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イスラーム王朝が奨励した学問

イスラーム王朝が、世界史の中で果たした役割とは何でしょう?
答えの一つは、古代の学問を継承し発展させたことです。

私たちが普段使っている数字はアラビア数字で、科学や数学に関する言葉に、アラビア語起源の単語が含まれていることが知られています。
アルカリ、アルコール、ケミストリー、ガーゼ、ゼロ、アルゴリズム、アベレージ・・・などなど。
子供のころに読んだ星座図鑑では、星座がギリシャ神話とともに紹介されていましたが、実は、一般的な星の名前の大半はギリシャ語ではなく、アラビア語に由来するのだそうです。
例えば、今夜晴れていれば見える夏の大三角を作る1等星、ベガ、アルタイル、デネブはアラビア語です。

このような事例は、中世のイスラーム王朝が奨励した学問、特に天文学や数学、医学などが、
現代社会を形づくる科学文明の基層となった歴史を物語っています。

↑というような、文明史的な浪漫?もお楽しみいただきたく、本展を企画するにあたって、中世イスラームの学問に関する資料も出品していただいています!!

*以下、作品はすべてマレーシア・イスラーム美術館蔵

天文学に関する資料2点と、
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
*天体観測儀については本記事の後半で詳しくふれます。

医学に関する資料2点です。
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)

今回は、イスラーム天文学について少し掘り下げましょう。
人類は大昔から、生活上の必要性から、天体に関する実用的な知識を備えていたと考えられますが、文明の発達とともに、高度な占星術/天文学になっていきました。
前5世紀のバビロニア(今のイラク)では、太陽の軌道を示す「黄道十二宮」が考案され、
前3世紀以降には、計算によって月食を予測するまでになりました。
西アジアの天文学はギリシャ世界に受け継がれ、当時の学問の中心地であったエジプトのアレキサンドリアで発展していきます。
アレキサンドリアで活躍した学者の1人、プトレマイオスが記した天文書『アルマゲスト』は、 古代ギリシャ天文学の到達点と位置づけられています。

ところが、古代ギリシャの高度な学問は、5世紀以降、すっかり廃れてしまいました。
西ローマ帝国が滅亡し、東ローマ帝国でも国教となったキリスト教が重視されたためです。
そして、存続の危機にあった古代の英知を積極的に吸収し、学問として発展させたのが各地のイスラーム王朝だったのです。
特に、アッバース朝による9世紀の翻訳事業がよく知られています。
首都バグダードでは、あまたのギリシャ語文献がアラビア語に翻訳され、様々な分野の学者が古代の学問を洗練させていきました。
ペルシャ人の占星術師アブー・マーシャルもその一人で、プトレマイオスの『アルマゲスト』を翻訳しました。
アラビア語の写本として残された『アルマゲスト』は天文学の基本書であり続け、16世紀に登場するコペルニクスの地動説の基礎資料にもなっています。

展示中の写本には、アブー・マーシャルによる天体観測儀に関する論考を要約した記事が収録されており、その部分を「天文学書」として紹介しています。
解剖学用人形(No. 100)

他のページをめくってみると、秤の平衡や三角法を解説している(ペルシャ語が読めない筆者にはそのように見える)記事もあり、実用的な科学的知識をまとめた便利な写本であったようです。

 

さて、天体観測儀は「アストロラーベ」とも呼ばれ、古代ギリシャで考案され、イスラーム世界で改良が重ねられた機械です。
イベリア半島では航海用に改良したアストロラーベも作られ、大航海時代の船乗りたちが手にしました。
表面
表面
裏面
裏面

アストロラーベはいくつもの部品を組み合わせて使う複雑な構造。
まず、外周に沿って360度の目盛が刻まれた円盤が本体です。
その上に、ある緯度における地平座標、方角、天頂、天の赤道などを示す線が刻まれたプレートを重ねます。
このプレートは、観測する場所に適したものに交換して使いました。
次に、リートと呼ばれる透かし彫りのような部品が取りつきます。
リートには、黄道(太陽の軌道)を示す円があり、その周囲に配される唐草文様の先端の鉤のような部分が、それぞれ特定の星の位置を示します。
手前には、アリダードと呼ばれる、時計の針のような目盛つきの部品が取りつけられています。
このアリダードの両側に、天体などを視準するための小さな穴があります。
背面も重要でした。
外周に沿って角度の目盛が刻まれ、その内側には、太陽高度を示す曲線、三角法の計算に使う方眼、影の長さから物体の高さ算出するシャドウスクエアなど、便利な目盛がたくさん刻まれています。

アストロラーベの主な用途は、
・天体の高度を図る、それによって緯度を算出する
・時刻を算出する
・地上の目標物の高さを三角測量で測る
・特定の日時における天体の位置を求める
などなど。
日常生活でも、砂漠でも、洋上でも、使い方次第で、様々な目的に応えてくれる実用的な機械でした。

写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員
写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員

分厚い真鍮でできているアストロラーベ。このように手にしてみると、ずっしりした重量です。
上部の輪を指などに吊るして使うので、多少の風があっても、本体の重量によって、垂直な状態を維持できました。

アストロラーベがイスラーム世界で発展した背景には、イスラーム特有のライフスタイルがありました。
例えば、イスラーム教徒は1日5回、礼拝します。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。

礼拝の時間になると、モスクから礼拝を呼びかけるアッザーンが聞こえてきますが、付近にモスクがない旅先ではどうでしょう?
そうです、アストロラーベがあれば、礼拝の時間も、マッカ(メッカ)の方向も知ることができます。

ラマダーン月のエジプトのカイロ市内

この写真はラマダーン月のエジプトのカイロ市内で撮った写真です。
ラマダーン中は、イスラーム教徒は特殊な事情がない限り、日中の飲食を控えます。
人々はテーブルに並ぶ夕食を前にしながら、今か今かと日没を知らせる空砲の合図を待っています。
このように、日の出や日没の時刻を知ることも、イスラーム世界での生活に必要だったと考えられます。
アストロラーベは、今でいうGPS付腕時計のようなもので、イスラーム世界で重宝したアイテムだったのです。

専門的な占星術から日常生活まで、様々な場面で用いられたアストロラーベ。
そこには、イスラーム王朝が古代ギリシャから受け継いだ天文学が凝縮されています。
天文学は天体の動きと位置を計算する高度な幾何学、数学とセットでもありました。
イスラーム王朝が奨励したこのような学問は、時を経て、私たちがその恩恵を享受している現在の科学文明へとつながっているのです。

 

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」

東洋館 12室・13室
2021年7月6日(火)~2022年2月20日(日)

展覧会詳細情報

「イスラーム王朝とムスリムの世界」バナー

カテゴリ:「イスラーム王朝とムスリムの世界」

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posted by 小野塚拓造(平常展調整室) at 2021年08月30日 (月)