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【縄文】フィギュアで楽しむ縄文時代

特別展「縄文―1万年の美の鼓動」の会場内には、縄文時代の様子をご想像しやすいように、フィギュアを展示しています。
今回の1089ブログは、これらのフィギュアを製作された長野県北相木村教育委員会・学芸員の藤森英二さんのお話です。

「5章 祈りの美、祈りの形」の円柱内にご注目ください

元々は生き物が好きで、高校生の頃、恐竜や動物の模型を、石粉粘土で作っていました。
大学で考古学を専攻して、縄文時代の勉強を始めました。
その勢いで、縄文時代の人を模型にしようと思い、2007年に縄文時代の少女(「秋の森の恵みをムラへ」)を完成させました。


その後も、先史時代の人々の日常を表現してみようと「大きな槍を携える旅の狩人」、「獲物を待ちぶせる少年と愛犬」、「ヒスイの首飾りが似合うムラのリーダー」を作成しました。
このうち「大きな槍を携える旅の狩人」については、2011年当時トーハクにおられた及川穣さん(島根大学准教授)のお声がけで製作し、特集陳列「石に魅せられた先史時代の人々」に展示した経緯もあります。

  
左から順に「大きな槍を携える旅の狩人」「獲物を待ちぶせる少年と愛犬」「ヒスイの首飾りが似合うムラのリーダー」

そして今回は、トーハクの井出浩正研究員に声をかけて頂き、新たに2点(「神への祈り。土偶をかざす青年」・「母から子へ伝える土器づくり」)を加え、全部で6点を展示して頂くこととなったわけです。
 
左から順に「神への祈り。土偶をかざす青年」「母から子へ伝える土器づくり」


まずはイメージ画を描きます

作る時に気をつけているのは、まず人体として嘘のないこと。人の骨格や筋肉を意識して作ります。
この辺りは、他の動物を作る時と同じです。
ただし、人の顔や表情は難しく、見慣れている分、少しバランスを崩すと違和感を感じてしまいます。


大まかにパーツを作って針金でつなぎます


最初のうちはロボットみたいですが…


だんだん人間らしくなっていきます

また、自分が考古学を研究している立場からすると、怖さも伴います。
実は縄文時代については、まだまだ分からないことだらけ。
まず彼らの服装はどうでしょう? 編物はわずかに出土していますし、土偶の表現にそのヒントもありますが、情報は極めて少ない。
他にも、髪形は? 刺青はあった? 靴は? 装飾具をつけたのは、男性、女性? 大人、子ども?
全てを正確に理解することが出来ない以上、想像に頼る部分もたくさん出てきます。
「ここは出土品の復元、ここは想像、ここは井出氏の指示!」と、全部説明出来ればいいのですけどね。

さらに、復元画や展示模型と同じですが、完結したモノを目にすると、そのイメージが固定しがちです。
縄文人のイメージが固定されてしまわないように、想像の余地を残すようにデザインしています。


基本塗装を終えました


服の模様は試行錯誤の連続です

なお、今回はトーハクの品川室長と井出研究員に、途中経過を写真でチェックしてもらいながら製作しました。
それぞれについて、縄文時代のいつ頃でどの地域かを設定し、そこでなるべく矛盾の出ないように考えていきます。
地域時代ごとの耳飾の大きさや、土器作りを行なった季節や場所、その他腕輪や櫛、服の色など、細かな部分もその対象です。

途中議論があらぬ方向に行ったり、こちらの知りたいことはスルーされることもありましたが、大変勉強になりました。

また、最近研究の深化が著しい植物由来の道具については、この分野の第一人者である佐々木由香さん(株式会社パレオ・ラボ)、趣味を活かして当時の編物を研究されている川端典子さん(富山県朝日町教育委員会)に多くのことを教えていただきました。
さらに、実はこれまで旧石器時代の設定だった作品を、今回の展示内容に合わせ縄文時代草創期に再設定していますが、そのポイントとなる石器については、堤隆さん(浅間縄文ミュージアム)にご意見を頂きました。

 
モデルとなった石器(重要文化財 尖頭器/長野県・神子柴遺跡出土/個人蔵、長野・伊那市創造館寄託)は「1章 暮らしの美」で展示されています

皆様の目にどう映るか、怖さと楽しみが半分ずつです。

その他の作品については、拙ホームページ「A.E.G自然史博物館」もご覧ください。

カテゴリ:考古「縄文―1万年の美の鼓動」

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posted by 藤森英二(北相木村教育委員会) at 2018年08月14日 (火)

 

なりきり日本美術館、始めました! その2

東京国立博物館、教育普及室の藤田です。
夏休み恒例の展示、親と子のギャラリー「トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館」の第一会場をご紹介した前回のブログに続き、今日は第二会場の様子をご覧いただきます。

こちらの展示は、NHK Eテレ「びじゅチューン!」とのコラボレーション企画として行っているものです。
ちなみに「びじゅチューン!」とは、アーティストの井上涼さんが世界の「びじゅつ」を歌とアニメーションで紹介する番組です。 トーハク所蔵の作品もいくつか取り上げられています。
そのうち5作品を選び、「なりきり」をキーワードにした体験型展示がこの「なりきり日本美術館」です。

本館にある第一会場・特別5室を抜けて、「洛中洛外シスターズ」に導かれながら第二会場・特別4室に入ります。



最初のコーナーは「見返らなくてもほぼ美人」
大きな掛軸がかかっています。本来なら絵が描かれている部分は映像のモニターになっており、そこにはこんな姿が。


おや、こんなところに見返り美人が

トーハクのパンフレットの表紙にもなっている菱川師宣の「見返り美人図」。どこかで見たことのある人は多いのではないでしょうか。
「見返りすぎてほぼドリル」の曲では、好きな男性を振り返っているうちに回りすぎてドリルになってしまった見返り美人。
彼女はなぜ、振り返っていたのかな? 美人になりきって、ポーズを決めて考えてみるのがこのコーナー。
掛軸の前に立った体験者の骨格をセンサーが検知し終わると、「見返り美人」へのなりきりが完了します。
自分のとるポーズと同じ格好を、画面の見返り美人がしてくれます。



いつも後ろ姿の「見返り美人」を前から見ることはなかなかできませんから、貴重なチャンスです。
見返り美人になりきって、はい、ポーズ!
最後は、美人と一緒に記念撮影ができます。


見返り美人になりきったぞー


第二会場、ふたつめのコーナーは「洛中洛外グルメチェック」。
「びじゅチューン!」では、「洛中洛外シスターズ」として、京の都のあちこちの美味しいものを紹介する曲になっていました。
会場でも、レプリカの「洛中洛外図屏風」を見て、おまんじゅうやしじみ汁、魚など、美味しいものを探す、という内容になっています。
レプリカの屏風の両脇にある画面に流れる映像を見ながら、次々に出されるお題を探していきます。


レプリカですが、実際の屏風をじっくり見るのは楽しい!


第二会場最後のコーナーは「顔パフォーマー麗子」。

「びじゅチューン!」の「夢パフューマー麗子」で井上涼さんが描く麗子は、人びとの悪夢にみかんを投げつけ、やっつけます。
本展の「顔パフォーマー麗子」では、みなさんに、麗子が何を考えているのか、彼女になりきって想像してもらいます。

この顔の表情なら、こんなセリフを言いそう…!
と、吹き出しの中にも言葉を書き込みます。


油絵ふうのタッチできちんと麗子になりきります。

彼女の気持ちを想像して「デジタル顔はめ」で麗子になりきってみてください。
展示はどれも大人気で、連日行列ができています。




第二会場を出たところは映像コーナー。
東京国立博物館の所蔵品に関連した「びじゅチューン!」の歌の映像を流しています。




これらの展示を体験したあとは、ぜひほんものの作品を見に行ってください。
本館18室の「麗子微笑」を始め、「びじゅチューン!」関連作品を館内のあちこちで楽しんでいただけるマップ入りワークシートも配布しています。

今回で、親と子のギャラリー「トーハク×びじゅチューン!なりきり日本美術館」の会場レポートは終了です。
8月5日(日)に行われた「トーハク キッズデー」のために博物館に遊びに来て、親と子のギャラリーの展示も見た私の5歳の息子がぽつりと言ってくれました。
「オレ、トーハクって、博物館ていうより、遊び場みたいな感じする。」と。
このセリフが一番聞きたかった!

トーハクでこんなに楽しく「びじゅつ」と遊べるのは9月9日(日)まで!
皆さんもぜひ、いらしてください。
 

トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館チラシ


親と子のギャラリー「トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館」

2018年7月24日(火)~9月9日(日)
本館 特別4室・特別5室

詳しくはこちら

カテゴリ:教育普及

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posted by 藤田千織(教育普及室長) at 2018年08月13日 (月)

 

初公開!!! 華麗なる古代の「透彫金具」

現在、法隆寺宝物館第6室では「染織-広東綾大幡と古代の幡金具・幡足-」と題して、6室すべて染織関係の作品を展示しています(展示期間は2018年9月2日(日)まで)。
通常、6室では絵画・書籍・染織の展示を行っているのですが、毎年夏の2か月だけは染織品のみを展示しているんです。


美しく装丁された透彫金具。奥の壁付ケースには広東綾大幡を展示

今回の展示のメインは、全長が12メートルを超える献納宝物最大の染織作品「広東綾大幡」。これは元明天皇の一周忌法要(養老6年/722)に用いられたと考えられる織物製の灌頂幡です(ちなみに灌頂幡とは7世紀から8世紀にかけて、天皇の一周忌法要や寺院の落慶法要などで用いられた大型の幡。天蓋から大幡1流と小幡4流が下がる形を基本形とする。法隆寺献納宝物の金銅灌頂幡はその代表例)。


広東綾大幡(第一坪目)


広東綾大幡に取り付けられた金銅製の透彫金具


奈良時代の出来事を記した国の正史である『続日本紀』には、養老6年11月19日のこととして、前年に崩御された元明天皇のため、華厳経や涅槃経といった経典とともに「灌頂幡八首。道場幡一千首」が作られ、12月7日より奈良の諸寺院において法要が行われたとあります。

一方、奈良時代に記された法隆寺の財産目録『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』には「秘錦灌頂壹具 右養老六年歳次壬戌十二月四日 納賜平城宮御宇 天皇者」(秘錦を用いた灌頂幡の1セット。これは養老六年壬戌の歳の12月4日に、平城宮で世の中を治められた天皇〈元正天皇〉が奉納されたもの)と記されており、その奉納者や日付から、この灌頂幡は元明天皇の一周忌法要のため、法隆寺に奉納されたことがわかります。

献納宝物の広東綾大幡はその大きさや染織品にみられる文様の様式年代から、「秘錦灌頂」にあたる可能性が極めて高く、正史に記された作品が現存しているという極めて貴重な例ということができます(最新の研究成果については、「法隆寺献納宝物の広東裂─その分類および絵画・彫刻等からみた文様の伝播について─」 沢田むつ代 『MUSEUM』第667号  東京国立博物館 2017年 4月、をご覧ください)。

さて、「広東綾大幡」の見どころとして、幡の上部から下がった帯に付いている金具があげられます。現在のこる古代の幡金具は幅がだいたい7センチほどですが、これは幅約14.5センチという大型のもので、唐草文様の透かし彫りが施されています。
天皇の勅願による制作と考えられるだけあって、その表現は繊細にして華麗で、飛鳥から奈良時代にかけての金工作品のなかでも特に優秀な出来栄えをみせています。

「広東綾大幡」についている金具はこれまでも2年に一度、来館者のみなさまに御覧いただいていたところですが、実は献納宝物にはさらに沢山の幡金具が保存されてきました。
明治11年に法隆寺から皇室に宝物が献納された時の目録に「一 間人皇后御几帳 鈴十三添 筥入」「一 推古帝御几帳 鈴大小九ツ添 赤地錦嚢ニ入黒漆ノ筥ニ納」とあるのがそれです。「間人皇后」「推古帝」というのはあくまで伝承であって、大部分は織物製の灌頂幡に付属した金具と考えられます。


透彫金具の一部(N-59-2)

展示では「飛鳥~奈良時代・7~8世紀」と念のため幅を持たせて表記しましたが、文様から考えて、おそらく奈良時代の前半から中頃にかけて制作されたものと考えています。また展示ではよく見えませんが、金具の間に錦や綾が挟まれたまま残る作品も確認できます。


金具の間には錦や綾といった織物が挟まれている

トーハクのホームページにある画像検索に「透彫金具〈几帳金具〉」と入れていただくと、一部の作品は画像で見ることができますが、その全体が示されたことはこれまでなく、実際に公開されるのは、私が知る限り、これが初めてです。

染織品とともに長い時間保存されてきた作品だけあって、他の金銅仏や金工作品と違い、あまり錆ついておらず、良好な状態を保っています。古色蒼然とした献納宝物の金工作品を見慣れた目からすれば、「本当に本物??」「磨いたんじゃないの?」と言ってしまうような金色の輝き。「古代の金工品はこんな色合いや輝きをもっていたんだなー」という実際を見ることができる貴重な作品です。

「それなら何故、これまで公開してこなかったの?」というところですが、金具についている糸房の粉状化が進んでおり、作品の状態が安定していなかったためです。私自身、こんな作品が存在していることを皆さんに見てもらいたいと思ってきたのですが、状態が悪いために断念してきました。

処置前の写真をご覧ください。糸房の部分が赤い粉になって散乱してしまって、包み紙を開けるだけでも崩壊が進む状態でした。これでは公開することができません。


房の部分が粉状化した透彫金具

しかし今回、当館の保存修復室の協力のもと、全作品について安定的な保存を目的とした装丁を施すことで初公開に漕ぎつけることができました!!
保存修復室のスタッフにはいつも急に持ち込んだ無理難題を解決してもらっていて、ありがたい限りです。今回も保存担当スタッフと学芸のコラボにより、良い仕事ができました。
法隆寺献納宝物の染織品を平置きで展示・保存するため、保存修復室で開発した装丁法として、低加圧ウィンドウ・マット装というものがあるのですが、これを糸房のついた透彫金具に応用しました。


ウィンドウ・マット装の制作風景

低加圧ウィンドウ・マット装では、あらかじめ作品の形状や部分ごとの厚さに合わせてポリエステルのクッション材を刳り貫き、オーガニックコットン(木綿)で覆ったうえで作品を設置します。また今回は特に粉上化した作品が木綿の織目と絡み合ってしまうことを防ぐため、作品のすぐ下に作品の形に合わせた和紙を敷き込んでいます。


房の付いた透彫金具を設置する様子

受け皿が整った上で、上からアクリル板を置き、作品を軽くおさえる程度の圧をかけ、周囲をネジで固定すれば完成です。アクリル板の重さは作品周囲のクッションに加わり、作品自体に対する圧力は低い状態で安定化させることができます。壁にかけて展示することはできませんが、平置きの展示と保管は安全に行うことができ、将来に向けても大幅に崩壊の危険が軽減されることになりました。


アクリル板で固定する直前の低加圧ウィンドウ・マット装

いやー目出度し目出度しです。トーハクには保存技術者が常駐しているため小回りのきくケアが可能で、これにより私たち学芸担当はその意図する展示を行うとともに、将来に向けた保存環境の向上も実現することができます。

真新しい装丁におさまって、一層美しさの増した透彫金具の数々。古代の金工作品や文様を研究している学生さん、作品制作やデザインを行っている学生さんなどには、是非とも見てもらいたく、急きょブログで紹介させて頂きました。


鑑賞効果の向上と安定した保存のため、マットには細かな工夫がちりばめられています

今回の展示については、是非とも古代美術を愛好されるみなさんの話題になってもらいたいものと祈っております。是非、法隆寺宝物館第6室にお越しください!!!

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ保存と修理

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posted by 三田覚之(文化財活用センター研究員) at 2018年08月11日 (土)

 

【縄文】装身具の魅力の源は?

連日たくさんのお客様にお越しいただいている特別展「縄文」
本展の副題は「1万年の美の鼓動」です。
縄文の美にスポットをあてた展覧会で、様々な美を紹介しています。
今回は第1章の装身具についてお話ししたいと思います。

第1章 暮らしの美」には、縄文時代の人びとが暮らしのなかで作り出したさまざまな道具を展示しています

装身具には髪飾、耳飾、胸飾、腕飾、腰飾等あります。
縄文人はこれらの装身具を身に着けていました。
このイラストは縄文人をイメージして作りました。

我が身を飾る縄文人のイメージ

誰をモデルにするか悩みましたが、行き着いた先は私自身の妻でした。
妻の写真を撮り、パソコン上でなぞって人の形を作り、縄文時代に着ていたであろう服を着せて、最後に展示している装身具を付けました。

装身具の位置は、土偶や、装身具が装着された状態でみつかった人骨を参考にしています。
例えば埼玉県の後谷(うしろや)遺跡からは、漆塗櫛とともにみみずく土偶が出土しています。この土偶の頭には櫛が、耳には耳飾が装着されています。
このように土偶をみることで、当時のファッションをある程度復元することは可能です。

重要文化財 漆塗櫛
縄文時代(晩期)・前1000~前400年



重要文化財 みみずく土偶
縄文時代(後期)・前2000~前1000年


いずれも埼玉県桶川市 後谷遺跡出土/埼玉・桶川市教育委員会蔵

今回の展示品をみると、土、木、石、骨、貝のように、装身具には様々な素材が使われています。
これらの装身具は赤、白、緑と色彩豊かでもあり、人々を魅了します。

どの装身具もおすすめなのですが、なかでも私が気にいっているのは硬玉(こうぎょく)とも呼ばれるヒスイで作られた胸飾の大珠(たいしゅ)です。
ヒスイは一見すると緑色のきれいな石なのですが、じつは光をかざすことで神秘的な美しい色へと変貌します。
今回の展示では、ヒスイを下から光をあて、縄文人が光でかざし見たように再現しています。
ぜひ展示室にてご覧ください。
 
重要文化財 硬玉製大珠
栃木県大田原市湯津上出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年
東京国立博物館蔵
※右は光を当てたときの様子


ヒスイの大珠は、遺跡からはほとんど出土せず、出土してもせいぜい1個です。
縄文時代の日本列島では、良質のヒスイは新潟県糸魚川市周辺でしか産出せず、大変貴重な石材でした。
それが茨城県の坪井上遺跡からは8個も見つかっています。
この坪井上遺跡では、新潟県の信濃川流域でよく作られた土器も出土しており、新潟県域から人の往来があったようです。
おそらく貴重なヒスイを、坪井上(つぼいうえ)遺跡周辺で採れる瑪瑙(めのう)等と交換をしていたのでしょう。
瑪瑙も装身具に使われた素材です。
このようにヒスイは日本列島各地において、物々交換という形で流通していたと考えられています。


硬玉製大珠
茨城県常陸大宮市 坪井上遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年
茨城・常陸大宮市教育委員会蔵ほか


ファッション感覚が豊かな縄文人は、ときには装身具の素材を入手するべく、全国各地を歩き求めていました。
装身具の美の背景には、縄文人の絶え間ない努力があったのです。

カテゴリ:考古「縄文―1万年の美の鼓動」

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posted by 河野正訓(考古室) at 2018年08月10日 (金)

 

特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」 第2部 描かれた明治

「ホンモノそっくりな絵」というのは、今でも絵画をほめるときの決まり文句の一つです。
今回の展示(特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」、2018年7月10日(火)~9月2日(日))にも作品を紹介している平木政次は、師匠であった五姓田芳柳・義松親子が浅草寺境内で開いた西洋画の見世物の様子について、このように回想しています。西洋画を初めて目にした明治の人々にとっては、私たち以上にホンモノそっくりと受け取ったことでしょう。

箱根 平木政次筆 明治27年(1894)
箱根 平木政次筆 明治27年(1894)

朝顔 横山松三郎筆 明治12年(1879)
朝顔 横山松三郎筆 
明治12年(1879)


見物人は成程と感心して、「画がものを云いそうだ」とか「今にも動き出しそうだ」とか「着物は、ほんものの切れ地だろう」とか「実に油画と云うものは、不思議な画だ」と口々に驚きの声を発して居りました。(平木政次『明治初期洋画壇回顧』)




「画がものを云いそう」な西洋画の中には、有名な高橋由一の「鮭」もありました。明治絵画の傑作とされる「鮭」も最初はいわば「だまし絵」だったわけです。横山松三郎「朝顔」も同じような趣向の作品で、細長い板にあたかも実際に蔓が巻き付いているように朝顔が描かれています。写真師として知られる横山は写真でも朝顔のさまざまな表情を写しており、彼にとっては、対象を表現するための技術として絵画と写真が等しい価値を持っていたことがわかります。


明治の庶民を驚かせた五姓田一族や高橋由一の絵は、実際の油画を見る機会もほとんどなく、道具や材料にも不自由なまま、乏しい情報をもとに自ら工夫を重ねたものでした。洋画の理論や技法自体、西欧の科学や技術を基礎としているので、体得しようとすれば系統的な教育が不可欠です。産業振興を担当していた工部卿伊藤博文は留学経験があるだけに、よくわかっていました。伊藤がイタリア外交官の進言を受けて明治9年(1876)に設けたのが工部美術学校です。教師もイタリア人が3名招かれました。フォンタネージ(絵画)、ラグーザ(彫刻)、カペレッティ(建築)で、いずれも当時のヨーロッパでも第一線の専門家です。

風景(不忍池) アントニオ・フォンタネージ筆 明治9~11年(1876~78)
風景(不忍池) アントニオ・フォンタネージ筆 明治9~11年(1876~78)

 

美術学校は、きちんとしたカリキュラムとカンバス、用紙、絵具など豊富な材料を取りそろえたので、特に絵画ではそれまで独学していた画家たちも含め、続々とここで学ぶようになりました。フォンタネージは浅井忠、小山正太郎、松岡寿、山本芳翠といった後に明治を代表する画家となる弟子たちとともに、画題を求めて東京のあちこちを歩きました。東京帝国大学工学部を経て、現在当館が所蔵する「風景(不忍池)」もそのような折のスケッチがもとになっているのでしょう。

 

特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」チラシ

特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」
2018年7月10日(火)~9月2日(日)
本館 特別1室・特別2室

第1部 明治の人と書(ブログ
第2部 描かれた明治

特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」ビジュアル

特集「明治150年記念 書と絵が語る明治」
2018年7月10日(火)~9月2日(日)
本館 特別1室・特別2室

第1部 明治の人と書(ブログ
第2部 描かれた明治
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 田良島哲(博物館情報課長) at 2018年08月08日 (水)

 

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