踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト 「埴輪 踊る人々」修理報告 1
東京国立博物館は、創立150年記念事業の一環として、館を代表する名品「埴輪 踊る人々」と「見返り美人図」の文化財修理にかかわる費用を個人や企業から寄附を募るファンドレイジング事業、「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」を、文化財活用センター〈ぶんかつ〉と共同で実施して参りました。
多くの皆様のご協力のもと、たくさんのご支援をいただき、2023年3月31日の寄附受入終了までに、総額で15,396,445円のご寄附が集まりました。皆様のあたたかいご支援に改めて御礼を申し上げます。
「埴輪 踊る人々」と「見返り美人図」の修理に関する費用を上回るご寄附は、すべて東京国立博物館所蔵の文化財の修理費として大切に活用させていただきます。
そして、このプロジェクトは寄附の受入が終了してもまだまだ続きます。
修理対象である2作品のうち、まず「埴輪 踊る人々」が先行して修理に入りました(「見返り美人図」は2023年秋より修理開始予定)。
文化財の修理は、解体などを伴う大がかりな処置を行う「本格修理」と、作品の状態に合わせて最小限の処置を行う「対症修理(応急修理)」に大きく分かれますが、今回「埴輪 踊る人々」に必要なのは「本格修理」。専門の修理技術を持つ館外の修理工房へと、昨年10月に移送されています。
輸送のための梱包の様子
修理に必要な期間は、全ての工程を合わせると約1年半。
2024年春に予定されている修理の完了まで、修理の現場でどのようなことが行われているのか、このブログで皆様にご紹介していきたいと思います。
さて、修理作業の様子を覗く前に、まず今回「埴輪 踊る人々」に必要な修理をおさらいしておきましょう。
まずは作品に入っている亀裂。胴や腕の部分に横向きの亀裂が複数入っています。
さらに石膏の劣化と剥離。
昭和初期の修理時に施された石膏が経年劣化により非常に脆くなっており、一部に剥離が生じている状態です。
館の所蔵する埴輪の中でも知名度の高い作品であることから、他施設から貸出し依頼の多い作品ですが、慎重な取扱いを必要とするため、近年は断念せざるを得ない状況でした。
今回の修理では、解体、旧修理の石膏の除去、クリーニング、亀裂や破断面の強化、接合、欠失部の補てん、補てん箇所の彩色などが行なわれることになっています。旧修理の石膏を除去した部分には劣化しにくい補填材が使用される予定です。
なお、今回の修理はX線CT装置による調査など、最新の技術を基にした知見を活かして行われる計画になっています。
X線CT装置で撮影した「埴輪 踊る人々」の断面画像
上の画像は小さいほうの埴輪の胴回りをCTで撮影した断面画像です。
以前の修理によって石膏で覆われており、表面からは確認しづらいのですが、よく見ると内側のオリジナル部分に亀裂があることが分かります。このように肉眼では観察できない亀裂がCT画像で確認可能となることで、修理に伴って石膏をはがす際に慎重を要する部分が分かるようになったとのこと。
修理はこうした事前の調査によって蓄積したデータをもとに、細かな注意を払いながら進められていきます。
今後もこのブログでは修理の進捗などについて、シリーズでご紹介していきたいと思います。
どうぞお楽しみに。
カテゴリ:保存と修理
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posted by 田村淳朗(総務部) at 2023年04月29日 (土)
創立150年記念特集 古代染織の保存と修理―50年にわたる取り組み―
法隆寺献納宝物の染織品修理が本格的に始まったのは、今から50年前の昭和47年(1972)からです。
これまでに作品の大きさや状態により8種類の修理方法が開発されてきました。
法隆寺宝物館で展示されている染織品は、この間に修理を行なったものが大部分です。
東京国立博物館が行なっている修理の大部分は、外部の修理業者に依頼しています。
しかし、献納宝物の染織品修理は違うのですよ。
なぜかというと、上代裂(じょうだいぎれ・飛鳥・奈良時代の染織品)の形や技法、文様などを熟知した
職員(客員研究員を含む)でないと、形を復元するのは難しいからです。
したがって、職員が外部の修理技術者とともに実施しているのが特徴です。
3件の修理を例に説明します。
当初の修理は旧法隆寺宝物館の展示のため、展示効果の高い大形作品が選ばれました。
絹の台裂(だいぎれ)に絹糸で綴じ付ける方法が採用されました。
広東綾大幡など、幡頭(ばんとう)は展示ケースの都合で、幡を吊り下げるための懸緒(かけお)を曲げざるをえませんでした。
幡(ばん)とは仏菩薩などを供養するために用いられた荘厳具の一つです。仏教の儀式の際に、寺院の内外を飾った旗です。
人体をかたどるように、三角状の幡頭、方形の坪(つぼ)をつないだ幡身(ばんしん)、帯状の幡足(ばんそく)からできています(「幡 各部の名称」図参照)。
その後、裂(きれ)の劣化が進んできたため、幡を解体することにしました。しかし、この幡はあまりに長大なため、まだ解体修理が行なわれていませんので、別な幡で説明いたします。
解体には綴じ糸を外さなければなりません。これが想像以上に大変な作業なのです。
何しろ、裏側で綴じ付けの縫い糸を切り、今度は表に返してピンセットで1本ずつ慎重に抜き取らなければなりません。
なかには台裂へ縫い糸が食い込んで、抜けないこともありました。
裏側の綴じ糸の状況 これは別の幡です
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やっとのことで綴じ糸を抜き取ったら、今度は幡の解体が待っています。
ここでは、今回展示中の献納宝物を代表する色鮮やかな蜀江錦綾幡でご説明しましょう。
解体するには仕立ての縫い糸を外すのですが、縫い糸も当時の貴重な情報源ですから、可能な限り表面に残しました。
解体中には新しい発見がありました。
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解体して筆とピンセットで経糸・緯糸(よこいと)を揃えながら文様を合わせていきます。
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文様を合わせた裂を和紙(楮紙・こうぞし)で裏打ちし、形を組み立てて復元しました。
幡身・坪裂と縁
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幡頭を付けて完成です。
なお、幡足は展示の際に配置します。
羅道場幡を例に、最近の修理を説明しましょう。
大形の奈良時代の幡で、仕立てられているため厚みが均一でない作品の修理です。
この幡は、天平勝宝9年(757)、聖武天皇の一周忌法要に飾られました。
破損・欠損があるものの、一応、幡頭・幡身・幡足を備えており、大変貴重です。
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幡は全長3メートル余りあります。作業をしやすくするため、幡頭・幡身・幡足に分け、必要に応じて部分解体することにしました。
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裏打ちした幡身に幡足を組み立て、外した幡頭を設置しました。
組み立てた幡は、低加圧ウィンドウマット装と呼ばれる修理仕様にしました。
低加圧ウィンドウマット装とは、本体の厚みが均一でない作品に対する修理方法です。
まず、ポリエステル綿で土台を作り、作品の形状と厚みに応じてくり抜き、オーガニックコットン(製造から製品に至るまで、化学薬品を使用していない綿織物)で包み、中性紙の浅箱に入れました。
つぎに、くぼみに合わせた位置に修理した作品を置き、上からアクリル板をかぶせました。
アクリル板の圧力は周辺のオーガニックコットンが受け、本体にかかる圧力を軽減する仕様です。
展示効果を高めるため、最後に中性紙の窓枠を開けたウィンドウマットをかぶせました。
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こうした地道な修理によって、損傷著しい幡が安全な状態で後世に引き継がれていきます。
今回の創立150年記念特集「古代染織の保存と修理―50年にわたる取り組み―」(法隆寺宝物館第6室、12月10日まで)では、貴重な古代の染織品を適切な状態で未来に伝えるべく行なってきた東博のたゆまぬ努力の軌跡をご覧いただきたいと思います。
カテゴリ:保存と修理
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posted by 沢田むつ代(東京国立博物館 客員研究員) at 2022年11月22日 (火)
現在、法隆寺宝物館第6室では「染織-広東綾大幡と古代の幡金具・幡足-」と題して、6室すべて染織関係の作品を展示しています(展示期間は2018年9月2日(日)まで)。
通常、6室では絵画・書籍・染織の展示を行っているのですが、毎年夏の2か月だけは染織品のみを展示しているんです。
美しく装丁された透彫金具。奥の壁付ケースには広東綾大幡を展示
今回の展示のメインは、全長が12メートルを超える献納宝物最大の染織作品「広東綾大幡」。これは元明天皇の一周忌法要(養老6年/722)に用いられたと考えられる織物製の灌頂幡です(ちなみに灌頂幡とは7世紀から8世紀にかけて、天皇の一周忌法要や寺院の落慶法要などで用いられた大型の幡。天蓋から大幡1流と小幡4流が下がる形を基本形とする。法隆寺献納宝物の金銅灌頂幡はその代表例)。
広東綾大幡に取り付けられた金銅製の透彫金具
奈良時代の出来事を記した国の正史である『続日本紀』には、養老6年11月19日のこととして、前年に崩御された元明天皇のため、華厳経や涅槃経といった経典とともに「灌頂幡八首。道場幡一千首」が作られ、12月7日より奈良の諸寺院において法要が行われたとあります。
一方、奈良時代に記された法隆寺の財産目録『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』には「秘錦灌頂壹具 右養老六年歳次壬戌十二月四日 納賜平城宮御宇 天皇者」(秘錦を用いた灌頂幡の1セット。これは養老六年壬戌の歳の12月4日に、平城宮で世の中を治められた天皇〈元正天皇〉が奉納されたもの)と記されており、その奉納者や日付から、この灌頂幡は元明天皇の一周忌法要のため、法隆寺に奉納されたことがわかります。
献納宝物の広東綾大幡はその大きさや染織品にみられる文様の様式年代から、「秘錦灌頂」にあたる可能性が極めて高く、正史に記された作品が現存しているという極めて貴重な例ということができます(最新の研究成果については、「法隆寺献納宝物の広東裂─その分類および絵画・彫刻等からみた文様の伝播について─」 沢田むつ代 『MUSEUM』第667号 東京国立博物館 2017年 4月、をご覧ください)。
さて、「広東綾大幡」の見どころとして、幡の上部から下がった帯に付いている金具があげられます。現在のこる古代の幡金具は幅がだいたい7センチほどですが、これは幅約14.5センチという大型のもので、唐草文様の透かし彫りが施されています。
天皇の勅願による制作と考えられるだけあって、その表現は繊細にして華麗で、飛鳥から奈良時代にかけての金工作品のなかでも特に優秀な出来栄えをみせています。
「広東綾大幡」についている金具はこれまでも2年に一度、来館者のみなさまに御覧いただいていたところですが、実は献納宝物にはさらに沢山の幡金具が保存されてきました。
明治11年に法隆寺から皇室に宝物が献納された時の目録に「一 間人皇后御几帳 鈴十三添 筥入」「一 推古帝御几帳 鈴大小九ツ添 赤地錦嚢ニ入黒漆ノ筥ニ納」とあるのがそれです。「間人皇后」「推古帝」というのはあくまで伝承であって、大部分は織物製の灌頂幡に付属した金具と考えられます。
透彫金具の一部(N-59-2)
展示では「飛鳥~奈良時代・7~8世紀」と念のため幅を持たせて表記しましたが、文様から考えて、おそらく奈良時代の前半から中頃にかけて制作されたものと考えています。また展示ではよく見えませんが、金具の間に錦や綾が挟まれたまま残る作品も確認できます。
金具の間には錦や綾といった織物が挟まれている
トーハクのホームページにある画像検索に「透彫金具〈几帳金具〉」と入れていただくと、一部の作品は画像で見ることができますが、その全体が示されたことはこれまでなく、実際に公開されるのは、私が知る限り、これが初めてです。
染織品とともに長い時間保存されてきた作品だけあって、他の金銅仏や金工作品と違い、あまり錆ついておらず、良好な状態を保っています。古色蒼然とした献納宝物の金工作品を見慣れた目からすれば、「本当に本物??」「磨いたんじゃないの?」と言ってしまうような金色の輝き。「古代の金工品はこんな色合いや輝きをもっていたんだなー」という実際を見ることができる貴重な作品です。
「それなら何故、これまで公開してこなかったの?」というところですが、金具についている糸房の粉状化が進んでおり、作品の状態が安定していなかったためです。私自身、こんな作品が存在していることを皆さんに見てもらいたいと思ってきたのですが、状態が悪いために断念してきました。
処置前の写真をご覧ください。糸房の部分が赤い粉になって散乱してしまって、包み紙を開けるだけでも崩壊が進む状態でした。これでは公開することができません。
房の部分が粉状化した透彫金具
しかし今回、当館の保存修復室の協力のもと、全作品について安定的な保存を目的とした装丁を施すことで初公開に漕ぎつけることができました!!
保存修復室のスタッフにはいつも急に持ち込んだ無理難題を解決してもらっていて、ありがたい限りです。今回も保存担当スタッフと学芸のコラボにより、良い仕事ができました。
法隆寺献納宝物の染織品を平置きで展示・保存するため、保存修復室で開発した装丁法として、低加圧ウィンドウ・マット装というものがあるのですが、これを糸房のついた透彫金具に応用しました。
ウィンドウ・マット装の制作風景
低加圧ウィンドウ・マット装では、あらかじめ作品の形状や部分ごとの厚さに合わせてポリエステルのクッション材を刳り貫き、オーガニックコットン(木綿)で覆ったうえで作品を設置します。また今回は特に粉上化した作品が木綿の織目と絡み合ってしまうことを防ぐため、作品のすぐ下に作品の形に合わせた和紙を敷き込んでいます。
房の付いた透彫金具を設置する様子
受け皿が整った上で、上からアクリル板を置き、作品を軽くおさえる程度の圧をかけ、周囲をネジで固定すれば完成です。アクリル板の重さは作品周囲のクッションに加わり、作品自体に対する圧力は低い状態で安定化させることができます。壁にかけて展示することはできませんが、平置きの展示と保管は安全に行うことができ、将来に向けても大幅に崩壊の危険が軽減されることになりました。
アクリル板で固定する直前の低加圧ウィンドウ・マット装
いやー目出度し目出度しです。トーハクには保存技術者が常駐しているため小回りのきくケアが可能で、これにより私たち学芸担当はその意図する展示を行うとともに、将来に向けた保存環境の向上も実現することができます。
真新しい装丁におさまって、一層美しさの増した透彫金具の数々。古代の金工作品や文様を研究している学生さん、作品制作やデザインを行っている学生さんなどには、是非とも見てもらいたく、急きょブログで紹介させて頂きました。
鑑賞効果の向上と安定した保存のため、マットには細かな工夫がちりばめられています
今回の展示については、是非とも古代美術を愛好されるみなさんの話題になってもらいたいものと祈っております。是非、法隆寺宝物館第6室にお越しください!!!
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posted by 三田覚之(文化財活用センター研究員) at 2018年08月11日 (土)
こんにちは!保存修復室の野中です。
毎年、保存修復課が中心となって準備しております特集「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2018年3月13日(月)~4月8日(日))が今年も始まりました!
展示の様子
本特集では、絵画、陶磁、刀剣、染織、考古の分野で「本格修理」を終えた12件、民族資料、染織から「対症修理」を行った作品5件、計17件をご覧いただけます。どの作品も、見どころ満載です!
パネルの解説も充実しています
修理工程のほか、対症修理はどんなことをやっているのか?CTをどんなふうに活用しているのかなども解説パネルでご紹介しています。
特に今回は、東大寺正倉院伝来の「紫地花鳥連珠七宝繋文錦天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-174)と「淡縹地葡萄唐草文綾天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-175)、「赤地花卉文﨟纈平絹」(列品:I-337-37)などを安全に展示、保管できるように工夫されているマウント装の構造を、模型や図面で詳しく展示しています。
マウント装の構造解説
これらは、鑑賞の妨げにならないように工夫をされている内部の構造のため、いつもは見えない部分ですので必見です!
見えないところにかけられている時間と工夫から、文化財への研究員と技術者の愛情を感じていただければと思います。
あれ?展示室に16件しか作品がないじゃないか!?
とお思いの方。
安心してください。
外に展示していますよ!
今年は、展示室には収まりきらないスケールの作品が1件。
8年ぶりに東博の庭園内に設置された3メートルをこえる「大燈籠」(列品:G-4218)がその作品です。
大燈籠
桜の開花も間もなく!
展示室で鑑賞した後は、ぜひ庭園でお花見をしながら大燈籠のある景観を眺めてはいかがでしょうか?
(春の庭園開放:2018年3月13日(火)~5月20日(日))
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posted by 野中昭美(保存修復室アソシエイトフェロー) at 2018年03月16日 (金)
秋深まる今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。保存修復室の横山です。
今年も、秋の庭園開放(2017年10月24日(火)~12月3日(日))の季節がやって参りました。毎年楽しみにしてくださっている方も、初めて庭園を訪れる方も、今年はぜひ、茶室「九条館」の前へお越しください。
トーハクファンの方は、きっとすぐに「おや? こんなところにこんなものがあったかな?」と気づかれるでしょうし、長年お付き合いくださっているディープなファンの方は、「お! 戻ってきたのか!」と思っていただけるかもしれません。九条館の前に、修理を終えた「大燈籠」が実に“8年ぶり”(修理期間も含めて)に、戻ってきました!
修復を終え8年ぶりに設置された大燈籠
この燈篭は、れっきとした東博の館蔵品(列品:G-4218)です。
京都で、現在も代々続く陶家・清水六兵衛家の四代(1848-1920)によるもので、陶製です。四代が61歳のときに作り、昭和13年(1938)に五代によって寄贈されました。陶製の燈籠という、器にとどまらない四代の作風の幅の広さを伝えるものとして、大変貴重な作例です。
近くでご覧いただければ、その大きさ、迫力に驚かれることでしょう。
総高は、2メートル30センチ強。宝珠、傘、火袋、中台、竿、基礎部、の大きく6つの部分から成り、総重量は1トンを超える、大変堂々とした作品です。
大燈籠をめぐる、この8年にはいろいろなことがありました。語りだすと、ちょっと長~くなってしまうのですが、およそ次のようなことが起こっていました。
【2009年10月】
日々、外で風雨に晒される状況から、燈籠の亀裂等劣化が進行
加えて不安定な地盤の状況により、いつ倒壊してもおかしくないことが指摘されていた
そこで、現場調査を実施し、いったんこの場所から撤去することが決まる
修復前の大燈籠 表面の旧修理痕、ズレや傾きが目立つ
【同年11月】
本館裏へ、解体して移動(担当は、重機を専門とするチーム!)
【2010年~13年】
修理に向けた調査・検討を重ねる
前例のない修理のため、修理仕様の決定、業者選定等にも慎重を期す
この間、3.11も発生。もし、従前の場所にそのままあったとしたら…(ドキり)
【2014年春】
会議に諮り、修理業者を決定
大型彫刻の修理を数々手掛けてきた「明舎(みんしゃ)」(代表:藤原徹氏(山形県))が行なうことになる
【2014年11月】
修理に向け、山形へ出発
大燈籠の搬出作業
【~2016年9月末】
明舎にて修理を実施
クリーニング、旧修理材の除去、新たな充填、補強等が施される
【2016年12月】
修理を終えた大燈籠を東博へ輸送
すぐに再設置を予定するものの、今後のさらなる安定性を確保するため、地盤の水平工事を行なうことになる
【2017年春】
設置箇所の地盤工事を実施
【同年6月】
満を持して、大燈籠を再設置!
2tトラック、クレーン、足場セッティングによる大掛かりな作業となる
大燈籠を再設置 1つずつパーツを持ち上げていきます
【同年10月】
秋の庭園開放にて一般お披露目
…本当に、いろいろなことがありました(しみじみ)。
大きな作品を安全に扱うことの難しさ、天候に左右される屋外作業の大変さを感じることの連続でした。
たくさんの人の手を経て、ようやく戻ってきた大燈籠。これからも庭園を彩るシンボルの一つとして、訪れた皆さまにあたたかく見守っていただければと思います。
なお、この燈籠にどういった修理が行なわれたのか、その詳細は、来春の「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2018年3月)でご紹介します。こちらもぜひ、お楽しみに!
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posted by 横山梓(保存修復室研究員) at 2017年10月18日 (水)