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1089ブログ

その憧れは、美味しさでなく

こんにちは、日本工芸を担当する福島といいます。

近所のパン屋さんで、干支の関連商品として牛のパイが売られていました。

ミートパイがおいしい店なので期待して食べたら、牛の形をしているだけで肉が入っていなかった。
残念ではありますが、これは干支の縁起物にもかかわらず、あさましくもその肉が入っていることを期待した私の方に非があったのかも知れません。年賀状にかわいい牛の姿を描きつつ、「さあ、こいつの肉を食うか」という気分にはならないでしょう。
やはり干支の肉というのは、何となく禁忌に触れる感覚なのだろうか…。そんなことを思い悩む今年の正月でしたが、スーパーでは「丑年!お肉を食べよう!」みたいなコーナーができていて、どうもそんなに単純な話ではないようです。

何の話かというと、前回に引き続き特集「博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり」に関して、牛に対する視点のお話。

多くの現代人にとって、「ウシ」という言葉を聞いた時に思い浮かべるのは牛丼や焼き肉ではないかと思いますが(違いますか? 私はそうですが)、前近代から続く牛の霊力への信仰を完全に捨ててしまったわけではありません。スキヤキの名店で舌鼓を打ったあと、神社で撫牛像を撫でて病気平癒を願うなんてコースは観光の定番だったりします。牛は人にとって身近であるだけに、神様のような存在だったり、逆に神に捧げる犠牲だったり、あるいは労働力だったり、都合よくさまざまな役割を与えられてきました。

なかでもちょっと特殊な立場にあったのが、平安時代の牛です。というのは、ただの労働力ではなく、牛の姿形が人々の品評対象となり、その良し悪しが所有者の社会的身分を示す指標にもなったからです。その理由として挙げられるのが、貴族の乗り物「牛車」の流行でした。


平治物語絵巻(模本)院中焼討ノ巻(部分) 狩野栄信・中山養福模
江戸時代・19世紀 原本=鎌倉時代・13世紀

「平治物語絵巻」では、平治の乱発端の場面で、馳せ参じた牛車の行き交うなかに、ひときわ目立つ白い車体が見られます。これは檳榔樹の葉から糸を作り、白く晒したもので屋形(牛車の人が乗る部分)の全体を葺いた「檳榔毛車(びろうげのくるま)」です。上皇や親王、摂関など一部の人々にしか乗用が許されないため、まさに憧れの高級車でした。そんな貴紳を乗せた車を引くのですから、動力である牛も普通であってはいけません。ここでは上等な牛とされた黄褐色の「黄牛(あめうじ)」が引いているところもポイントです。


国宝 片輪車蒔絵螺鈿手箱 平安時代・12世紀

さて、牛車の文化があったからこそ生まれた意匠に「片輪車」があります。
平安時代に描かれた料紙装飾や経巻見返絵などの中には、牛車の車輪だけが地面に横たわっていたり、水流に半ば浸かっていたりする図像が見られます。これが後に「片輪車」と呼ばれる意匠の原型で、いずれも車輪の半分ほどが見えている状態にあり、楕円に歪んで描かれるのが約束事です。水流に浸かっているものについては、木製の車輪が干割れしないように水に漬けておくという習慣に伴う日常的な景観と説明されますが、水流が描かれない図像の場合はその説明が成り立ちません。

これに関しては実際の景観を表したというよりも、車輪を「わ」の音として読む「字音絵」として解釈したり、釈尊の説法を意味する転法輪と見たり、浄土の宝池に咲く蓮華の寓意と捉えたりする考え方があります。
ある図像というものは、見る側の文化的背景によって全く意味が違ってくるものです。

たとえば、ちょっと前までは市松模様を見ても何の関心も持たなかったのに、今では某炭焼きの少年を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。一様の解釈を当てはめるのではなく、成立時期や受容層により「片輪車」の意味するところも変わってくると考えた方が良いでしょう。


陣羽織 淡黄羅紗地片輪車模様 江戸時代・18世紀

中世以降、多額の維持費がかかる牛車の文化は次第に廃れてしまいます。それだけに牛車は失われた王朝文化の象徴として、憧れとともに記憶の中へ留まり続けることになります。
「片輪車」も形式化し、仏教的な寓意はすでに失われ、文様としては一種の吉祥モチーフとして扱われるようになっていきました。

ではただの「おめでたい文様」になってしまったのかというと、そうも言いきれない。近世には傾奇者に好まれた意匠であったとする指摘もあります。何より、この赤くズバッと背中に片輪車を配した陣羽織を見ると、その文様に託した強い主張を実感せざるを得ません。着用者は、この歪んだ車輪に何を見ていたのでしょうか。

 

博物館に初もうで ウシにひかれてトーハクまいり

本館 特別1室・特別2室
2021年1月2日(土)~2021年1月31日(日)
ウシにひかれてトーハクまいりのイメージ画像

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 福島修(工芸室) at 2021年01月15日 (金)