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特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(3)――故宮博物院との交流

1972年の日中国交正常化を記念して、1973年に初めての中国文物展、「中華人民共和国出土文物展」が当館で開催されました。
それ以来、中国の歴史・文化をテーマとした展覧会を数多く開催するとともに、中国の博物館との人的交流・学術交流も展開しています。

特に、北京にある故宮博物院とは長年にわたり友好的な交流関係を築いており、2008年に両館の学術・文化の交流および協力に関する覚書を結びました。当館にとって中国における文化交流拠点として、故宮博物院と協力関係を深めてきました。
その成果の一つである2012年日中国交正常化40年を記念する特別展「北京故宮博物院200選」は、故宮博物院の全面的な協力によって実現しました。
清王朝歴代皇帝の審美眼が反映された様々な分野の宮廷コレクションが展示され、その中でも、中国美術史に輝く北宋時代の名画「清明上河図」の海外初公開が国内外で大きな話題となりました。


「清明上河図」の展示会場
期間限定公開のこともあり、連日行列ができていました。

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2015年、故宮博物院創立90周年記念式典が行われました。当館銭谷眞美館長(当時)は記念式典に招待され、記念事業の一環として開催された国際博物館長フォーラムで博物館における教育普及活動について講演を行いました。故宮博物院をはじめ、世界各国の博物館関係者との交流も進めました。


故宮博物院主催の国際博物館長フォーラムに出席した各国の発表者。

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また、故宮博物院が進めている国内外の文化財を紹介する展覧会事業に当館も協力しています。
2019年に故宮博物院で開催された「世界の龍泉:龍泉青磁とグローバライゼーション」展に、当館からは重要文化財「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」ほか、中国製と日本製の青磁作品8件を出品しました。
特に中国南宋時代に作られた青磁の名品である「馬蝗絆」は、この展覧会で初めて里帰り公開され、中国国内の各媒体に大きく取り上げられました。


「世界の龍泉:龍泉青磁とグローバライゼーション」展では、当館研究員を現地に派遣し、作品点検と展示作業を行っています。

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日中国交正常化50周年という節目の年である本年、故宮博物院と再度協力して、特別デジタル展「故宮の世界」を7月26日(火)から9月19日(月・祝)まで開催中です。デジタル技術を駆使して、VR(ヴァーチャル・リアリティ)や高精細3D(3次元)データで紫禁城の宮殿や書画工芸の名品を楽しめる展覧会です。
目玉展示のひとつである北宋時代の名画「千里江山図」は3面のスクリーンに投影され、そのスケールは実に壮大です。
描かれた青緑山水は目の前で流れて行くように展開します。舟に乗って川を下りながら、山と川の景色をゆったりと楽しむような鑑賞体験を、みなさまにぜひ味わっていただきたいです。


2019年、故宮端門にあるデジタル館を見学したとき、故宮博物院のスタッフが収蔵品デジタルアーカイブを紹介する際に見せてくれたのは、「千里江山図」でした。

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今後も、今までの故宮博物院との協力関係を大切にしながら、安定的かつ継続的な人的交流・研究交流に取り組んで行きたいと思います。

 

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 楊鋭(国際交流室長) at 2022年08月15日 (月)

 

特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(2)――故宮学

今年は日中国交正常化50周年の節目に当たるので、これを記念して特別デジタル展「故宮の世界」を開催いたします。
近年のコロナ禍により、海外から作品をお借りする展覧会の開催については、国内外の諸事情に影響される困難が伴うのですが、このたびは北京の故宮博物院と凸版印刷が長年にわたって共同で開発されてきたデジタル・アーカイブを利用させていただいて展覧会を開催することとなりました。

展覧会の構成は2章立てで、第1章「デジタル故宮博物院」では紫禁城(しきんじょう)の世界観や故宮の文物(ぶんぶつ。日本でいう文化財)をデジタル・データによって展示し、第2章「清朝宮廷の書画と工芸」では清の皇帝の愛蔵品や清時代の工芸品などを展示します。これらの展示を通じて、在りし日の紫禁城に想いを馳せていただきたく思います。

東京国立博物館の研究員として働きがいを感じることは沢山ありますが、そのひとつが海外の博物館との交流です。
東博と故宮とは長らく友好関係が続いていますが、私自身については、ちょうど10年前に当館で特別展「北京故宮博物院200選」を開催したのが交流を深めるきっかけでした。展覧会の準備にじっくり時間をかけたので、故宮の研究員と親しくさせていただいたのでした。

当時は鄭欣淼(ていきんびょう)院長が「故宮学」というのを提唱されており、そのさわりを故宮の研究員から門前の小僧のように教えていただきました。その内容については、私の解釈も入ってしまって正しく伝えられるか分かりませんが、故宮の宮殿や文物などについて、個別の建築や作品として捉えるのでなく、かつて紫禁城のなかでどのような論理・価値観・美意識などのもとに機能していたかを有機的に把握する、というもののように理解しました。その時点では、やや理論先行のようで、故宮の研究員のあいだでも見解の相違やとまどいがあったようにも思われました。私も自分自身の研究テーマと重なるところがあり、この故宮学の先行きについて大いに関心を寄せていたところ、はたしてその成果のひとつでしょうか、2019年に故宮の午門(ごもん)で「賀歳迎祥(がさいげいしょう)」という展覧会が行なわれました。


故宮博物院の特別展「賀歳迎祥」
かつて紫禁城では、正月のあいだは彩灯という色鮮やかな灯籠が懸けられていた様子を再現しています。解説文には、彩灯に関する宮廷の規定が説明されていました。

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これは紫禁城の正月行事を紹介した展覧会ですが、従来なら芸術品とか生活用品などと別々に分けられてきたような、さまざまな文物がひとつのテーマのもとで展示されていました。また、宮殿にも装飾を施して、宮殿をただの建築物としてではなく、かつての生活空間として紹介する意図を感じました。


乾清宮の万寿灯
紫禁城の内廷の正殿である乾清宮(けんせいきゅう)。乾清宮の前面には丹陛(たんへい)というバルコニーが広がり、正月になると、ここに万寿灯(まんじゅとう)という天下太平を祝う言葉を書き連ねた装飾品を立てました。

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あるいは家具館では、展示品の家具にホログラムの乾隆帝が腰かけるというような工夫もありました。


家具館のホログラム展示
故宮博物院の家具館では、ホログラムを利用して、文人すがたの乾隆帝に扮装した人が実物の寝台に腰かける様子が映写されていました。これは「是一是二図」という絵画に取材した展示です。

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そのように故宮では、さまざまな方法で紫禁城を紹介されているのですが、さらに近年ではデジタル技術を生かした展示にも取り組んでおられます。
さて、このたびの特別デジタル展については、故宮や凸版印刷とも意見を交換しながら展示を作りました。なかでも北宋の王希孟(おうきもう)が描いた名画「千里江山図(せんりこうざんず)」のデジタル展示は見どころで、高さが約3メートル、幅が約22メートルの大画面に映しだされる青緑山水(せいりょくさんすい)の世界に没入するという趣向を凝らしています。
普通であれば、山水画巻を鑑賞するにあたって脳内で想像するような景色が、そのまま眼前に展開されるという素晴らしい空間ができたと思っています。


「千里江山図」のデジタル展示
繰り返し観ていると、次々に現れる山岳や河川の展開のうちに、なじみある交響曲のような旋律が見えてきて、レガートやクレッシェンドなどを感じるようになります。

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今後も当館では、現行の展示の長所は長所として大切に育みながら、新たに開発された技術を取り入れたり、海外の博物館を参考にしたり意見を交換しながら、次世代型の展示についてアイデアをめぐらせたく考えています。

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2022年07月29日 (金)

 

特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(1)――清朝宮廷絵画の傑作、「慶豊図巻」

2022年7月26日(火)から、日中国交正常化50周年記念 特別デジタル展「故宮の世界」が開幕します。
北京にある故宮博物院の全面協力のもと、故宮の建築(明・清時代の宮殿)を散策したり、所蔵の文化財を間近に見たりする経験を、VR(ヴァーチャル・リアリティ)等によって可能にしよう! という展覧会で、平成館における最新技術を駆使したデジタル展示は、トーハク初の試みです。


VRで再現した、清時代の宮殿、太和殿の内観 映像展示『バーチャル紫禁城―Night & Day―』より
(VR作品『故宮VR 紫禁城・天子の宮殿』、製作・著作:故宮博物院/凸版印刷株式会社)

 
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この特別デジタル展「故宮の世界」に付随し、「清朝宮廷の書画と工芸」と銘打ち、トーハクが所蔵・管理する清朝宮廷美術作品(これは実物)も展示しています。

これらの魅力をみなさまに紹介するため、担当研究員によるブログ連載を始めます!
第1回目は、東洋絵画担当から、中国絵画の名品を1点ご紹介したいと思います。


「慶豊図巻」(部分)
金昆、陳枚、孫祜、丁観鵬、程志道、呉桂筆 乾隆5年(1740) 個人蔵
(縦28.6センチメートル、横512.4センチメートル)

 
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「清朝宮廷の書画と工芸」コーナーで出陳されている作品の内、とりわけ注目度が高いのが、清朝最盛期である乾隆帝(けんりゅうてい)の御代に宮廷画家たちが合作した長大な画巻、「慶豊図巻(けいほうずかん)」です。

「慶豊図巻」には、5メートル以上にわたり、華やかな都市の繁栄が非常に緻密に描かれています。
描かれた街には、新年を祝う言葉が散見され、たくさんの燈籠が飾られます。
また、巻頭には、清朝の重臣で、書家としても著名な梁詩正(りょうしせい)が乾隆帝自作の詩を書いていますが、ここに満月を寿ぐ句や「皇都」の言葉が見られます。
以上のことから、この長巻には、元宵節(げんしょうせつ、旧暦1月15日の祭)を迎えた北京が理想化されて描かれていると考えられます。


門に貼られた「祝春王正月」の書


燈籠を運ぶ人々


巻頭、梁詩正の書いた乾隆帝題詩


首都が平和で繁栄しているのは、とりもなおさず、統治者である皇帝の徳政のたまものですので、「慶豊図巻」はある意味で、乾隆帝を称賛するための絵画作品ともいえます。

宮廷美術に関する様々な雑事を記録した公文書(活計檔)には、乾隆帝が、即位したばかりの乾隆元年(1736)正月、元時代の画家、銭選(せんせん)による「慶豊図巻」を献上され、宮廷画家の陳枚(ちんばい)にこれをもとに画稿(下描)を作るよう命じた旨が記されます。
同年10月、完成した画稿を確認した皇帝は、その出来に満足し、この通りに本画を作るよう命じています。
この本画は乾隆2年には完成したようです。

今回展示した「慶豊図巻」は乾隆5年(1740)12月完成と落款にありますので、上記は別本と思われますが、作者には同じ陳枚が名を連ねているので、乾隆2年本の成果が何らかの形で、本巻にも反映されているとみてよいでしょう。


「慶豊図巻」(部分)


いずれにせよ、何度も「慶豊図巻」を作らせた乾隆帝が、この主題に大きな関心があったのは確かです。

乾隆5年の活計檔には、12月25日、乾隆帝が、完成したばかりの本巻をわざわざ取り寄せて手元に置き、翌正月3日に改めて、これを特に気を付けて表装するよう臣下に命じた旨が記されています。

また、制作から50年以上経った乾隆57年、老境にいたった皇帝が元宵節の燈籠鑑賞の際に、朝鮮や琉球、ベトナムなど各国の使節に本巻を披露したことがわかっています。


「慶豊図巻」(部分)

さまざまな風俗が精緻に描き込まれた「慶豊図巻」は見所だらけの名作です。
栄華を誇った大清帝国の最も偉大な皇帝、乾隆帝が、生涯を通して愛したこの長大な画巻を、現代に生きるみなさまにもぜひ楽しんでいただきたいと思います。


龍舞


新春の骨董市
 

 

 

カテゴリ:中国の絵画・書跡2022年度の特別展

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2022年07月22日 (金)

 

琉球列島の自然や景観を伝える、沖縄各地の出土品

特別展「琉球」は、6月26日(日)までと、あと1週間ほどになりました。

日本列島の長さのうち三分の一を占めるのが、本展の舞台となる奄美・沖縄・先島諸島からなる琉球列島です。本展の出品作品のなかでサンゴ礁の海に囲まれた当地の自然や景観、本州島や九州島とのかかわりをよく示すのが沖縄各地の遺跡から出土した貝や動物の骨などで作られた作品です。
今回のブログではこれらの作品を紹介していきたいと思います。
 
展示風景
 
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サンゴ礁の海は豊かな海の象徴です。ヒシ(干瀬)と海岸の間に広がるイノー(礁地)は天然の生け簀と呼ばれるほどに、多くの恵みを琉球列島に暮らす先史時代の人々に与えました。その恵みを象徴する一つがジュゴンなどの骨で作られた蝶形骨製品で、沖縄の先史時代を代表する装身具です。最も古いものは石で作られ、後にイノシシやクジラ、そしてジュゴンの骨で作られるようになり、大形化していきました。
本展で出品されている読谷村吹出原遺跡出土の蝶形骨製品(ちょうがたこつせいひん)はなかでも最大級のものです。
本例は本来一対となるものではありませんが、羽ばたく蝶を想起させるに優美な造形で、素材となったジュゴンの骨の形を生かして作られています。九州島以北の縄文文化には蝶をモチーフとした造形はなく、当地の独自性を示すものでもあります。
 
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蝶形骨製品(ちょうがたこつせいひん)
縄文時代晩期・前1000~前400年 沖縄県読谷村吹出原遺跡出土 沖縄・読谷村教育委員会蔵
展示期間:通期展示
ジュゴンの骨の大きさ、厚み、形を生かして作られています。
 
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このほかに沖縄の個性を示す装身具としてはサメ歯製垂飾(しせいすいしょく)があります。
サメ歯製垂飾は縄文時代早期から晩期まで、北海道から沖縄にかけての各遺跡から出土していますが、沖縄諸島が群を抜いて数多く出土しています。沖縄諸島から出土したサメ歯製垂飾の素材となったサメ歯はメガドロン、ホホジロザメ、アオザメ、イタチザメ、メジロザメなどさまざまですが、その多くが実は化石化したもので、当時の人々が海で捕獲したサメから入手したものではありません。
沖縄諸島ではサメ歯製垂飾は、沖縄本島中部・南部に広がる琉球石灰岩(珊瑚や貝殻などが堆積して固まった岩石)と分布が重なることから、その関係性が指摘されています。
また当地のサメ歯への志向は強く、貝などで作られたサメ歯製垂飾模造品も注目です。糸満市摩文仁ハンタバル遺跡から出土したサメ歯製垂飾とその模造品をぜひ見比べてみてください。
 
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(左)サメ歯製垂飾(さめしせいすいしょく)
(右)サメ歯製垂飾模造品(さめしせいすいしょくもぞうひん)
縄文時代後期・前2000~前1000年 沖縄県糸満市摩文仁ハンタ原遺跡出土 沖縄・糸満市教育委員会蔵
展示期間:通期展示
ホホジロザメとイタチザメのサメ歯で作られた垂飾とそれを真似て作られた垂飾です。
 
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弥生時代前期後葉以降、北部九州はじめ西日本各地の有力者の墓には貝輪(かいわ:貝製腕輪)が副葬されますが、その供給地となったのが貝塚時代後期の沖縄諸島です。
 
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貝輪(かいわ)
弥生時代(中期)・前2~前1世紀 福岡県朝倉市平塚字栗山出土 東京国立博物館蔵
※平成館考古展示室にて9月4日(日)まで展示
有力者の墓から出土した貝輪です。
 
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交易品となったのは奄美諸島以南を主な生息地とするゴホウラやイモガイなど肉厚で大きな巻貝です。盛んになった貝交易を反映して、沖縄本島にはこれらの貝をあつめた集積遺構がいくつも残されています。
本部町アンチの上遺跡では、117個(4号貝集積遺構)と77個(3号貝集積遺構)を集積した遺構が隣り合って確認されました。
今回は3号貝集積遺構から代表的なものをお借りし展示しています。また磨製石斧や青銅鏡、ガラス玉など弥生系遺物が出土し、当時の交易の拠点遺跡と考えられるうるま市宇検貝塚出土品もお見逃しなく。
 
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貯蔵イモガイ(ちょぞういもがい)
貝塚時代後期・前5~5世紀 沖縄県本部町アンチの上貝塚出土 沖縄・本部町教育委員会蔵
展示期間:通期展示 ※展示は20個です。
弥生時代の北部九州の有力者たちを魅了した貝製腕輪の素材です。
 
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このような琉球列島と本州との関りを示す交易品は『日本書紀』にも見られ、赤木(あかぎ)や檳榔(びんろう)、そしてヤコウガイなどが南島の産物として記されています。
奈良・平安時代以降の南九州以南はときの中央政権から夷狄(いてき)とされ、朝貢や服属を迫られていました。福岡県太宰府市太宰府跡や、奈良市平城宮跡からは調庸で納められた品々に付されただろう木簡に奄美大島や沖永良部島、そして種子島などの島名が記されています。
奄美市小湊フワガネク遺跡からは本州から持ち込まれた土器や鉄器とともに大量のヤコウガイで作られた貝匙(かいさじ)の未完成品が出土したことから、製作(工房)跡と考えられています。平安時代の辞書『和名類聚抄』や清少納言が記した随筆『枕草紙』には、ヤコウガイで作られた盃を「夜久貝」や「螺盃」・「螺杯」と呼び、公卿や殿上人が宴で用いた様子が記されています。
当時の上流貴族をも魅了した螺鈿の輝きを残す貝匙をぜひご覧ください。
 
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重要文化財 貝匙(かいさじ)
貝塚時代後期・6~7世紀 鹿児島県奄美市小湊フワガネク遺跡出土 鹿児島・奄美市立奄美博物館蔵
展示期間:通期展示
すくい取る機能と美しい輝きを備えた貝匙です。
 
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琉球列島でも先島諸島(宮古・八重山列島)の先史時代は奄美・沖縄諸島とは歩みが異なります。当地の先史時代は下田原期と無土器期に分けられますが、両期の間には約千年程度の空白期があります。土器のある時代から土器のない時代へと独特な変遷をたどりますが、その文化の系統関係は明らかになっていません。
無土器期を特徴づける利器の一つにシャコガイ製の貝斧(かいふ)があります。宮古島市浦底遺跡は200本以上の貝斧が出土したことでも著名です。これらの貝斧は現生もしくは化石化したシャコガイの蝶番部・開口部・放射肋を利用して作られています。同じような貝斧を使用するフィリピン島嶼部との関係が古くから指摘されていますが、当地では石斧に適した石材が不足したためにシャコガイを素材とした斧が作られたと考える自生説も出されています。
 
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貝斧(かいふ)
先史時代・前5~3世紀 沖縄県宮古島市浦底遺跡出土 沖縄・宮古島市教育委員会蔵
展示期間:通期展示 ※展示は15個です。
大きさや刃部の形が異なる貝斧です。
 
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本展の第3章では南北1200㎞を超える琉球列島のスケール感を知ることができるよう、各地の出土品を集めて展示しています。島々の自然や景観を思い浮かべながら展示をご覧になっていただければ幸いです。
 

 

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 品川欣也(教育普及室長) at 2022年06月17日 (金)

 

琉球の船が運んだもの

みなさん、こんにちは。現在開催中の特別展「琉球」も残すところ2週間ほどとなりました。
沖縄好きな人も沖縄には行ったことのない人も、琉球・沖縄の歴史、文化芸術をまるごと感じていただける展覧会です。ぜひお運びください。

ここでは琉球の船と、その船が運んだものについて紹介したいと思います。
 
琉球王国は中国の冊封体制下の朝貢国としての立場を活用して、中国と東南アジア、日本、朝鮮を結ぶ交易の中継地として栄えました。
『明史』に基づいた琉球の朝貢回数は171回(明時代の270年間)。明朝に最も頻繁に朝貢使節を派遣した国のひとつでした。時代によって朝貢品の内容は変わりましたが、国内で産出する馬と硫黄、螺殻(らかく:螺鈿細工に使用する夜光貝の殻)などが贈られています。また、日本の刀、屛風や扇、東南アジアの珍しい品々、たとえば象牙や各種の香木や胡椒などが献じられました。そのほか、随行使節団(中には商人も)が滞在費等を得るための交易品として、蘇木(そぼく)、胡椒、錫なども大量に運びました。これらは東南アジア諸国との交易で得たものです。
 
琉球の外交文書『歴代宝案』には、諸外国に運んだ品々が記録されています。
1425年の条は、中山王尚巴志(しょうはし:在位1422-1439)が暹羅(シャム)の王に宛てた文書の控えです。
 
歴代宝案(れきだいほうあん)
昭和8~10年(1933~35)写 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:通期展示(会期中、ページ替えあり)
写真は琉球国王からシャム国への国書 ※この場面の展示は終了しました。

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その内容は、琉球船が運んだ陶磁器をシャムの役人に一方的な値段で買い占められ、琉球が求める蘇木や胡椒等については自由な買取が許されず、大きな損害を被ったことを訴え、事態の改善を求めるものです。また、琉球からはるばる海を渡ってきた者たちが求める品物を得て無事帰国できるようお願いし、国王へ贈る礼物が記されています。
その目録の筆頭は明から輸入した高級織物、さらに青磁は大小の盤、碗あわせて2千個を超えています。ほかには琉球産の硫黄、日本の扇や刀が見えます。
こうした貢物のほかに交易に使用する品物もありましたから、さぞかしたくさんの品々を積載したはずです。

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こうしたものを運んだ琉球の海船は、中国のジャンク型に属する帆船で、唐船(とうせん)とも呼ばれます。
 
唐船(進貢船)図(とうせん(しんこうせん)ず)
明治16~17年(1883~84) 東京国立博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)

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この唐船(進貢船)図は19世紀に描かれたものですが、長さ十一丈五尺、幅二条七尺三寸(船身約34.8メートル、幅約9.7メートル)と船の大きさが記されています。乗船人数は100名前後だったようです。この絵のような近世の唐船にくらべ、古琉球期は格段に大きな船でした。明との朝貢関係が成立して以後、琉球は明から大型船を下賜され、その数は洪武・永楽年間(1368-1424)だけでも30隻におよびました。
岡本弘道氏の研究によると、16世紀はじめ頃までの琉球の海船の乗船人数は、平均でも200人台後半、時には300人を超える場合もあったそうです。15世紀後半には、琉球側が費用を負担し福州でなお大型海船を建造しましたが、16世紀以降は、機動性の高い小型船へ移行していきます。
大事な交易品を積載し、安全に航海するための船は、琉球王国の生命線のひとつだったといえるでしょう。

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浦添市指定文化財 琉球交易港図(りゅうきゅうこうえきこうず)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:6月7日(火)~6月26日(日)
 
琉球交易港図(部分)
那覇港内に入港してきた進貢船や冊封使を乗せた冠船をはじめ、さまざまなタイプの船が描かれています。中央にみえるのは船のドックでしょうか。造船中(修理中?)の船の様子が描かれています。


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ところで、琉球の船が大量に運んだもののひとつ、蘇木(そぼく)はどのように使われたのでしょうか。
蘇木は熱帯地方に産する豆科の常緑樹です。
 
 
蘇木の若木
出典:http://kplant.biodiv.tw/%E8%98%87%E6%9C%A8/%E8%98%87%E6%9C%A86.jpg
 
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その心材は赤色もしくは紫色の染料(蘇芳(すおう))として日本では古くから知られています。また中国では染料のほかに血液の流れを促進させる漢方薬や鎮痛剤として珍重されました。たいへんかさばる商品ですが、船の底荷(バラスト)としても有用でした。
 
 
赤色:媒染に明礬を用いた赤

藤紫色:媒染に灰汁を用いた紫
出典:山崎 1961: 17.


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 『歴代宝案』には、シャムで蘇木を得るための苦労が垣間見えますが、15世紀初頭、鄭和(ていわ)の大遠征に三度にわたって随行した馬歓(ばかん)が記した『瀛涯勝覧(えんがいしょうらん)』暹羅の条には、シャム産の蘇木の色合いが他の国のものよりも勝っていることが記されています。シャム産の蘇木は苦労しても手に入れたい、商品価値の高い産物だったようです。たとえば、1470年の進貢船には6千斤(約3.6トン)もの蘇木が積載されていました。琉球と東南アジアとの交易が途絶えた16世紀末以降も、蘇木は中国を経由して琉球に輸入されていたようです。
 
大量に運ばれたはずの蘇木が、琉球国内においてどれだけ使用されていたかは定かではありませんが、沖縄本島から西方98kmにある久米島では、琉球に運ばれた蘇木を管理していたことが知られています。久米島は、中国や東南アジアへ船出する際に強い新北風(ニーミシ)を風待ちする島として、航海者たちにとって大事な島です。
 その久米島の染織品の中でも王府に贈られた久米島紬に、蘇芳と推定できる赤色染料が認められています。久米島紬の多くは島の豊富な植物染料によって染められましたが、王府に納める特別な赤色については、貴重な輸入品であった蘇芳で染められたのでしょう。

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国宝 黄色地破格子文様絣紬袷衣裳〔琉球国王尚家関係資料〕(きいろじやぶれこうしもんようかすりつむぎあわせいしょう)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
絣部分の赤色染料に蘇芳が認められています。
※展示は終了しました。
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【参考文献】
岡本弘道『琉球王国海上交渉史研究』榕樹書林、2010年
山崎斌『日本草木染譜』月明会出版部、1961年

 

 

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 原田あゆみ(企画課長) at 2022年06月09日 (木)