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空也上人像をじっくり見る

空也上人像の展示を担当した一人です。
360度全方向からご覧いただけると言いながら、照明の光がまぶしいところがあり、まことに申し訳ありません。
しかし、光を当てないわけにはいきませんし、まぶしさをなくすために蛍光灯だけで照らすと平板になって彫刻の細部が見えません。
どうかまぶしいところを避けてご覧ください。

私たち博物館の職員が展示する時にもっとも重視するのは、可能な限り造形の素晴らしさをご覧いただけるようにしたい、ということです。


重要文化財 空也上人立像
康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

たとえば、このアキレス腱とくるぶしからふくらはぎの彫り。

空也上人は貧しい人々に施して、自分は最小限しか食べなかったので痩せています。
しかし、草鞋を履いて市中を巡り歩き、念仏を勧めたのです。今にも足が動きそうです。

通常、首からさげる鉦(かね)に隠れて胸はあまり見えませんが、鎖骨が浮き出て胸に肉はついていません。
首はそれほど筋張っていないので、老齢ではなく壮年期でしょう。

少し上を向いているので、首の後ろの肉がたるんでいます。


私が驚いたのはこの部分です。

藁を編んで作った草鞋が脱げないように、鼻緒だけでなく、足首に紐を回して草鞋の底としっかり繋いでいます。


その部分は土踏まずで、足が湾曲しているため、上下を繋ぐ紐との間に隙間があります。
こうした細部まで丁寧に彫刻しているのを見ると、この造像に関わった人々の並々ならぬ思いが感じられます。

さて、空也上人の口から出現する小さなほとけさま。
6体なので、「ナムアミダブツ」の六字を表わし、全体で一回の念仏を表現したものと考えられます。
しかし、そうではなく1体が一度の念仏と考えるべきではないか、というご意見をいただきました。

実は、口から小さな仏が出現する表現は、中国浄土教の祖師善導(ぜんどう)の肖像にも見られます。
善導の画像には、口から十体の小さな仏が現れているものがあります。
これは念仏を十回となえたことを示すのですが、十回の念仏、ちぢめて「十念」は浄土教ではとても大事なことなのです。
阿弥陀如来は菩薩から如来になる時に、48の誓願を立てます。その中に「極楽に生まれたいと思って十念したものは必ず救う」と誓っているのです。

空也上人像の6体の小さなほとけさまは、鎌倉時代のものではありません。
飛び出しているので壊れやすいのでしょう。後に補われたものです。
空也上人像の口の中を見ると、穴は3つあり、今はそのうちの左の穴から出ています。仏師康勝は3ヶ所の穴を使って10体の像を出現させていたかもしれません。

カテゴリ:「空也上人と六波羅蜜寺」

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posted by 浅見龍介(学芸企画部長) at 2022年04月26日 (火)