東京国立博物館では、「横尾忠則 寒山百得」展が12月3日まで開催中です。
トーハクで横尾忠則展?とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
中国・唐の時代に生きた、「寒山」と「拾得」という伝説的なふたりの詩僧が、横尾さんと当館との御縁を繋いでくれたといえます。
表慶館外観
当館では、寒山拾得を画題とした作品を多く所蔵しており、本館特別1室にて11月5日まで開催中の特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」では、前後期合わせて18件の作品を展示しています。(10月11日からは後期展示となりました。)
寒山拾得についての詳しい説明は、植松研究員の1089ブログ「東京国立博物館の寒山拾得図」をご覧ください。
寒山拾得は、その常識にとらわれない生きざまや反骨精神から、特に禅宗の世界で尊敬されるようになり、東アジアにおいて人気の画題となりました。
森鷗外や芥川龍之介など、近代文学にも取り上げられていますので、小説をご存知の方も多いかもしれません。
重要文化財 寒山拾得図
伝顔輝筆 中国 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
11月5日(日)まで、本館特別1室にて展示
しかし日本では近代以降、画題に取り上げられることが少なくなりました。時代の流れもあるのかもしれません。
そうして、一度は途絶えてしまったかのように見えた寒山拾得の系譜を、現代に繋ぎ合わせたのが、いまを生きる横尾さんだったというわけです。
そのため、「横尾忠則 寒山百得」展は、ぜひとも特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」とあわせてご覧いただきたいと思います。(特集は会期が11月5日までと、横尾展よりも少し短めです。)
特集では、水墨で瑞々しく描かれた楽し気な寒山拾得たちが、「横尾忠則 寒山百得」展では明るい色調を帯びて、いとも軽々と常識を超えて世を楽しんでゆきます。
過去の作品は、決して過去だけのものではなく、現代にも呼応して生き続けていること、歴史は地続きであることを、特集と横尾展を通して、改めて感じ取ることができます。
と、つい小難しく考えてしまう癖があるのですが、そんな小さなことはどうでもいいよと笑い飛ばしてくれるような、ふっと力を抜いて楽しめる展覧会、それが「横尾忠則 寒山百得」展です。
特集「東京国立博物館の寒山拾得図」展示風景
「横尾忠則 寒山百得」展 展示風景
「横尾忠則 寒山百得」展 展示風景
多種多様な寒山拾得と出会えます。
会場内は写真撮影も可能です!
横尾展グッズも素通りできないほど充実していますので、展覧会とあわせてお楽しみください!
横尾展グッズコーナー(充実!)
フラットトート(全4色)3,630円(税込)
生地がしっかりしていて、内ポケットもあってとても使いやすいです。
ちなみに、私が黒地に青のトートを持っていたら、それを見た子どもが「お菓子!」と言いました。
さまざまな楽しいかたちが、お菓子に見えたのかもしれません。きっと横尾先生も、笑って許してくださる、はず…!
カテゴリ:特集・特別公開、絵画、「横尾忠則 寒山百得」展
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posted by 小島佳(広報室) at 2023年10月11日 (水)
現在、本館特別5室では、浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」が開催中です(11月12日(日)まで)。
京都府の最南部の南山城(みなみやましろ)地域に点在する寺社から、この地を代表する仏像が一堂に会しています。
展示風景
本展では、11の寺社から出品いただきましたが、すべてを実際に巡ろうとすると車で2~3日ほどかかります(通常は公開していない寺社もあります)。もちろん旅行がお好きな方にはぜひ現地を訪れていただきたいですが、遠出が難しい方には、南山城のエッセンスがぎゅっと詰まった本展をご覧いただいて、南山城の奥深さを感じていただきたいと思います。
展示室でひときわ強い存在感を放つ、金色の阿弥陀如来坐像。木津川市の浄瑠璃寺の本尊である九体阿弥陀(くたいあみだ)という9体の阿弥陀如来像のうちの1体です。
今回のブログではこの阿弥陀如来坐像および九体阿弥陀について紹介します。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺
平安時代半ばごろ、仏の教えが正しく伝わらない時代に至るという末法思想を背景に、この世での幸せよりも、死後、極楽浄土へ行って幸せを求める信仰が広まりました。極楽浄土の主である阿弥陀如来への信仰が高まって彫像や堂宇(どうう)の造立が盛んになり、その事例の一つとして、9体の阿弥陀如来像を作ることが行なわれました。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園
阿弥陀如来に関する『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』という経典によると、生前の行ないや信心深さに応じて、極楽往生の仕方には9段階あると説かれています。
一番上の段階では、多くの菩薩や飛天を引き連れて極楽浄土からやってきた阿弥陀如来にすぐに会うことができます。一番下の段階では、亡くなった人の魂を載せる蓮華の台だけがやって来て、その後、時間をかけて往生します。ただし、重要なのはどの段階であっても最終的には極楽往生できるという点です。
この9段階の極楽往生になぞらえて作られた9体の阿弥陀如来像を九体阿弥陀といい、9体を横一列に安置する横長の建物、つまり九体阿弥陀堂や九体堂と呼ばれる専用の堂宇も建てられました。
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂
阿弥陀如来像の大きさは、仏像の大きさの基準のひとつである一丈六尺(約480センチ。坐った像では半分の約240センチ)が主流で、9体もの大きな阿弥陀如来像の制作や、それらを安置するための大きな堂宇の建立には、それに応じた財力や権力が必要でした。そのため九体阿弥陀の発願者は主に貴族でした。
九体阿弥陀と九体阿弥陀堂のセットは、記録上、約30例ほど確認できますが、平安時代当時の仏像と堂宇が現存するのは浄瑠璃寺だけです。
では、次に像を見てみましょう。
本展に出品されている浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期に流行した穏やかな作風を基調としています。丸い顔立ちに優しげな目線、抑揚をおさえた体つきなど、極楽往生を切に願う人々を安心させるような大らかさが感じられます。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺(顔正面と左斜側面)
側面から見てみますと、正面の印象に比べて思いのほか上半身の厚みが薄いことに気づきます。
これは正面から見たときの美しさを重視した当時の傾向といえます。
同じく阿弥陀如来坐像(右側面と左側面)
また、本展は2018年度から5か年をかけて修理された九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されるものです。仏像は作られてから幾度も修理されることで、後の時代へと伝えられます。この像もこれまで何度か修理されてきました。
その一端が光背の裏面に記されています。
阿弥陀如来坐像(光背裏面と光背裏面の赤外線撮影)
「勧進御光結縁人数之事」という書き出しで、何人かの人の名前が列記されています。これは、「御光」すなわち光背を修理した時に関わった人の名前です。そして末尾には、「文正元年丙戌六月三日」の日付が記されており、文正元年(1466)の修理記録であることが分かります。
今回の修理は明治時代以来、およそ110年ぶりです。
修理を契機に開催されている本展ですが、次に九体阿弥陀をお寺の外でご覧いただける機会は、さらに100年後かもしれません。
またとないこの機会に展示室でご覧いただき、そして、展覧会終了後は、ぜひ現地で9体そろった圧巻の情景をご覧いただけましたら幸いです。
堂内では通常は壇で隠れて全体が見えない台座も、会場では間近でご覧いただくことができます
カテゴリ:研究員のイチオシ、彫刻、「京都・南山城の仏像」
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posted by 増田政史 at 2023年10月06日 (金)
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」展示風景
ほほーい、ぼくトーハクくん! 今日はユリノキちゃんといっしょに特別展「京都・南山城の仏像」を観に来たほ!
いつもは南山城(みなみやましろ)でしか見ることができない仏像が勢ぞろい!
すごい迫力だったほ! 会場の様子は1089ブログ「特別展『京都・南山城の仏像』開幕!」でも見ることができるほ。
トーハクくん、こっちに展覧会グッズのショップがあるみたい。
特別展「京都・南山城の仏像」ショップ
なんだか気になるグッズがいっぱいだほ。
特別展「京都・南山城の仏像」では仏像大使のみうらじゅんさん、いとうせいこうさん監修のグッズがあるんですって。
仏像大使監修グッズ
これはなんだほ?
「おくすり手帳」 550円(税込)
「おくすり手帳」中面
いとうさん考案の「おくすり手帳」よ! 実際に薬局でも使えるの。
表紙には薬つぼをもった浄瑠璃寺(じょうるりじ)の薬師如来坐像が!
重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・11世紀 京都・浄瑠璃寺 展示期間:10月11日(水)~26日(木)
厳しくも頼りがいのあるお姿...この「おくすり手帳」ならもう忘れないわね。
これも気になるほ。
みうらさん、いとうさん一推しの不動明王「アクリルスタンド」 990円(税込)
アクリルスタンドを組み立てた状態
どこか愛らしいこのアクリルスタンドのモデルは神童寺(じんどうじ)の不動明王立像ね。
重要文化財 不動明王立像 平安時代・12世紀 京都・神童寺
口元に牙が見えます。親しみのあるお顔の不動明王立像
さらにみうらさん描きおろしの「九体阿弥陀Tシャツ」など、仏像大使グッズはぜんぶで5種類だほ。
ほかにも展覧会オリジナルグッズがもりだくさん!
迷っちゃうほ…。
皆さんも、ぜひ特別展「京都・南山城の仏像」の思い出をお持ち帰りくださいね。
さっそく外に出て記念撮影だほ!
わーい!
会場の本館前で記念の一枚
特別展「京都・南山城の仏像」は2023年11月12日(日)まで、本館特別5室で開催中です。仏像大使のグッズ開発の様子は本展の公式サイトでご覧いただけます。
カテゴリ:news、彫刻、トーハクくん&ユリノキちゃん、「京都・南山城の仏像」
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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2023年10月02日 (月)
当館の東洋館では毎年恒例、大好評の企画「博物館でアジアの旅」を開催しております。
記念すべき第10回目を迎える今年は「アジアのパーティー」をテーマに作品の饗宴をお楽しみいただきます。
食事やお酒、音楽やダンス、華やかな服装や調度など、さまざまな視点から「アジアのパーティー」に関わる作品がこの企画にエントリーしています。
ここでは、ちょっとかわった切り口からアジアのパーティーをのぞいてみましょう。
東洋館に入って最初の展示室、1室にご案内いたしましょう。
ここには石仏を中心に中国の彫刻作品を展示しております。
東洋館1室の展示風景
その中から、今回ご紹介するのはこちら、重要文化財「如来三尊立像」です。
重要文化財 如来三尊立像(にょらいさんぞんりゅうぞう)
中国 東魏時代・6世紀 東京国立博物館蔵 東洋館1室にて展示
黒みを帯びた石灰岩製の石仏で、中央に如来立像、両脇に菩薩立像をあらわします。
光背を含んだ総高126.5cm、中尊如来像の像高78.0cm。
左右対称のバランスの良い姿です。三尊とも円筒形の頭部に顔のパーツを中央に寄せ、おちょぼ口で可愛らしく微笑む表情が特徴です。
中国の東魏時代・6世紀前半の制作と考えられ、現在の中国・河南省北部の新郷市に所在したと伝わります。
三尊の光背の上部では、三尊を天人が礼拝し、音楽を奏でて讃嘆します。
「如来三尊立像」光背の上部
その様子は、まさにパーティーと呼んで差し支えないものですが、今回注目したいのはここではありません。
まず、下のほうに目をやりますと、如来が立つ台座にあたる部分には、中央にマス目があらわされ、その両脇には柄香炉(えごうろ)を捧げる僧形像と人物像が線刻されます。
この僧形像には「都邑師法始(とゆうしほうし)」、「都邑師慧略(とゆうしえりゃく)」という名前が記されています。
「如来三尊立像」の台座部分
台座の右側に「都邑師法始」と刻まれています。
台座の左側に「都邑師慧略」と刻まれています。
次に、背面にまわってみましょう。
「如来三尊立像」の光背背面
光背の背面には人物像とその名前がぎっしりと刻まれています。
最上段は、維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩との問答の場面を描く「維摩変相図(ゆいまへんそうず)」です。
維摩変相の下は6段に区切られ、それぞれに多数の供養者像とその名前をあらわします。
その上段を見てみましょう。
「如来三尊立像」の光背背面の上部
右端には「菩薩主胡伯憐(ぼさつしゅこはくれん)」その内側に「開仏光明主司徒永孫(かいぶつこうみょうしゅしとえいそん)」、さらに「比丘法順(びくほうじゅん)」「比丘法遵(びくほうじゅん)」などの人物名がみられ、人物像が描かれます。
その下段には右端から「邑子(ゆうし)」「唯那(いな)」「都維那(ついな)」などの肩書が続きます。
この人々、実はこの石仏をつくるために集いお金を出し合った人々なのです。
中国の南北朝時代には邑義(ゆうぎ)と呼ばれる在家の仏教集団が各地につくられました。
先ほど正面の台座にあった「都邑師」とは、邑義を指導する僧侶のリーダー格のことです。
背面の上段に並んでいた「開仏光明主」はこの三尊像のうち中尊如来像の発願をした人、名は司徒永孫と言ったようです。
さらに「菩薩主」の胡伯憐は脇侍のために出資した方でしょう。
「比丘」は出家した男性のこと、その下段にみられた「邑子」は邑義の構成員。
いわば平社員、一般会員です。「唯那」は下級のリーダー格で、係長か課長、「都維那」は維那あるいは唯那のリーダーですので部長級と言ったところでしょうか。
このように、本像の造像にあたり発願・出資した人々がその役職名とともに記されているのです。
記された名前を数えると、重複して登場する人ものぞくと、なんと73名にのぼります。
実に多くの人々が関わった造像であることが知られます。
他の作例と比較すると明らかなのですが、本来であれば正面の台座中央に刻まれたマス目に、この造像の目的や年月日などが記されるはずでした。
なぜか本像にはこの銘記を欠き、明確な造像の目的や時期が明らかではありません。
しかし、この73人が志を同じくして、出資をして本像をつくり上げたことは間違いないでしょう。
ところで、食事をしたりお酒を飲んだり、歌ったり踊ったり、お祝いしたりするのもパーティーですが、登山隊や政治政党をパーティーと呼ぶように、もともとパーティーとは目的を同じくする人々の集まりを意味します。
そうした意味で、ここに紹介した中国石仏はれっきとしたパーティーによってつくられた作品と言えるのではないでしょうか。
邑義と言う名のパーティーは、中国南北朝時代から各地でみられる在家仏教団体ですが、本像にもみられた通り、僧侶の指導を受けたものでした。
あいにく本像の場合には銘文が空白であるために、目的や時期、かかわった人々の全貌を知ることができませんが、それでも中国南北朝時代に流行した造像のあり方、パーティーによる造像を伝える点で貴重な石仏なのです。
「如来三尊立像」の展示風景
ここに紹介したパーティーのあり方は、ちょっと意識の高いパーティーと言えるかもしれません。
今回の「アジアのパーティー」にはこうした変化球ばかりではなく、酒食・歌舞といったもっと身近なパーティーの姿を見せてくれる作品たちにもたくさん出会うことができます。
東洋館インフォメーションでは「博物館でアジアの旅 アジたびマップ2023」を数量限定で無料配布しております。
是非「アジたびマップ」を片手に東洋館をめぐり、さまざまな姿を見せる「アジアのパーティー」と触れ合ってください。
各展示室で「アジアのパーティー」にかかわる作品が皆様をお待ちしております。
もっと詳しく知りたい方は小冊子『博物館でアジアの旅 アジアのパーティー』をミュージアムショップでお求めください。きっとパーティーの良い引き出物になること、請け合いです。
出品作品の画像掲載。「アジアのパーティー」にまつわる作品とそのエピソードについて、さまざまな角度から詳しく解説したガイドブックです。
編集・発行:東京国立博物館
定価:550円(税込)
全16ページ(オールカラー)
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posted by 児島大輔(東洋室) at 2023年09月29日 (金)
東洋館8室で開催中の特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(2023年10月22日まで)。今回は、現在展示中の重要文化財「拾得図」について解説したいと思います。
展示風景写真中央
重要文化財 拾得図(じっとくず)
虎巌浄伏賛 元時代・13~14世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、10月22日まで]
この「拾得図」は、南宋時代末から元時代初頭に活躍した禅僧・虎巌浄伏(こがんじょうふく/1303年没)の賛を伴う作品です。同じく虎巌の賛を伴う静嘉堂文庫美術館所蔵の「寒山図」と対幅をなしていたことが知られます。
寒山と拾得は、中国唐時代に天台山(てんだいさん)に住んだといわれる伝説的人物で、自由で何ものにも捉われない風狂な姿が禅林(ぜんりん)で好まれ、盛んに絵画化されました。寒山は「寒山詩(かんざんし)」と呼ばれる漢詩を作ったことから経巻を持つ姿で、拾得は寺の掃除を行っていたことから箒(ほうき)を持つ姿で表されるのが通例です。
拾得図 全図
本作では、無背景の画面に、経巻を両手で広げ、やや腰を曲げて裸足で立つ拾得の姿が軽妙な筆致で表されています。
あれ? 経巻を持っているのは寒山じゃなかったっけ?
そう思った方もいるかもしれません。実は、本作と対になる静嘉堂本では「筆」を持つ姿で表されることから、まさに詩を書こうとしている寒山に同定され、となると経巻を持つこちらの人物がやはり拾得だと判断されるのです。いずれにせよ、半円形の目で奇怪な笑みを浮かべるその表情は、拾得の超俗性をよく体現しているといえるでしょう。
画面の上部には画賛(がさん。絵に寄せる言葉)が書かれています。
拾得図 画賛
少し難しい語句も含まれますが、ちょっと読んでみましょう。
これに主語を補って現代語訳すると、次のような意味になるでしょうか。
【句意】
(拾得が)手に持っているのは、汚れた塵を払う一巻の経典(寒山詩か)。(彼が)両眼で見つめるのは(この経典のように清らかな)繰り返す春の情景である。(この賛を読むあなたが)世の人のために模範となろうとするのであれば、(ここに描かれた拾得の)この(幻影の反語としての)生身に対して、無駄に済度(さいど。悟りに導くこと)させるようなことはしないことだ(すでに拾得は脱俗の境地に到達しているのであるから)。
賛者の虎巌浄伏は、杭州の径山(きんざん)に住した高僧で、門下に月江正印(げっこうしょういん)や明極楚俊(みんきそしゅん)といった俊英を輩出したことでも知られています。虎巌の筆跡は他に残されていないことからしても、本作はその貴重な遺墨といえるでしょう。
ちなみに賛の末尾には「浄伏」の署名がありますが、子細に見れば、署名部分の周囲に2.2センチ四方の印章跡が確認できます。斜光撮影した画像をよ~く見てみると、うっすらと四角い跡が見えてくるはずです。摩滅のため印文は不明ですが、おそらくは静嘉堂本と同じ朱文重郭方印であったと思われます。
拾得図 印章跡(斜光撮影)
さて、改めて本作の図様表現を確認すると、衣文を表す描線は起伏に富んだ筆線が用いられ、とりわけ裾や腰帯は右から左へと風になびいてリズミカルに翻っています。対して面部や肉身部は鋭い細線で表されており、略筆でありながらもその像容把握は的確です。
拾得図 全身
また、毛髪は筆をこすりつけるような擦筆が用いられ、拾得の怪異な容貌が強調されています。こうした表現は、伝因陀羅筆「寒山拾得図」(東京国立博物館蔵)などにも見られるものであり、南宋時代末から元時代初期の禅宗人物画の特質をよく示しているといえます。
重要美術品 寒山拾得図(かんざんじっとくず)
伝因陀羅筆、慈覚賛 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
[特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」(本館特別1室 10月11日から11月5日まで)にて展示]
さらに注目されるのは、拾得を描く軽やかな描線と、虎巌の賛の流麗な草書体とが見事に照応していることでしょう。とりわけ、小気味良く反転する衣文描写と賛の書体は、明らかに呼応関係にあるといえます。このことは、書画の一致が目指された同時代の作例とも軌を一にしています。
加えて本作では、毛髪を除く図様全体はやや水気を含んだ墨線で描き表すのに対し、瞳部分のみ、黒々とした濃墨を点じていることが見て取れます。こうした表現は、賛にある「両眼相看」の詩句とも対応するだけに興味深いといえるでしょう。
拾得図 面部
本作を描いた画家は不明ですが、このような詩書画の一体性を考慮するならば、賛者虎巌とも親しく接することのできた、禅余画僧(余技として絵を描く禅僧)の手による可能性が考えられるかもしれません。本作は、禅林における道釈人物画の展開をうかがう上でも貴重な作例といえるでしょう。
今回ご紹介した作品と関連して、当館では、表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展(12月3日まで)、本館特別1室で特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」(11月5日まで)も開催中です。ぜひ、本特集とあわせてご覧ください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 高橋真作(特別展室) at 2023年09月28日 (木)