「書聖」つまり「書の神様」として尊敬され、世界史の教科書や書写のお手本でもおなじみの王羲之は書を芸術へと高めた最初の人物。
でも王羲之が生きていた時代の直筆(真蹟)はひとつも伝わっていません。
では私たちの書のお手本はいったいどうやってつくられたのでしょう?特別展「書聖 王羲之」には一体何が展示されているのでしょうか?
それは精巧な複製。
複製をつくる技術には、臨書(りんしょ)や拓本(たくほん)などいろいろな技がありますが、そのひとつである双鉤塡墨(そうこうてんぼく)に挑戦するワークショップを開催しました。
双鉤塡墨は書の上に紙を置き、文字の輪郭に沿って線を写し塗りつぶす方法。
「写すとはいっても、文字の書き順を考え、墨の濃淡、筆の運びに注目することが必要」とのお話を胸に刻み、早速双鉤塡墨に挑戦です。
今回は展示中の行穰帖が題材。この作品自体、双鉤塡墨の技術を使ってつくられています。
行穰帖の写真の上に、薄くにじみにくい和紙を置き、まずはその輪郭をできるだけ細い線で囲みます。
(左)ご指導くださった山中翠谷先生 (右)書き順どおりに丁寧に。緊張感が漂います
続いてその中を書き順通りに細い線を重ね塗っていきます。ここで先生のお言葉をもう一度。墨の濃淡と筆の運びに注目です。
たとえば「九」の文字、線が交わるところは確かに濃い!はねやはらい、墨の濃淡まで再現されています。
行穰帖(こうじょうじょう) (部分)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 プリンストン大学付属美術館蔵 Princeton University Art Museum / Art Resource, NY
集中力を切らさず作業を重ね、できたのがこちら。
なんとも気の遠くなるような作業でした。
どうしたらよりその魅力を伝えられる複製を作ることができるかを真剣に考え、手間隙を惜しまず作られた複製は時代を越えて大切にされてきました。
その人びとの気持ちを思うと、いま自分の目の前にこれだけの王羲之の複製があることがまるで奇跡のよう。
今回ワークショップにご参加いただけなかった皆様も、展示室で王羲之の複製に託された人々の思いに触れていただければと思います。
カテゴリ:教育普及、催し物、2012年度の特別展
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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年02月19日 (火)
「永和九年、歳は癸丑にあり」。この文章で始まる作品が、王羲之の最高傑作・蘭亭序です。東晋時代の永和9年(353)3月3日、会稽郡(かいけいぐん、現在の紹興)の長官を務めていた王羲之は、風光明媚な蘭亭に41人を招いて詩会を催しました。川の水を引いて曲がりくねった流れを作り、人々は小川の左右に陣取ります。川上から杯が流れ着くまでに詩を作り、もし詩が出来なければ、罰として大きな杯に3杯の酒を飲まされるという、文人ならではの優雅な宴です。
詩会での成績が「蘭亭図巻」に記されています。それによると、2首の詩を成した者11人、1首を成した者15人、詩を作れなかった者16人。
蘭亭図巻─万暦本─(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
原跡=王羲之等筆 明時代・万暦20年(1592)編 東京国立博物館蔵
王羲之は主催者だけに2首詠んでいます。
蘭亭図巻─万暦本─ (部分)
さらに、この宴には王羲之の息子7人のうち6人が参加。3人が2首、2人が1首作り、末っ子の王献之は詩を作っていません。「蘭亭図巻」の王献之を見てみると、片膝立ててそっぽを向き、いかにもやる気のない様子なので、罰杯3杯を飲みたいがために、わざと詩を作らなかったのだろうかなどと想像しましたが、この時の王献之の年齢を調べたら、わずか10歳。なるほど納得しました。まだお酒も飲めず(本当は飲んだかもしれませんが)、詩を作ることも難しかったのでしょう。しかし、ヒゲを生やしたこのふてぶてしい姿が10歳とは…。
蘭亭図巻─万暦本─ (部分)
王羲之は、この詩会で出来た詩集の序文を書きました。これが世に名高い蘭亭序です。美しい自然に包まれながら、前半では宴の様子を述べ、後半では流れゆく時間の中で生命のはかなさに思いを馳せます。
定武蘭亭序─韓珠船本─(ていぶらんていじょ(かんじゅせんぼん))
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353)台東区立書道博物館蔵
当時、東晋の人々にとって、中原の地を回復するための北伐は、国家最大の悲願でした。王羲之は、今の東晋が戦いに勝てるだけの実力を持ち合わせていないと、北伐に反対しましたが、その意見は受け入れられず、軍は北進を開始したのです。こうした背景のもとに書かれた蘭亭序に、王羲之晩年の憂いが投影されるのは当然かもしれません。蘭亭序には、いたるところに訂正のあとがあります。揺れ動く王羲之の心のありようが映し出されているようです。その時の感情の高揚を文字や行間に込めながら、流麗な筆さばきによって表現した蘭亭序。王羲之は後に何度も書き直しましたが、宴で書かれた蘭亭序をしのぐ作はできませんでした。
王羲之が自ら傑作と認めた蘭亭序は、その後多くの拓本が作られ、南宋時代には800本を数えたといいます。明時代の大家である董其昌(とうきしょう、1555~1636)は、「蘭亭に下拓なし」(蘭亭序の拓本に、つまらないものはない)という言葉を残しています。それほどに由緒あるさまざまな蘭亭序が作られたのです。今回の展覧会会場でも、蘭亭序はなざかり。みなさんもぜひ、お気に入りの蘭亭序をさがしてみてください。
「蘭亭図巻─万暦本─」および「定武蘭亭序─韓珠船本─」は、特別展「書聖 王羲之」(平成館、3月3日(日)まで)にて、展示中です。
また、東京国立博物館から至近距離にある(徒歩15分!)台東区立書道博物館においても、「不折が学んだ、書聖・王羲之。」を3月3日(日)まで開催中です。
あわせてご来館くだされば幸いです。
カテゴリ:2012年度の特別展
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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2013年02月18日 (月)
今回の特集陳列「南九州の古墳文化」(平成館企画展示室、3月3日(日)まで)を記念して、2月23日(土)に開かれる特別講演会(シンポジウム形式)の司会・コーディネーターを務めることになりました横浜市歴史博物館長の鈴木靖民と申します。
専門は、日本と東アジアの古代史です。
企画展示室入口風景
「南九州の古墳文化」展は、平成24年度の文化庁考古資料相互活用促進事業(考古資料相互貸借事業)の一環として開催されています。
大正年間の発掘から著名な西都原古墳群に建設された宮崎県立西都原考古博物館の所蔵資料と東京国立博物館所蔵資料で、宮崎県と鹿児島県内から出土した豊富な考古資料が展示されており、大変見ごたえのある内容です。
これまで東京をはじめとする東日本では、あまり紹介されることがなかった南九州地方の特色ある古墳文化を知る絶好の機会といえます。
概説パネル
従来、8世紀の古代の南九州(主に宮崎県、鹿児島県)は、「隼人」とよばれた人々が住む、ほかの地方とは異なる自然環境にあり、稲作農業のない辺境であるとされてきました。
考古学では、古墳時代(3~7世紀)の多様な墓制の中でも、他の地方には見られない特異な地下式横穴墓や板石積(いたいしづみ)石棺墓、立石土坑墓という特殊な墓の存在が明らかにされ、その証拠だと考えられていた時代もありました。
しかし、地域は限られますが、古墳時代前期から大型の前方後円墳も出現し、最近では地下式横穴墓と併存する場合さえあることも明らかにされつつあり、注目を浴びています。
宮崎県西都原古墳群出土埴輪(左:東京国立博物館蔵)・同 地下式横穴墓出土遺物(右:宮崎県立西都原考古博物館蔵)
これをどう理解するか。
私が専門とする文献史学の立場からも、「隼人」が異民族ではなく、7世紀の天武朝期以後の大和の王権が作り上げた擬制的な集団に過ぎないという説が出されています。
そこで、今回は宮崎県と鹿児島県から第一線の考古学、文献史学の研究者を招き、一堂に会して、この地域独自の特色の実態を捉え直し、
そして、講演とディスカッションを通じて、南九州の地域社会の特色、大和や瀬戸内地方、北部九州との関係に迫り、日本古代の豊かな文化と歴史を究明したいと考えています。
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posted by 鈴木靖民(横浜市歴史博物館長) at 2013年02月17日 (日)
「オアシス」というと、砂漠の中でほっと一息つける、水や木陰のある場所のイメージでしょうか?
東洋美術をめぐる旅がテーマの東洋館では、旅の途中に一休みして、気分転換できるオアシスを設けています。ひとつは、旅の提案をする場所。もうひとつは、これからご紹介する「アジアの占い体験」のコーナーです。
皆さま、お正月には神社やお寺でおみくじをひきましたか? 私たちの身近なところにも占いはありますが、アジアの各国でも占いがあるようですよ。そのいくつかを、オアシスでお試しいただくことができます。
まずは、モンゴルのシャガイ占いです。羊のシャガイ(くるぶしの骨)を4つ、サイコロのように転がして占います。ひとつのシャガイには上下左右4つの面があり、それぞれの面には「馬」「ラクダ」「羊」「ヤギ」という名前がついています。どの面がいくつ出たかの組み合わせで、運勢がわかります。4つのシャガイを転がしたときにすべて「馬」の面が出たり、「馬」「ラクダ」「羊」「ヤギ」の面がそれぞれ一つずつ出れば、最高の運勢!気軽に今日の「東洋館の旅の運勢」を占ってみてください。ボランティアの活動時間は、本物のシャガイを手にとって、占うことができます。どの面が出たかもボランティアが一緒に確認するので、ご安心のうえ、お楽しみ下さい。
ボランティアと一緒に、シャガイ占い体験
次は、夢占い。天蓋が付いたアジア風のベッドの上に、りんごや樹木、飛んでいる人などの不思議な図柄が刺繍してあるクッションが置いてあります。古代エジプト、メソポタミア、中国の夢占いから取った図柄です。クッションを手にとり、裏返してみると、それぞれの夢占いの結果が書いてあります。どんな結果かは、実際に来て試してくださいね。ふかふかのベッドに腰掛けることもできますが、夢をみるほど熟睡はしないように。
「飛ぶ夢」は何を暗示しているのかな?クッションを裏返すとわかります
最後に、ラッキーアイテムのスタンプを押してみましょう。ここでは、アジアの国の神様や縁起の良い動物のモチーフを立体的なエンボスで押すことができます。一番人気は、スカラベ。シャガイ占いや夢占いで、あまり良い結果が出なくても、ここで、スタンプを押せば、運を良いほうに転じられるかも。
好きなラッキーアイテムを押して、運気UP!?
東洋館オアシス「アジアの占い体験」は、開館中いつでもお楽しみいただけます。特に、ボランティアの対応する時間帯がおすすめです。(10:30~16:00・月曜を除く)。
オアシスでゆったり旅の行方を占い、エネルギーをチャージしたら、東洋館の旅をさらに続けて楽しんでください。
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posted by 鈴木みどり(ボランティア室長) at 2013年02月16日 (土)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第31回です。
特別展「書聖 王羲之」(~3月3日(日))、観ていただけましたか?
前回の「書を楽しむ」で、
王羲之の「蘭亭序」のお話をしましたが、
今回は、市河米庵(1779~1858)の「蘭亭詩」をご紹介します。
折手本蘭亭詩並後序 市河米庵筆 江戸時代・嘉永2年(1849) 加藤栄一氏寄贈 (2月24日(日)まで本館8室にて展示)
「蘭亭序」と「蘭亭詩」??
そのちょっとした違いに気付きましたか?
「蘭亭序」は、
王羲之が開いた曲水流觴の宴で、
各々の詩作の前文として王羲之が書いた序文で、
「蘭亭詩」というのは、
その時に詠まれた詩です。
市河米庵の「蘭亭詩」の王右軍(王羲之)の詩から、
気に入った部分を、エンピツで写しました。
(左)米庵の蘭亭詩より、(右)恵美のエンピツ写し
「乃」を力強くはらっていますが、
「携」は軽めで、筆の弾力を使って勢いよく書いています。
なにかの臨書をしたのではなく、
米庵自身の筆致でのびのびと書かれていて、かっこいいです。
市河米庵については、
このブログ「書を楽しむ」16回で、
米庵17歳と80歳で書いたふたつの「天馬賦」を
ご紹介しました。
今回の「蘭亭詩」は、捺された印章から、
米庵71歳のときのものであることがわかります。
これは、
弟子が手本として使いやすい、
折手本(おりてほん)という形式になっています。
幕末から明治、大正時代に作られた折手本は
たくさん残されていて、
私も先日、古本屋で、
明治時代の書家の折手本を
安く購入しました。
気に入った書の折手本を持つのは
特別な気持ちがします。
弟子が師匠の折手本を大切に伝えてきたように、
自分もなにか大切に伝えていきたいです。
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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2013年02月12日 (火)