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「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝」は古代バクトリアを知る展覧会

特別展「黄金のアフガニスタン―守りぬかれたシルクロードの秘宝」がスタートしました!連日の展示作業を振り返って感じることが2つあります。
とにかくもの(展示品)がいい!ということ。
そして、なんといっても黄金に囲まれた至福の時間であった・・・ということです(金とはまったく無縁の僕は、研究員になっていなかったら、こんなにも金製品に触れる機会はなかったと思います)。

さて、アフガニスタンの古代美術といえば、仏教関係の遺跡や遺物をイメージする方が多いのではないでしょうか。
会場では平山郁夫氏が描いた在りし日のバーミヤーン大仏のスケッチをご覧いただけます。


ヒンドゥクッシュ山脈海抜二六〇〇メートル バーミアン石窟大石仏 アフガニスタン  
平山郁夫画 1997年 平山郁夫シルクロード美術館蔵

バーミヤーンの大仏や、仏像を生み出したガンダーラ美術は日本でもよく知られており、これらを主題にした展覧会は幾度となく開催されてきました。それに対して、今回の特別展は仏教以前のアフガニスタンを、初めて、そして大々的に紹介するものです。

仏教以前のアフガニスタンにはどんな文化があったのでしょうか?
今回の展覧会の中心は、アフガニスタン北部にある4つの遺跡で発掘された出土品です。その大部分は前3世紀~紀元後1世紀頃の遺物です。この頃、この地域はバクトリアと呼ばれていました。日本の弥生時代に並行する時代です。

紀元前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征を敢行し、その版図はインダス河畔にまで及びました。バクトリアにもギリシア人が移住し、ギリシア都市が建設されるようになります。その結果、ギリシア文化の影響を色濃く反映しつつ、周辺地域の文化を融合させた独特の文明が栄えます。これが仏教以前のアフガニスタン、古代バクトリアの姿です。本展覧会ではバクトリアの文明を象徴する出土物が来日しているのです。

今回のブログでは、バクトリアとギリシア文化との関わりの出発点ともいえる展示品をいくつか紹介しましょう。2章で紹介されているアイ・ハヌムは、アレクサンドロス大王の遠征のあとに建設されたギリシア都市の遺跡。3世紀中頃からグレコ・バクトリア王国の中心都市として栄えました。

 
コリント式柱頭 前145年以前      瓦の端飾 前3世紀

宮殿などの建造物では、中庭に面した回廊やエントランスにギリシア様式の柱が立ち並び、屋根にもギリシア様式の瓦の端飾が並んでいました。目につく場所にギリシア風の装飾を意図的に配していたと考えられます。
また、宮殿の「宝物庫」で出土した銘文から、都市の行政の公用語がギリシア語だったことが分かります。



銘文付アンフォラ断片 前145年頃
(印の部分に掻き消された文字が残る)

「宝物庫」で出土したこの壺には、銀貨が納められていたことを示す銘文が記されています。もともとは地中海地域、おそらくロードス島から輸出されたワイン壺でした。当時のギリシア世界にはロードス島産のワインが広く流通していたことが知られています。よく見ると、表面を引っ掻いて文字を消した痕が残っています。内容物が変わるたびに書き直していたのでしょうか。アイ・ハヌムの役人たちがギリシア世界とのつながりを感じさせるこの壺を愛用していた様子が伝わってきます。

アイ・ハヌムでは劇場や体育場など、ギリシア都市に共通して見られる施設が発掘されています。市民たちは、劇場でギリシアの悲劇や喜劇に親しみ、体育場で自由な時間を過ごすなど、「ギリシア人」らしい暮らしをしていたと考えられます。バクトリアにギリシア文化が根づいたのは、このような都市の繁栄があったからに他なりません。


グレコ・バクトリア王国が前145年頃に滅びると、バクトリアは周辺の遊牧系部族が侵入する混乱期に入ります。ティリヤ・テペでは、この頃に勢力を拡大した遊牧民の王族の墓が発掘され、おびただしい数の黄金製品が出土しました。これらは第3章で展示しています。


4号墓出土の黄金製品 1世紀


その後、1世紀から3世紀にかけて、バクトリアはクシャーン王朝の支配下に入ります。4章で紹介するベグラムでは、この時期に活発化したシルクロード交易によってもたらされた東西の宝物が発掘されました。


ローマ帝国から伝わったガラス器 1世紀

ティリヤ・テペやべグラムの出土物にも、ギリシアの神々やギリシア神話を題材にした作品が多く含まれています。展示室ではバクトリアに根づいたギリシア文化を実感できるのではないでしょうか。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(東洋室研究員) at 2016年04月23日 (土)

 

黒田清輝の気になる作品《七面鳥》

黒田は人物画や風景画、あるいは庭の草花を描いた作品などを多くのこしていますが、動物画、それも油彩のものとなると、実は数えるほどしかありません。

フランス留学中の写生帖には、羊や牛、馬やガチョウなどのスケッチがしばしば登場しますが、油彩作品としては《七面鳥》が挙げられる程度。《田舎家》や《羊を抱く少女》、はたまた《豚屋》などにも動物は描かれていますが、それらはあくまで添え物的な扱いです。

そう考えると、スケッチ的な絵ではありますが、この《七面鳥》がとても異質な作品に思えてこないでしょうか。


 七面鳥 黒田清輝 1891~92年(明治24~25) 東京国立博物館蔵

片足立ちしてポーズをきめ、どこか憂いを含んだ表情など、なんとなく七面鳥ばなれしています。さらに会場でご覧になった方はお気付きかもしれませんが、この《七面鳥》、一緒に並んでいる《豚屋》や《羊を抱く少女》に比べると、やたらと立派な額に収められているんです。この額を選んだのが黒田自身であったのかどうかはわかりませんが、どうしたってなにか特別な絵なのかな?と思ってしまいます。


左隣に展示された《豚屋》と比べると額の豪華さがわかります(会場風景)


この作品でもっとも気になるのが、無背景だということ。とはいえ、黒田は決してカンヴァスを単色で塗りつぶしたりしているわけではありません。緑や青、黄色に赤など、七面鳥を描くのに使った色と同じ系統の色をパステルトーンで施しています。

 それにしても、室内や風景などの具体的な背景を描かずに、こうした抽象的な背景を施すというのは、肖像画などの単独人物像に多く見られる手法です。帰国後の1897(明治30)年に描かれた《犬》という作品では、犬が寝そべる日陰のくさむらがきちんと描き込まれていますが、この七面鳥はどこにいるのか、外にいるのか、あるいは鳥小屋の中にいるのかまったくわかりません。


犬 黒田清輝 1897年(明治30) 東京国立博物館蔵 ※黒田展には出品されていません 

 
もしかしたら、と考えられるのが、日本画との関係です。たとえば有名な尾形光琳の《風神雷神図屏風》には、金箔の押された無背景な画面に、風神と雷神のみが描かれています。こうした余白を生かした構図は日本画の大きな特徴のひとつですが、幼い頃に狩野派の画家・樋口探月について日本画の初歩を学んでいる黒田も当然、こうしたことはよく知っていたでしょう。

 
重要文化財 風神雷神図屏風  尾形光琳筆  江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵 ※展示は未定です

 
また、フランスで黒田が師事したラファエル・コランは大の日本好きで、錦絵や陶磁器をコレクションしていました。さらに《画室の一隅》や《画室にての久米桂一郎》には、日本の屏風が描き込まれています。留学中、黒田はフランスという日本から遠く離れた国にいながら、その傍らには日本の美術品があったことがわかります。  


画室の一隅(いちぐう) 黒田清輝 1889年(明治22) 東京国立博物館蔵
画面右側に屏風が見えます

《机による女》で黒田が日本の屏風と西洋の女性を一緒に描いているように、なにげなく描かれているように見えるこの《七面鳥》も、もしかすると、意識的にか無意識的にか、こうした黒田の日本人的な感覚が顔をのぞかせた作品だったのかもしれません。


机による女 黒田清輝 1890年(明治23)頃 東京国立博物館蔵
女性の後ろに「扇柄」の屏風が描かれています

ご紹介した《七面鳥》は、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」(平成館、5月15日(日)まで)第1章に展示されています。会場で見つけてみてください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2016年度の特別展

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posted by 田所泰(東京文化財研究所) at 2016年04月22日 (金)

 

黄金の光に包まれた裸体

重要文化財《智・感・情》は、1900年のパリ万博に出品した5件のうちの1件。 黒田清輝、珠玉の代表作です。


重要文化財 智・感・情  黒田清輝 1899年(明治32) 東京国立博物館蔵

この作品に関しては、そのタイトルが意味するところや、三人の女性がとる不可思議なポーズについて、発表当時からさまざまに議論されてきましたが、制作の経緯などを示す下絵もないので、はっきりとしたことがわかっておらず、その明確な回答はいまだ出されていません。いわば「謎」の絵です。

師ラファエル・コランや当時のフランス近代絵画の作品に倣った作品が多い黒田の作品のなかで、この《智・感・情》は異彩を放っています。金箔地で無背景の「裸体像」としても異色といえるでしょう。

 
よく見ると金色が残っています

当時の日本人女性の平均的なプロポーションは六頭身であったそうですが、人体の美の理想として七頭身半で描いています。黒田はこの神秘的な裸体像で世界に日本の油画を問うたのです。万博で銀牌(その上に金牌、大賞牌があります)を受賞しますが、コランには不評でした。万博後に黒田は《智・感・情》をアトリエに保管したまま世を去ります。当時の評価に黒田は満足していなかったのかも知れません。

展示室では金糸を用いた壁紙を背に、《智・感・情》の画面を美しく照らし出す照明と、壁面を広範に照らす照明の二種類を重ね合わせています。画面の金箔地と金色の額縁、そして壁紙が黄金の光を放つことで、まるで教会や寺院で祈りを捧げる祭壇画や仏画でみる女神のように、日本人女性の裸体が浮かび上がっています。


黄金の光に包まれた《智・感・情》(会場風景)

ぜひ「生誕150年 黒田清輝」展会場で確かめてみて下さい。

 

 ※なお、この展示照明は科研費25282078「中世から近代における日本絵画の受容環境の復元的考察」(代表:松嶋雅人)による助成を受けた研究成果です。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2016年度の特別展

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posted by 松嶋雅人(平常展調整室長) at 2016年04月13日 (水)

 

黒田清輝の画業─黒田が日本に伝えようとしたこと

黒田記念館の展示や作品貸与の担当を30年以上行ってきた私にとって、このたび、生誕150年 黒田清輝展を黒田にゆかりのある上野で開催することができ、沢山の方に作品を通じて黒田清輝という人を知っていただくことができますことは、深い喜びです。

このたびの展覧会では、沢山の方々に黒田の作品をご覧いただけるということに加えて、黒田が直接に肉声で教えを受けたラファエル・コランやピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、また、フランス留学中に同時代に生きている作家として作品を見たに違いないクロード・モネ、カミーユ・ピサロの作品も会場に集うこととなり、僭越ながら黒田に対する大きなプレゼントになったのではないかと思っています。


  「フロレアル(花月)」 ラファエル・コラン(画面左)などが並ぶ黒田展会場風景

19世紀後半、まだ近代化の途上にあった日本からフランスに留学した黒田が懸命に学んで得た具体的な絵画思想と技術、そして日本に帰ってから何を伝えようとしたかを、作品を通じて感じていただけましたら幸いです。

黒田は19世紀後半にフランスで行われていた公募展覧会の全てに出品を果して帰国しました。「読書」をフランス芸術家協会展に、「朝妝」を国民芸術家協会展に、「菊花と西洋婦人」を無鑑査展に出品しています。

 
(左)読書 黒田清輝 1891年(明治24) 東京国立博物館蔵
(右)菊花と西洋婦人 黒田清輝 1892年(明治25) 個人蔵


それぞれの展覧会で主流をなしていた画風は異なっており、無鑑査展は最も自由で多様な画風の作品が出品されていました。会場で同じ壁面に展示されている「読書」と「菊花と西洋婦人」を比較していただけましたら、画風の違いをご理解いただけると思います。

黒田の生きた時代は、現代のように文化の多様性を尊重するというよりは、進んだ文化を遅れた地域が学んでいくべきだ、という近代主義が当然とされており、社会経済の分野だけでなく美術や絵画においても欧米に学ぶべきだとされていました。現在の日本でもその枠組みはあまり変わっていないようにも思えます。


黒田清輝のポートレート

その中で、黒田清輝は自分の眼で物を見ること、そして自分の考えを表現することの大切さを絵画・美術を通して人々に伝えようとしたのだということが、黒田のことばや残された資料から伝わってきます。その思いが、本展覧会の作品を通じて多くの方に伝わることを切に願っています。


会場の壁面にある黒田の言葉にもご注目ください

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2016年度の特別展

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posted by 山梨絵美子(東京文化財研究所副所長) at 2016年04月07日 (木)

 

黒田が見た光を再現─グレーの光でやわらかく

現在開催中の特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」(平成館、5月15日(日)まで)では有機ELを用いた照明器具が美しい光を生み出しております。今回は「婦人像(厨房)」の展示照明を一例としてご紹介いたします。


婦人像(厨房) 黒田清輝 1892年(明治25) 東京藝術大学蔵

有機ELとは、LEDの次世代を担うものとして、世界中のあらゆる分野で今最も注目されている最先端の光源です。その最大の特徴は「面発光」。光源が面状をなしているため、発光面積が大きく、従来の光源とは異なり、面で物質を照らすことがとても得意です。 例えば平面状の大きな作品を一様にやわらかい光で浮かび上がらせたい場合には有機ELを用いるのが効果的です。これまでにない効果を期待できる照明器具として我々も注目しております。

「婦人像(厨房)」展示ケース内部には下記の写真のように有機ELのパネルが連なった照明器具を配置しております。


ケース内部に設置された有機EL照明器具(展示作業中)

展示作業の最終段階では、これらの配置や照射角度を変えながら作品が最も美しく見える光環境を作り上げていきます。

照明調整前(写真左)と調整後(写真右)の輝度分布を比較すると、画面全体を均一に照らしながら周囲にかけてやわらかくグラデーションしていくような光環境が得られた事が良く分かると思います。

 
(左)照明調整前の輝度分布 (右)照明調整後の輝度分布。作品全体を均一にやわらかく包む光環境が実現しました

この作品を描いたグレー・シュル・ロワン村(フランス)の光でやわらかく作品を包み込むことができました。こうした効果は写真だけでは十分に実感できないと思います。是非会場にいらして展示をご覧ください。

 

※なお、この展示照明は科研費25282078「中世から近代における日本絵画の受容環境の復元的考察」(代表:松嶋雅人)による助成を受けた研究成果であり、有機EL照明器具は株式会社カネカと株式会社キルトプランニングオフィスの協力によって製作・実現できたものです。

カテゴリ:絵画2016年度の特別展

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posted by 和田浩(環境保存室長) at 2016年04月04日 (月)