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1089ブログ

蘭亭序の楽しみ方―蘭亭序、はなざかり―

「永和九年、歳は癸丑にあり」。この文章で始まる作品が、王羲之の最高傑作・蘭亭序です。東晋時代の永和9年(353)3月3日、会稽郡(かいけいぐん、現在の紹興)の長官を務めていた王羲之は、風光明媚な蘭亭に41人を招いて詩会を催しました。川の水を引いて曲がりくねった流れを作り、人々は小川の左右に陣取ります。川上から杯が流れ着くまでに詩を作り、もし詩が出来なければ、罰として大きな杯に3杯の酒を飲まされるという、文人ならではの優雅な宴です。

詩会での成績が「蘭亭図巻」に記されています。それによると、2首の詩を成した者11人、1首を成した者15人、詩を作れなかった者16人。


蘭亭図巻─万暦本─
蘭亭図巻─万暦本─(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
原跡=王羲之等筆 明時代・万暦20年(1592)編 東京国立博物館蔵


王羲之は主催者だけに2首詠んでいます。

蘭亭図巻─万暦本─(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
蘭亭図巻─万暦本─ (部分)


さらに、この宴には王羲之の息子7人のうち6人が参加。3人が2首、2人が1首作り、末っ子の王献之は詩を作っていません。「蘭亭図巻」の王献之を見てみると、片膝立ててそっぽを向き、いかにもやる気のない様子なので、罰杯3杯を飲みたいがために、わざと詩を作らなかったのだろうかなどと想像しましたが、この時の王献之の年齢を調べたら、わずか10歳。なるほど納得しました。まだお酒も飲めず(本当は飲んだかもしれませんが)、詩を作ることも難しかったのでしょう。しかし、ヒゲを生やしたこのふてぶてしい姿が10歳とは…。

蘭亭図巻─万暦本─(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
蘭亭図巻─万暦本─ (部分)

王羲之は、この詩会で出来た詩集の序文を書きました。これが世に名高い蘭亭序です。美しい自然に包まれながら、前半では宴の様子を述べ、後半では流れゆく時間の中で生命のはかなさに思いを馳せます。

定武蘭亭序─韓珠船本─(ていぶらんていじょ(かんじゅせんぼん))
定武蘭亭序─韓珠船本─(ていぶらんていじょ(かんじゅせんぼん))
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353)台東区立書道博物館蔵


当時、東晋の人々にとって、中原の地を回復するための北伐は、国家最大の悲願でした。王羲之は、今の東晋が戦いに勝てるだけの実力を持ち合わせていないと、北伐に反対しましたが、その意見は受け入れられず、軍は北進を開始したのです。こうした背景のもとに書かれた蘭亭序に、王羲之晩年の憂いが投影されるのは当然かもしれません。蘭亭序には、いたるところに訂正のあとがあります。揺れ動く王羲之の心のありようが映し出されているようです。その時の感情の高揚を文字や行間に込めながら、流麗な筆さばきによって表現した蘭亭序。王羲之は後に何度も書き直しましたが、宴で書かれた蘭亭序をしのぐ作はできませんでした。

王羲之が自ら傑作と認めた蘭亭序は、その後多くの拓本が作られ、南宋時代には800本を数えたといいます。明時代の大家である董其昌(とうきしょう、1555~1636)は、「蘭亭に下拓なし」(蘭亭序の拓本に、つまらないものはない)という言葉を残しています。それほどに由緒あるさまざまな蘭亭序が作られたのです。今回の展覧会会場でも、蘭亭序はなざかり。みなさんもぜひ、お気に入りの蘭亭序をさがしてみてください。

「蘭亭図巻─万暦本─」および「定武蘭亭序─韓珠船本─」は、特別展「書聖 王羲之」(平成館、3月3日(日)まで)にて、展示中です。
また、東京国立博物館から至近距離にある(徒歩15分!)台東区立書道博物館においても、「不折が学んだ、書聖・王羲之。」を3月3日(日)まで開催中です。
あわせてご来館くだされば幸いです。

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2013年02月18日 (月)