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「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(1)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」のおすすめ作品として、今回は王妃イアフヘテプゆかりの作品を紹介したいと思います。

王妃イアフヘテプは、クレオパトラやハトシェプストと比べると、ほとんど知られていないのではないでしょうか。
本展に登場する王妃や女王の投票をみても、予想通り(?)王妃ティイやハトシェプスト女王の後塵を拝しています。

実はこの王妃イアフヘテプ、古代エジプト史の中で果たした役割も、人物としてのユニークさや魅力も、本展で注目している4人の王妃(クレオパトラハトシェプストティイネフェルトイティ)に引けをとならい女性でした。
ちなみに、イアフヘテプという名前の王妃は他に数人知られており、本展のイアフヘテプは厳密にはイアフヘテプ1世となります。


王妃イアフヘテプ
新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)
ルーヴル美術館蔵


柔和な雰囲気の王妃像。この像からは、自ら陣頭に立つ「戦う王妃」の姿があまり感じられません。
イアフヘテプは本来、慈愛に満ちた女性で、息子のイアフメスに愛情を注いだ母であったと思います。
後述する、王家に訪れた危機が彼女を強くしたのではないでしょうか。

イアフヘテプは第17王朝末期のセケネンラー2世の妃でした。
当時のエジプトは国土の多くを異民族であるヒクソスに支配されていた時代。
テーベ(現在のルクソール)を拠点とした第17王朝の王たちはヒクソスとの戦いを続けました。
この戦いの最中、夫のセケネンラー2世は戦死してしまいます。
ディール・アル=バハリで見つかった彼のミイラには、戦斧によって受けた致命傷が残されており、その顔には今なお苦痛の色が浮かんでいます。
イアフヘテプの2人の息子のうち、カーメスが父王のあとを継いだが、彼も3年後にヒクソスとの戦いで戦死してしまいます。
このとき、次男のイアフメスはまだ10歳でした。

この危機に立ち上がったのが、王妃イアフヘテプです。
イアフメスの共同統治者としてエジプトをまとめ上げ、ヒクソスの圧力からテーベを守ります。
この時彼女は、自ら陣頭に立ったと考えられています。
その一方で、息子のイアフメスを立派な王に育て上げました。このイアフメス王がヒクソスをナイル流域から放逐し、古代エジプトの黄金時代ともいえる第18王朝を築いたのです。

 
イアフメス王とその母イアフヘテプ
ブヘン出土
新王国・第18王朝時代 イアフメス王治世(前1550~前1525年頃)
ペンシルヴァニア大学考古学人類学博物館蔵
Courtesy of Penn Museum, image #174368


向かって左側に描かれているホルス神(ハヤブサの姿)にイアフメス王が礼拝しています。
その後ろに立ち、肩に手を置いているのが王妃イアフヘテプ。
共同統治者として息子のイアフメス王を支えた母の姿を見ることができます。
イアフメス王は後に、カルナクに石碑を建立し、母への感謝の言葉を残しています。

イアフヘテプの墓についてはよく分かっていませんが、彼女の豪華の副葬品の一部は残っており、現在エジプトのカイロ博物館に所蔵されています。
その中には儀式に用いたと思われるきらびやかな短剣や戦斧、武勲を称えるために贈られたとされる「黄金のハエ」(勲章のようなもの)が含まれており、「戦う王妃」としての彼女の姿を彷彿させます。

今回の展覧会でも、実は、ハエ形のペンダントがついた首飾が展示されています。

 
ハエ形装飾付首飾
新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)
個人蔵
(C)Peter Schälchli, Zurich


私自身も初めて中近東を訪れた際に、この地域のハエの「勇敢さ」(鬱陶しさ?)が特に印象に残っています。
日本のハエと姿かたちは似たようなものでも、荒野にいるハエはとにかくしつこかったのを思い出します。
こうした悩ましい虫を、逆に「勲章」の形としたり、お守りとしてしまうあたりは、古代エジプト人のユーモアが現われている面白い点ではないでしょうか。

ハトシェプスト女王、王妃ティイ、王妃ネフェルトイティといった権力を持ち活躍した王妃を輩出した第18王朝時代、その礎を築いたのが王 妃イアフヘテプだったのです。
今回紹介させていただいた作品をじっくりと鑑賞し、「良き母」であり「戦う王妃」であったイアフヘテプに思いをよせていただければと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(特別展室) at 2015年08月07日 (金)