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「クレオパトラとエジプトの王妃展」王妃のプロフィール(1)~ハトシェプスト~

古代エジプトの王妃や女王がテーマの「クレオパトラとエジプトの王妃展」
展覧会では多くの王妃たちが登場しますが、なかでもご注目いただきたい4人の王妃について、4回にわたってご紹介します。
予習をしてお越しいただければ、一層、展覧会をお楽しみいただけるはずです!

第1回目は、新王国・第18王朝時代のハトシェプスト女王。
今から約3500年前頃に活躍した女性です。
3000年も続いた古代エジプトですが、大きな権力をもった王妃は何人もいながら、女王となることは稀でした。
彼女が女王となれたのはなぜでしょうか?

イアフメス王の血筋
この頃のエジプトでは、王位継承の条件として血筋が極めて重要でした。
そこでキー・パーソンとなるのが王女です。
たとえば、ハトシェプストの父トトメス1世は、第18王朝を樹立したイアフメス王の王女と結婚して王位につきました。
二人の間に生まれたハトシェプストは、母から王家の血筋を受け継いだことになります。
トトメス1世の跡を継いだトトメス2世は側室の生んだ王子でしたが、正妻の娘であるハトシェプストと結婚することで、王家の血筋を強固なものにしました。
後に、ハトシェプストが大きな力を得たのも、イアフメス王の血筋の継承者という前提があったからでもあります。

ちなみに、展覧会ではイアフメス王のシャブティ像をご覧いただけます。
オシリス神の格好をした王が丁寧に削り出されています。
現存する王のシャブティとしては最古のものです。どうぞお見逃しなく!


イアフメス王のシャブティ
テーベ西岸出土か
新王国・第18王朝時代 イアフメス王治世(前1550~前1525年頃)
イギリス 大英博物館蔵
(C)The Trustees of the British Museum, all rights reserved



王妃ハトシェプストから、「男装の女王」ハトシェプストへ
ハトシェプストの夫トトメス2世は、わずかな治世ののち、亡くなります。
側室が生んだ王子トトメス3世はまだ幼く、このような場合の伝統に従って、王妃ハトシェプストがトトメス3世の共同統治者となりました。
ハトシェプストは当初から実権を握っており、数年後には「ファラオ」を名乗るようになります。
いつしか彼女は完全な男性の格好で、自身を表現するようになります。
展覧会では、王妃時代のハトシェプストとされる彫像と、男装姿の、女王となってからの彫像を見ることができます。
前者の柔らかな表情と、為政者となった後者の凛々しい表情を比較してみてください。


王妃ハトシェプスト(部分)
出土地不詳
新王国・第18王朝時代 トトメス2世~ハトシェプスト女王治世
(前1492~前1458年頃)
アメリカ ボストン美術館蔵
Gift of Mrs. Joseph Lindon Smith in memory of Joseph Lindon Smith, 52.347, Museum of Fine Arts, Boston. Photograph (C)2015MFA, Boston



壺を捧げるハトシェプスト女王
ルクソール ハトシェプスト女王葬祭殿出土
新王国・第18王朝時代 ハトシェプスト女王治世
(前1473~前1458年頃)
ドイツ ベルリン・エジプト博物館蔵
Staatliche Museen zu Berlin – Ägyptisches Museum und Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 22883, photo: Sandra Steiß



ハトシェプスト女王の業績
ハトシェプストは、内政に優れた手腕を発揮したとして知られ、周辺地域と平和的な関係を築き、交易活動に力を注ぎました。
これは、軍事遠征を繰り返し第18王朝の他の王たちとは対照的です。
なかでもプント(現在のエチオピアやエリトリア周辺と考えられている)に派遣した交易使節団が有名で、ハトシェプスト女王葬祭殿のレリーフには、香木をはじめとする贅沢品が運び込まれる様子が描かれています。


交易品を運ぶ様子を表したハトシェプスト女王葬祭殿のレリーフ


ハトシェプスト女王葬祭殿

お互いに使節団を派遣し合い、それぞれの産物を交換するという事業を、研究者は「ロイヤル・ギフトの交換」とよんでいます。
国による大規模交易でもあり、外交でもありました。
この時期の地中海・西アジア地域は各地が密接につながりあった「グローバル」な世界へと発展していきます。
その基礎となったのが「ロイヤル・ギフトの交換」であり、ハトシェプストが推進した交易はその先駆けと評価できると思います。

また、国内のいたるところで大規模な建築事業を推し進めました。
ハトシェプスト女王が残した建築のうち、最高傑作として名高いのが、現在のルクソールの西岸、アル=ディール・アル=バハリにある葬祭殿です。
断崖を背にして築かれた葬祭殿は、美しさと迫力を兼ね備え、景色の中に見事に調和しています。
断崖の向こう側は、新王国時代の歴代の墓が造営された「王家の谷」があります。ハトシェプストも王として、王家の谷に大規模な墓を造営しました。


通好みの注目作品
最後に、私のおすすめ作品をもう少しだけご紹介しておきます。
ハトシェプストが歴史の表舞台に立った一方で、夫トトメス2世の事蹟はあまり知られていません。
本展では、もう1人、妻の影に隠れてしまった王を紹介しています。
その人はセティ2世。新王国・第19王朝時代の王です。
彼もまた、トトメス2世と同様に幼い息子サプタハを残して死去してしまいます。
その後、実権を握ったのがセティ2世の王妃タウセレトでした。
タウセレトはサプタハ王が即位わずか6年で亡くなった後に、女王となります。
トトメス2世とセティ2世。歴史上、注目されることの少ない2人の夫ですが、通好みの注目作品だと思っています。ぜひご覧ください。


トトメス2世のレリーフ
出土地不詳
新王国・第18王朝時代 ハトシェプスト女王治世
(前1473~前1458年頃)
ベルギー ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
(C) RMAH



セティ2世
出土地不詳
新王国・第19王朝時代 セティ2世治世(前1199~前1193年頃)
イタリア フィレンツェ・エジプト博物館蔵
Su concessione della Soprintendenza per i Beni Archeologici della Toscana - Firenze

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(特別展室アソシエイトフェロー) at 2015年06月18日 (木)