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1089ブログ

巨大肖像画が生まれた時-支倉常長像成立の「謎解き」-

通常、屏風や襖などを展示している本館二階7室。いまこの部屋では、ひときわ大きな、油絵の肖像画を展示しています。
特別展「支倉常長像と南蛮美術」で展示している「支倉常長像」です。

支倉常長は安土桃山時代から江戸時代初頭、仙台藩主伊達政宗に仕えた武将です。支倉は政宗の命により、メキシコとの交易許可を得るためヨーロッパへ渡りました。太平洋、大西洋という二つの大海を横断した最初の日本人でもあります。

この肖像画、日本の武士を最初に描いたものとしても大変貴重です。その他にも、見事な刀装、華やかな衣裳、愛らしい犬、キリスト教に基づく聖人像など、見どころ満載。これらに関しては会場で配布しているリーフレットをご参照下さい(なくなり次第配布終了。お急ぎを!)

細部に見どころ満載ですが、誰もが感じる、ぱっと見た時の素直な感想は、「大きい!」ということではないでしょうか?
縦はおよそ2メートルある巨大な肖像画で、支倉をほぼ等身大で描いています(いやむしろ、当時の平均身長を考えればそれ以上に大きく描いているかもしれません)。
なぜ、こんな大きな肖像画が描かれたのでしょう?

支倉常長像
支倉常長像は、高さ196.0センチもある大きさな作品です。

ヨーロッパやアメリカの美術館に行くと、ギャラリーに多くの肖像画が展示されています。その中にはもちろん支倉像のような大きなものもあるのですが、胸から上を描く半身像が圧倒的に多く、等身大の立像はそう多くありません。
下世話な話をすれば、画面が大きくなればなるほど手間もかかり、使う絵の具の量も増え、絵の代金も跳ね上がります。これは古今東西、どんな絵にでも言えること。
その意味において、支倉像ほどの大きさの絵を思いつきで描かせたとは到底考えられません。
この大きな肖像画が描かれるには、それなりの「意味」があったはずなのです。

支倉はローマ教皇パウロ5世に謁見するため、ローマに滞在します。その時の世話役だったボルゲーゼ卿が、アルキータ・リッチというイタリア人画家に命じてこの肖像を描かせたと考えられています。
ボルゲーゼ家はイタリア・シエナ出身の名門貴族であり、時の教皇パウロ5世はこのボルゲーゼ家出身です。
そうなると、支倉像が生まれる背景に、パウロ5世が深く関わっているように思えてきます。と言うのも、当時、教皇は聖職者特権などをめぐって、ヴェネツィア共和国と険悪な関係にあったというのです。
具体的な状況は省略しますが、重要なのはヴェネツィアが東地中海、アラブ、そしてインドなど、アジアの物産を取引した「東方貿易」を担ってきた都市国家だという点。ただ、16世紀前半頃から、オスマン・トルコの勢力伸長によりヴェネツィアの誇る東方貿易もだいぶ陰りが見えはじめてきていました。そんなとき、ヴェネツィアの繁栄を象徴する「東方」から、教皇を尋ねてきたのが支倉だったわけです。

支倉がローマに入市する際、盛大な入市式が行われました。「東方」からの使者の到来という歴史的な「事件」は、教皇の威光が「東方」へも遍く及んでいること、すなわち「東方」をめぐるヴェネツィアに対する教皇の優位をアピールする絶好のチャンスであったはずです。支倉の入市式はこれを内外に周知させる盛大なページェントでもありました。

そして、この「事件」を長く歴史にとどめようと描かれたのが支倉常長像だったのではないでしょうか。
支倉像は、他ならぬローマ入市式の際のいでたちを描くとされています。教皇の威光、とりわけヴェネツィアに対する教皇の優位を視覚的に表わす意図のもと、支倉像は描かれたのではないか、と考えられるわけです。

絵を前にした時、そこに描かれている「美しい」ものをめでる。そういった美術鑑賞の方法もありますが、こうやっていろいろと想像を膨らませて、「なぜこの絵が描かれたのか?」という「謎解き」をすることも、美術鑑賞のもう一つの醍醐味。

以上は、私のつたない世界史知識をもとにした、あくまで個人の感想です。
この巨大肖像画を前に、みなさんはどんな「謎解き」をされることでしょう。

カテゴリ:研究員のイチオシ2013年度の特別展

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室 研究員) at 2014年03月11日 (火)

 

日本人の大好きな桜、さくら、サクラ、咲く。

中国や朝鮮半島では、「花」といえば「梅」「桃」をまずイメージしてきたようですが、私たち日本人にとって「花」といえば、何といっても「桜」でしょう。今でもそうですし、いにしえよりそうでした。

たとえば百人一首に選ばれた有名な和歌。
入道前太政大臣こと藤原公経(1171~1244)が詠んだ「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで  ふりゆくものは 我が身なりけり」(花をさそって散らす嵐の吹く庭には、雪のような桜吹雪が舞っているが、本当に古りゆくものは、雪ではなくわが身であったなあ)
あるいは、平安朝のあの小野小町が詠んだ「花の色は うつりにけりな いたづらに  わが身世にふる ながめせしまに」(桜の花はむなしく色あせてしまった。長雨が降っていた間に。私の容姿もむなしく衰えてしまった。日々の暮らしの中で、もの思いしていた間に)
これらの和歌では、「花」というだけで桜を意味しています。

一方、今。
皆さんのお財布を開けていただくと、千円札の表裏のあちこちや百円玉の表(豆知識:年号のある方が裏なのだそうです)には桜の花がデザインされていることが確かめられるでしょう。日本の象徴としての「桜」。私たちは桜とともに毎日生活しているのです。カラオケに行けば、「サクラ」ソングはたくさん歌えますが、「梅」や「桃」のナンバーを見つけるのは難しいかもしれません。
これは余談でした。

私たち日本人が「桜」が大好きなのは、どうしてなんでしょう。

ひとつには、「白」という色への愛好があるからではないでしょうか。千円札の裏にも描かれた「富士山」(祝、世界遺産登録!)も、雪をまとった白い山のイメージでした。日本の芸術・美術の特質の一つとしても捉えられている「雪月花」は、どれも白い色です。単純明快、シンプルなその姿という共通点もあるでしょう。

もうひとつの理由。服部嵐雪の有名な俳句「梅一輪一輪ほどの暖かさ」がしめすように、梅は少しずつ花を開いていき、けっこう長い期間、楽しめます。これに対して桜は、パッと一気に咲きます。けれども、楽しめる期間は限られていて、先にあげた和歌にも詠われていましたが、風に吹かれて、まるで吹雪のように舞い、一気に散ってしまいます。その変化の派手さ、いさぎよさ、それがゆえのはかなさが、好まれてきたのではないでしょうか。

今年も当館では、3月18日(火)から4月13日(日)まで「博物館でお花見を」と題して、皆さんのお越しをお待ちしています。

近世絵画では、住吉派(住吉如慶、具慶)や狩野派(狩野主信、養信、永敬、永岳)などが描いた優品を出品。それぞれの作品には、満開の桜や舞う花びらが描かれています。描かれた桜をみると、白い絵の具がふんだんに使われ、画面の中で際立ち、輝いています。


源氏物語絵合・胡蝶図屏風
(左)源氏物語絵合・胡蝶図屏風の展示風景 (右)桜の花は皆こちらを向いています。

たとえば狩野晴川養信(1796~1846)の「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」(4月20日(日)まで本館8室にて展示)の画面には、金地に美しい緑や青、赤などの濃い色彩が乱舞していますが、そのなかで純白の桜の花が、ひときわ輝いています。一歩近づいてご覧いただくと、桜のひとつひとつの花が皆こちらを向いていることに気づかれるでしょう。桜の花が、まるで旅行のときの集合写真のように「カメラ目線!」なのです。これを「装飾的」といってしまえば、それまでですが、現実に咲く桜を見上げたときのように、斜めや裏側など、いろんな向きに描かれたとしたら、ずいぶんと華やかさが失われるのではないでしょうか。桜の華やかさの演出、そのために絵師が選んだ描き方、そのようにみる方が作品の魅力をつかまえられるのではないかと思います。


「花より団子」の私ですが、春はやはり花で楽しみたいものです。外でも展示室でも。
そういえば、お団子も白いですね。
 


「博物館でお花見を」関連展示
本館日本ギャラリー 桜めぐり
会期中(3月18日(火)~4月13日(日))、桜をモチーフにした作品には桜のマークがつけられています。
スタンプラリーも実施しますので、展示室で桜を探してみてください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 山下善也(絵画・彫刻室主任研究員) at 2014年03月10日 (月)

 

中村不折と高島菊次郎~中国書画への熱い思い~

20世紀の初め、清朝から中華民国へと変わる辛亥革命の前後に、中国書画の多くが海外に流出しました。所有者の中には、この動乱に貴重な書画を失うよりは、中国の伝統文化を大切に継承する国に残したいと、あえて日本に流出させる場合もありました。
日本での良き理解者たちが、中村不折(なかむらふせつ、1866~1943)であり、高島菊次郎(たかしまきくじろう、1875~1969)でした。年齢は不折が9歳年上ですが、ほぼ同時代に活躍しているため、収集した時期や入手先なども、重なる部分が少なくありません。

中村不折 泰山刻石
(左)中村不折
(右)泰山刻石― 一六五字本 ― 中国 原碑=秦時代・前219年 台東区立書道博物館蔵


中村不折は、画家を志すべく小山正太郎(こやましょうたろう)に師事し、後にパリへ留学して洋画家としての地位を築きました。同時に、あくまでも余技に過ぎないと称してはばからなかった書においても第一線で活躍し、潤筆料から資金を捻出して、書に関する作品を収集、やがてその膨大な収蔵品を公開するために書道博物館を創設しました。思い立ったらどこまでも突き進んでいく、情熱的な人物だったのです。
収蔵品の白眉は「泰山刻石(たいざんこくせき)」で、宋拓の165字本、明拓の29字本、清拓の10字本があります。秦の始皇帝が天下を統一した際に、自らの功績を称えるために建てたこの碑は、2000年以上に及ぶ歳月の流れの中で少しずつ毀たれ、やがて倒壊し、現在は10字の断片となっています。不折の収蔵品の3種は、時代とともに文字が剥落する様子がわかる、実に興味深い拓本なのです。なかでも165字本は、明時代の大収蔵家であった華夏(かか)の旧蔵で、名品中の名品として知られています。

高島菊次郎 漢婁寿碑
(左)高島菊次郎
(右)漢婁寿碑 中国 原碑=後漢時代・熹平3年(174) 高島菊次郎氏寄贈


高島菊次郎は、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、大阪商船株式会社・三井物産を経て王子製紙に入社、数々の要職を歴任後、社長に就任しました。実業家として日本の製紙業界に貢献するかたわら、中国の思想や美術にも造詣が深く、余暇に漢籍を研究し、書の稽古に専念しながら、大いなる熱意をもって中国書画の収集に努めました。
こちらの逸品は、漢時代の儒者である婁という人を称えた「婁寿碑(ろうじゅひ)」でしょう。宋時代には原石があったようですが、すでに碑文の傷みがひどく、文字が判読できなかったとも言われています。石碑はいつしか失われ、この宋拓一本のみが伝存し、古くから天下の孤本として珍重されてきました。これも上述した華夏(かか)の旧蔵品で、拓本の後ろには、明の豊坊(ほうぼう)、清の朱彝尊(しゅいそん)、潘祖蔭(はんそいん)、銭大昕(せんだいきん)、何紹基(かしょうき)など、錚々たる文人の題跋が錦上に花を添えています。

実作家の中村不折と、実業家の高島菊次郎。境遇は異なっても、中国の伝統文化に魅了され、中国の書画を心から愛した気持ちは同じでした。是非、会場に足を運んで、質の高い名品の数々を収集した二人の偉業に思いを馳せてください。

特集陳列「中村不折と高島菊次郎」
東洋館 8室   2014年2月4日(火) ~ 2014年4月6日(日)

※台東区立書道博物館では、3月23日(日)まで、企画展「中村不折のすべて-書道博物館収蔵品のなかから-」を開催しています。不折自身の書画作品が展示されていますので、あわせてご覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 富田淳(列品管理課長) at 2014年03月07日 (金)

 

お姫様のお嫁入り道具、貝合せをつくりました

恒例のワークショップ「貝合せに挑戦」を開催しました。

貝合せに使う蛤の貝殻は、もともとペアだった殻としか合わないようにかたちができています。
どんなに似ていても、他の貝とは合わないのだそうです。
そのため夫婦円満の象徴として、江戸時代のお姫様がお嫁に行くときの行列の先頭は貝合せをいれた貝桶だったとか。

今回は、当日本館に展示している作品のモチーフをつかって考えたオリジナルの貝合せを1組つくるというもの。
まずは本館14室の特集陳列「おひなさまと雛(ひいな)の世界」へ。
雛道具のなかに、貝合せや貝桶がありました。
雛道具は江戸時代のお姫様がお嫁に行くときにもっていった婚礼調度をもとにしているといわれています。
だから貝合せがあるんですね。

雛道具の見学
雛道具の見学

本館8室には江戸時代の貝合せが展示されています。
その大きさ、豪華さにみんなで驚きました。
江戸時代の貝合せ
源氏絵彩色貝桶  江戸時代・17世紀(本館8室にて3月23日(日)まで展示)


雛道具と江戸時代の貝合せを見た後は、本館に展示されている作品から、貝合せのデザインを考えます。
その後、ペンで絵付けをします。参考にした作品と出来上がった貝合せをご紹介します。

袱紗貝合せ
(左)袱紗 萌黄繻子地桜樹孔雀模様 江戸時代・19世紀(本館10室にて4月20日(日)まで展示)
(右)孔雀の羽に注目した個性的な貝合せ

三彩龍文鉢貝合せ
(左)三彩龍文鉢 永楽保全作 江戸時代・19世紀(展示は終了しました)
(右)宙を舞う龍をのびのび表してくれました


貝合せ完成
完成した貝合せをもって親子でパチリ!

貝合せは、貝殻の模様や大きさを見比べて、ペアを探すゲームでもあります。
二枚貝の蛤(はまぐり)の貝殻をふたつに分けます。
片方は「地貝(じがい)」として伏せて並べておきます。
もう片方は「出貝(だしがい)」といい、ひとつずつだして、貝殻の模様や大きさをヒントに、その出貝のペアである地貝を探します。
ファミリーワークショップでは、最後に家族対抗貝合せ大会をして楽しみました。

貝合せ大会
みんな真剣に地貝と出貝を見比べます

ひな祭り目前の週末に開催したワークショップでした。
トーハクで貝合せにこめられている意味や願いを知り、家庭で季節の行事を楽しむことができたでしょうか。

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews教育普及催し物

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2014年03月05日 (水)

 

特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」

14回目となりました恒例の特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(3月4日(火)~3月30日(日)、平成館企画展示室)。今回の展示は例年と比べ、分野だけでなく修理の内容が多岐にわたっており、文化財修理の奥深さを見る事ができます。

例えば博物館ニュース2・3月号にも紹介している「応急修理」です。本格修理を病院での大手術に例えると、ホームドクターによる簡易な処置がこれにあたります。我々は健康を維持するにあたり、少し風邪をひいた程度でいきなり大病院にはいきませんよね?とりあえず近所の主治医に見せて判断をあおぎ、負担の少ない処置を施すことで健康を維持します。文化財も我々の健康と同じで、軽微な処置を行うだけで周辺環境を整えられたり、見やすく安全に取り扱えるようになります。その結果、ハンドリング時に起こる事故の確率が下がり、文化財を安全に末永く伝えることができます。当館ではこれらの処置を常常勤のアソシエイトフェローを中心に行なっております。展示では作品とともに修理の内容についても詳細に紹介しています。

その他にも江戸時代に書かれた書物の内容とX線による調査の結果を参考にし、最新の合成樹脂を用いて行われた修理(壷鐙)、大量の書類を短い時間で処理した修理(重要雑録)などの例をご覧いただきます。また、青磁鳳凰耳瓶と東洋館5室で同時期に展示中の砧青磁の名品「馬蝗絆」をご覧いただくことで、同じ症状に対する室町時代の修理と平成の修理を比較することができます。

青磁鳳凰耳瓶  馬蝗絆
(左)青磁鳳凰耳瓶(修理後) 中国・龍泉窯 南宋~元時代・13世紀 松永安左エ門氏寄贈
(右)重要文化財 青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀  三井高大氏寄贈(東洋館5室にて、5月25日(日)まで展示中)


例年同様に修理で全体が整った作品をご覧いただくだけではなく、皆様のお宅にある、ちょっと風邪を引いたお宝を末永く健康に保つ秘訣を見つける事が出来るかもしれませんよ。
忙しい年度末の短い期間ですがぜひ、足をお運びください。

関連事業

「東京国立博物館コレクションの保存と修理」
平成館 企画展示室  2014年3月4日(火)   14:00 ~ 14:30
「東洋書画の修復と保存」
東洋館 TNM&TOPPAN ミュージアムシアター  2014年3月11日(火)   14:00 ~ 14:30
「展示を支える修復技術-マウント、書見台、保存箱」
東洋館 TNM&TOPPAN ミュージアムシアター  2014年3月25日(火)   14:00 ~ 14:30
 

カテゴリ:研究員のイチオシ保存と修理

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posted by 荒木臣紀(保存修復課主任研究員) at 2014年03月04日 (火)