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1089ブログ

「手わざ」に込められた秘密と意味

 「手わざにはたくさんの秘密がある!」
沖縄県立博物館・美術館が取り組んだ模造復元事業の7年間はこの一言に尽きます。模造製作の前に、原資料の目視調査、科学的な調査、史料調査を行い、それをもとにスタートするのですが、常に壁が待ち受けており、試作の連続でした。分析の結果でわかった目からウロコの話もあれば、うまくいかなかったこともあります。

展示室の様子
 
木綿紺地花織(経糸や緯糸が浮いて模様をつくる織物)の赤い糸。これは、長いこと謎でした。これまでの模造では、蘇芳(琉球が海外から入手した色材)や他の色材で染めていましたが、今回、非破壊の色材分析で、何と!朱の顔料だと分かりました。現在、沖縄には顔料で糸染めする技法が継承されていないため、製作者も事務局もその事実に困惑しました。試作の結果をみて染色方法を判断することにしたものの不安だらけでした。
顔料を呉汁(ごじる)で溶いた染液に緫糸(かせいと)を投入すると赤い色が糸に吸い込まれていったと報告を受けたときガッツポーズしました。
 
木綿紺地緯絣に経浮花織衣裳(胴衣)(もめんこんじよこがすりにたてうきはなおりいしょう)
平成30年度(原資料:19世紀後半) 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:2月8日(火)~3月13日(日)
 
分析による組成で製作したにもかかわらず、原資料とは異なるものとなり、試作を繰り返したものもあります。
 
金工の金は原資料とは色味が若干異なります。監修委員、製作者と何度も調整しましたが、どこに秘密があるのか、わからず経年を待つことにしました。
 
聞得大君御殿雲龍黄金簪(きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざし)
平成28年度(原資料:16世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:2月22日(火)~3月13日(日)
 
陶芸は焼成して手わざの結果がわかる工芸です。模造復元が最も難しい工芸といえます。緑色を得るため実験を繰り返していた製作者が「後30年必要だ」と語るほど、手わざは秘密に満ち、最後は常に製作者に委ねた7年間でした。
 
緑釉四方燭台(りょくゆうしほうしょくだい)
令和元年度(原資料:18~19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:2月8日(火)~3月13日(日)
 
完成した作品の展覧会は、文化でも歴史でもなく、その目に見えない「手わざ」にスポットを当てようと考えたのは、そのような理由だったのです。
 
「手わざ」こそ、模造復元のベースであり、継承しつづけなければならないものです。

特別企画「手わざ -琉球王国の文化-」は3月13日(日)まで、平成館企画展示室で開催しています。

 

カテゴリ:特別企画

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posted by 與那嶺一子(沖縄県県立博物館・美術館主任学芸員) at 2022年02月21日 (月)

 

模造復元と技術継承

特別企画「手わざ -琉球王国の文化-」では、沖縄県立博物館・美術館が実施する琉球王国文化遺産集積・再興事業で製作した作品を展示しています。
この事業では、姿形だけではなく技術や道具・材料も含めた復元を目指し、8分野65件の資料を復元しました。それぞれに様々な苦労やドラマがありますが、今回は黒漆雲龍螺鈿東道盆についてご紹介します。


黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん) 
令和2年度(原資料:19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 
展示期間:1月15日(土)~2月20日(日)

東道盆は琉球漆器を代表する形の漆器です。直方体の器面に黒漆を塗り、ヤコウガイを用いた五爪(ごそう)の雲龍文様を表すタイプは中国皇帝などに献上されました。このタイプは、首里王府において漆器製作を所管した「貝摺奉行所」で製作されたと考えられています。

復元で加飾を担当したのは、前田貴子さん・春城さん夫婦、そして宇良英明さんです。現代の沖縄漆芸界を引っ張る皆さんですが、そこに沖縄県立芸術大学漆芸コースの1~3期生の3人が加わっています。
沖縄県立芸術大学の漆芸コースは平成24年4月に開設されたばかりのコースで、製作を行っている頃は3期生までの世代がやっと大学院を出たばかりの頃でした。
これまでの研究成果や科学分析をもとに製作が進むわけですが、科学的なデータがあるからと言ってすんなり作れるものではありません。

東道盆の場合、マイクロスコープで貝を観察したところ、「毛彫り」(貝に線を彫って文様を描く技法)の線がカーブで鋸歯状(きょしじょう)になっていることがわかりました。


黒漆雲龍螺鈿東道盆原資料の毛彫り部分拡大画像

現代の毛彫りでは様々な道具を使いますが、代表的なものにミシンなどの針があります。しかし針ではギザギザとした跡はつきません。
そこで製作者たちは、このような跡がつくであろう形を模索し、刀を何本も加工して試し彫りを行いました。


刀のテスト

ベテランの皆さんにとっても未知の領域でしたが、ともに試行錯誤した若手の皆さんには様々な技術が伝えられたのだろうと思います。これまでベテランの皆さんが培ってきた技術、そしてそれをもとに復元で取り戻された技術、それらの技術が次の世代に伝えられるきっかけになったのが、この東道盆なのです。


黒漆雲龍螺鈿東道盆復元作業の様子




模造復元の黒漆雲龍螺鈿東道盆は2月20日(日)まで展示しています。

カテゴリ:特別企画

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posted by 伊禮 拓郎(沖縄県立博物館・美術館学芸員) at 2022年02月04日 (金)

 

特別企画「手わざ -琉球王国の文化-」開催中

1月15日(土)より平成館1階の企画展示室にて、特別企画 沖縄県立博物館・美術館 琉球王国文化遺産集積・再興事業 巡回展 「手わざ -琉球王国の文化-」が開幕しました。

展示室の様子

沖縄県立博物館・美術館が平成27年度より行ってきた、琉球王国文化遺産集積・再興事業では、明治以降の近代化や先の戦争で失われた琉球王国の文化財とその製作技術の復元に努めてきました。
本展は、この事業で製作した選りすぐりの模造復元品をご紹介します。

模造復元とは、手本となるオリジナルの作品(原資料)について調査・研究を重ね、製作当時の姿を忠実に復元し、新たに製作することを指します。製作には、可能な限り製作当時と同じ材料と技術を使用しています。

この事業で完成した作品は、絵画、木彫、石彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線に至る8分野と多岐にわたります。本展では、各分野の作品を展示しています。


四季翎毛花卉図巻(しきれいもうかきずかん)
令和元年度(原資料:康煕51年(1712)) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
(注)会期中、巻替えあり


三御飾(美御前御揃)御酒器(金盃・銀製流台・托付銀鋺・八角銀鋺)(みつおかざり ぬーめーうすりー おんしゅき きんぱい ぎんせいながしだい たくつきぎんわん はっかくぎんわん) 
平成28~30年度(原資料:琉球王国時代(第二尚氏時代)) 
朱漆巴紋牡丹沈金透彫足付盆(しゅうるしともえもんぼたんちんきんすかしぼりあしつきぼん) 
令和2年度(原資料:16世紀) 
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示


玉陵勾欄羽目(たまうどぅんこうらんはめ) 
令和元年度(原資料:16世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:2022年1月15日(土)~2月6日(日)


蛇皮線(じゃびせん) 
令和2年度(原資料:19世紀後半) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示

一部の資料は原資料も展示しており、比較しながらご覧いただけます。


(右)模造復元 擬宝珠形丁子風炉(ぎぼしがたちょうじぶろ) 平成30年度
(左)原資料 擬宝珠形丁子風炉 琉球王国時代・19世紀
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:1月15日(土)~2月20日(日)

製作工程をパネルにて詳しく解説しています。


黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん) 
令和2年度(原資料:19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)

製作に使用する材料や道具などの資料もあわせて展示しています。


(右)御玉貫(うたまぬち) 平成30年度(原資料:16~19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
(左)御玉貫の製作道具と材料 (公財) 美術院蔵 通期展示


白地流水菖蒲蝶燕文様紅型苧麻衣裳(しろじりゅうすいしょうぶちょうつばめもんようびんがたちょまいしょう) 令和元年度(原資料:18~19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 
展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)


(右)白地流水菖蒲蝶文様紅型型紙(しろじりゅうすいしょうぶちょうもんようびんがたかたがみ) 平成28年度(原資料:18~19世紀) 展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)
(左)紅型の製作道具と材料 通期展示
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵



復元事業に携わった専門家、技術者は県内外100人以上にものぼります。 
琉球王国の文化を守り伝えてきた人々の努力に、思いを馳せてご覧ください。


今後も本ブログで展覧会についてご紹介していきます。
どうぞお楽しみに。

カテゴリ:特別企画

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posted by 長谷川悠(広報室) at 2022年01月24日 (月)

 

ワシントンハイツと1964年東京オリンピック

現在公開中の話題の映画「イン・ザ・ハイツ」は、ニューヨークにあるドミニカ移民を中心とする居住地区「ワシントンハイツ」が舞台となっています。
今回はかつて東京にあった「ワシントンハイツ」と1964年東京オリンピックの関係について、特別企画「スポーツ NIPPON」の展示作品よりご紹介します。



ワシントンハイツ(Washington Heights)は、第二次世界大戦後、アメリカ軍が代々木に有していた、兵舎と家族用住居などからなる軍用地です。1946(昭和21)年に建設され、1964(昭和39)年に日本へ返還されました。同地は現在、代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどを含む広大な敷地です。

「1964年東京大会 代々木選手村模型」は、ワシントンハイツ返還後、オリンピック選手村として既存の木造住宅や鉄筋コンクリートのアパートを修築して、選手、役員の宿舎とした際に制作されたものです。スケールは1/2000、丹青社の制作で、緑豊かな代々木の姿が再現されています。
この模型ですが、表面は漆塗りに金箔を散らした豪華な装丁で、持ち運びを意識して、蓋付きのトランク型につくられています。つまり、1964年東京大会の招致に際して、選手村の概要を海外向けに宣伝するために制作されたものなのです。


1964年東京大会 代々木選手村模型
昭和37年(1962) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵



蓋の裏面には、「YOYOGI OLYMPIC VILLAGE」として、英語で紹介文が記されています。メインスタジアムである国立競技場に近く、924,000㎡の敷地を有し、男子選手6,500名、女子選手500名、役員600名が収容可能で、大食堂や映画館、教会が完備されていることなどが記載されています。また、木造住宅、アパートと内部の様子が写真で紹介されています。



ちなみに、模型の右上には、最近、国の重要文化財(建造物)の指定を受けた、丹下健三設計の代々木競技場の姿も見えます。1964年東京大会では、第一体育館は水泳、第二体育館はバスケットボールの会場として使用されました。



1964年の東京オリンピック招致の資料、「1964年東京大会 招致用アルバム『東京』」は競技施設などを写真で紹介しています。
また、「『第18回オリンピック競技大会開催都市に対する質問への回答書』および附図」は、国際オリンピック委員会(IOC)からの質問に対して、大会の準備状況や運営体制などについて説明しています。
附図には、国立競技場とはじめとする神宮外苑地区、代々木選手村、駒沢公園など、オリンピック関係施設の整備状況がカラーの図で示されています。


1964年東京大会 招致用アルバム「東京」
昭和34年(1959)秩父宮記念スポーツ博物館蔵


『第18回オリンピック競技大会開催希望都市に対する質問への回答書』および附図
昭和33年(1958) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵







今回ご紹介した模型をはじめ、1964年東京大会に際して整備されたこれらの施設は、永く人々の記憶に残る大会のレガシー(遺産)といえるでしょう。

 

東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

 

カテゴリ:特別企画

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posted by 青木祐一(秩父宮記念スポーツ博物館アーキビスト) at 2021年08月31日 (火)

 

イスラーム王朝が奨励した学問

イスラーム王朝が、世界史の中で果たした役割とは何でしょう?
答えの一つは、古代の学問を継承し発展させたことです。

私たちが普段使っている数字はアラビア数字で、科学や数学に関する言葉に、アラビア語起源の単語が含まれていることが知られています。
アルカリ、アルコール、ケミストリー、ガーゼ、ゼロ、アルゴリズム、アベレージ・・・などなど。
子供のころに読んだ星座図鑑では、星座がギリシャ神話とともに紹介されていましたが、実は、一般的な星の名前の大半はギリシャ語ではなく、アラビア語に由来するのだそうです。
例えば、今夜晴れていれば見える夏の大三角を作る1等星、ベガ、アルタイル、デネブはアラビア語です。

このような事例は、中世のイスラーム王朝が奨励した学問、特に天文学や数学、医学などが、
現代社会を形づくる科学文明の基層となった歴史を物語っています。

↑というような、文明史的な浪漫?もお楽しみいただきたく、本展を企画するにあたって、中世イスラームの学問に関する資料も出品していただいています!!

*以下、作品はすべてマレーシア・イスラーム美術館蔵

天文学に関する資料2点と、
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
*天体観測儀については本記事の後半で詳しくふれます。

医学に関する資料2点です。
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)

今回は、イスラーム天文学について少し掘り下げましょう。
人類は大昔から、生活上の必要性から、天体に関する実用的な知識を備えていたと考えられますが、文明の発達とともに、高度な占星術/天文学になっていきました。
前5世紀のバビロニア(今のイラク)では、太陽の軌道を示す「黄道十二宮」が考案され、
前3世紀以降には、計算によって月食を予測するまでになりました。
西アジアの天文学はギリシャ世界に受け継がれ、当時の学問の中心地であったエジプトのアレキサンドリアで発展していきます。
アレキサンドリアで活躍した学者の1人、プトレマイオスが記した天文書『アルマゲスト』は、 古代ギリシャ天文学の到達点と位置づけられています。

ところが、古代ギリシャの高度な学問は、5世紀以降、すっかり廃れてしまいました。
西ローマ帝国が滅亡し、東ローマ帝国でも国教となったキリスト教が重視されたためです。
そして、存続の危機にあった古代の英知を積極的に吸収し、学問として発展させたのが各地のイスラーム王朝だったのです。
特に、アッバース朝による9世紀の翻訳事業がよく知られています。
首都バグダードでは、あまたのギリシャ語文献がアラビア語に翻訳され、様々な分野の学者が古代の学問を洗練させていきました。
ペルシャ人の占星術師アブー・マーシャルもその一人で、プトレマイオスの『アルマゲスト』を翻訳しました。
アラビア語の写本として残された『アルマゲスト』は天文学の基本書であり続け、16世紀に登場するコペルニクスの地動説の基礎資料にもなっています。

展示中の写本には、アブー・マーシャルによる天体観測儀に関する論考を要約した記事が収録されており、その部分を「天文学書」として紹介しています。
解剖学用人形(No. 100)

他のページをめくってみると、秤の平衡や三角法を解説している(ペルシャ語が読めない筆者にはそのように見える)記事もあり、実用的な科学的知識をまとめた便利な写本であったようです。

 

さて、天体観測儀は「アストロラーベ」とも呼ばれ、古代ギリシャで考案され、イスラーム世界で改良が重ねられた機械です。
イベリア半島では航海用に改良したアストロラーベも作られ、大航海時代の船乗りたちが手にしました。
表面
表面
裏面
裏面

アストロラーベはいくつもの部品を組み合わせて使う複雑な構造。
まず、外周に沿って360度の目盛が刻まれた円盤が本体です。
その上に、ある緯度における地平座標、方角、天頂、天の赤道などを示す線が刻まれたプレートを重ねます。
このプレートは、観測する場所に適したものに交換して使いました。
次に、リートと呼ばれる透かし彫りのような部品が取りつきます。
リートには、黄道(太陽の軌道)を示す円があり、その周囲に配される唐草文様の先端の鉤のような部分が、それぞれ特定の星の位置を示します。
手前には、アリダードと呼ばれる、時計の針のような目盛つきの部品が取りつけられています。
このアリダードの両側に、天体などを視準するための小さな穴があります。
背面も重要でした。
外周に沿って角度の目盛が刻まれ、その内側には、太陽高度を示す曲線、三角法の計算に使う方眼、影の長さから物体の高さ算出するシャドウスクエアなど、便利な目盛がたくさん刻まれています。

アストロラーベの主な用途は、
・天体の高度を図る、それによって緯度を算出する
・時刻を算出する
・地上の目標物の高さを三角測量で測る
・特定の日時における天体の位置を求める
などなど。
日常生活でも、砂漠でも、洋上でも、使い方次第で、様々な目的に応えてくれる実用的な機械でした。

写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員
写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員

分厚い真鍮でできているアストロラーベ。このように手にしてみると、ずっしりした重量です。
上部の輪を指などに吊るして使うので、多少の風があっても、本体の重量によって、垂直な状態を維持できました。

アストロラーベがイスラーム世界で発展した背景には、イスラーム特有のライフスタイルがありました。
例えば、イスラーム教徒は1日5回、礼拝します。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。

礼拝の時間になると、モスクから礼拝を呼びかけるアッザーンが聞こえてきますが、付近にモスクがない旅先ではどうでしょう?
そうです、アストロラーベがあれば、礼拝の時間も、マッカ(メッカ)の方向も知ることができます。

ラマダーン月のエジプトのカイロ市内

この写真はラマダーン月のエジプトのカイロ市内で撮った写真です。
ラマダーン中は、イスラーム教徒は特殊な事情がない限り、日中の飲食を控えます。
人々はテーブルに並ぶ夕食を前にしながら、今か今かと日没を知らせる空砲の合図を待っています。
このように、日の出や日没の時刻を知ることも、イスラーム世界での生活に必要だったと考えられます。
アストロラーベは、今でいうGPS付腕時計のようなもので、イスラーム世界で重宝したアイテムだったのです。

専門的な占星術から日常生活まで、様々な場面で用いられたアストロラーベ。
そこには、イスラーム王朝が古代ギリシャから受け継いだ天文学が凝縮されています。
天文学は天体の動きと位置を計算する高度な幾何学、数学とセットでもありました。
イスラーム王朝が奨励したこのような学問は、時を経て、私たちがその恩恵を享受している現在の科学文明へとつながっているのです。

 

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」

東洋館 12室・13室
2021年7月6日(火)~2022年2月20日(日)

展覧会詳細情報

「イスラーム王朝とムスリムの世界」バナー

カテゴリ:特別企画

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posted by 小野塚拓造(平常展調整室) at 2021年08月30日 (月)