連日、特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」(~2019年6月2日(日))で多くのお客様でにぎわっている平成館。
その平成館1階の“一角”にある企画展示室にて、特集「親と子のギャラリー ツノのある動物」が開催中です(~2019年5月26日(日))。
この特集は、東京国立博物館(トーハク)、東京都恩賜上野動物園、国立科学博物館の3館園連携事業「上野の山で動物めぐり」の一環として企画したものです。
これまでのテーマは、ひとつの動物にターゲットをしぼったものでした(過去のテーマは、サル、キジ科の鳥、トラなどです)。
しかし、13回目となる今回のテーマは、趣向を変えて「ツノのある動物」です。
シカやウシ、サイなどの動物に生えている「ツノ」。
みなさんは、「ツノ」に対してどんなイメージをお持ちでしょうか。
かっこいい? 強そう? はたまた、怖い?
自分たちには生えていない「ツノ」に対して、ヒトはイメージをふくらまし、美術工芸品のモチーフとしたり、自分たちが使う道具の材料としたりしてきました。
約12万件あるトーハクの所蔵品のなかの「ツノ」にまつわる作品とともに、そうした「ツノ」とヒトの関係をご覧いただきます。
第1部「ツノを見比べよう!」では、「ツノ」のある動物であるシカ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、サイをモチーフにした作品を集めました。
見比べてみると、「ツノ」の形や大きさがさまざまであることがわかります。
「ツノ」のある動物を昔のヒトたちがどのように捉えて、表現したのかご覧ください。
「谷の覇者」 原本:エドウィン・ヘンリー・ランドシーア筆 19世紀 グラスゴー博物館寄贈
今回、ウェブサイトやリーフレットなどで大活躍のこのシカは、幾重にも枝分かれした太い立派な「ツノ」をもっています。
展示している作品は印刷ですが、その原本はスコットランドを代表する油彩画のひとつで、ウイスキーのラベルデザインにも採用されています。
第2部「ツノが○○に大変身!」では、ヒトの創造力と想像力をご覧いただきます。
ヒトは、「ツノ」のある動物に出会い、その生態を観察するなかで、「ツノ」にヒトがもっていない特別な力を感じとりました。
そして、その特別な力をヒトの生活に取り入れるため、動物の「ツノ」を加工した美術工芸品をつくり上げたり、ツノのある実在の動物や空想の動物を神聖なものとしたりするようになります。
動物の「ツノ」が、ヒトの創造力と想像力によってどのような姿に変身していったのか、ぜひ展示室でご確認ください。
蓮華葡萄彫犀角杯 中国 清時代・18世紀 広田松繁氏寄贈
1本のサイの「ツノ」から彫り出された、蓮の花とブドウと唐草。とても優美かつ繊細で、その技術に驚嘆します。
風神雷神図(模写) 原本不詳 鶴沢守保模写 明治時代・19世紀
紙面いっぱいに描かれている自然を操る風神と龍。ヒトの力ではどうすることもできない自然の脅威を、「ツノ」のある恐ろしい姿で表現しています。
今回は、展示デザインも見どころです。
トーハクに何度も足を運ばれている方は、会場に入ると、いつもの企画展示室と雰囲気が大きく違うと思われるのではないでしょうか。
展示室内の様子
解説文や展示室の中央にあるアーチなど、春らしいラズベリー色で統一しました。
作品を見ているときに、いつもと少し目線が違うかもしれません。
「親と子のギャラリー」として、小さなお子さんが作品を見やすいように、展示台の高さをわざと低めにしています。
また、解説はお子さんもわかりやすいように、できるだけ平易なことばを使い、漢字にはふりがなを振るように心がけました。
子どもが見やすい展示とはどのようなものか、考える良い機会でもありました。
今回の特集は、普段の総合文化展ではなかなか一緒に展示されることのない、さまざまな分野、素材、地域の作品たちが、「ツノ」というテーマのもと、同じ空間に集結する今までにない機会です。
なかには、あまりお客様の前には出ない作品もあります。
さまざまな「ツノ」を探しに、ぜひ会場にお越しください。
展示室入口
よく見ると、角角角角角角角角角角……とたくさんの「ツノ」が!
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posted by 阿部楓子(教育講座室) at 2019年04月26日 (金)
平常展調整室の三笠です。
現在、東洋館5室にて特集「白磁の誕生と展開」(~4月21日(日))を開催中です。
これに関連して、1月12日(土)に展示企画・出品のご協力をいただきました常盤山文庫の佐藤サアラ氏(当館客員研究員)をお招きして、月例講演会を行ないました。
まだ新年明けて間もなく、とても寒い日だったにもかかわらず、沢山のお客様にお運びいただき、盛況な会となりました。ありがとうございました。
佐藤サアラ氏講演風景
ここで、「白磁」についておさらいをしておきましょう。
白磁とは、胎土(化粧をする場合もある)に灰を主成分とする釉をかけて高火度で焼きあげてできる白いやきものです。
美しく清潔で、しかも堅牢な白磁は、いまや世界中でひろく使用される器。
それは中国で生まれ、中国から世界へ広まったものです。
では、その始まりはどのような姿だったのでしょうか?
この問題にとり組んだ本特集は、佐藤氏のご研究に基づいています。
画期的な成果は、“白磁の始まり”に位置づけられる隋~初唐の資料を中国古墓発掘報告に基づき整理した結果、たとえば横河コレクションの「白磁杯」(TG-646)のように、かつて「唐白磁」と考えられた一部の作品の制作年代がさかのぼるなど、短命王朝であった隋とそれに続く初唐までの100年余のあいだに現れた白磁の初期的様相が把握できるようになったことです。
白磁杯 隋・7世紀 東京国立博物館 横河民輔氏寄贈
この作品は陶磁研究家の小山冨士夫(1900~75)も愛した逸品。薄づくりで精緻な形に魅了されます。今回の研究で、この形式の杯が隋末のごく限られた時期の、ごく限られた地域でしか出土していないことがわかりました。
白磁天鶏壺 隋・6~7世紀 常盤山文庫
4世紀頃、江南において青磁でつくられていたいわゆる天鶏壺ですが、隋になって華北地方において白磁でつくられるようになります。不思議な形をしたこの器の用途は、いまのところよくわかっていません。釉の青みが強く、青磁とも見える作例です。つまり、灰を主成分とする釉がかかった高火度焼成の青磁の土や釉から不純物を取り除くと白磁ができる。白磁が青磁生産の流れのなかで始まったことを教えてくれます。
重要文化財 白磁鳳首瓶 初唐・7世紀 TG-645 横河民輔氏寄贈
同上 蓋を外した姿
トーハク中国陶磁コレクションの顔ともいうべき名品。ガラスを写したのか、金属器を写したのか、はっきりとした祖形は現在のところ見いだせていません。その形の特殊性をじっくりとご覧いただくために、今回はあえて蓋を外して展示しています。
なぜ、隋において白磁がつくられたのか、その具体的な生産動機はよくわかっていません。しかし、隋の貴人墓の副葬品をみると「白」を強く志向している様子がみとめられます。
隋・開皇15年(595)没 河南省安陽張盛墓出土品(2009年河南省博物院にて筆者撮影)
ご記憶の方も多いと思いますが、一部が2010年の特別展「誕生!中国文明」に出品されました。なかには釉のかかっていない土製のものもありますが、俑やミニチュアの明器など多くが白磁でした。
このような不思議な隋~初唐の白磁はその後どのように姿を変えていったのでしょうか。
そして、白磁はその後どのように中国から世界へ羽ばたいていったのでしょうか。
つづきは、東洋館5室「中国の陶磁」のコーナーも合わせて、展示室でぜひご覧ください!
もっと詳しく知りたいという方は、常盤山文庫発行の『常盤山文庫中国陶磁研究会 会報7 初期白磁』をオススメいたします(東洋館ミュージアムショップで販売中)。
これであなたも白磁の世界にどっぷり浸かることができます。
ところで。
先日、今夏に東博で開催予定の特別展「三国志」(2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝))の報道発表が行われました。
日本でも大人気の三国志。
登場人物のなかでも欠かすことのできない英傑、曹操(155~220)の墓が近年河南省安陽で発見され、その副葬品に含まれていた「世界最古?」の白磁罐がやってくる、と大きなニュースになったことは皆さまのご記憶にも新しいところではないでしょうか。
え?世界最古?
三国時代の白磁?
うそでしょー、
あの写真、白く見えないし。
と思った方もたくさんいらっしゃったはず。
我々トーハクのスタッフのあいだでも、当初疑問の声が上がりました。
2016年に刊行された発掘報告書でも白磁(白瓷)とされていたものですが、昨年末に河南省文物考古研究院において調査を実施し、灰を主成分とする釉をかけて高火度で焼きあげた白いやきもの、つまり白磁であることを確認しました。
2018年12月の調査風景(河南省文物考古研究院にて潘偉斌先生、陳彦堂先生、市元研究員と)
この罐が3世紀頃につくられたであろうことは、当時普及していた耳付罐との器形の類似性からうかがうことができ、青磁を生産する技術に基づいて突発的に白磁ができても不思議ではないのですが、「三国時代に白磁が始まった」という確証には至っていません。
曹操が白いやきものを愛し、つくらせたのか…? と想像は膨らみますが、そうした背景を決定づけるものが魏の貴人墓からまだ見つかっていないうえ、これに続く三国時代以降の白磁は6世紀まで確認されていないのです。
曹操墓出土品の白磁罐は、まだ多くの謎に包まれています。
今後、三国時代の古墓の発掘がさらに進み、関連資料の発見が望まれるところです。
というわけで、夏を楽しみに待ちながら、まずは東洋館で白磁の誕生と展開について一緒に予習いたしましょう!
カテゴリ:特集・特別公開、2019年度の特別展
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posted by 三笠景子(平常展調整室主任研究員) at 2019年02月26日 (火)
こんにちは。
本館特別1室・特別2室で開催中の特集「上杉家伝来の能面・能装束」はご覧いただけましたか?
担当しました川岸です。
トーハクのある職員に、どうして能面の解説には「表現が形式化している」「迫力がない」などネガティブなことを書くのか、と聞かれたことがあります。
確かに、欠点をさがしている意地悪な解説に思えるかもしれませんね。
でも、じつはこれがとっても大切なポイントなんです。
能面には古い能面の特徴を、傷なども含めて写し取るという「写し」の文化があります。
きっと大名たちが欲しがったのでしょう。有名な能面はたくさんの写しが作られ、各地に伝来しています。
ところが似せようとした結果なのか、写しを写したためか、あるいはそのほうが使いやすいためか、元の能面にはあった自然な表情、彫りの鋭さなどの独創性が失われてしまうことが少なくありません。
その結果、形式化したり、迫力がかけたりしてしまうのです。
能面の系譜や作られた経緯、時代、作者などを考えるには重要なことで、ネガティブな解説もただ悪口を言っているのではないのです。
ということを踏まえたうえで、今日は上杉家伝来の能面と、東京国立博物館所蔵のほかの能面を比べることで見えることについてご紹介したいと思います。
まずはこちらのふたつの能面をご覧ください。
能面 天神 「福来作」銘 上杉家伝来 江戸時代・18世紀 (特集「上杉家伝来の能面・能装束」で展示中)
能面 天神 「出目洞水」焼印 江戸時代・17世紀 (こちらは展示していません)
どちらも菅原道真役、神の役などに用いる天神面。
顔かたち、耳の表現… よく似ていると思いませんか?
上が上杉家伝来の面で、裏に室町時代の面打(能面作家)福来の作だと書かれています。しかしこの銘は後世のものと思われます。同じ筆跡の銘がある能面が上杉家にはいくつかあるので、おそらく上杉家の所蔵となった後に書き加えられたのでしょう。
一方、下の裏には江戸時代中期の面打「出目洞水」の焼印があります。
多くの天神を作る中で、省略したり強調したりすべき点を整理した「型」があって、それに基づいて作られたように見えます。
作者は同じか、近い人物なのかもしれません。
一方、こちらの天神面はどうでしょうか。
重要文化財 能面 大天神 金春家伝来 室町時代・15世紀 (こちらは展示していません)
金春家に伝来した大天神。室町時代15世紀の作
上杉家伝来の能面とは似ていませんね。
同じ天神の面でも異なる系統のものがあることがわかります。
頬の盛り上がり、眉間の皺など、今にも動き出しそうな、触ったら柔らかいかもしれないと思わせるような表現で、耳の彫り方もよりリアル。
「型」をもとに作ったのではなく、「型」ができる前の自由な造形に見えます。
この金春家伝来面と比べると、上杉家伝来面、洞水の焼印のある面は、室町時代の作とは言い難いのです。
こんな風に比べながら、考えながら、能面と向き合っています。
この特集でご覧いただいただけるのは能面だけではありません。
展示室でも目を引く豪華な金唐織は、4代藩主綱憲、8代藩主重定が誂えさせたのでしょう。
彼らはそれぞれに能に傾倒して財を投じ、それは藩の財政を悪化させる一因でもあったといいます。
困窮する米沢藩。その裏で藩主たちが収集し、大切に受け継いできた能面・能装束。
じっくり見てみると、比べてみるとわかることがまだまだあります。
ぜひ展示室で向き合ってみてください。皆さんにはどんな風に見えるでしょうか。
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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2019年02月16日 (土)
着物を着かえて 帯しめて
今日は私も 晴れ姿
春の弥生の このよき日
なにより嬉しい ひな祭り
都内は寒さ厳しい日々が続いておりますが、トーハクでは一足早く恒例の特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室、~2019年3月17日(日))が始まりました。
おひなさまやその御道具を眺める心地は、華やかで楽しいものですが、トーハクでお人形を担当する私としては、毎年展示に苦労する季節でもあります。
企画展示の陳列作業は、だいたい午前中に撤収があり、午後から新しい展示の陳列作業が行われます。
こまごました人形や御道具は、どれも一つ一つ丁寧に包んで収蔵庫に納められていますが、午後の1時から陳列をはじめて、休憩を入れつつ5時には空箱の返却も含め全ての作業が終了していなければなりません。
とても壊れやすい作品を安全に扱いつつ、時間内に終えることができるのか・・・。陳列に携わるスタッフ一同の大変な思いは、おひなさまを展示している全国の美術館・博物館において、担当者共通の思いでしょう。
さて、こうして出来上がった今年の展示は、江戸を代表する金物商であった三谷家(みたにけ)伝来の雛飾りを中心として、御所人形の名品も一堂に集めました。
三谷家の雛飾りの中心は、豪華な御殿に収められた雛人形。牙首雛(げくびびな)というもので、頭部をはじめ、手足など肌を表す部分を象牙で作っています。全国的にも類例が少ないなかで、特にその代表作と言える貴重なお人形です。
牙首雛(内裏雛) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
この牙首雛の表情は雛人形には珍しいほど個性的。特に仕丁(しちょう)という役目で庭を掃除しているお爺さんは、顔のシワや手の指の節だった様子などが、わずか身長10センチ程のなかで精緻に表現されており、驚異的とも言える出来映えです。
牙首雛(仕丁) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
お雛さまの御殿は、京都御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)に倣った造り。
正面の軒下には「紫震殿」の額が掲げられています(「震」の字を使ったのは天皇の住まいを指す「宸」の字に遠慮したからでしょうか)。
紫宸殿(雛用御殿) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
江戸時代、京都を中心に関西地方ではこうした紫宸殿に倣う雛御殿が飾られていましたが、江戸の地においては、飾ること自体遠慮されるものだったようです。
それというのも、高価な雛道具が競って作られた江戸後期、安永八年(1779年)に日本橋の十軒店(じっけんだな)に店を開いて以来、江戸一番の売れっ子職人だった初代・原舟月(はら しゅうげつ)は見せしめの意味もあったのか捕らえられ、江戸の地から追放されます。
その時の罪状の一つが紫宸殿に倣った御殿を作ったのが不敬にあたるというものでした。
本質的には関西の雛御殿に倣った飾りを江戸でも売り出したというだけの話で、全くの言い掛かりですが、その後江戸では紫宸殿型の雛御殿は見られないようになります。
しかし、三谷家の雛飾りにあっては、堂々と御殿に「紫震殿」と掲げられています。そこには三谷家の持った社会的力の強さが表れているのではないでしょうか。
展示室中央の独立ケースには、三谷家伝来の紫檀象牙細工蒔絵雛道具(したんぞうげざいくまきえひなどうぐ)を展示しています。高価な材料を駆使して緻密に造り上げた作品であり、トーハクの雛人形コレクションを代表する雛道具です。
紫檀象牙細工蒔絵雛道具 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
金物を表す部分は象牙で出来ているのですが、長持の四隅の部分など、丸みのある形に添うようピシッと収められており、さすがの出来映えと感心します。
今回は箪笥の扉を開いた状態で展示しましたので、中の引き出しに施された蒔絵にもご注目ください。そこには婚礼を象徴するは蝶々が舞い遊ぶという華やかさで、粋な遊び心を見ることができます。
また今回は、日本の人形文化を代表する作品として、御所人形(ごしょにんぎょう)を展示しました。
御所人形は京都の御所を中心として、公家(くげ)や大名家(だいみょうけ)などの間で好まれた人形です。宮中では、ご下賜(かし)をはじめとした贈答に用いられたため、お土産人形とも呼ばれています。まるまると肥えた男の幼児を表しており、胡粉(ごふん)を塗って作られた肌は白く艶やかに輝いています。
枕草子に「ちごどもなどは、肥えたるよし」とあるように、健康的に育つ赤ん坊の姿はめでたさに溢れています。こうした吉祥性を高めるため、御所人形にはさまざまな意味を持つ見立てが行われました。
その代表が能の見立てで、今回は「羽衣」に取材した天女の姿と思われる御所人形と、「鶴亀」の御所人形を展示しています。
どちらも高さが70センチ程もある超大型のお人形で、大名家の雛飾りなどでも、こうした人形が活躍しました。
御所人形 見立て鶴亀 江戸時代・19世紀
※この写真はトーハクにある九条館の床の間で撮影したものです。
「鶴亀」は、春を迎えた唐の宮廷で、皇帝の長寿を祈って鶴と亀が舞い踊り、これに感じ入った帝も踊りだすというお目出度い演目です。
見立て鶴亀の御所人形は、手足を動かしてポーズをとらせることが出来るので、今回の展示では、実際に踊っているような姿にしましたのでご注目ください。
日本は諸外国では全く例を見ないほど、人形制作を芸術に高める文化が発達しました。
本来子供の遊び相手である人形の制作に大変な手間隙をかけ、気品高く可愛さを表現してきた歴史は、今日国際的にも用いられる「カワイイ」という美的価値観の源流をなすものでしょう。
おひなさま巡りが盛んとなるこれからの季節、是非トーハクにも江戸時代の「カワイイ」に会いに来てください。
特集 おひなさまと日本の人形 本館 14室 2019年2月5日(火) ~ 2019年3月17日(日) |
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posted by 三田覚之(工芸室研究員) at 2019年02月13日 (水)
平成館で開催中の特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」は連日、国内外から多くのお客様にご鑑賞いただいており、たいへんな賑わいをみせております。
特別展の鑑賞前後に、あわせて足を運んでいただきたいのが、東京国立博物館東洋館8室(トーハク)と台東区立書道博物館(書博)で開催している連携企画「王羲之書法の残影-唐時代への道程-」です。
先日、書博の鍋島主任研究員が連携ブログ「その1」として、連携企画展の構成や見どころ、顔真卿展との関係をわかりやすくお伝えくださいました。
今回の「その2」では、数ある展示作品(展示件数:トーハク34件、書博67件・展示替えあり、計101件)のなかでも、主に法帖に残された南朝の書、石碑などにみられる北朝の書、そして肉筆の書から、オススメの作品やポイントをご紹介いたします。
![]() 東洋館8室の展示風景 |
![]() 台東区立書道博物館の展示風景 |
本展で展示している書の資料は、大きく肉筆と拓本に分けられます。
真跡とされる肉筆の書は、基本的に世の中に1点しか存在しません。一方、石碑・墓誌・摩崖(自然の岩肌に刻されたもの)などの石刻資料の拓本や、書の名品を石や木に刻して作られた版からとられた拓本(法帖)はいわばコピーで、原石・原版がある限り、複製は可能です。
古代の肉筆資料や古い時代にとられた拓本はたいへん希少で、書の鑑賞や学習においても珍重されています。
南朝の書のオススメ 万歳通天進帖
南朝では、後漢時代の建安9年(204)と西晋時代の咸寧4年(278)に発令された、いわゆる立碑の禁(石碑の建立の禁止)を踏襲したため、この時期の石碑の書はあまり残されていません。
一方、後世に制作された法帖には、王羲之・王献之(二王)らの書法を継承した南朝の貴族たちによる書簡などの書が残されています。
法帖をもとにしてまた新たな法帖が作られたことにより、その書は原本(肉筆)の字姿をどれほど忠実にとどめているか不確かな面があります。しかし、法帖は宋時代から清時代まで途絶えることなく制作され、書の鑑賞や学習の主なツールとして扱われてきました。それにより、二王や南朝の貴族たちの書も広範に普及して、その書のイメージが形成されたと見られます。
展示作品の中では、「万歳通天進帖」に所収される書がオススメです。
この「万歳通天進帖」は、唐の則天武后の治世、万歳通天2年(697)に、王羲之の子孫で当時宰相であった王綝が、二王をはじめとする家宝の王氏一族の書を、則天武后に献上したものです。
原本は残されていませんが、則天武后の命により宮中で制作された精巧な模本が遼寧省博物館に現存し、明時代に制作された華夏『真賞斎帖』や文徴明『停雲館帖』といった法帖にも収録されて、その様相を窺うことができます。
書博では、『真賞斎帖』中の「万歳通天進帖」から王羲之「姨母帖」と王献之「廿九日帖」を、トーハクでは『停雲館帖』中のそれから王僧虔「行書太子舎人帖」、王慈「草書栢酒帖」、王志「草書一日無申帖」を展示しています。
「万歳通天進帖」の確かな来歴や両法帖の「刻」の精細さからも、これらは原本の字姿をよく伝えるものと考えられ、是非ご覧いただきたい作品です。
右:廿九日帖 王献之筆 東晋時代・4世紀 台東区立書道博物館蔵(書博 全期間展示)
左:行書太子舎人帖 王僧虔筆 宋~斉時代・5世紀 東京国立博物館(東洋館8室 全期間展示)
北朝の書のオススメ 龍門二十品
北朝では立碑の禁の風習は薄れ、石碑など石刻資料が数多く残されます。
石刻資料にみられる銘文とその拓本の書には、刃物によって文字を彫った際の「刻」の味わいが、少なからず原本(肉筆)の書に加味されて表現されます。
彫刻された書の味わいとともに、原本の字姿を想像することも拓本を鑑賞する醍醐味の一つです。
北朝の石刻資料の書のなかでも、龍門造像記は「刻」の味わいが顕著で、鑑賞の醍醐味を楽しむことができます。
河南省洛陽から南へ14kmほどのところに位置する龍門石窟は、北魏から唐時代にかけて造営された石窟寺院です。1352か所もの洞窟には、10万にも及ぶ仏像が彫られ、そこに仏像を造った際の願文である造像記が数多く残されます。
2千件とも言われる北魏時代の龍門造像記のうち、書の優品20件を選定した「龍門二十品」はその代表格として知られます。
本展では、両館あわせて20件全てを展示し(トーハクで8件、書道博物館で12件)、龍門造像記の雄強な書の世界をご堪能いただけます。
右:楊大眼造像記(部分) 北魏時代・5~6世紀 東京国立博物館蔵(東洋館8室 全期間展示)
左:孫秋生造像記(部分) 北魏時代・景明3年(502) 台東区立書道博物館蔵(書博 全期間展示)
肉筆の書のオススメ 異なる趣の楷書の美
本展では、南北朝時代から唐時代までに書写された仏典などの典籍の写本(肉筆の書)をトーハクで4件、書道博物館で6件展示します。
肉筆の書と拓本の書を同日に比べることはできませんが、肉筆の書の良さは何と言っても、その一点一画に筆者の息づかいや感情の起伏までもが顕著に表れ、文字の造形には筆者の趣味嗜好や地域・時代ごとの特性が映し出され、それらを直に感じ取ることができる点にあります。
三国時代(220~280年)に萌芽した楷書は、晋を経て、南北の両朝で少なからず趣の違いを見せ、南北の統一を果たした隋時代(581~618年)に両朝の趣が融合したかのような整った美しい造形に至り、唐時代(618~907)には更に洗練された様式として完成します。
展示する肉筆の書には、その過程の一端を窺うことができます。
律蔵初分巻第十四 北魏時代・普泰2年(532) 台東区立書道博物館蔵(東洋館8室 全期間展示)
「律蔵初分巻第十四」は筆の鋒先を利かせて書写され、弾力性に富み、鋭く重厚な線が見られます。右上がり強く、構築的な字姿は、龍門造像記の書を彷彿させます。
僧伽吒経巻第二 隋時代・大業12年(616) 台東区立書道博物館蔵(東洋館8室 全期間展示)
「僧伽吒経巻第二」は、実に均整のとれた文字構えをしています。この字姿には、隋時代の楷書が至った造形美が見られます。
毎年恒例となりましたトーハクと書博の連携企画は、本展で16回目を数えます。
実は顔真卿展でも、書博から50点近くの貴重な作品をご出陳いただいており、あらためて世界屈指の書のコレクションだと感じました。
トーハクと台東区立書道博物館で、多彩な書の世界をご堪能いただけますと幸いです。
週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。トーハク、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しくみるための一助として、ぜひご活用ください。
関連展示
特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」2019年2月24日(日)まで
東京国立博物館平成館にて絶賛開催中!
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 六人部克典(登録室研究員) at 2019年02月09日 (土)