテゴリ:2022年度の特別展

| 記事URL |

posted by 小山 弓弦葉(工芸室長) at 2022年05月26日 (木)

 

扁額 「高牖延薫」と神猫図

みなさん、こんにちは。沖縄美ら島財団の上江洲安亨です。先日は、特別展「琉球」Twitter生配信「#MUSEUMonLIVE」でもお世話になりました。
引き続き今回は、特別展「琉球」の展示作品の中から、筆者注目の2作品についてご紹介します。

一つめは、愛知県岡崎市に残された琉球の扁額(へんがく)です。
この扁額「高牖延薫(こうゆうえんくん)」は、かつて首里城正殿の北側にあった北殿という建物にあった扁額です。
 
扁額「高牖延薫」(へんがく こうゆうえんくん)
全魁筆 第二尚氏時代・乾隆21年(1756) 愛知・岡崎市美術博物館蔵
展示期間:通期展示
 
尚穆王(しょうぼくおう)を冊封(さくほう)するため1756年に来琉した全魁(ぜんかい)という人の書を木製の扁額にしたものです。
 
模写復元 尚穆王御後絵(もしゃふくげん しょうぼくおうおごえ)
東京藝術大学保存修復日本画研究室(制作) 令和2年度 一般財団法人 沖縄美ら島財団蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
 
1853年に首里城を訪れたペリーも、目撃したことが『ペリー提督日本遠征記』の記録と挿絵からもわかります。
 
ペリー提督日本遠征記(ぺりーていとくにほんえんせいき)
フランシス・リスター・ホークス編 1856年刊 九州国立博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)
建物の奥に扁額らしき描写があります。
 
沖縄県設置以降の所在は不明ですが、1905年に来沖した地理学者で政治家であった志賀重昂(しがしげたか)に寄贈されたようで、出身地の岡崎市で大切に保管されていました。
高牖延薫とは、「高い窓から薫る風が招き入ってくる」という意味です。首里城北殿で、音楽の演奏や料理のおもてなしをしてもらった雰囲気を示していると思われます。
 
最近はメディアの発達でそうでもないですが、琉球・沖縄は、「文化の違う遠いところ」という、イメージがあるのではないでしょうか?
それでも、実は、岡崎市の「高牖延薫」のように、みなさんの地域にも、お寺・神社だったり、博物館に琉球人の扁額やお墓、書跡、漢詩集が残っていたりします。
 
徳川将軍や琉球国王の代替り時に薩摩藩の参勤交代と一緒に琉球人使節も江戸までやって来ていたのです。特に鹿児島、瀬戸内の山陽道、大阪、京都、岐阜、東海道沿いには琉球関連の史跡や文化財が、多く残っています。
 
「高牖延薫」の見学をきっかけに、みなさんの地域に残る「琉球」を探してみてはどうでしょうか?
 
 
2つめは、琉球の人々が愛した「ネコ」の絵です。
この絵は、「神猫図(しんびょうず)」といって、1725年、山口宗季(唐名:呉師虔)(やまぐちそうき(ごしけん))という絵師が描いたネコです。
 
沖縄県指定文化財 神猫図〔横内家資料〕(しんびょうず よこうちけしりょう)
山口宗季(呉師虔)筆 第二尚氏時代・雍正3年(1725) 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
 
山口は、京都で摂政・関白を歴任した近衛家煕(このえいえひろ)など、作品を京都の公家にも献上していた絵師です。尻尾が黒い長毛種の白猫で、とてもエキゾチックな不思議な描写です。
 
琉球王国には、15世紀の漂着した朝鮮人の記録にネコがいたとあり、グスクの遺構からもネコの骨は出てくるので、家畜としてのイエネコは生息していたと思います。幕末、琉球に滞在した宣教師も王府にネコを飼うことを所望した記録があります。(愛玩用ではなく、ネズミ除けのためですが。)
そんなイエネコも、こんなエキゾチックではなかったと思います。おそらく、瑞祥の生き物、まさに神猫として描いていたのではないでしょうか。
 
王府の絵師たちは、山口だけでなく武永寧(ぶえいねい)筆の同じ神猫図2作品があり、明治に入ってから、王府の絵師だった仲宗根眞補(唐名:査丕烈)(なかそねしんぽ(さひれつ))が山口の神猫をアレンジした「月下神猫図」を描いています。その図像は現存作品3点、古写真1点が今に伝わります。代々、長毛種のネコを描き続けていたようです。
 
(おまけ)
最後に筆者の家にいた「神猫」です。
 
猫の画像
 
山口の神猫に似ていますね。
親類からは、筆者が文化財の仕事をしているから、やってきたのでは?といわれました。
病気で、また天に召されてしまったのですが、いつか、再び現れるのでは?と思っています。
 
特別展「琉球」は平成館2階特別展示室にて6月26日(日)まで開催しています。

【参考文献】 
上江洲安亨「志賀重昂が残した琉球の宝 ~首里城北殿 扁額『高牖延薫』について~」(『琉球の美』 岡崎市美術博物館 2019年5月)
上江洲安亨「呉師虔筆「神猫図」をめぐる一考察」(『國華』第1487号 國華社 2019年9月)
 
 
 

カテゴリ:2022年度の特別展

| 記事URL |

posted by 上江洲安亨(沖縄美ら島財団副参事) at 2022年05月24日 (火)

 

特別展「琉球」がはじまりました

5月3日(火・祝)より平成館2階特別展示室にて、沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」が開幕しました。

特別展「琉球」バナー
 
本展の準備は5年ほどまえにスタートしました。
沖縄に縁のあるスタッフや沖縄の美術を専門に勉強した研究員が顔をそろえ、復帰50年という大きな節目の年である2022年の東京・九州開催に向けて皆が一丸となりました。
ところが、2019年10月31日の首里城の焼失という悲しい出来事があり、さらに同年末にはじまった新型コロナウイルスのパンデミックによってさまざまな変更を余儀なくされ、思うように準備が進められず、この2年ほど私たち担当者たちは不安な時間を過ごしてきました。
 
無事に開幕に至ることができたのは、ひとえに沖縄県立博物館・美術館はじめ、沖縄の研究者、ご所蔵者の皆さんの多大なご協力、ご教示があったからです。この場を借りて、心より感謝申し上げます。
 
展覧会の主要テーマは15世紀後葉に成立した琉球王国です。学校の教科書でもその歴史は深く取り上げられてはおらず、「沖縄は好きだけど、琉球はよく知らない」という方も多くいらっしゃるかもしれません。
 
琉球国王尚家の貴重な宝物が一堂に会します。

展覧会の企画に携わった者として、復帰50年という貴重な機会にあらためて琉球の歴史と文化を紹介するという意義に加え、鮮やかな色彩や個性的なかたち、装飾で私たちの心を惹きつける出品作品のすべてに込められた重要なメッセージを読み取っていただけたらと考えております。
それは、現存する作品が近代化や戦争という困難な歴史を乗り越えて今ここにあるということ、そして一度失われたモノを取り戻すことがどれだけ大変な作業であるかということです。

展覧会のエピローグでは、琉球・沖縄文化の保護に尽力した研究者たちの功績や、琉球王国の文化遺産を復元しようという現在の取り組みとその成果の復元作品、また制作に関わった人びとの声を紹介しております。
これら通じて、文化財を守り伝えていくことの重みを体感いただくことができるのではないかと思います。
 
琉球の美や技を現代に伝える模造復元作品も多数展示しています。
手前の作品は「模造復元 旧円覚寺仁王像(阿吽形)」(沖縄県立博物館・美術館蔵)です。
 
私がおすすめする作品も、とても貴重なものです。
第1会場に入ってすぐのケースに展示中の「三彩鶴形水注」と「三彩鴨形水注」は、16世紀に中国との交易で琉球にもたらされたカラフルな三彩のやきもの(現在の福建省のあたりで焼かれたもので、俗に華南三彩と呼ばれています)で、奇跡的に今日に伝わった「現役」の花入、つまりいまも生活のなかで使用されているものです。
困難を乗り越えて大切に扱われてきたこれらのやきものの価値は何にも代えがたく、心なしか、キラキラと輝き、つやを放っているように映ります。
 
(左)三彩鴨形水注(さんさいかもがたすいちゅう) 中国 明時代・16世紀
(右)三彩鶴形水注(さんさいつるがたすいちゅう) 中国 明時代・16世紀
これらはそれぞれ、ノロと呼ばれる神女をつとめた旧家に伝わったものです。首里城からは同種の三彩のやきものがまとまって出土しており、琉球で好まれたやきものであったことがわかります。各地のノロにこうした貴重な中国陶磁が首里王府から下賜されたのかもしれません。
 
国宝も重要文化財も、そして小さなやきもののカケラも、私たちにとって等しく大切な文化財です。歴史を共有し、多くの人びとの手で文化財を守り伝えていくことの意義をこの展覧会を通じて感じていただけたら幸いです。
 
特別展「琉球」は6月26日(日)まで開催しています。
 

カテゴリ:2022年度の特別展

| 記事URL |

posted by 三笠景子(出版企画室主任研究員) at 2022年05月11日 (水)

 

空也上人像をじっくり見る

空也上人像の展示を担当した一人です。
360度全方向からご覧いただけると言いながら、照明の光がまぶしいところがあり、まことに申し訳ありません。
しかし、光を当てないわけにはいきませんし、まぶしさをなくすために蛍光灯だけで照らすと平板になって彫刻の細部が見えません。
どうかまぶしいところを避けてご覧ください。

私たち博物館の職員が展示する時にもっとも重視するのは、可能な限り造形の素晴らしさをご覧いただけるようにしたい、ということです。


重要文化財 空也上人立像
康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

たとえば、このアキレス腱とくるぶしからふくらはぎの彫り。

空也上人は貧しい人々に施して、自分は最小限しか食べなかったので痩せています。
しかし、草鞋を履いて市中を巡り歩き、念仏を勧めたのです。今にも足が動きそうです。

通常、首からさげる鉦(かね)に隠れて胸はあまり見えませんが、鎖骨が浮き出て胸に肉はついていません。
首はそれほど筋張っていないので、老齢ではなく壮年期でしょう。

少し上を向いているので、首の後ろの肉がたるんでいます。


私が驚いたのはこの部分です。

藁を編んで作った草鞋が脱げないように、鼻緒だけでなく、足首に紐を回して草鞋の底としっかり繋いでいます。


その部分は土踏まずで、足が湾曲しているため、上下を繋ぐ紐との間に隙間があります。
こうした細部まで丁寧に彫刻しているのを見ると、この造像に関わった人々の並々ならぬ思いが感じられます。

さて、空也上人の口から出現する小さなほとけさま。
6体なので、「ナムアミダブツ」の六字を表わし、全体で一回の念仏を表現したものと考えられます。
しかし、そうではなく1体が一度の念仏と考えるべきではないか、というご意見をいただきました。

実は、口から小さな仏が出現する表現は、中国浄土教の祖師善導(ぜんどう)の肖像にも見られます。
善導の画像には、口から十体の小さな仏が現れているものがあります。
これは念仏を十回となえたことを示すのですが、十回の念仏、ちぢめて「十念」は浄土教ではとても大事なことなのです。
阿弥陀如来は菩薩から如来になる時に、48の誓願を立てます。その中に「極楽に生まれたいと思って十念したものは必ず救う」と誓っているのです。

空也上人像の6体の小さなほとけさまは、鎌倉時代のものではありません。
飛び出しているので壊れやすいのでしょう。後に補われたものです。
空也上人像の口の中を見ると、穴は3つあり、今はそのうちの左の穴から出ています。仏師康勝は3ヶ所の穴を使って10体の像を出現させていたかもしれません。

カテゴリ:2022年度の特別展

| 記事URL |

posted by 浅見龍介(学芸企画部長) at 2022年04月26日 (火)