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屏風をたのしむ、初級編~まずは大きさに注目!(前編)

はじめまして、絵画・彫刻室で日本絵画を担当の金井と申します。

まだまだ暑い日が続いていますが、朝夕はだいぶ過ごしやすくなってまいりました。
今回は、「屏風をたのしむ、初級編」と題しまして、本館・日本ギャラリーのうち、
7室「屏風と襖絵」についてご紹介したいと思います。
展示室は一足お先に、もうすっかり秋の彩りです。


本館 日本ギャラリー 7室 展示風景

 
現在、7室では、以下の3つの屏風を2011年9月25日(日)まで展示しています。

・重要文化財「蔦の細道図屏風(つたのほそみちずびょうぶ)」 6曲1隻 深江芦舟筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
・「扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)」 6曲1双 宗達派 江戸時代・17世紀 山本達郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
・重要美術品「粟穂鶉図屏風(あわほうずらずびょうぶ)」 8曲1双 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 個人蔵

 蔦の細道図屏風
重要文化財「蔦の細道図屏風」 全図

 

日本の伝統的な絵画には屏風のほか、絵巻(巻子)や掛け軸、画帖、冊子といった
さまざまな形状がありますが、屏風の持つ特徴は、なんといってもその画面の大きさです。
種類によって高さや横幅はまちまちですが、
最も標準的なものは、縦が約170cm、横が約360cm程度にもなります。
この大画面をどのように使うか? それがそれぞれの画家の腕の見せどころなのです。


ところで日本の伝統絵画の中で大きな画面といえば、屏風のほかに襖絵や扉絵があります。


これらと屏風の大きな違いは、「可動性」、つまり、動かせるか、動かせないか、ということです。
あたり前のようですが、実はこの違いは作品に大きな影響をもたらします。

屏風は、間仕切りや風除けのための家具(調度品)です。
これに対して襖や扉は、建物に組み込まれた建築の一部としての役割があります。
そのため、こっちの襖を、あっちの部屋で転用・・・というのは難しいのです。

そのため、襖絵のテーマ(画題)は、部屋の用途に大きく左右されます。
たとえば会社の社長室に、子供部屋のようなポップな絵は似合いませんよね?
それと同じように、誰が使うのか(天皇?将軍?家臣?)、
何に使うのか(会議室?応接間?寝室?)によって、襖絵の画題が選定されていきます。

それに比べて、屏風はテーマがとても自由です。
どこの部屋にでも持っていくことができますし、外に持ち出すことさえできます。
「来客対応用の屏風」「寝室用の屏風」「夏用の屏風」「正月用の屏風」など、
何種類も用意しておけば、一つの部屋の雰囲気をあっという間に変えることができます。
そのため、用途に応じてさまざまな屏風絵が描かれました。

では今回展示されている作品は、それぞれどんな工夫が凝らされているのでしょうか?
後編では、展示されている作品を順にみていきましょう。

(後編は近日公開します。どうぞお楽しみに!)

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 金井裕子(絵画・彫刻室) at 2011年08月31日 (水)

 

「空海と密教美術」展の楽しみ方  シリーズ(3)-1 彫刻

密教美術初心者代表・広報室員が専門の研究員に直撃取材する、『「空海と密教美術」展の楽しみ方』。
第3回目のテーマはいよいよ「彫刻」です。今回は、彫刻が専門の丸山士郎研究員にインタビューしました。

展覧会開催まで、実に7年もの歳月を費やしたという本展覧会。本当に豪華な、夢のようなラインナップとなりました。今回はその中でも、展覧会の最後を締めくくる「仏像曼荼羅」について聞いてみます。


『大切なあなた』

広報(以下K):「仏像曼荼羅」を初めて拝見したとき、そのかっこよさに思わず「わぁーっ」と歓声をあげてしまいました。展示空間が、仏像のエネルギーで満ち満ちています。興奮冷めやらぬまま会場を後にした方も多いのではないでしょうか。
さて、教王護国寺(東寺)からこれだけ多くの仏像が一気にお堂を出るのは初めてと伺いましたが、これらの8体はどのような基準で選ばれたのでしょうか?

 東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅 東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅(イメージ)

丸山(以下M):東寺講堂には全部で21体の仏像があります。中央に「如来」が5体、その右側に「菩薩」5体、左側に「明王」5体、そして周囲を「天部」がかためています。
本展覧会は<空海ゆかりの作品>がキーワードですので、空海の時代につくられたのではない「如来」はリストに入れませんでした。「菩薩」と「明王」に関しては、制作当時の表現が色濃く残り、かつ状態の良い2体を選びました。「明王」はさらに、姿が面白いお像という点もポイントでした。あとはこちらからの希望をお伝えし、お寺側にご承諾いただいたという経緯です。

K:そうやってこの8体が選ばれたのですね!この中で特に思い入れのある仏像はありますか?

M:やはり、持国天立像です。私の仏像人生の中で、エポックメイキング的な存在ですから。
  国宝 「持国天立像(四天王のうち)」

K:それはどうしてですか?

M:学生の頃に初めて持国天立像と出会ったのですが、それまではどの仏像を見ても、迫力という意味においては西洋の彫刻に負けてしまうような気がしていました。しかし東寺の持国天立像は立体のとらえ方が素晴らしいですよね。迫力も西洋彫刻に負けていません。とても感銘を受けたわけです。

K:そんな特別なお像だったなんて!ある意味丸山さんの仏像人生を決定づけたといっても過言ではありませんね!
確かに造形的な意味でも目を引く作品ですね。正面から見たときには気付かなかったのですが、左斜め後ろ側から見たときに、衣がこちら側にたなびいているのがよく分かり、向こうから風が吹いているのだと感じました。

M:そうなんです。正面からだけでなく様々な角度から見ても、仏像に動きがあり見事ですよね。そういう発見があるのも、この展示の楽しいポイントです。


『マンダラのパワー、今も昔も』

K:御請来目録には、「密教の教えは奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画を借りて悟らないものに開き示す」とあります。東寺講堂の立体曼荼羅は、そういう経緯でつくられたものだと思います。これらの仏像は本当に勢いがあり、その造形のかっこよさに心を奪われてしまったのですが、立体曼荼羅に込められた教えとはどういうものなのでしょうか?
図録では、立体曼荼羅は「金剛頂経」という経典の考えに空海の考えも加えて構成されたと考えられる、とありますが、そもそもこの「金剛頂経」とはどういうものなのですか?

M:初歩的な理解ですが、仏の智慧の世界「金剛界」を明らかにするもので、「即身成仏」へと導くためのお経です。「即身成仏」とは、真言密教の中心となる信仰で、人は誰でも現在の身のまま悟りを開くことができるという考え方です。「金剛頂経」にはそのための修法が書かれているだけで、端的に「密教の教えはこういうものです」という書き方はされていません。重要なのは、曼荼羅から何を感じ取るか、ということだと思います。
「仏像曼荼羅」を見て、どう思いましたか? 

仏像曼荼羅 会場風景「仏像曼荼羅」会場風景

K:なんだかグッと来ました。上手く言葉に出来ませんが。

M:そうですよね、グッと来るのです。東寺講堂は、当時お坊様たちの修行の場でしたので、現在のように広く一般に開かれた場ではなく、一部の人間しか見ることは出来なかったと思われますが、やはり同じようにグッと来たはずです。ビジュアル的なアピール力がある。空海にとって曼荼羅とは『仏が森の木のように整然と並び、赤や青に輝いている』のだそうで、その世界が本当によく表れています。

K:赤や青に輝く…。そういえば仏像を良く見ると彩色がまだ残っている部分がありますね。

M:それを元に、頭の中で当時の彩色の再現をしてみると、確かに鮮やかな色に溢れ、輝いているように感じます。


(さらに盛り上がったインタビュー後半は近日公開します。どうぞお楽しみに)

カテゴリ:研究員のイチオシnews彫刻2011年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2011年08月29日 (月)

 

重陽の節供とキモノのデザイン

旧暦9月9日(今年は10月5日にあたります)は、重陽(ちょうよう)の節供です。「重陽」とは「陽」の重なる日、という意味です。「陽」とは中国で信仰されてきた陰陽道における前向きな良い物事のことをいい、数では奇数が陽とされました。
「9」は奇数の中でも一番大きな数で「極陽」であり9月9日は「9」が重なることから重陽と呼ばれるようになりました。陽が重なるのだから吉日だと思われるでしょうが、陽が強すぎるのは返って良くない、と考えられていました。そこで、9月9日には邪気を払うために、さまざまな行事が行われてきました。節供には、季節の花がともに祀られることが多いのですが、重陽の節供の頃は丁度菊の季節にあたります。また、菊は「翁草」「千代見草」「齢草」とも称され、長寿の効能があると古代中国では信じられていました。

そのような信仰が日本にも伝わって、その日、宮中では菊の香りを移したお酒を飲んで長寿を願い、前夜に菊花に綿を被せ(これを「被綿(きせわた)」と称します)、綿に菊の露を染み込ませ、あくる朝にその露で体をぬぐうといった行事が行われました。江戸時代には「菊合わせ」といって大切に育て美しく咲かせた菊花の鑑賞会が行われたり、同じ頃に実る栗を入れたご飯を炊いたりして、庶民にまでこの節供が親しまれるようになりました。その影響もあるのか、キモノのデザインにも、節供にちなんだ模様を凝らしたものが見られます。

実は、重陽の節供は1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき・たなばた)と共に祀られる五節供の1つなのですが、近代以降、なじみのうすい行事となってしまいました。
そのなごりは、秋に行われる菊の品評会や老舗の和菓子屋に並ぶ主菓子「菊の被綿」などにしのばれますが、もともと重陽の節供にちなんだ風物だと気づく日本人がどのくらいおられることか・・・と案じられます。
菊花をデザインした江戸時代のキモノはたくさんあって、菊が日本人に愛好されていた様子がうかがえます。
私もなぜか忘れられてしまった日本の風習を思い、重陽の節供をはさむ時期には菊模様のキモノを展示するように心がけています。


振袖 白綸子地菊雲鳥蝶模様  江戸時代末期~明治期(19世紀)
8月9日(火)から10月10日(月・祝)まで、本館10室「浮世絵と衣装―江戸(衣装)」で展示されている振袖。
紅染めの雲模様と菊花の刺繍がなんともあでやか。

今年は展示されていないのですが、当館に所蔵される「振袖 縹縬地花器菊花模様」(写真1)には、褄から裾にかけて、花瓶に生けた菊、蒔絵の花活けに刺した菊、あるいは、贈り物にしたのでしょうか、中が仕切られた 箱の中に綺麗に並べられた菊花の蒔絵手箱などが美しく繊細に刺繍されていて(写真2,3)、まさに江戸時代の菊合わせの趣向を見るようです。裾裏(「八掛 (はっかけ)」 と称します)にも、同じような菊の模様が刺繍されています(写真4)。室内ではキモノの裾は長く引きずって着用します。歩いた時に裾がはらりとめくられて 裏の模様がちらっとのぞくという、なんとも粋なデザインなのです。


(1)振袖 縹縬地花器菊花模様 江戸時代末期~明治期(19世紀)
(注)この作品は展示されていません




(2)花瓶に生けた菊                (3)蒔絵の花活けや手箱


(4)裾裏の刺繍

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 小山弓弦葉(工芸室) at 2011年08月28日 (日)

 

博物館に棲む妖怪─妖怪図鑑を作りました!

皆さん、妖怪はいると思いますか?

博物館には、いるんです。しかもたくさん!

2011年8月20日(土)、小学生のいるご家族10組を対象に、
ファミリーワークショップ「博物館できもだめし」が行われました。

まず、本館特別2室で行われている親と子のギャラリー
博物館できもだめし-妖怪、化け物 大集合-」(~2011年8月28日(日))の展示を見に行きます。

企画を担当した研究員の神辺さんが開口一番、
「皆さんの中で、妖怪はいると思う人、どのくらいいますか?」と質問。
なんとここで神辺さんは、自分の知り合いが見たことのある妖怪のエピソードを披露。
会場の雰囲気がぞ~っと冷えてきたところで、いよいよ作品鑑賞に入ります。

展示トーク

人間が使う道具が100年以上経って「付喪神(つくもがみ)」という妖怪に
変化してしまった姿を描く「百鬼夜行図」の模本を紹介。
灯台や高杯といった道具が妖怪になった様子がユーモラスに描かれています。

百鬼夜行図(模本)(部分) 狩野晴川院養信模 江戸時代・19世紀
百鬼夜行図(模本)(部分) 狩野晴川院養信模 江戸時代・19世紀

そして参加者の皆さんは、展示室で見た妖怪を参考に、
東博の展示室内にある作品が妖怪になったらどんなふうかを想像します。
自分で新しく考え出した妖怪を描き、皆が描いたページを集めて妖怪図鑑を作るのです。

熱心にスケッチ
熱心にスケッチ

東博の展示室には、作られてから100年以上が経ち、
「つくも神」になる資格がじゅうぶんにある作品ばかり。
あの作品が、この作品が、夜な夜な妖怪として博物館をさまよっていたら…
想像力が刺激されます!

展示室でスケッチした後は、筆ペンを使い、こわそうな妖怪を描きます。
妖怪の姿の横には、キャラクター設定やスペックなど、
その妖怪の情報も書き込みます(図鑑ですからね)。
「としは800さい」「おおきさ20めいとる」
「自分にふれた人の命をすいとってしまう妖怪」などなど…。

お父さん、お母さん、きょうだいと役割分担し、
絵を描く人、色を塗る人、説明の文章を書く人など、
協力して力作ができあがりました。

家族で共同作業

最後に、全員の前で、各ファミリーが考えた博物館の妖怪を発表しました。

発表

どれもユニークで、思いがけない発想に満ちた、こわくて楽しい妖怪ばかり。

ひとつご紹介します。

かまおおおばけ

こちらは巨大な茶釜の妖怪「かまおおおばけ」。
おなかの数字ボタンで電話をかけて人間をおびき寄せ、
足で人間をつかんで釜の中に引きずり込むんだそうです。
おなかの中には何人もの人がまだ入っているのが見えます。
事前に電話でアポをとるあたりが現代っ子らしい発想です。

夜の博物館にこんな妖怪たちがいたら、ぜひ物陰からこっそりのぞいてみたい…。
そんな気がする妖怪がたくさんつまった妖怪図鑑が出来上がりました。

最後に全ファミリーが書いたページを綴じ合わせ、
博物館の妖怪図鑑、出来上がり。
ファミリーに1冊ずつ、図鑑をプレゼントして解散となりました。

できあがった妖怪図鑑

皆さんも、博物館の展示室で目を凝らしてみたら、
つくも神となった妖怪が見えるかもしれませんよ。
ぜひ……

 

博物館できもだめし-妖怪、化け物 大集合-」(本館特別2室 2011年8月28日(日)まで)

列品解説「博物館の妖(あやかし)」 本館特別2室 2011年8月26日(金) 18:30 ~ 19:00

カテゴリ:教育普及

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posted by 藤田千織(教育普及室) at 2011年08月25日 (木)

 

後期の見どころ紹介「孫文と梅屋庄吉―100年前の中国と日本」

本館特別5室で開催中の特別展「孫文と梅屋庄吉―100年前の中国と日本」(~2011年9月4日(日) )も、いよいよ後半をむかえました。
8月15日(月)の閉館後に陳列替えを行い、およそ115点の作品を一新しました。
展示風景


後期(8月16日(火)~)の展示から、主な作品を紹介いたします。


天安門
(左)天安門「北京城写真」より 小川一眞撮影 光緒27年(1901) 東京国立博物館蔵
(右)現在の天安門


光緒27年(1901)に写真師小川一眞が撮影した天安門の姿です。
当時、北京は義和団事件後の占領下にあり、慈禧皇太后(西太后)と光緒帝は西安に逃れていました。
小川一眞は紫禁城の建築の調査を主な目的とした伊東忠太ら、東京帝国大学の北京城調査に同行し、清朝末期の北京城の姿を撮影しました。



浅草十二階凌雲閣
浅草十二階凌雲閣 明治時代(19世紀) 長崎大学附属図書館蔵

現在ではスカイツリーが話題になっておりますが、およそ100年前には、浅草に建てられた12階建ての凌雲閣が、東京のシンボルとして人気を博しておりました。
残念ながら関東大震災で崩壊しまいましたが、写真にその姿が残されています。



日よけの広東
『亜東印画輯』 日よけの広東 亜東印画協会 民国18年(1929)頃 東京国立博物館蔵

広東は孫文の故郷です。
日本は連日猛暑に見舞われておりますが、亜熱帯に属する広東は、夏季になると、街頭の商店は強い日差しを避けるために大簾をかけて日覆をしていました。


孫文と梅屋庄吉の関連資料とともに、およそ100年前の日本や中国の姿をお楽しみください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 関紀子(特別展室) at 2011年08月24日 (水)