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1089ブログ

後水尾院ってどんな人? 特集「後水尾院と江戸初期のやまと絵」

出版企画室の遠藤楽子です。暑いですね。みなさん夏休みの宿題は終わりましたか。
8月11日(火)から9月23日(水・祝)まで本館特別2室で行なわれる特集「後水尾院と江戸初期のやまと絵」を担当しています。展示作業をしていたところ、ユリノキちゃんが原稿の取立てにやってきました。

ユリノキちゃん
もとこさん、原稿はまだかしら?

みなさん、後水尾院はご存じですか。後水尾天皇と書かれることもあります。いけばながお好きな方は、よく立花の会を開いたということをご存知かもしれません。京都でお寺めぐりをする方なども、お寺の縁起などで名前を見かけたことがあるのではないでしょうか。後水尾院にはたくさんの皇子・皇女があり(早く亡くなった子どもを除いても26人はいたそうです)、門跡寺院の主となったり、お寺を開創したりしています。また、きものや琳派の絵がお好きな方は、尾形光琳の実家の呉服屋であった雁金屋が「東福門院」の御用達だったという話をお聞きになったことがあるかもしれません。その東福門院というのは後水尾院の中宮、つまりきさきです。徳川秀忠の娘で、家光の妹でした。江戸から京都の御所へ輿入れする様子はそのころの京都を描いた屏風絵などに華やかに表されて、江戸幕府の存在を京都の人々に強くアピールしました。東福門院は、徳川家の強大な経済力を背景に、後水尾院を支えたといいます。このように、後水尾院の話題を始めようとすると、それぞれの方向に果てしなくお話が広がっていきます。


立花図屏風 筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
立花図屏風は六曲一双のうち一隻の展示です。


三夕図
三夕図 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
暦の上では秋、にちなんで「三夕図」。ユリノキちゃんが見ているのは藤原定家です。

十二ケ月歌意図巻 下巻
十二ケ月歌意図巻 下巻  土佐光起筆  江戸時代・寛文4年~8年(1664~68) 東京国立博物館蔵
「十二ヶ月歌意図巻」は下巻の展示です。


では、江戸時代の絵画に後水尾院はどのように関係しているのか?というところに今回は着目しました。江戸時代の朝廷は、幕府が制定した「禁中並公家諸法度」によって、実質的な権力の及ぶ範囲は学問や文化に制限されていました。そのなかで、後水尾院はもともと和歌を好み、指導も行ないました。桂離宮の主として知られる八条宮智仁親王からさずかった「古今伝授」という和歌(具体的には古今和歌集)に関する秘伝を、当時の朝廷のおかれた状況に合わせた「御所伝授」というシステムに整理したともいわれています。秘伝ということは、限られた人たちにしか伝わらないということであり、その限られた人たちが、その世界では最も尊重される存在である、ということになります。つまり、後水尾院は教養をたしなむだけでなく、権威を活かす頭脳派だったのではないか?と考えられるのです。和歌をはじめとした古典文学が学問や文化の基本であるということは、それを絵に表わしたやまと絵やその制作にも、後水尾院の影響力は及んでいたにちがいありません。


在原業平と同じポーズをしてみたユリノキちゃん

ユリノキちゃん、みなさん、続きはぜひ展示室で見てみてください。江戸時代を見る目がさらに広がっていくはず・・・です!

 
関連論文
「東京国立博物館所蔵土佐光起筆十二ヶ月花鳥図巻の制作背景について―後水尾院との関係を中心に―」
ミュージアムショップにて8月21日(金)より販売予定のMUSEUM657号に掲載されます


カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 遠藤楽子(出版企画室研究員) at 2015年08月11日 (火)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」10万人達成!

開幕以来ご好評をいただいている「クレオパトラとエジプトの王妃展」は、8月10日(月)に10万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。

さて、記念すべき10万人目のお客様は、山部文子さんと石井萌さんのお2人連れ。
お2人とも大学生で、小学生の時からのお友達なのだそうです。

山部さんと石井さんには、東京国立博物館副館長 松本伸之より、記念品として特別展図録、展覧会オリジナルTシャツ、そしてマンガ『王家の紋章』とコラボした展覧会のミニガイドブックを贈呈しました。


「クレオパトラとエジプトの王妃展」10万人セレモニー
左から石井萌さん、山部文子さん、副館長の松本伸之
8月10日(月)東京国立博物館 平成館ラウンジにて


本展にいらっしゃったお友達から、「おもしろい展覧会だった」とお聞きになった山部さんが、石井さんを誘われてご来館くださったのだそう。
実は山部さん、お母様の『王家の紋章』を読んだことをきっかけに、もともとエジプトに興味をお持ちだったのだとか。
さすがは人気少女マンガ、世代を超えて多くの方に愛されているようです。
記念品のミニガイドブック、ご自宅でじっくりとご覧いただき、展覧会を思い返していただけましたら幸いです。

一方、山部さんから誘われた石井さんは、本展のヒロインであるクレオパトラについて、「美貌をいかして歴史を動かしたすごい女性」と、イメージを語ってくださいました。
恐らく、石井さんと同じイメージをお持ちのお客様は、たくさんいらっしゃると思います。
そんなお客様が、展覧会をご覧になって、改めてどのようなイメージを抱かれるか、そこが本展のポイントなのです!

10万人目のお客様をお迎えした本日8月10日(月)~8月13日(木)まで、「クレオパトラとエジプトの王妃展」では、クレオパトラウィークと題して、スペシャル企画を開催中です。
期間中は毎日16時45分からギャラリートークを開催。
17時以降は展覧会オリジナルポストカードをプレゼントします!
さらに、夏休み特別時間延長として、8月27日(木)までの火・水・木曜は18時まで開館しています。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

カテゴリ:news2015年度の特別展

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2015年08月10日 (月)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(1)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」のおすすめ作品として、今回は王妃イアフヘテプゆかりの作品を紹介したいと思います。

王妃イアフヘテプは、クレオパトラやハトシェプストと比べると、ほとんど知られていないのではないでしょうか。
本展に登場する王妃や女王の投票をみても、予想通り(?)王妃ティイやハトシェプスト女王の後塵を拝しています。

実はこの王妃イアフヘテプ、古代エジプト史の中で果たした役割も、人物としてのユニークさや魅力も、本展で注目している4人の王妃(クレオパトラハトシェプストティイネフェルトイティ)に引けをとならい女性でした。
ちなみに、イアフヘテプという名前の王妃は他に数人知られており、本展のイアフヘテプは厳密にはイアフヘテプ1世となります。


王妃イアフヘテプ
新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)
ルーヴル美術館蔵


柔和な雰囲気の王妃像。この像からは、自ら陣頭に立つ「戦う王妃」の姿があまり感じられません。
イアフヘテプは本来、慈愛に満ちた女性で、息子のイアフメスに愛情を注いだ母であったと思います。
後述する、王家に訪れた危機が彼女を強くしたのではないでしょうか。

イアフヘテプは第17王朝末期のセケネンラー2世の妃でした。
当時のエジプトは国土の多くを異民族であるヒクソスに支配されていた時代。
テーベ(現在のルクソール)を拠点とした第17王朝の王たちはヒクソスとの戦いを続けました。
この戦いの最中、夫のセケネンラー2世は戦死してしまいます。
ディール・アル=バハリで見つかった彼のミイラには、戦斧によって受けた致命傷が残されており、その顔には今なお苦痛の色が浮かんでいます。
イアフヘテプの2人の息子のうち、カーメスが父王のあとを継いだが、彼も3年後にヒクソスとの戦いで戦死してしまいます。
このとき、次男のイアフメスはまだ10歳でした。

この危機に立ち上がったのが、王妃イアフヘテプです。
イアフメスの共同統治者としてエジプトをまとめ上げ、ヒクソスの圧力からテーベを守ります。
この時彼女は、自ら陣頭に立ったと考えられています。
その一方で、息子のイアフメスを立派な王に育て上げました。このイアフメス王がヒクソスをナイル流域から放逐し、古代エジプトの黄金時代ともいえる第18王朝を築いたのです。

 
イアフメス王とその母イアフヘテプ
ブヘン出土
新王国・第18王朝時代 イアフメス王治世(前1550~前1525年頃)
ペンシルヴァニア大学考古学人類学博物館蔵
Courtesy of Penn Museum, image #174368


向かって左側に描かれているホルス神(ハヤブサの姿)にイアフメス王が礼拝しています。
その後ろに立ち、肩に手を置いているのが王妃イアフヘテプ。
共同統治者として息子のイアフメス王を支えた母の姿を見ることができます。
イアフメス王は後に、カルナクに石碑を建立し、母への感謝の言葉を残しています。

イアフヘテプの墓についてはよく分かっていませんが、彼女の豪華の副葬品の一部は残っており、現在エジプトのカイロ博物館に所蔵されています。
その中には儀式に用いたと思われるきらびやかな短剣や戦斧、武勲を称えるために贈られたとされる「黄金のハエ」(勲章のようなもの)が含まれており、「戦う王妃」としての彼女の姿を彷彿させます。

今回の展覧会でも、実は、ハエ形のペンダントがついた首飾が展示されています。

 
ハエ形装飾付首飾
新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)
個人蔵
(C)Peter Schälchli, Zurich


私自身も初めて中近東を訪れた際に、この地域のハエの「勇敢さ」(鬱陶しさ?)が特に印象に残っています。
日本のハエと姿かたちは似たようなものでも、荒野にいるハエはとにかくしつこかったのを思い出します。
こうした悩ましい虫を、逆に「勲章」の形としたり、お守りとしてしまうあたりは、古代エジプト人のユーモアが現われている面白い点ではないでしょうか。

ハトシェプスト女王、王妃ティイ、王妃ネフェルトイティといった権力を持ち活躍した王妃を輩出した第18王朝時代、その礎を築いたのが王 妃イアフヘテプだったのです。
今回紹介させていただいた作品をじっくりと鑑賞し、「良き母」であり「戦う王妃」であったイアフヘテプに思いをよせていただければと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(特別展室) at 2015年08月07日 (金)

 

トーハクくんがいく!~夜の東洋館でミイラに会うほー その2~  

ほほーい!ぼくトーハクくん。
前回に続いて、ぼくとユリノキちゃんは、夜の東洋館に潜入中だほ。


東洋館展示室の2人

トーハクくん、ワークシートの問題とけた? 私はあと1問。
ミイラのからだの中には何が入っているの? 


かんたん! かんたん! ユリノキちゃん、ミイラの作り方をおさらいしてみようか。
まず死んだ人のおなかに穴をあけて、中の内臓を取り出して、よく乾燥させ・・・


きゃー、やめて! 無理~~!!!!



ユリノキちゃん、こわがりすぎだほ。えーと、ミイラのからだの中には、内臓のうちいちばん大切だと思われたものを戻したんだほ。



いちばん大事? 脳ミソかしら。



ぶぶー。 脳は、あまり重要ではなくて、捨てちゃったらしいほ。
ユリノキちゃん、いちばん大事なのは、ハートだほ! 


そっか。こたえは ●●●● ね。
このワークシートをといてみたら、古代エジプトの人々が考えていた死後の世界について、少しわかってきたわ。


4つのこたえのなかに2回以上出てくる文字を選んで、四角いマスをぬりつぶすんだって。



きっちり、濃くぬることがコツですって。


 

ワークシートのマス塗りつぶす


ぬりつぶしたら、東洋館ラウンジとミュージアムシアターの入り口にある、答え合わせステーションにかざしてみるほ。



答え合せステーション

キャー、うれしい。正解だわ!!



ワークシートの内側のぬり絵の面を答え合わせステーションにかざしてみるほ。
 


うわーーーー。
塗り絵にきれいな色がついたわ!
 


4色再現の様子

なるほど、実はこんなにきれいな棺だったのね。
あ、ミイラが最後の暗号を教えてくれたわ。
この暗号をインフォメーションに伝えると、プレゼントがもらえるんですって!

みんなもクイズに挑戦するほー。



夏休みは東洋館の親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」にぜひお越しくださいね。



さすが、ユリノキちゃん。締めだけはしっかりしてるほ。
じゃ、ボクからもお知らせ。「ミイラとエジプトの神々」をテーマに、8月29日(土)に子ども質問箱「教えて!エジプトのひみつ」を開催するほ! 研究員さんがみんなの質問になんでも答えてくれるんだほ。
というわけで、ただいま質問大募集中~!

質問箱
待ってるほ!

子ども質問箱「教えて!エジプトのひみつ」の質問は東洋館エントランスと「ミイラとエジプトの神々」会場に設置された質問箱にご応募ください。
ウェブサイト、はがきでの応募も受け付けています。
詳しくはこちら

質問募集中


親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」 

9月13日(日)まで 東洋館3室にて開催中
ワークシートは東洋館ラウンジ、展示室などで無料配布

VR作品「東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ」
10月12日(月・祝)まで   毎週 水・木・金・土・日・祝
東洋館 TNM&TOPPAN ミュージアムシアターにて上演中
料金:高校生以上 500円
※9月13日(日)まで、小・中学生のシアター鑑賞料無料

 

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by トーハクくん at 2015年08月06日 (木)

 

映画『バケモノの子』熊徹の大太刀の秘密とは?

こんにちは。毎日暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
当館では、本館2階の「日本美術の流れ」というテーマ展示のうち、5・6室で「武士の装い」というコーナーを設けて古代・中世から江戸時代までの刀剣や甲冑などを陳列しています。

現在、ここでは7月11日(土)から劇場公開されている細田守監督によるアニメーション映画『バケモノの子』に登場する熊徹(くまてつ)が用いている大太刀の外装(刀装)の参考となった作品が陳列されています。

熊徹の用いる刀装について相談を受けたとき
1.舞台は「渋天街」という架空の世界
2.刀装はおおむね江戸時代のものを参考にしたい
3.熊徹はアウトローな乱暴者
という要望が寄せられました。

江戸時代の武士たちは、長い刀剣を普段身に着ける際には、刀剣の刃を上にして左腰の帯に指す「打刀」という刀装を用いていました。
また、熊徹の性格から考えてみた場合、豪快で派手な刀装が適当だと思い、まずは「朱漆打刀」を提案しました。

朱漆打刀(しゅうるしうちかたな) (重要文化財「刀 無銘元重」の拵(こしらえ)) 
朱漆打刀(しゅうるしうちがたな) (重要文化財「刀 無銘元重」の拵(こしらえ)) 
安土桃山時代~江戸時代・16~17世紀 東京国立博物館蔵
本館5室にて10月12日(月・祝) まで展示


この刀装は、徳川家康の次男で福井藩祖となった結城秀康が普段指していたものです。
鞘の全面を朱塗としたインパクトのあるもので安土桃山時代の華やかな文化の気風がよく示されています。
ただ、この刀装は、端正に巻かれた熏韋(ふすべかわ)による菱巻の柄や二匹の牛が旋廻して配された技巧的な構図の鐔(つば)、銀の磨地による洒落た栗形や鐺(こじり)など、実際の印象は派手でありながらも品格のある作品となっていてこのままでは熊徹の性格を出し切れませんでした。


そこで参考にしたのが「溜塗打刀」です。
これは戦国時代の実用本位な作風をみせる刀装で、鎺(はばき)に桔梗紋を透かしていることから明智光秀、あるいは光春所用と伝え「明智拵」と呼ばれています。
この打刀は、柄巻の巻き方が「片手巻」と呼ばれる素朴なもので、戦国時代から安土桃山時代にかけての刀装で時折みられるものです。
熊徹の刀装の、柄糸をグルグル巻きにしている柄はこの打刀が参考になっています。
また、鐔は厚い鉄で簡単な透かし文様を入れた無骨なものを提案しさらにキャラクターの性格に合わせたものにしました。

溜塗打刀(ためぬりうちがたな )(明智拵(あけちこしらえ))
溜塗打刀(ためぬりうちがたな )(明智拵(あけちこしらえ))
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵
本館5室にて10月12日(月・祝) まで展示


このようにして熊徹の刀装が設定されました。
映画の刀装は、架空の世界ということで実際の刀装ではみられない形状や使い方もみられます。
しかし、刀装は、そもそもそれを身につけた者の階級、生きた時代、シチュエーション、そしてその人の趣向が強く反映される武士にとって重要なアイテムです。
そして、そうであるからこそ、刀装は大まかな部分だけでもこのように物語の設定に生かすことができる奥深いものなのです。

この夏、映画とあわせて当館へお越しいただき、先人たちの縮図とも言える刀装をご覧いただければ幸いです。 


 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 酒井元樹(保存修復室研究員) at 2015年08月05日 (水)