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特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」30万人達成!

まもなく閉幕を迎える特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(9月3日(日)まで)は、8月31日(木)午前、来場者30万人を突破しました。

これを記念し、東京都大田区からお越しの髙堂さんご一家に、当館館長藤原誠より記念品を贈呈いたしました。

 
記念品贈呈の様子。髙堂さんご一家と藤原館長(左)
 
お父様は自営業で、チョコレートなどを作られていて、メキシコはチョコレートとも縁が深いので、今回ご来館されたとのことです。
当館には昨年の東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」、「150年後の国宝展―ワタシの宝物、ミライの宝物150年後の国宝展」にもお越しになったとのことでした。
 
本展の会期も残り3日となりました。
明日9月1日(金)と2日(土)は本展のみ19時まで開館します。最終日3日(日)は17時までです。
東京で「赤の女王」に会えるのもあとすこし。どうぞお見逃しなく!
 
 

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年08月31日 (木)

 

古代メキシコの遺跡を体感!

皆さまこんにちは、特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」担当研究員の山本です。
本展も残り期間が少なくなってまいりました。
このブログでは展覧会で取り上げているなかから、見逃せない2つの遺跡をご紹介しましょう。
 
まずはなんといってもテオティワカンです。
首都メキシコシティから20kmほど北東にある世界遺産にも登録されている遺跡です。
長さ3.3kmの「死者の大通り」と3つのピラミッドをもとに整然とした都市が築かれました。
本展覧会の監修である杉山三郎先生(岡山大学特任教授、アリゾナ州立大学研究教授)が長年調査に携わってこられた遺跡でもあり、今回の特別展では「死のディスク石彫」などメキシコ国立人類学博物館の有名作品をはじめ、杉山先生がピラミッドの発掘調査で発見した遺物を展示しています。
 
参考画像 2010年に発行された、テオティワカンをモチーフにしたメキシコの切手。切手の博物館、田辺龍太学芸員ご提供(切手の展示はございません)。
右上の「死のディスク石彫」、左下の「マスク」は本展展示作品。
左上の羽毛の蛇ピラミッドの「羽毛の蛇神石彫」は、本展ではピラミッドの別の場所に飾られていたものを展示。
 
 
いま、遺跡を訪れても灰色の石の世界が広がっていますが、本来は石に漆喰を塗り、その上を赤く塗っていました。
これは遠く離れたマヤ文明でも同じで、古代メキシコの建物の多くは赤い色をしていたのです。
またこうした建物の壁は色鮮やかな壁画で飾られました。
展覧会場でも、作品を通じてこうした古の遺跡の姿に思いを馳せていただくことができるでしょう。
 
羽毛の蛇神石彫
テオティワカン文明 200~250年
テオティワカン、羽毛の蛇ピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
よく見ると、目のわきや口などにわずかに色が残っているのがわかります。
嵐の神の壁画
テオティワカン文明 350~550年
テオティワカン、サクアラ出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
こうした赤色を基調として、様々な壁画が都市を飾っていました。
 

 

もうひとつご紹介したいのが、やはり世界遺産となっている、マヤ文明を代表する遺跡であるパレンケです。
パレンケはマヤ文明の都市のなかでは決して大きなものではありませんでしたが、建築や彫刻に傑作が多くマヤ文明の芸術の都とも呼ばれます。
 
参考画像 2008年に発行された、パレンケをモチーフにしたメキシコの切手。切手の博物館、田辺龍太学芸員ご提供(切手の展示はございません)
上段右の説明部分の右に、本展覧会では複製を展示している「パカル王とみられる男性頭像」、下段中央の建物が「碑文の神殿」で、その奥には赤の女王墓である13号神殿も描かれています。
上段中央の緑のマスクはパカル王のもの(本展では展示していません)。
 
 
この遺跡で見つかったのが、本展覧会の注目作品の一つである「赤の女王」墓の副葬品です。
赤の女王は、パレンケの中興の祖ともいえる偉大な王、パカル王の妃と考えられています。
赤の女王の墓は、パカル王の墓である「碑文の神殿」の隣の建物から見つかりました。
赤の女王の名は、棺の中が辰砂(しんしゃ、水銀朱)で真っ赤だったことに由来します。
 
参考画像 赤の女王の棺。辰砂の赤い色は血すなわち生命の象徴であり、また遺体を保護する効果もあったと言われます
 
 
赤の女王墓の副葬品は、石室に埋葬された状態をイメージした空間に展示しています。
会場には、このほかにも映像などで遺跡を体感できる仕掛けをいろいろと設けています。
展覧会を通じて、古代メキシコの奥深さが皆様に伝わりましたら幸いです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」の会期は9月3日(日)まで。この機会をぜひお見逃しなく。
 

 

 

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 山本亮(考古室研究員) at 2023年08月22日 (火)

 

生贄(いけにえ)とは何か?

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している学芸研究部長の河野一隆です。
 
メソアメリカ文明と向き合う重要な要素の一つに、人身供犠(じんしんくぎ)、いわゆる生贄があります(図1)。
現代のヒューマニズムの観点からすると、眉をひそめてしまう習慣ですが、当時の人々にとっては、社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく自らをも犠牲にしなければならないという、利他精神に支えられた儀式でした。
 
図1 アステカの生贄儀礼(マリャベッキ絵文書)
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」図録より
 
神と人間とが協力して初めて成し遂げられるモニュメントの造営には、人身供犠が付きものです。それはメキシコ以外の文明でも例外ではありません。
たとえば、メソポタミア文明のウルの王墓では、調査によって人身供犠の儀式が最も詳細に解明されています。
 
図2 メソポタミア・ウルの王墓での殉葬場面(復元)
ウーリー(瀬田貞二・大塚勇三訳).『ウル』.みすず書房,1958年 より
 
図2の発掘者レナード・ウーリーの復元によれば、棺に入った王が墓室内に安置された後、戦車、人々や動物たちは斜めのスロープを下りて地下へ向かいます。兵士・楽師たちはそれぞれ手に自らの道具を携えて整列し、めいめいが陶器製の小さな盃を手にしていました。その中に入っていたのは毒薬です。儀式が最高潮に達すると、それぞれが盃をあおり、静かに墓の中に崩れ落ちます。そして、すべての儀式が終わると、土で埋め立てられ、王と死出の旅路を共にするのです。メソアメリカ文明同様、メソポタミア文明でも神に自身を捧げる行為はたいへん名誉なことでした。
また、歴史の父、ギリシャのヘロドトスも、黒海沿岸のスキタイ王の埋葬について記録しています。死せる王と共に殉死させられたのは、料理番、馬丁(ばてい)、侍従、馬などでした。さらに、1年後には最も王に親しく仕えた侍臣50名が選出され、馬に乗せた状態で王墓の周りに立て並べられました。
 
それでは、殉死者のすべてが望んで殉死したかというと、そういうわけでもないようです。
たとえば、『日本書紀』には、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇后・日葉酢媛(ひばすひめ)の死に際し、生きたまま墓の周囲に立てられた人間や馬の代わりに埴輪を代用することを豪族の野見宿祢(のみのすくね)が進言したという埴輪の起源説話が記録されています(図3)。
 
図3 埴輪 盛装の男子
群馬県太田市 四ツ塚古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
(注)現在展示していません
 
形象埴輪の起源が、この説話の通りでないことは、現代の日本考古学が証明していますが、神に捧げる対象が生身の人間や動物から仮器(模造品)に移行したことは重要です。この現象は、日本だけでなく世界各地の王墓でも知られているからです。
その代表例が、秦始皇帝陵(しんしこうていりょう)に付属する兵馬俑坑(へいばようこう)です。地下宮殿を守護する写実的に造形された衛兵たちは、それ以前の殷代の王墓で生贄を土壙(どこう)に投げ込んで神に捧げていた段階よりは、はるかに進化した社会のように見えなくもありません。
 
しかし、そうとばかりも言い切れないと私は思います。
 
神への捧げものが、なぜ実物から代用品へと移り変わるのでしょうか?
それは、決して社会における神の地位が低下したからではなく、反対に王墓の被葬者である王自身が神格化したからだと考えます。つまり、王も殉死者もさらには八百万の神々さえも、自らを犠牲にしなければ維持できなかった社会から、王が神となり、自身に奉仕することが社会秩序を安定させるための手段だと見なされた社会への移行です。エジプトのウシャブティなどはまさにこの典型例といえるでしょう。王に権力が集中するためには、王への奉仕者は、その役割がはっきりと分化していなければなりませんでした。時代が下るにつれて、マヤの土偶のように人物の造形描写がよりリアルなものへと変わってくるのはこのためです。
 
人身供犠の消滅は、現代の私たちにとっては喜ぶべきことのように見えます。しかし、当時の人々にとっては、王が神と肩を並べた絶対的存在として社会に君臨し、自らのむき出しの権力をいっそう強め、人民を抑圧し搾取するようになったと捉えられたのかもしれません。かくして、王墓や装飾墓などの「見せる埋葬」が、ますます鮮明になってくる時代が到来します。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 河野一隆(学芸研究部長) at 2023年08月17日 (木)

 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」20万人達成!

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(6月16日(金)~9月3日(日))は、8月12日(土)午後、来場者20万人を突破しました。
多くのお客様に足をお運びいただきましたこと、心より御礼申し上げます。

これを記念し、12日、千葉県印西市からお越しの加納さんご家族に、当館館長藤原誠より記念品を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。左から2番目、館長の藤原誠
 
加納さんご家族はお友達のご家族グループといっしょにご来館。
コロナのためなかなか外出して遊ぶ機会がありませんでしたが、お友達から古代メキシコ展に行こうとお誘いがあり、今回初めて当館にお越しになったそうです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は9月3日(日)まで。
また、金・土・日曜日は本特別展のみ19時まで開館します(最終日9月3日(日)は17時まで)。
日本で古代メキシコの至宝をご覧いただける貴重な機会です。どうぞお見逃しなく。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年08月16日 (水)

 

古代メキシコのマスク

【はじめに】

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している考古室長の井出浩正です。
本展も残すところひと月程となりました。皆さまご覧になられましたでしょうか。
 
突然ですが、みなさんは、「目は口ほどに物をいう」ということわざをご存知でしょうか。目つきやまなざしから言いたいことや気持ちが伝わることのたとえです。
あるいは「目力(めぢから)」という言葉はご存知でしょうか。一般的には、目の表現や視線で相手に与える迫力の程度を指す言葉です。
 
なぜ、そのようなことをいうかというと、この展覧会の注目作品のひとつである赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクの目力がすごく強いと私は感じるからです。
 
【赤の女王のマスク】
 
 
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明 7世紀後半
パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクをご覧ください。
端正で力強い直線的なまなざしは、王族としての揺るがない強い意思とともに、慈愛に満ちているように思われます。見つめているうちに、だんだんとこちらの心が見透かされ、やがてその瞳に吸い込まれてしまいそうではないでしょうか。
見つめ合い続けられずに私は思わず目をそらしてしまいます。
でも、もしかしたら、私と同じような感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクは孔雀石(くじゃくいし)の小片を組み合わせて作られたマスクです。頭蓋骨周辺から116個もの破片の状態で発見されました。瞳には黒曜石、白目には白ヒスイ輝石岩を嵌めています。硬質なヒスイではなく、軟らかい孔雀石を用いた、豊かな表情が特徴です。
 
続いて、テオティワカン文明やアステカ文明のマスクを比べてみましょう。
 
【テオティワカンのマスク】


マスク
テオティワカン文明 150年~250年
テオティワカン、太陽のピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵

マスク
テオティワカン文明 350年~550年
テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
 
 
のマスクは、太陽のピラミッドの中心付近で出土しました。地下に存在したであろう王墓への奉納品と推測されています。
瞳が黄鉄鉱で作られており、当初はキラキラと輝いていたと思われます。
このマスクは、テオティワカンで現在確認されている最古のマスクです。テオティワカンのマスクは、これまで550点ほど見つかっています。
のマスクは、ラ・ベンティージャ複合施設の工芸家区域で出土したものです。一部が未完成か、製作直後に未使用のまま遺棄された可能性があります。白目には貝、瞳に黄鉄鉱が象嵌(ぞうがん)されています。口元には、先ほどのマスクと同様に貝で歯の一本一本を表現しており、目や口の象嵌によってよりリアリティがある造形です。
 
【アステカのマスク】
マスク
テオティワカン文明 200~550年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
耳飾り
アステカ文明 1469~81年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館
 
アステカの世界観を凝縮した力強い彫刻作品が特徴的です。
中央のマスクは、テオティワカンの仮面に、メシーカ人が目や歯、耳飾りをつけるなどして、手を加えたものです。彼らは過去の文明の遺物を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なるものとみなし、大神殿に奉納していました。
 
先ほどご紹介したテオティワカンのマスクと見比べてみると、目や口元の表現がよく似ていると思いませんか。アステカの人々がテオティワカンの遺産を継承し、そして、アステカの人々にとっても白目と瞳をもつ目の表現が意識されていたことが窺えます。
 
【おわりに】
いかがでしたでしょうか。
今回は、レイナ・ロハのマスクをきっかけとして、テオティワカン、マヤ、アステカのマスクをご紹介いたしました。
ある一つの造形や表現に注目して鑑賞してみると、お互いに似ているところや似ていないところなど、それぞれの特徴が改めてみえてくるかもしれません。
ぜひ会場でみなさま独自の着眼点で古代メキシコの至宝を心ゆくまでご堪能いただければ幸いです。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 井出 浩正(考古室長) at 2023年08月03日 (木)