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自身の経験をもとに開発、金栗四三の「マラソン足袋」

 特別企画「スポーツ NIPPON」は、第1章「美術工芸にみる日本スポーツの源流」と第2章「近現代の日本スポーツとオリンピック」の2章構成となっています。今回は、第2章の「マラソン足袋」を通して、スポーツ用具の開発についてご紹介します。

マラソン足袋 明治~大正時代・20世紀 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 
 
日本が初めて出場したオリンピック大会は、1912年ストックホルム大会です。出場選手は2名、マラソンに金栗四三(かなくりしそう)、短距離に三島弥彦(みしまやひこ)。ここから、日本のオリンピック参加の歴史が始まりました。長距離選手の先駆者として知られるのは金栗四三です。彼はストックホルム大会に足袋を履いてマラソンに臨みました。
 
(1)金栗がオリンピックに出場した時と同モデルの足袋
 
(1)は金栗が最初に用いたものと同じ形状のものです。足底は布製で、足首が長くて、日本の「直足袋(じかたび)」そのものです。日本の地面を走るのにはこれで十分でした。しかし、ストックホルムのマラソンコースは石畳があり、底が布製の足袋では、滑って大変だったようです。また、石畳の硬さは直接足に伝わります。さらに、足首全体を「こはぜ」と呼ばれる薄い金具で固定する足袋では、足首をうまく使うことができませでした。
 
(2)足首が短くなった足袋
 
(2)は足首を自由に動かすために、足首部分を短くしたモデルです。これは「金栗タビ」という名で販売され、金栗に限らず、当時のマラソン選手も使用したようです。
 

(3)ゴム底になった足袋
 
(3)は足底の布をゴム製にし、さらにクッション性をもたせたモデルです。ゴム底は滑らないように、溝が彫られています。金栗の経験をもとに、確実に改良されていることがわかります。
 
(4)ひも靴のような足袋
 
(4)は最終形ともいえるマラソン足袋です。「こはぜ」を足首の掛ひもに引っ掛ける留め方をやめて、足の甲で紐を縛るようになっています。足によりしっかりと密着するようになり、ほとんど靴のような形に進化したといえるでしょう。
 
金栗は、1912年ストックホルム大会後、1920年アントワープ大会、1924年パリ大会と、合わせて3つのオリンピック大会に出場しました。金栗は選手として語られるのがほとんどですが、彼は同時に用具の改良にも努めました。彼のスポーツ人生には、足袋を制作した「ハリマヤ」運動具店の店主とともに足袋の改良を続けた、共同開発者の顔もあったのです。
 
東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

カテゴリ:特別企画

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posted by 新名佐知子(秩父宮記念スポーツ博物館学芸員)  at 2021年07月29日 (木)