今年の梅雨が明けて夏本番となった7月19日、特別展「江戸☆大奥」が開幕いたしました。
現在の皇居の地にかつて存在した江戸城。その本丸御殿の奥深くに、徳川将軍の御台所(みだいどころ)や側室、女中たちが暮らす大奥がありました。大奥は将軍家のプライベート、つまり秘された空間であることから、江戸時代の大衆にとっては到底うかがい知ることのできない世界でした。それゆえ大きな関心の的となり、小説や浮世絵、歌舞伎などで大奥の世界はたびたび取り上げられてきました。
しかしそこで描かれることには絵空事も含まれます。この展覧会は大奥に生きた女性たちのゆかりの品々や関連する資料によって、大奥のリアルに迫ろうとするものです。
本展メインビジュアルは明治期に描かれた、揚州周延(ようしゅうちかのぶ)筆『千代田の大奥』をもとにデザインされました。第1章「あこがれの大奥」では、『千代田の大奥』すべての場面をご覧いただくほか、現在でも漫画やドラマの舞台として人気を博す、いわば幻想の大奥から展覧会がはじまります。
このブログでは大奥の歴史を語る上では欠かせない大奥に生きた女性たちに焦点をあてつつ、本展で展示されているゆかりの品々を取り上げていきたいと思います。
―そろそろお話しましょうか。わたくしたちの、真実を
会場でこの文言が見えた先、第2章「大奥の誕生と構造」で時代は一気に遡ります。
今から四百年ほど前、三代将軍徳川家光の治世において大奥は将軍家を支える体制が整えられていきました。その大奥の礎を築いた女性が春日局(斎藤福)(かすがのつぼね(さいとうふく))です。乱世を生き抜き、乳母として養育した家光が将軍に就任したのち春日局は、徳川家直系の子孫に将軍を継がせるために力を尽くします。
天樹院(千姫)復元衣装 令和3年(2021) 兵庫・姫路城蔵
茨城・弘経寺(常総市)に伝わる姿絵「天樹院(千姫)像」を参考に、現代の技術で復元した衣装。千姫は再嫁した本多忠刻と30歳のときに死別し、姫路城から江戸城へと戻りました。家光の姉である千姫もまた徳川家の子孫を養育し、春日局とともに草創期の大奥を支えた人物です。
家光の信頼厚く、大奥で大きな影響力をもった春日局。その春日局の目にとまり家光の側室となった桂昌院(お玉の方)(けいしょういん(おたまのかた))は、家光の四男となる徳松、のちの五代将軍綱吉を生み育てました。
桂昌院(お玉の方)の実父は京都堀川通の八百屋仁左衛門とされ、けして高い身分の出身ではありませんでしたが、大奥に女中として出仕したのち、将軍の子を産み育て、ついには将軍の母となり破格の地位と財を得たことから「玉の輿(たまのこし)」という言葉の語源となったともいわれます。
そのお玉の方の所用と伝わる振袖が、第3章「ゆかりの品は語る」の冒頭に展示されています。
重要文化財 振袖 黒綸子地梅樹竹模様 桂昌院(お玉の方)所用 前期展示:7月19日~8月17日
江戸時代 17世紀 東京・護国寺(文京区)蔵
桂昌院の発願により天和元年(1681)に創建された護国寺に伝わった振袖。梅の立木の藍地と、竹の節が見える紅地は、型紙を使う摺匹田(すりびった)で斑点をつけています。地の黒は、近年行われた蛍光X線調査の結果、鉄分を媒染(ばいせん)剤として山桃樹皮を煮出した汁で染める「黒茶染」によるものと考えられます。摺匹田も黒茶染も当時最新の染色技法でした。
家光の没後、お玉の方は25歳で出家して桂昌院と称し江戸城を離れますが、およそ30年後、自ら育てた綱吉の将軍就任にともない再び江戸城三の丸へ入ります。桂昌院は仏教に深く帰依したことで知られ、莫大な財力を背景に東大寺大仏殿や法隆寺、長谷寺など多くの寺院再興に尽力しました。79歳まで生きた桂昌院はその晩年、女性としての最高位、権勢を誇った春日局をも超える従一位の官位を賜ります。その人生は文字通り栄華を極めたといえるでしょう。
将軍綱吉から瑞春院(お伝の方)への贈り物—興福院所蔵の刺繡掛袱紗—
生まれに関わらず大奥で大出世をとげた女性は桂昌院ばかりではありません。
瑞春院(お伝の方)(ずいしゅんいん(おでんのかた))もまた、下級武士の家の出ながら、桂昌院にお仕えする侍女であった頃に綱吉の寵愛を得て、明信院(鶴姫)(めいしんいん(つるひめ))と嫡男となる徳松(5歳で夭逝)を出産します。瑞春院(お伝の方)は綱吉との間に子を成した唯一の女性であったことから、大奥では「御袋様(おふくろさま)」「三ノ丸様」などとよばれ、81歳で亡くなるまで大きな権力を持ちました。
綱吉から瑞春院(お伝の方)へと贈られた美麗な刺繡掛袱紗(ししゅうかけふくさ)が、奈良にある浄土宗の尼寺・興福院(こんぶいん)に伝わります。これら31枚もの掛袱紗は、年始や歳末、五節供など大奥における年中行事の祝い事にあわせた贈り物に掛けられていたものです。綱吉の没後、瑞春院はその菩提を祈り、これらの掛袱紗を興福院へと寄進しました。
第3章「ゆかりの品は語る」展示風景
その洗練された模様構成と冴えわたる刺繡はまさに美麗の極み、当代一の職人の手により丹精込めて作られたことがわかります。
左:重要文化財 刺繡掛袱紗 水浅葱繻子地菖蒲に蓬と躑躅酒器「楽寿」字模様 瑞春院(お伝の方)所用 前期展示:7月19日~8月17日
*右は2本並ぶ酒壺(左)の肩あたりを拡大。
江戸時代17~18世紀 奈良・興福院(奈良市)蔵
興福院に伝わる刺繡掛袱紗は、前期(7月19日~8月17日)15枚と後期(8月19日~9月21日)16枚で展示替えして一挙公開。31枚すべてを会期中にご覧いただける貴重な機会です。
左:重要文化財 刺繡掛袱紗 紅繻子地宝尽と梅「万寿」字模様 瑞春院(お伝の方)所用 後期展示:8月19日~9月21日
*右は中央の宝袋より拡大。
江戸時代17~18世紀 奈良・興福院(奈良市)蔵
息をのむような精緻な刺繡美の世界を会場でぜひご堪能ください。
興福院の刺繡掛袱紗は、すべての袱紗に共通して、新春を寿ぐ松竹梅、春の桜や柳、夏にかけて花を咲かせる杜若(かきつばた)や百合、秋草である芒(すすき)や撫子、菊といった四季折々の植物を、瑞々しくのびやかにあしらいます。植物や文字に込められた吉祥性に重ねて、宝尽(たからづくし)といった瑞祥モチーフや、熨斗(のし)や扇のように長寿繁栄を象徴するモチーフを多くに取り合わせています。寿ぎのモチーフを幾重にも重ねる掛袱紗からは、瑞春院(お伝の方)のこの上ない幸せを祈る、将軍綱吉の真心が伝わってくるようです。
江戸城・大奥における最後の御年寄・瀧山
大奥は、将軍とその正室である御台所の生活を支えるところであり、そこにお仕えするする女性は千人とも、三千人ともいわれる大規模な組織です。その大奥運営の一切を担い、時には幕閣(ばっかく)と渡り合うほどの影響力を有したのが御年寄(老女)という役職の女性たちでした。もちろん才覚や運にもよりますが、大奥に奉公して年功を積み、出世して大奥を取り仕切る、つまり大奥の最高経営責任者として栄達する道もありました。
女乗物 瀧山所用
江戸時代19世紀 埼玉・錫杖寺(川口市)蔵
江戸時代後期、十三代将軍家定と十四代将軍家茂(いえもち)に将軍付御年寄として仕えた瀧山(たきやま)が所用したと伝わる女乗物をはじめ、日記や身の回りの品々が会場には展示されています。現代では大企業にも相当する規模である大奥の日々のくらしや行事をつつがなく取り仕切る、その責任ある仕事にはやりがいも苦労も多分にあったことでしょう。
第4章「大奥のくらし」では女性たちが大奥で、どのような日々を過ごしていたか、華やかな婚礼調度や、実際に身にまとっていた四季折々のご衣装、女性の役者が歌舞伎を演じるときにまとった衣装や小物をたくさん展示しています。
第4章「大奥のくらし」展示風景
大奥で行なわれていた女性による歌舞伎とその衣装にまつわる話は、本展担当のチーフ小山弓弦葉より今後公開の1089ブログでたっぷりご紹介予定ですので、どうぞお楽しみに。
第4章「大奥のくらし」展示風景
武家の頂点である徳川将軍家を支え、つないだ女性たち。それぞれの人生を生きた証ともいえる品々をつうじて、長きにわたる大奥の歴史や文化を、いま感じてみてはいかがでしょうか。
長くなりましたが最後に…
連日暑い日が続きますので、金曜と土曜は20時までの夜間開館(8月10日(日)、9月14日(日)も20時まで開館!)のご利用がおすすめです。東博コレクション展(平常展)も特別展と同じく夜間開館しています。現在、本館特別1室・特別2室では、徳川家ゆかりの寺院で、大奥の女性たちも参拝に訪れた寛永寺のご寺宝を紹介する特集をご覧いただけます。(8月31日(日)まで。1089ブログはこちら)
特別展「江戸☆大奥」ご鑑賞とあわせて、ぜひ東博コレクション展もお楽しみください。
カテゴリ:「江戸☆大奥」
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posted by 髙木 結美(平常展調整室) at 2025年08月05日 (火)
特集「創建400年記念 寛永寺」で味わう、上野の江戸文化(後編)
本館特別1室・特別2室では現在、特集「創建400年記念 寛永寺」を開催しています。
特別1室の第1~3章について前編ブログでご紹介しましたが、今回の後編ブログでは特別2室の第4~6章を見ていきましょう。
(注)会場は撮影不可となっております
第4章展示風景
第4章「徳川家の祈祷寺・菩提寺 近世仏教の造形」
寛永寺は、建立当初は徳川幕府や天下万民の安泰を祈る祈祷寺でしたが、3代将軍家光から4代将軍家綱の時にかけて、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また、寛永寺には6人の将軍と御台所などが葬られています。この章では、徳川将軍家ゆかりの寺院にふさわしい端正な造形を見せる仏画や仏像、仏具などをご覧いただけます。
文恭院殿葬送絵巻(ぶんきょういんでんそうそうえまき)
江戸時代・19世紀 東京・春性院蔵
文恭院は天保12年(1841)閏正月(うるうしょうがつ)7日に没した11代将軍家斉の諡号(しごう)で、本作品はその葬送の様子を描いています。
観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)
鎌倉時代・13世紀 東京・寛永寺蔵
上野の山から不忍池に臨む清水観音堂は、京都東山の清水寺を模したお堂で、天海により建立されました。本尊の千手観音像も清水寺から迎えられました。本尊の右側に本像が安置されています。整った優美なプロポーションが大変美しいです。
右:説相箱(せっそうばこ) 左:戒体箱(かいたいばこ)
ともに江戸時代・17~18世紀 東京・寛永寺蔵
寛永寺所蔵の美麗な仏具も多くご覧いただけます。
第5章「博物館とのつながり 博物館構内出土品」
当館の建っている場所には、かつて寛永寺の本坊がありました。本坊とは住職の居住する建物のことで、広い敷地の中にさまざまな用途の部屋をもった大きな建物がありました。この章では、当館の構内から発掘された焼塩壺や抹茶茶碗などを展示しており、当時の本坊での生活を垣間見ることができます。
第5章の展示風景
焼塩壺 焼塩壺蓋(やきしおつぼ やきしおつぼふた)
東京都台東区上野公園 東京国立博物館構内出土 江戸時代・17~18 世紀 東京国立博物館蔵
焼塩壺の中には、にがり成分を含んだ粗塩が詰められ、使用の際に壺ごと火に入れることで、苦味が抜けた焼塩をつくっていました。これらの焼塩壺が発掘された場所は、かつて寛永寺本坊の調理に関係する部屋があった場所であることが今回の展示に際しての調査でわかりました。
千葉・国立歴史民俗博物館の「醍醐花見図屛風」と一連のものであったといわれています。
本特集は8月31日(日)まで開催しています。その期間、当館から寛永寺に一番近い西門から退出していただけるようにもしていますので、展示をご覧になったあと、寛永寺まで足を延ばしていただく際に、是非ご利用ください。
本特集の公式図録をミュージアムショップで販売しています。作品のカラー図版やコラムのほか、江戸時代の寛永寺の地図上に現在の上野公園の主な施設を記載した「重ね地図」も掲載。上野ファン必携の一冊です。
編集・発行:東京国立博物館
定価:1,210円(税込)
全36ページ(オールカラー)
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、彫刻、書跡、考古、特集・特別公開、工芸
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posted by 沖松健次郎(列品管理課長)、長谷川悠(出版企画室) at 2025年08月05日 (火)
特集「創建400年記念 寛永寺」で味わう、上野の江戸文化(前編)
本特集の公式図録をミュージアムショップで販売しています。作品のカラー図版やコラムのほか、江戸時代の寛永寺の地図上に現在の上野公園の主な施設を記載した「重ね地図」も掲載。上野ファン必携の一冊です。
編集・発行:東京国立博物館
定価:1,210円(税込)
全36ページ(オールカラー)
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posted by 沖松健次郎(列品管理課長)、長谷川悠(出版企画室) at 2025年07月29日 (火)
皆さんは「東京国立博物館」と聞いて、まず何を思い浮かべますか?
本館の大階段をイメージされる方も多いのではないでしょうか。
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2025年06月13日 (金)
特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」は5月20日(火)より後期展示がはじまっています。
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posted by 村瀬 可奈(日本絵画) at 2025年05月29日 (木)