7月12日(火)より特集陳列「運慶とその周辺の仏像」が本館14室ではじまりました。
ご存知の方も多いと思いますが、運慶とは平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した仏師です。
今回の特集陳列では、運慶作の可能性が高い大日如来像二体と運慶周辺の仏師の作と見られる十二神将像ほかを展示しています。
11日は、研究員と美術専門のスタッフが作品を展示室に運び長時間にわたり展示を行いました。
こちらは大日如来坐像と阿弥陀如来坐像。大日如来坐像の小ささが目立ちます。
右:重要文化財 大日如来坐像 平安~鎌倉時代・12世紀 東京・真如苑蔵
左:阿弥陀如来坐像 鎌倉時代・12~13世紀 静岡・願生寺蔵
研究員が展示台で高さを調整しています。
こちらの展示台に決まりました。
2つの像のバランスがよくなりました。
展示台の有・無や高さで作品の見え方は一気に変わります。
次は、十二神将像。この迫力は圧巻です。
目の前にいるものを睨みつける表情はどれも精悍です。
十二神将立像 鎌倉時代・13世紀 (戌神、未神 、申神 、巳神 、辰神 を展示)
こちらの十二神将像はケースには入っていますが、 まだこれで完成ではありません。
次はライティングです。
左の画像は「蛍光灯」の照明のみ、真ん中の画像は「スポットライト」のみをつけています。
蛍光灯は全体に明るいのですが平面的、スポットライトは立体感がありますが影がきついです。
両方を調整して長所を引き出したのが右の画像です。
像全体に柔らかな雰囲気が出て、装飾がよりはっきり見えます。照明はこれで決まりです。
さらに、もう一つ重要なポイントがあります!
それぞれの向きです。
台座の向きで合わせると十二神将は直線状に並びます。でもそれでは個々が活きてこないと研究員は言います。
左の戌神はこの方向だと手で目が隠れてしまっています。 せっかくの凛々しい表情が全く見えません。
そこで右の画像のように台座の角度を調整すると表情がよくわかり、また腰のひねりも見え像に動きが出ました。
研究員曰く、像の持っている優しさや力強さを引き出したいと考え、
また、像にとってベストと思える並べ方を考えながら展示をしているとのことです。
このケースにはつけられませんが、顔にスポットライトを当てることができたら、
こんなにも表情がはっきりとわかります。(今回は特別に当てました)
いろんな思いで研究員が展示している作品をご覧になった皆様が、 さらに興味を持っていただけたらとても嬉しく思います。
全体の迫力も感じ取っていただきたいですが、ここでおすすめのポイントをご紹介!
展示している十二神将像の頭に十二支の動物が一つついています (中にはとれてしまっているものもあります)。
下の画像は、その中の一体、辰神 の頭部です。名前のとおり龍が乗っています。
ご覧頂く際は、ぜひ頭上にもご注目下さい。
皆さんはどの十二神将立像が好みでしょうか? きっとお気に入りの一点が見つかると思います。
これら運慶周辺の仏師が制作した作品はどれも細部まで入念で見所満載です。
展示室内は広くないですが、ゆっくりじっくり見ることができます。
こちらは10月2日(日)まで開催しております。ぜひお越し下さい。
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posted by 江原 香(広報室) at 2011年07月15日 (金)
トーハクでは、定期的にイベントを開催してます。
6月19日(日)に行われたのがそのひとつ
「生田流・箏とトランペットとピアノコンサート」です。
今回はトランペットのアレクセイ・トカレフさんを中心に、ピアノとの協奏、そして箏の独奏と、とても素敵なコンサートでした。
平成館ラウンジを貸切って、200名近いお客様がその音色に酔いしれました。
平成館ラウンジは石造りの壁と床なので、とても響きが良いのです!
実はこのコンサート企画、歴史は長く、平成15年から実施しているんです。
主催は当館とサロン・ド・ソネットです。
年に約3回開催しておりますが、毎回大盛況です。
特に主催のサロン・ド・ソネット代表の齋藤京子さんの音楽解説がとてもおもしろいのです。
曲の旋律の特徴から時代背景、そしてその曲が作られるに至った逸話などを披露してくださるのですが、時間が過ぎるのを忘れるくらいです。
そして、そのお話を聞いた後の楽曲鑑賞は、一味も二味も違って感じるのです。
次回は「亀淵友香とVOJAによるコンサート~「愛と平和」をゴスペルにこめて~」(2011年10月2日(日))です。
皆様もぜひお出かけください。
乞うご期待!
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posted by 樋口理央(総務課長) at 2011年06月28日 (火)
新年度に入り、小・中・高校からのグループ見学も増えてきました。
東京国立博物館では、通常行っている「スクールプログラム」に加えて、
視覚に障がいをもつ児童・生徒のための「盲学校のためのスクールプログラム」を今年度から本格実施しました。
5月20日には、記念すべき第一校目、都立久我山青光学園の小学5~6年生が来館しました。
午前中は、本館の模型とミニチュア作品を使って、博物館や展示室について理解したり、
ボランティアと一緒に「貝合せ」のゲームを楽しみながら、日本の伝統模様を学んだり、
展示室にどんなものがあるのか、先生と対話をしながら展示見学を楽しんだり。
また、午後からは、博物館の職員の仕事について、積極的にインタビューするなど、丸一日、博物館での体験を楽しんでいかれました。
ちなみにここでは、なぜかお掃除のお仕事についての質問が多発。
広い博物館、どうやってきれいに保っているのか、小学生たちには素朴な疑問がわいたようです。
プログラムのあいだ、生徒たちは、さわれる教材に手をふれたり、貝合せゲームに歓声をあげたり。
ボランティアスタッフや研究員との対話に積極的に参加してくれました。
最後に一人の女の子に、「今日は楽しかった?」と声をかけると、ぱっと笑顔が弾けて、「楽しかった!」と手をたたきながら言ってくれて、心の中が暖かくなりました。
「盲学校のためのスクールプログラム」は、一人ひとりの児童生徒の興味やペースに合わせた、対話やハンズオン体験を通した、コミュニケーションを大切にする、きめ細かい対応が特徴のプログラムです。
詳細は、こちら。
お申し込みは、学校の先生からお願いします。
盲学校、あるいは弱視学級の先生方、ぜひ、ご活用ください。
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posted by 藤田千織(教育普及室) at 2011年06月23日 (木)
東博デザイン室 木下です。
今日は、今週末(6月18日)に予定している講演会
「関東大震災からの復興本館ものがたり-国産技術に裏付けられた建築デザイン」
のお知らせです。
この講演会は、もともと昨年末に企画したものでした。
その時はまさか3月11日に東日本大震災が起こるとは思いもしませんでした。
圧倒的な自然の力を目にして、しばらく講演会の準備など手がつかない気持ちでした。
いま僕はようやく、東博に残されている『復興本館』の資料を掘り起こしつつ、準備を進めています。
『復興本館』とは、現在の東京国立博物館本館のことです。大正12年の関東大震災(マグニチュード7.9)で損壊した、旧本館の復興事業と位置づけられ、東京帝室博物館・復興本館として建てられました。
優美な瓦屋根がのったSRC造の本館は、当時の耐震構造研究と生産技術に基づいていることが、部材や意匠、計画時の資料からうかがうことができます。
当初は、2004年頃から興味を持って調べてきた復興本館の資料について、その優れたコンセプト・建築計画・設計手法・当時の最新の建設技術について、少しでも多くの方に知っていただきたいという気持ちで講演会を企画しました。
復興本館の建設は東博の歴史の一頁に納まり、その「復興」の意味さえ忘れられつつあります。が、昭和初期に先人が考えた《耐震耐火構造・保存科学・展示手法・自然採光》の技術には、今でも通用する博物館建築のヒントがたくさん隠されているように思えてなりません。
実施設計にあたった宮内省内匠寮(たくみりょう)の1900枚以上の手書き図面は、現在は宮内庁に青図複写が残され、オリジナルは東博が保管・管理していてます。充分に整理されていない状況ですが、今となっては建築史的に大変貴重な図面です。
また、建設にあたった復興翼賛委員会や建設委員会部会の議事録・各種書類、建設現場の記録写真など、一括して保管されている資料は、文化財クラスといっても過言ではありません。
講演会では、当館で展示デザインを担当している私と建築史研究の専門家、加藤雅久氏(居住技術研究所)が、こうした資料を参考に本館のディテールを読み解きながら、帝室博物館建設の意義に迫ります。
ぜひともお運びいただき、この復興本館に秘められた日本人の技術力、空間づくりの発想力を体感していただきたいと思います。
復興本館の模型完成を伝える新聞記事
昭和8年(1933)4月14日付け 東京朝日新聞と時事新報
本館敷地での記念撮影? 背後に見えるのは表慶館。
関東大震災でも表慶館はびくともしませんでした。
昭和7年(1932)6月27日
鉄骨組立完了の記録写真
昭和9年(1934)12月26日
正面屋根表側コンクリート打の作業風景
昭和10年(1935)9月
本館2階側面陳列室。現在の3室でしょうか?
昭和12年(1937)9月2日
◆月例講演会の詳細について
「関東大震災からの復興本館ものがたり-国産技術に裏付けられた建築デザイン」
6月18日(土)13:30~15:00 平成館大講堂
◆館の歴史について
9.関東大震災と博物館 大正から昭和へ
10.復興本館 戦時下の博物館
カテゴリ:教育普及
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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2011年06月16日 (木)
先日公開したブログの記事「本館3室と11室で善光寺本尊について考える」(2011年05月28日(土)公開)の続きです。
前回、2つの善光寺式阿弥陀三尊像と法隆寺献納宝物の朝鮮半島製とみられる三尊を比べてみました。
その時、脇侍の手の形がぜんぜん違いましたね。
これはどういうことかお話しませんでしたので補足です。
善光寺式三尊の脇侍の手をもう一度見てみましょう。
重要文化財 阿弥陀如来および両脇侍立像(部分) 鎌倉時代・建長6年(1254) C-93
胸の前で左手の掌を上向きにして、その上に右手を重ねるという形です。
これが何を意味する印なのかわかりません。
ところが、法隆寺献納宝物の中にこれに近い手の形をした像が三躯あります。
白雉2年(651)に造られた観音菩薩立像(N‐165)、飛鳥時代の菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)です。
左から順に、観音菩薩立像(N‐165)、菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)
どの像も左手を下に、右手をそれに重ねるようにしていますが、その間に丸い物をはさんでいます。
これは宝珠です。
左から順に、観音菩薩立像(N‐165)、菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)
法隆寺夢殿の救世観音像(国宝)は蓮台上の宝珠から火焔が立ちのぼる様子を表わしたものを同じように持っています。
飛鳥時代にはこのような手の形が多かったのです。
朝鮮半島にも同様の像があります。
善光寺本尊の両脇侍はおそらくこの形なのでしょう。
ちらっと拝する機会を得た人(あくまで夢で見たという話になっています)にはその宝珠がよく見えなかったのでしょう。
鎌倉時代に造られた模像のうち、鎌倉の円覚寺にある像は何かを持っているように見えますがはっきりしません。
そして、ほとんどの模像はただ手を重ねるだけになったのだと考えられます。
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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2011年06月10日 (金)