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1089ブログ

書を楽しむ 第13回「仲麻呂」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第13回です。

前回のブログは「人麻呂」でしたが、今回は「仲麻呂」です。

「仲麻呂」、エンピツで写してみました。

 
(左)「仲麻呂」 (右)エンピツで写した「仲麻呂」
((左)は国宝 法隆寺献物帳(部分) 奈良時代・天平勝宝8年(756))
(~2012年6月3日(日) 法隆寺宝物館第6室で展示)


仲麻呂とは、藤原仲麻呂(706~64)ですが、
恵美押勝(えみのおしかつ)という名前を淳仁天皇からもらっています。
そう、私の姓と同じなのです。
私は、自己紹介すると必ず「恵美押勝と関係が?」と聞かれます。
そのたびに「いいえ、恵美押勝は乱を起こして一族が滅んでますから…」と
何百回こたえたことでしょう。

その仲麻呂の署名を初めて見たのは、
正倉院宝物を紹介する本だったと思います。
正倉院に伝わる「東大寺献物帳」に、仲麻呂の署名がありました。

クセのある字。
これがあの恵美押勝の字か、と、とても印象に残りました。
自分の名前との係わりで、歴史に残る人物の中で初めて、
その署名がしっかりと心に刻まれていました。

そしてトーハクで働き始めたある日、
法隆寺宝物館で、そのクセのある字に出会ったのです。


国宝 法隆寺献物帳(全体) 奈良時代・天平勝宝8年(756)
(~2012年6月3日(日)展示)


本で見た「仲麻呂」の字が目の前にある!
思わず、心がときめきました。
写真でなく、仲麻呂本人が書いた実物が、私の目の前に。
なんという至福の時でしょう。

心に残る書は、
上手な字ばかりではありません。

「仲麻呂」も、一見、たどたどしいです。
でも、バランスは良く、意志の強さを感じます。
やはり、「書は人なり」です。

心に残る書の引き出しを増やしていきたいです。
みなさんもぜひ、本物に会う感激を体験してください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月07日 (月)

 

『至宝とボストンと私』 #3 刀剣

凛とした佇まい。息を飲むほどの緊張感。真剣な面持ちで刀剣を見つめる男性のお客様をよく見かけます。女性の皆様、刀剣の展示室を素通りしようとしていませんか?
『至宝とボストンと私』第3回目は、平常展調整室研究員の酒井元樹(さかいもとき)さんと、刀剣のコーナーを見てゆきます。

刀剣展示室風景

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」刀剣のコーナー

 

『独特の、美の世界』

広報(以下K):刀剣の展示室は緊張感がありますね。とても引き込まれます。
でも、一般の方にはどうも分かりづらいところもあるように思います。刀剣ってどのように鑑賞したら良いのでしょうか…。

酒井(以下S):小島さん、身長は何センチでしょうか?

K:えっ、なんですかいきなり!?158センチですが。

S:今回の展示は、身長が160センチの方の目線に合わせて、刃文(はもん)が綺麗に見えるように工夫したつもりです。この身長に設定したのは、来館者の方々の一番多い身長と思ったからです。

K:そうなんですか!実は先ほど展示を見ていたときに、自分が左右に動くたびキラキランと刀が光るのがとっても素敵だと思っていました。
でも「そういう見方は間違いだよ」と言われてしまいそうで…。

S:いえいえ、そんなことはありません。刀剣の美しさは輝きと深い関係があるので、そう仰っていただけると嬉しいです。

K:ところで、「刃文」とはどこの部分のことですか?

S:刀剣には、黒く見えるところ(地鉄[じがね])と、白いところ(刃)があります。
黒い地と白い刃の境界の少し下に、刃の中で明るく浮き上がって見えるところがあるでしょう。この浮き上がった部分の模様が刃文です。
刃文は、焼き入れをすることによって生まれます。
焼き入れする前に刃文となる部分に粘土性の土を薄く塗るのですが、この塗り方で刃文の形が決まるのです。

太刀 銘 備前国長船景元作  

太刀 銘 備前国長船景元作
長船景元作 鎌倉時代・14世紀

(下図は部分)

太刀 銘 備前国長船景元作(部分)

残念ながら、画像では刃文が明るく浮き上がって見えません。ぜひ会場にてお確かめいただきたいと思います。
刃文は刀剣の大きな見どころのひとつです。

K:パッと見ただけではわかりませんが、しばらく目を凝らして見ているとだんだん刃文が見えてきました。
この作品の刃文は、小さな凹凸のような模様が波打っているように見えますが。

S:この部分の刃文は「丁子乱(ちょうじみだれ)」と呼ばれています。
丁子乱とは、丁子(クローブ)の実を横から見たような形が連続するものです。



丁子乱

丁子乱(本作品の場合は、より小さな模様になります)

 他にもいろいろな模様がありますよ。この作品はどんな刃文が見えますか?
  

短刀 銘 来国俊
短刀 銘 来国俊
来国俊作 鎌倉時代・13世紀

(下図は部分)

短刀 銘 来国俊(部分)

K:これは…、まっすぐな線ですね。

S:そうです。まっすぐなので「直刃(すぐは)」と呼ばれています。その線はまっすぐですが、ふっくらしているように見えませんか。
刃文にはこのほかにも、半円形の模様を繰り返す「互の目(ぐのめ)」や、細かく不定形で複雑なかたちを見せる「小乱(こみだれ)」など、とてもたくさんの種類があります。
(詳しくは会場内パネル、または図録259ページをご参照ください。)
ぜひ好みの刃文をぜひ探してみてください。


『刀剣は抽象芸術?!』

K:こうした様々な種類の刃文は、刀の機能上必要なものだったのでしょうか?
それとも純粋に美を追求した結果なのでしょうか?

S:刃文と機能(切れ味)との関係はとても難しい質問ですが、遅くとも鎌倉時代までには、刃文は刀工が意図的に表現しようとしたものと思います。
鎌倉時代には、地域や流派によって、それぞれの刀工が個性ある刃文を生み出しているからです。

K:技と美の結晶、ということですね。

S:そうですね。
刃文は、他のジャンルに比べて非常に抽象性が高い芸術と言えると思います。
刃文を線とするならば、私達はその線の織りなすリズムや変化を鑑賞するからです。
絵画で鳥を描いたり、彫刻で菩薩を彫ったりといったような具象的な表現ではありませんよね。
個人的にはそこに面白みを感じています。

K:確かに、純粋に線の美しさを見るジャンルというのは、あまり他にない気がします。
これは刀剣鑑賞のほんの入口だと思いますが、奥の深さを感じることが出来ました。

S:いえいえ、私こそ刀剣についてもまだまだ未熟者で、理解は程遠いと思っています。
ですが、来場者の方々に少しでも刀剣について興味をお持ちいただければ幸いです。

K:最後に。これだけの刀剣をコレクションできたビゲローやウェルドは、やはり鑑賞眼があったということでしょうか。

S:明治9年に廃刀令が公布され、日常的な帯刀が禁止されると、多くの刀工たちは野鍛冶(のかじ。包丁や農具などを手がける鍛冶屋のこと)になっていきました。
このように刀剣の文化が危機的状況にあった時期、日本文化を米国人といういわば第三者的に見て刀剣を蒐集した彼らに、深い敬意を感じます。
ボストン美術館の刀剣コレクションは、わが国において刀剣が重要な文化であることを改めて私達に教えてくれているようです。

K:酒井さん、どうも有難うございました。


展示風景

専門:刀剣 日本金工 所属部署:平常展調整室

 

次回のテーマは「近世絵画」です。どうぞおたのしみに。

 

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年04月27日 (金)

 

書を楽しむ 第12回「柿本人麻呂」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第12回です。

いま、本館2階の展示室に、3点の「柿本人麻呂像(かきのもとのひとまろぞう)」が展示されています。
まずは2点、本館3室「宮廷の美術」にあります。

 
(左右ともに)柿本人麻呂像 鎌倉時代・13世紀 (右)松永安左エ門氏寄贈
(~2012年4月22日(日)展示)


柿本人麻呂(650頃~710頃)は、三十六歌仙のひとり。
『万葉集』や『古今和歌集』に人麻呂の和歌が見られます。

そして、本館8室「書画の展開」にも1点、展示されています。

  
柿本人麿自画賛 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
(~2012年5月6日(日)展示)


先に紹介した人麻呂像と姿は似ていますが、なにか少し違うと思いませんか?
これは、文字絵になっています。

文字絵、
私は小さい頃、「へのへのもへじ」で顔を描いていましたが、
みなさんも経験ありませんか?

この文字絵は、
顔のあたりの上半身が「柿」の字になっていて、
右手が「本」をくずして、筆を持っている様子。
右ひざが「人」、左ひざが「丸」のようです。

柿本人麻呂は、人丸とも呼ばれ、
歌聖として尊ばれ、「人丸影供」(ひとまるえいく[えいぐ、とも])という
人麻呂像を掲げた歌の会が開かれていました。

この文字絵を描いたのは、近衞信尹(このえのぶただ、1565~1614)、
「寛永の三筆」と呼ばれる能書です。
(寛永年間<1624~45>には生きていませんが…)
信尹は、何枚もこの文字絵を描いていて、
近衞家の資料を収める陽明文庫にも同じような文字絵が
伝来しています。
信尹の豪快で豊潤な筆遣いが、よくわかりますよね。

信尹はほかにも文字絵を描いています。


渡唐天神自画賛 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
(2013年02月26日(火)~4月7日(日)展示予定)


「天神」という文字で、「渡唐天神像(ととうてんじんぞう)」を表現しています。


文字絵は、
「葦手」(あしで)という、平安時代にはじまり、
硯箱などの装飾として鎌倉時代以降も続いたものもあります。
江戸時代に、文字絵は流行しました。

新しい文字絵、考えてみましょうか。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年04月14日 (土)

 

『至宝とボストンと私』 #2 染織

染織作品が美しく華をそえる展覧会後半。こんなに絢爛できらびやかなキモノを実際にまとっていたかと思うと、なんだかうっとりします。
『至宝とボストンと私』第2回目は、工芸室主任研究員の小山弓弦葉(おやまゆづるは)さんと、染織のコーナーを見てみましょう。

染織 展示室の様子

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」展示室の様子



『お江戸女子も流行にビンカン』

広報(以下K):どの作品も本当に素敵ですね…。この中で、小山さんのイチオシの作品はどれですか?

小山(以下O):この作品です。
小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様
小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様 (こそで しろりんずじまつばうめからくさたけわもよう)
江戸時代・18世紀 


K:どうしてこの作品を選んだのですか?

O:デザインがとてもユニークなんです。
小袖は自分の体に直接まとうものですので、自分の身を守る意味もあって、伝統的に吉祥模様(鶴や亀、松竹梅などのおめでたいモチーフ)が多く用いられます。
こうした技法をこらし、贅を尽くした総模様のキモノは、元は特権階級のだけのものでしたが、江戸の泰平の世になり、町人が経済力をつけてきたことで、お金持ちの商家のご婦人も着飾ることが出来るようになってきました。
現代にもファッションの流行があるのと同じように、時代の流れとともに、デザインはどんどん変化してゆきます。

K:現代に生きる私たちが見ても、斬新なデザインですね。

O:ええ、江戸時代前期のある時期から、大胆に変化しました。これにはあるきっかけがあります。
一説によれば、寛永に大きな火事があり、江戸の大半を焼くという大変な事態に見舞われてキモノが焼けてしまい、大量につくる必要が出てきました。細かい模様はそれだけ時間がかかりますから、大振りの模様のキモノがたくさんつくられたといわれています。
そう言われてもおかしくないくらい、大きな変化があったのです。

K:思わぬところからデザインが発展したのですね…。
しかしデザインが大振りとはいえ、一つ一つの技法はとても複雑で手が込んでいます。何がデザインされているのですか?

O:これも松竹梅が描かれていますが、デザインが面白くてただの吉祥模様とはひと味違いますね。

小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様(部分)

竹は普通まっすぐに描かれますが、この作品では輪っかのように描かれ、まるでダンスしているかのようにリズミカルに配置されています。

小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様(部分)

輪と対比させるように、直線的な雁木模様(雁の列のようなぎざぎざの模様)が配され、その上に丸い梅と唐草を組み合わせた模様が散っています。

K:竹と梅ですね。松はどこに描かれているのですか?

O:雁木模様の鋭角の先端に注目してください。

小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様(部分)

松葉の付け根部分がデザインされているのがわかりますか?雁木の縁部分が松葉になっているのです。

K:あっ、本当ですね!すごい!言われなかったら気付かなかったかも知れません。お友達に自慢します!
ところで、竹が輪っかになっているのは、なにか意味があるのですか?

O:特に意味はなく、竹をデザイン化したのだと思います。梅も丸っこく描かれていてかわいらしいです。日本人は角がない、ということで丸を好むようですね。
遠くから見てもインパクトのある模様、色使い。江戸時代の方も、現代の若い方たちと同じように流行に敏感で、ファッショナブルだったのです。


『女性の人生を映すキモノ』

K:お恥ずかしい質問ですが、このキモノは誰かが着ていたものなんですよね?

O:もちろんです。

K:こんなにきらびやかで美しいキモノを普段から着られる人って、いったいどこのお嬢様だったのだろうと羨ましく思います。

O:これは、「お嬢様」のキモノではないんです。留袖になっていますので「奥様」のキモノです。

K:わあぁ(恥)!

O:女性は結婚すると、振袖の長い袂を切り、脇も詰めます。「留袖」とは、「袖を留めた」キモノという意味なのです。
江戸時代では、既婚女性が脇を留めていないキモノを着ることは恥ずかしいこととされました。

K:そうだったのですね!そんなことも知らず申し訳ありません!

O:いえ、意外とご存知でない方も多くいらっしゃると思います。
袖に注目してみてください。

     小袖 白綸子地松葉梅唐草竹輪模様(部分)

模様が途中で途切れているでしょう?これは以前に振袖だったものを、所有者が結婚して袖を詰めたものと考えられます。
なんだか女性の人生が見えてくるようですね。

K:デザインだけでなく形にも注目してみると、キモノへの理解がより深まりますね。
模様にも意味があり、形にも物語がある。そういう目で鑑賞すると、キモノにぐっと近づける気がしました。
小山さん、どうも有難うございました!

 

小山研究員

専門:染織 所属部署:工芸室


次回のテーマは「刀剣」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年04月03日 (火)

 

博物館でお花見を(絵画の名品)

今年の春は遅く、4月になってもまだ梅が咲いています。
現代は、テレビによって全国共通の季節感が生み出されていますが、桜となると、人によって抱いているイメージにずれがあるかもしれません。
昔は、桜は入学式の花でしたが、最近では温暖化によって卒業式の花に変ってしまいました。今年の桜は、どんなイメージを記憶に残すのでしょうか。

私は、桜で有名な弘前に生まれました。
桜より一週間ほど早く梅が咲き、桃と桜が重なるように咲きだします。
北国は、春が一斉に訪れるのです。
それもゴールデンウイークに。
そのため、日本標準の季節感とは、ちょっとしたずれがあります。
2月に梅、3月に桜を季節の彩として展示作品の構成を考えるのですが、肌になじまない違和感がいつもあるのです。


桜は、人の気分を浮き立たせます。
江戸時代初期には浮世を描いた風俗画が流行しますが、どういうわけか、絵の中にはよく桜が咲いています。
祇園祭の描かれた舟木本「洛中洛外図屏風」でも、人々は、桜の枝を背にして踊っています。

 
重要文化財 洛中洛外図屏風(舟木本)(部分) 江戸時代・17世紀
(展示予定未定)


現在、本館10室で陳列中の「四条河原図屏風」(~2012年4月15日(日)展示)も、舟木本と同じく祇園社の周りには桜が咲き、人々が宴席を構えているのですが、同時に紅梅も咲いています。
由緒ある梅のようです。
この屏風は、細見美術館の「北野社頭遊楽図屏風」と本来は、一双をなしていました。
その屏風、北野社では、紅梅が咲き、満開の桜の下では、酒宴が催されています。
上品な梅。
親しみのある桜ということになるかもしれません。

出雲阿国が歌舞伎踊りをはじめたのは、慶長8年(1603)春、桜の頃でした。
歌舞伎おどりの流行が、「花下遊楽図」屏風」に取り入れられています。


国宝 花下遊楽図屏風(左隻) 狩野長信筆 江戸時代・17世紀
(~2012年4月15日(日)展示)


中国文化を背景とした中世の水墨画には梅がよく描かれ、夢の浮世を謳歌した安土桃山時代から江戸時代初期の絵画には桜が良く描かれています。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2012年04月02日 (月)