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1089ブログ

琉球の船が運んだもの

みなさん、こんにちは。現在開催中の特別展「琉球」も残すところ2週間ほどとなりました。
沖縄好きな人も沖縄には行ったことのない人も、琉球・沖縄の歴史、文化芸術をまるごと感じていただける展覧会です。ぜひお運びください。

ここでは琉球の船と、その船が運んだものについて紹介したいと思います。
 
琉球王国は中国の冊封体制下の朝貢国としての立場を活用して、中国と東南アジア、日本、朝鮮を結ぶ交易の中継地として栄えました。
『明史』に基づいた琉球の朝貢回数は171回(明時代の270年間)。明朝に最も頻繁に朝貢使節を派遣した国のひとつでした。時代によって朝貢品の内容は変わりましたが、国内で産出する馬と硫黄、螺殻(らかく:螺鈿細工に使用する夜光貝の殻)などが贈られています。また、日本の刀、屛風や扇、東南アジアの珍しい品々、たとえば象牙や各種の香木や胡椒などが献じられました。そのほか、随行使節団(中には商人も)が滞在費等を得るための交易品として、蘇木(そぼく)、胡椒、錫なども大量に運びました。これらは東南アジア諸国との交易で得たものです。
 
琉球の外交文書『歴代宝案』には、諸外国に運んだ品々が記録されています。
1425年の条は、中山王尚巴志(しょうはし:在位1422-1439)が暹羅(シャム)の王に宛てた文書の控えです。
 
歴代宝案(れきだいほうあん)
昭和8~10年(1933~35)写 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:通期展示(会期中、ページ替えあり)
写真は琉球国王からシャム国への国書 ※この場面の展示は終了しました。

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その内容は、琉球船が運んだ陶磁器をシャムの役人に一方的な値段で買い占められ、琉球が求める蘇木や胡椒等については自由な買取が許されず、大きな損害を被ったことを訴え、事態の改善を求めるものです。また、琉球からはるばる海を渡ってきた者たちが求める品物を得て無事帰国できるようお願いし、国王へ贈る礼物が記されています。
その目録の筆頭は明から輸入した高級織物、さらに青磁は大小の盤、碗あわせて2千個を超えています。ほかには琉球産の硫黄、日本の扇や刀が見えます。
こうした貢物のほかに交易に使用する品物もありましたから、さぞかしたくさんの品々を積載したはずです。

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こうしたものを運んだ琉球の海船は、中国のジャンク型に属する帆船で、唐船(とうせん)とも呼ばれます。
 
唐船(進貢船)図(とうせん(しんこうせん)ず)
明治16~17年(1883~84) 東京国立博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)

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この唐船(進貢船)図は19世紀に描かれたものですが、長さ十一丈五尺、幅二条七尺三寸(船身約34.8メートル、幅約9.7メートル)と船の大きさが記されています。乗船人数は100名前後だったようです。この絵のような近世の唐船にくらべ、古琉球期は格段に大きな船でした。明との朝貢関係が成立して以後、琉球は明から大型船を下賜され、その数は洪武・永楽年間(1368-1424)だけでも30隻におよびました。
岡本弘道氏の研究によると、16世紀はじめ頃までの琉球の海船の乗船人数は、平均でも200人台後半、時には300人を超える場合もあったそうです。15世紀後半には、琉球側が費用を負担し福州でなお大型海船を建造しましたが、16世紀以降は、機動性の高い小型船へ移行していきます。
大事な交易品を積載し、安全に航海するための船は、琉球王国の生命線のひとつだったといえるでしょう。

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浦添市指定文化財 琉球交易港図(りゅうきゅうこうえきこうず)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:6月7日(火)~6月26日(日)
 
琉球交易港図(部分)
那覇港内に入港してきた進貢船や冊封使を乗せた冠船をはじめ、さまざまなタイプの船が描かれています。中央にみえるのは船のドックでしょうか。造船中(修理中?)の船の様子が描かれています。


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ところで、琉球の船が大量に運んだもののひとつ、蘇木(そぼく)はどのように使われたのでしょうか。
蘇木は熱帯地方に産する豆科の常緑樹です。
 
 
蘇木の若木
出典:http://kplant.biodiv.tw/%E8%98%87%E6%9C%A8/%E8%98%87%E6%9C%A86.jpg
 
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その心材は赤色もしくは紫色の染料(蘇芳(すおう))として日本では古くから知られています。また中国では染料のほかに血液の流れを促進させる漢方薬や鎮痛剤として珍重されました。たいへんかさばる商品ですが、船の底荷(バラスト)としても有用でした。
 
 
赤色:媒染に明礬を用いた赤

藤紫色:媒染に灰汁を用いた紫
出典:山崎 1961: 17.


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 『歴代宝案』には、シャムで蘇木を得るための苦労が垣間見えますが、15世紀初頭、鄭和(ていわ)の大遠征に三度にわたって随行した馬歓(ばかん)が記した『瀛涯勝覧(えんがいしょうらん)』暹羅の条には、シャム産の蘇木の色合いが他の国のものよりも勝っていることが記されています。シャム産の蘇木は苦労しても手に入れたい、商品価値の高い産物だったようです。たとえば、1470年の進貢船には6千斤(約3.6トン)もの蘇木が積載されていました。琉球と東南アジアとの交易が途絶えた16世紀末以降も、蘇木は中国を経由して琉球に輸入されていたようです。
 
大量に運ばれたはずの蘇木が、琉球国内においてどれだけ使用されていたかは定かではありませんが、沖縄本島から西方98kmにある久米島では、琉球に運ばれた蘇木を管理していたことが知られています。久米島は、中国や東南アジアへ船出する際に強い新北風(ニーミシ)を風待ちする島として、航海者たちにとって大事な島です。
 その久米島の染織品の中でも王府に贈られた久米島紬に、蘇芳と推定できる赤色染料が認められています。久米島紬の多くは島の豊富な植物染料によって染められましたが、王府に納める特別な赤色については、貴重な輸入品であった蘇芳で染められたのでしょう。

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国宝 黄色地破格子文様絣紬袷衣裳〔琉球国王尚家関係資料〕(きいろじやぶれこうしもんようかすりつむぎあわせいしょう)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
絣部分の赤色染料に蘇芳が認められています。
※展示は終了しました。

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【参考文献】
岡本弘道『琉球王国海上交渉史研究』榕樹書林、2010年
山崎斌『日本草木染譜』月明会出版部、1961年

 

 

カテゴリ:「琉球」

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posted by 原田あゆみ(企画課長) at 2022年06月09日 (木)