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「聖徳太子及び天台高僧像」勢ぞろい!!

現在開催中の伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」、本展覧会の見どころの一つが、「聖徳太子及び天台高僧像」(一乗寺蔵)全10幅が勢ぞろいすることです!!
 
国宝 聖徳太子及び天台高僧像(一部複製)
平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵
※展示期間は各幅ごとに異なります。展示期間は作品リストでご確認ください(PDFが開きます)
 
第1会場・第1室に展示されるこの作品は、天台の教えを築き、受け継いだお坊さんたちが描かれています。
制作されたのはおよそ千年前、平安時代・11世紀です。
11世紀に制作された現存する仏画は数える程しかありません。
ですから、本作品に描かれた最澄像は、現存最古の最澄の肖像画です(図1)。


図1
国宝 聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 最澄
平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵 画像提供:東京文化財研究所
展示期間=11月7日(日)まで

本展覧会の主役である最澄は、平安時代前半に活躍したお坊さんで、比叡山に延暦寺を創建し天台宗を打ち立てました。
最澄さん、かなりのイケメンであったことが、「慈覚大師伝」(じかくだいしでん)という記録から知ることができます(図2)。

図2
重要文化財 慈覚大師伝(巻首部分)
平安時代・12世紀 京都・三千院蔵
 
「顔の色は素白にして、長け6、7尺」とあって(図2青枠箇所)、色白で背が180㎝程あったみたいです。
肖像を見ると確かにお顔は白いですね。
 
この作品、最澄のほかに9人の僧侶と聖徳太子がセットになっています。
最澄のお姿とよく似ているのが智顗(ちぎ)というお坊さんです(図3)。

図3
国宝 聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 智顗
平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵 画像提供:東京文化財研究所
展示期間=11月2日(火)~11月21日(日)

天台大師(てんだいだいし)とも呼ばれるのですが、文字通り、中国で天台の教えを築いた、まさに天台宗の生みの親です。
お顔の部分をよく見ると、描き直した痕跡のような丸い形が見られます(図4)。

図4
国宝 聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 智顗(部分)
平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵 画像提供:東京文化財研究所

天台の教えは智顗から最澄へと受け継がれていることを示すために、いつの時代にか、両者が兄弟のように似た姿となるよう描き直したのかもしれません。

ちなみに、天台のお坊さんではない聖徳太子が入っているのは、平安時代、太子が智顗の師匠である慧思(えし)の生まれ変わりであると信じられていたためです。
篤く仏教を信仰し、『法華経』を大切にしていたことから、最澄自身も聖徳太子を敬っていました。

この作品、描かれたお坊さんたちのファッションも注目です。
暖色系の色味を使った、様々な文様を見ることができます。
慧思の靴の模様や、智顗の靴の中敷きの模様は愛らしくおススメです。
 
作品の保存上、展示期間を限っていますが、11月2日(火)~7日(日)の6日間は全10幅が同時に公開されます。
天台の教えの壮大な連なりを感じることができます。


※会期は11月21日(日)まで。会期中、一部作品の展示替えを行います。
また、本展は事前予約制を導入しています。
展示作品やチケットの詳細については、展覧会公式サイトをご確認ください。   
 

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2021年度の特別展

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posted by 古川攝一(平常展調整室) at 2021年10月29日 (金)

 

ギュウギュウな展示を解説しちゃウシ

こんにちは。研究員の高橋です。
特集「博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり」も、残すところあと数日。
展示はモーご覧になりましたでしょうか?


牛水滴 渡辺近江大掾正次作 江戸時代・17世紀

じつはこの特集、いたるところにさまざまな小ネタが仕込まれています。
例えば、次の章立てタイトルをよく見てみてください。何か気づきませんか?

第1章 牛にまつわる信仰史
第2章 牛と共同した暮らし
第3章 牛車と王朝の様式美
第4章 描写された牛の姿形

すべて平仮名にしてみるとわかりやすいかもしれませんね。
そう。よく見ると、4つの章立てタイトルすべてに、【ウシ】という言葉がまぎれ込んでいるのです。

信仰史【しんこウシ
共同し【きょうどウシ
様式美【よウシきび】
描写【びょウシゃ】

こんなかんじで、遊び心をふんだんにちりばめた展示ですが、出陳されている作品数もかなりのもの。
広くはない展示スペースに、60件もの牛にちなんだ作品たちが、ひしめきあっています。
(ちなみに「ひしめく」は「犇く」と書きます。牛×3!)


「第4章:描写された牛の姿形」展示風景

とくに、第4章の展示ケースはまさにギュウギュウ。ちょっとですね(笑)
なんと、本来はここに展示予定であった、第4章のメインの作品も並べるのが難しくなってしまいました。
そこで、ちょうど表具の「片輪車」が共通することから、お隣の牛車コーナー(第3章)に移したのでした。


重要文化財 駿牛図断簡 鎌倉時代・13世紀

そのメインの作品というのが、こちらの「駿牛図断簡」(すんぎゅうずだんかん)です。
牛車を引く優れた牛を描いた作品で、元は絵巻だったものが切り取られ、掛軸に表装されています。
後ろを振り返る美しい牛の姿から、名付けたニックネームは「見返り美牛図」!

絶妙な墨の濃淡によって牛の立体感を見事に表し、筆線を引き重ねた細部描写もたいへん緻密です。
数ある牛の絵のなかでも、その優美さはピカイチといってもよいのではないでしょうか。


駿牛図断簡 拡大図

さて、今回の特集は、すべてトーハクのコレクション(収蔵品)で構成されています。
トーハクには膨大な数の収蔵品がありますが、ふだん展示で使用されるのは、じつはそのほんの一部です。
そのなかで、今回のような「テーマ展示」は、収蔵品の新たな活用という面で、有効な切り口となります。

例えば「牛」というテーマであれば、ふだんの名品展とは違う角度から、作品に光を当てることができます。
とくに本展では、これまで一度も展示されていない作品や、出陳履歴の少ない作品を積極的に発掘しました。
そして発掘した作品はなるべく多く出したい!と思った結果、このようなギュウギュウ展示となったのです。


今回が初出陳となる屏風作品
右:四季耕作図屛風(模本) 江戸時代・19世紀 原本:伝狩野元信筆 室町時代・16世紀
左:四季耕作図屛風 江戸時代・17世紀

作品との思いがけない出会いにより、改めてトーハクと縁を結んでほしい、という想いを込めたこの特集。
「密」に対して過敏な昨今ですが、ケース内に密集した牛たちは、じつにほのぼのとした表情をしています。

人の営みを傍らで支え続けてくれた牛のように、本展をはじめとするトーハクのさまざまな試みが、今後の新たな日常を支える、ささやかなきっかけになれば幸いです。

 

博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり

本館 特別1室・特別2室
2021年1月2日(土)~2021年1月31日(日)
ウシにひかれてトーハクまいりのイメージ画像

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 高橋真作(文化財活用センター) at 2021年01月22日 (金)

 

その憧れは、美味しさでなく

こんにちは、日本工芸を担当する福島といいます。

近所のパン屋さんで、干支の関連商品として牛のパイが売られていました。

ミートパイがおいしい店なので期待して食べたら、牛の形をしているだけで肉が入っていなかった。
残念ではありますが、これは干支の縁起物にもかかわらず、あさましくもその肉が入っていることを期待した私の方に非があったのかも知れません。年賀状にかわいい牛の姿を描きつつ、「さあ、こいつの肉を食うか」という気分にはならないでしょう。
やはり干支の肉というのは、何となく禁忌に触れる感覚なのだろうか…。そんなことを思い悩む今年の正月でしたが、スーパーでは「丑年!お肉を食べよう!」みたいなコーナーができていて、どうもそんなに単純な話ではないようです。

何の話かというと、前回に引き続き特集「博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり」に関して、牛に対する視点のお話。

多くの現代人にとって、「ウシ」という言葉を聞いた時に思い浮かべるのは牛丼や焼き肉ではないかと思いますが(違いますか? 私はそうですが)、前近代から続く牛の霊力への信仰を完全に捨ててしまったわけではありません。スキヤキの名店で舌鼓を打ったあと、神社で撫牛像を撫でて病気平癒を願うなんてコースは観光の定番だったりします。牛は人にとって身近であるだけに、神様のような存在だったり、逆に神に捧げる犠牲だったり、あるいは労働力だったり、都合よくさまざまな役割を与えられてきました。

なかでもちょっと特殊な立場にあったのが、平安時代の牛です。というのは、ただの労働力ではなく、牛の姿形が人々の品評対象となり、その良し悪しが所有者の社会的身分を示す指標にもなったからです。その理由として挙げられるのが、貴族の乗り物「牛車」の流行でした。


平治物語絵巻(模本)院中焼討ノ巻(部分) 狩野栄信・中山養福模
江戸時代・19世紀 原本=鎌倉時代・13世紀

「平治物語絵巻」では、平治の乱発端の場面で、馳せ参じた牛車の行き交うなかに、ひときわ目立つ白い車体が見られます。これは檳榔樹の葉から糸を作り、白く晒したもので屋形(牛車の人が乗る部分)の全体を葺いた「檳榔毛車(びろうげのくるま)」です。上皇や親王、摂関など一部の人々にしか乗用が許されないため、まさに憧れの高級車でした。そんな貴紳を乗せた車を引くのですから、動力である牛も普通であってはいけません。ここでは上等な牛とされた黄褐色の「黄牛(あめうじ)」が引いているところもポイントです。


国宝 片輪車蒔絵螺鈿手箱 平安時代・12世紀

さて、牛車の文化があったからこそ生まれた意匠に「片輪車」があります。
平安時代に描かれた料紙装飾や経巻見返絵などの中には、牛車の車輪だけが地面に横たわっていたり、水流に半ば浸かっていたりする図像が見られます。これが後に「片輪車」と呼ばれる意匠の原型で、いずれも車輪の半分ほどが見えている状態にあり、楕円に歪んで描かれるのが約束事です。水流に浸かっているものについては、木製の車輪が干割れしないように水に漬けておくという習慣に伴う日常的な景観と説明されますが、水流が描かれない図像の場合はその説明が成り立ちません。

これに関しては実際の景観を表したというよりも、車輪を「わ」の音として読む「字音絵」として解釈したり、釈尊の説法を意味する転法輪と見たり、浄土の宝池に咲く蓮華の寓意と捉えたりする考え方があります。
ある図像というものは、見る側の文化的背景によって全く意味が違ってくるものです。

たとえば、ちょっと前までは市松模様を見ても何の関心も持たなかったのに、今では某炭焼きの少年を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。一様の解釈を当てはめるのではなく、成立時期や受容層により「片輪車」の意味するところも変わってくると考えた方が良いでしょう。


陣羽織 淡黄羅紗地片輪車模様 江戸時代・18世紀

中世以降、多額の維持費がかかる牛車の文化は次第に廃れてしまいます。それだけに牛車は失われた王朝文化の象徴として、憧れとともに記憶の中へ留まり続けることになります。
「片輪車」も形式化し、仏教的な寓意はすでに失われ、文様としては一種の吉祥モチーフとして扱われるようになっていきました。

ではただの「おめでたい文様」になってしまったのかというと、そうも言いきれない。近世には傾奇者に好まれた意匠であったとする指摘もあります。何より、この赤くズバッと背中に片輪車を配した陣羽織を見ると、その文様に託した強い主張を実感せざるを得ません。着用者は、この歪んだ車輪に何を見ていたのでしょうか。

 

博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり

本館 特別1室・特別2室
2021年1月2日(土)~2021年1月31日(日)
ウシにひかれてトーハクまいりのイメージ画像

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 福島修(工芸室) at 2021年01月15日 (金)

 

祈りのなかの牛

あけましておめでとうございます。研究員の増田です。
丑年の本年は、牛を表わした作品や牛にまつわる作品を展示した特集「博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり」が本館特別1・2室で開催中です(2021年1月31日まで)。
本特集のタイトルは「牛に引かれて善光寺参り」という諺(ことわざ)をもとにしたもの。「身近に起こった出来事に導かれて、思いがけない縁が結ばれること」のたとえです。
このブログでは、皆様と当館とを結ぶ展示作品を紹介します。


今回は、宗教における牛についてお話ししていきます。

まず、牛は古代インドの神々の強大な力のシンボルとされました。
 
チューギェル立像の写真
チューギェル立像 中国 清時代・18~19世紀

チューギェルとは古代インドの神ヤマが仏教に取り込まれた姿です。ヤマの象徴である牛の頭をしていて、大きな鼻や二本の立派な角が表わされています。手足を大きく広げて牛の上に乗る軽快な姿ですが、実は死者を厳しく処罰する強大な力を持ちます。


次に、中国の宋時代には、牛が仏教における悟りの象徴とみなされるようになります。
 
十牛図(模本)の写真
十牛図(模本) 陶山雅純摸 江戸時代・嘉永3年(1850) 原本=狩野探幽筆 江戸時代・17世紀

十牛図とは、人が牛を飼いならすまでの過程を禅の修行になぞらえ、悟りの境地に至るまでの十段階のプロセスを絵で示したものです。ここで牛は「悟り」や「真の自己」を表わすといいます。


最後に、日本の仏教説話では、人を仏のもとへ導く存在として牛が登場します。
本特集のタイトルのもとになった諺の善光寺に関する作品を紹介します。

善光寺如来絵詞伝一の写真
善光寺如来絵詞伝一 釈卍空著 江戸時代・安政5年(1858) 徳川宗敬氏寄贈

お話のあらすじは次の通りです。

昔、ある老婆が布を干していると、どこからか牛が現われ、角に布を引っかけて走り去ってしまいます。老婆は牛を追いかけ、気づくと善光寺にたどり着き、そこで仏を信じる心を起こしました。

江戸時代には、このストーリーを記したさまざまな書物が制作・刊行されました。

ところで、善光寺の本尊である阿弥陀如来三尊像はインド伝来とされる秘仏ですが、鎌倉時代以降にはその姿を模した、いわゆる善光寺式の阿弥陀三尊像が数多く作られました。

阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)の写真
重要文化財 阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式) 鎌倉時代・建長6年(1254)

本像もその一つです。
阿弥陀如来が左手の人差し指と中指を伸ばす手のしぐさ、左右の脇侍が両手を胸前で重ね合わせる手のしぐさ、などが特徴です。さらに銅でつくられていることも他の模刻像と共通します。


古代インド、中国、そして日本における信仰の歴史のなかで、牛がどのような存在とされてきたかをギュウっとまとめて紹介しました。
これらの作品を通じて、ぜひトーハクと縁を結んでいただきたいと思います。

 

博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり

本館 特別1室・特別2室
2021年1月2日(土)~2021年1月31日(日)
ウシにひかれてトーハクまいりのイメージ画像

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 増田政史(絵画・彫刻室) at 2021年01月08日 (金)

 

比べて、並べて!「洛中洛外図屛風」のみどころ(絵画編)

前々回のブログに続いて、特別展「桃山-天下人の100年」に関連するお話を。

▼100年間の表現の変化を追う
本展覧会では、同じ時代の作品を横並びに見るだけではなく、前後の時代とも比べていただくことで、それぞれの特徴を感じていただけるのではないかと考え、同じ主題や素材を使った室町時代、安土桃山時代、江戸時代のものを並べるというコーナーをいくつか作りました。

絵画ですと、洛中洛外図、源氏物語図、韃靼人狩猟図などのコーナーがそれにあたります。どれもオススメですが、このうち私が最も興奮したのは、展覧会冒頭の洛中洛外図屛風コーナーです…!現存する洛中洛外図屛風のうち、最も古い「歴博甲本(旧町田本)」(千葉・国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)と、二番目に古い「上杉家本」(山形・米沢市立上杉博物館蔵、国宝)、そして名前こそ洛中洛外図ではありませんが同じく京中を描く「聚楽第図屛風」(東京・三井記念美術館蔵)の3つが、至近距離で並びます。



桃山展 第1会場展示風景(11月1日まで)


「洛中洛外図屛風」は京の市中と郊外を描いた屛風で、室町時代後期から幕末まで長く描かれ続け、現在100件以上の作品が残っています。このうち歴博甲本と上杉家本は最も古いツートップであるだけでなく、人々のイキイキとした様子、景観の精緻さ、保存状態の良さなど見どころ満載で、日本絵画史だけでなく、さまざまの分野の専門家が大注目している作品なのです。そのふたつが、こんな至近距離で並ぶなんて…!自分もついお客様と同じ目線になってウルウルと感動してしまいます。

今回は、私の記憶にある限りでは初めての光景ですので、ふたつを並べて感じたことを書いてみたいと思います。



▼ふたつの洛中洛外図屛風
洛中洛外図屛風は京を地図のような正確さで描こうとするのではなく、注文主のリクエストによって建物のセレクトや扱いの大きさ、構図などが異なります。また時代ごとの新しいランドマークをドンドン取り入れる傾向があるので、時代を映す鑑のようでもあります。

歴博甲本は、向かって右に鴨川や内裏を、左に北山や嵐山、将軍や有力武家の邸宅などを描き、内裏(天皇や公家)と将軍家などを対比する構図になっています。もともと1520年ごろの景色を描いているのではないかと考えられていましたが、近年、大永5年(1525)に細川高国が将軍足利義晴のために造営し、ほんのわずかな期間だけ使用された「柳の御所」が描かれていることが明らかになり、高国が描かせたのではと話題になりました。

対する上杉家本は、「狩野永徳が描き、織田信長が上杉謙信に贈った」と記録されているもので、現代まで大切に守られてきた上杉家の家宝のひとつです。こちらも近年新しい史料が紹介され研究が進んだことで、現在では多くの研究者から「永禄8年(1565)に将軍足利義輝が狩野永徳に描かせ、上杉謙信に贈ろうとしたもの」であると考えられています。


▼印刷物ではわかりにくい違い
それでは実際に両者を並べてみるとどんなことに気がつくでしょうか。まず目に飛び込んでくるのが屛風サイズの差です。歴博甲本は縦138.2cm、上杉家本は160.4cmと、歴博甲本が20cm近く小さいことがわかります。室町時代の屛風は、安土桃山時代や江戸時代の屛風に比べて総じて少し背が低いことが知られており、この辺りからも年代の差を読み取ることができます。

次に気がつくのは金色の差です。歴博甲本がほんのりと穏やかに輝くのに対して、上杉家本は光を強く反射して画面全体が輝いているかのようです。
歴博甲本が金粉を絵の具のように溶かした金泥を主体に、輪郭線を明確にしない雲や霞のようなものを描いているのに対して、上杉家本は地面にも金雲にも金箔を使い、雲の輪郭にはさらに金泥を塗り重ね、箔の重なりや金泥との境目がわかりにくくなるように磨いてあります。金泥よりも不純物の少ない金箔はよく光りますし、磨けば磨くほどその輝きは増します。上杉家本はあらゆる方法を駆使して、画面全体が光り輝くよう工夫しているのです。歴博甲本の金泥による雲や霞の表現は室町時代によくみられる技法ですが、上杉家本はそこから離れ、より輝きを強調し、華々しい京の表現を目指しているといえます。

このほかにも、どこからの視点で構図が出来上がっているか、四季の表現や季節の行事をどのように埋め込んでいるかなど、作品の前に立つと気がつくことはたくさんあると思います。今回は前期展示の2作品について取り上げましたが、11月3日(火・祝)からはじまる後期展示でも、このような視点を持ちながら御覧いただければ、いつもと少し違った楽しみ方をしていただけるのではないでしょうか。

そして最後にもうひとつ。第2会場にて展示中の「日吉山王祇園祭礼図屛風」(東京・サントリー美術館、11月1日まで)の左隻(祇園祭礼図隻)も、洛中洛外図屛風と同様、京の市中を描いたものです!こちらは室町時代末期の土佐派によるもので、歴博甲本の後、上杉家本の少し前の作品と考えられています。少し離れていますが、こちらも併せて比べて見ていただければ、と思います。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2020年度の特別展

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posted by 特別展「桃山」絵画担当 金井裕子(平常展調整室主任研究員) at 2020年10月31日 (土)