皇居のお濠から30分ほどぶらぶらと西へ歩くと、緑豊かな赤坂御用地が見えてきます。江戸時代、紀州徳川家の中屋敷はこの地にありました。
天明7年(1787)11月27日、この江戸城から紀州邸にいたる道のりを一人の姫君が辿りました。紀州徳川家第10代藩主・徳川治宝(はるとみ、1771~1853)に嫁いだ種姫(たねひめ、1765~94)です。
もちろんぶらぶら歩いたわけではなく、白地に蓬萊模様(ほうらいもよう)の御輿に揺られ、盛大な行列を引き連れての道行でした(注)。すなわち婚礼に伴う「御輿入れ」の行列です。
(注)1089ブログ「大名婚礼調度の役割」
江戸時代の言葉の用法では、「姫君」とは将軍家の娘に限って使用された敬称でした。種姫は田安徳川家の生まれですが、11歳の時に10代将軍家治(いえはる)の養子となっているため、これをもって「姫君」と呼ばれる身分になっています。つまり種姫の婚礼は、紀州家としては将軍家の姫君を迎え入れる、きわめて重大な行事だったわけです。
紀州家側では、姫君の住まいとして「御守殿(ごしゅでん)」と呼ばれる御殿を用意しました。たいへんな大工事だったらしく、このときは御守殿ほか造営のため七千畳の畳を手配したとのこと(『南紀徳川史』巻168)。
その門が御守殿門で、これは丹塗りとする決まりがありました。いわゆる「赤門」です。東博には「黒門」(鳥取藩池田家江戸上屋敷の表門)がありますが、残念ながら赤門はありません。現存する御守殿門としては、東大の赤門がよく知られています。東博の正面から歩いても30分くらいですね。

御守殿門(赤門)
徳川種姫婚礼行列図(上巻)巻頭部分 山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
(この場面は展示されておりません)
種姫以後、婚礼の儀礼は次第に縮小の方向へと進んでいきます。大規模な婚礼行列を引き連れた盛大なパフォーマンスは、財政難に苦しむ大名たちの実情から離れたものとなっていました。
さて、治宝には種姫のほかに側室があり、於さゑ(おさえ、栄恭院(えいきょういん))との間には二人の仲良し姉妹が生まれます。鍇姫(かたひめ、信恭院(しんきょういん)、1795~1827)と豊姫(とよひめ、鶴樹院(かくじゅいん)、1800~1845)です。鍇姫は文化11年(1814年)に仙台藩主伊達斉宗(なりむね、1796~1819)に嫁ぎました。一方、豊姫は文化13年(1816)に清水徳川家から婿を迎え、紀州徳川家第11代斉順(なりゆき、1801~46)の正室となりました。
現在、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」で展示中の「竹菱葵紋散蒔絵調度」一式は、妹の豊姫の婚礼調度と伝わっています。展示室のケースにずらりと並ぶ分量が残っていますが、当初の品目が完全に伝わっているわけではありません。
たとえば、婚礼調度として重要な位置を占める貝桶や三棚(黒棚、厨子棚、書棚)がありません。それどころか、本来は100件を越す多彩な道具があったことが記録から窺えるので、現在われわれが目にすることができるのは全体のほんの一部だということになります。

豊姫婚礼調度
竹菱葵紋散蒔絵調度 江戸時代・文化13年(1816)
面白いことに、まったく同じ意匠・技法の竹菱葵紋蒔絵調度が林原美術館(岡山)に所蔵されています。豊姫の調度にはない三棚を含むため、これらは東博の竹菱葵紋蒔絵調度と一具ではないか? と考えたくなりますが、歯黒箱(はぐろばこ)や眉作箱(まゆづくりばこ)など重複する器種もあったりします。
そこで想起されるのが、お姉さんの鍇姫です。林原美術館の調度は、伊達家伝来であることから、伊達家に嫁いだ鍇姫の調度ではないかとする説が有力です。婚礼調度は使い回されることも普通でしたが、結婚の時期も近いので姉妹同じ規格で作られたのかもしれません。
豊姫は婿養子を迎えた形ですので、婚礼調度はそのまま紀州家に残ったようです。そして半世紀近く経過した文久2年12月21日、最後の藩主、第14代茂承(もちつぐ、1844~1906)と倫宮(みちのみや、徳川則子(のりこ)、1850~1874)の婚礼の際には再利用された可能性が指摘されています。本特集の最初に展示されている白無垢の打掛は、この倫宮所用のものです。この打掛を着て婚礼にのぞむ倫宮の晴れの舞台を、豊姫の調度は再度かざることとなったのでしょうか。

打掛 白地浮織幸菱模様 徳川則子所用 江戸時代・19世紀
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posted by 福島 修(特別展室) at 2023年08月25日 (金)
こんにちは。東京国立博物館の猪熊です。
このたび平成館の企画展示室にて、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」(2023年9月18日まで)を開催して、江戸時代の大名の婚礼調度をご覧いただいております。


特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示風景
私は、工芸品の歴史を研究しているのですが、博物館の展示をご覧になると分かりますように、工芸品にはおもに形状・技法・意匠といった見どころがあります。なので、その研究には、まずは美術史的な観点があります。
ところで、現在はケースのなかできれいに展示されている工芸品も、かつては鑑賞のためばかりでなく、実際に使用するために作られたものであったことは申すまでもありません。したがって、工芸品の研究については、生活史的な観点からも考えなければなりません。
工芸品の使用については、衣食住などでの実用的な機能ばかりでなく、時代や社会ごとの制度や常識といった枠組みのなかでの社会的な機能もあります。前近代のような階層社会では、身分ごとに使用できる服飾や調度が定まっており、逆に言えば、服飾や調度には使用者の地位を示す役割もありました。現代でもドレス・コードという取り決めがありますが、その他にも、たとえば指輪というアクセサリーはファッション・アイテムですが、これを左手の薬指に付けると、装身具としての機能に加えて、既婚であるという使用者の社会的状況を示す場合があります。そのことは特に法律などで定めているわけではなく、その常識を共有する人々だけが読み取れるコードです。日本では、婚姻は婚姻届によって法的に承認されるのですが、新郎新婦のまわりにいる人々は、結婚式や披露宴に参加して新郎新婦が紋付袴や花嫁衣裳あるいはタキシードやウェディング・ドレスを着ている姿を目撃して祝福することで、社会的に承認する心理もありうるでしょう(近年は多様な仕方があるので、いささかステレオタイプなたとえですが)。
結婚は、人類にとって最古のルールのひとつとされています。聖書のアダムとイブの物語や、中国神話の伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)の伝説のように、日本神話では世界のはじまりに続いて、イザナギ男神とイザナミ女神の結婚の物語があり、そこでは男から女に求婚する作法が説かれています。
古代日本の結婚は「妻問い(つまどい)」といって男が女の家に通う方法で行われ、その求婚は夜中に忍んで通うことではじまり、男のほうでは、まわりに気付かれないように頭にかぶった烏帽子(えぼし)を御簾(みす)にひっかけないとか、扉や襖を開けるときには軽く持ち上げて音を立てたりしないような配慮をするのがマナーでした。
やがて武家が台頭するにつれて、男の家に女を迎える嫁取婚(よめとりこん)という方法が行なわれるようになります。さらに大名の家どうしの政略結婚が行なわれるようになると、姫が輿(こし)に乗って嫁いでゆくようになり、輿入れ(こしいれ)という婚礼の作法が発達しました。

将軍家の姫の輿入れ
徳川種姫婚礼行列図(とくがわたねひめこんれいぎょうれつず)(部分)
山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
徳川将軍家の種姫が紀州徳川家に嫁いだ際の、江戸城から赤坂にあった紀州藩邸までの輿入れの行列を描いた図。
そして輿入れが華やかに演出されるよう、化粧具・文房具・遊戯具などから構成される豪華絢爛な婚礼調度が製作されました。なかでも名高いのは、徳川将軍家の千代姫(ちよひめ)が、尾張徳川家に嫁いだ際に製作された「初音蒔絵婚礼調度」(徳川美術館所蔵)でしょう。これは『源氏物語』「初音(はつね)」巻を題材とする意匠が高度な蒔絵技法で表された調度群です。細やかな情景意匠に目を奪われて、つい見落としてしまうのは三つ葉葵(みつばあおい)の家紋です。当時の婚姻は、現行憲法が定める「両性の合意のみに基づいて成立」するような個人を重んじるものではなく、家と家との結びつきであれば、家紋こそが婚礼調度の果たす役割を象徴していたのです。
このたびの特集では、紀州徳川家の豊姫(とよひめ)が11代将軍・徳川家斉(いえなり)の七男・斉順(なりゆき)と結婚した際の婚礼調度を展示しています。この婚礼調度は『源氏物語』などの文学意匠ではなく、梨子地(なしじ)に竹菱文(たけびしもん)が均一的に表されて、三つ葉葵紋が散らされています。


「なんだ、同じ文様ばかりか」と物足りなく思われるかもしれませんが、繁殖力が強い竹には子孫繁栄の意味が込められており、当時の婚礼の真意を示す意匠といえます。
豊姫の婚礼調度を見ていると、単調な竹菱文と家紋ばかりのためか、大名の婚礼調度が単なる生活用具などではなく、また鑑賞品でもなく、家と家との結び付きと繁栄という究極の目的が良く理解されるように思われます。
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posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2023年08月23日 (水)
新年あけましておめでとうございます。今回、特集「博物館に初もうで」を担当した工芸室主任研究員の清水と申します。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今年のテーマは、「兎(と)にも角(かく)にもうさぎ年」ということで、展示室には兎に角、たくさんのうさぎ達が集まりました。絵もあれば工芸品もあります。今回のブログでは、その中でも特に文房具に焦点を当て、ご紹介したいと思います。
文房具は、結構個人の趣味や好みが表れますよね。小学校の頃は筆箱なんか、かなり嗜好が表れていました。私は第二次ベビーブーマーなのですが、男の子だとスーパーカーとか特撮ヒーロー、女の子だとアニメなどのキャラクターのデザインが多かったような記憶があります。私はというと、ただの黒い合皮を貼っただけの四角い筆箱。上下両面開きとかも流行っていましたが、シンプルな片面開き。流行に流されず、目論見(もくろみ)通り6年間使いました。
そんな筆箱は、昔だとさしずめ硯箱(すずりばこ)でしょうか。今回展示の「豆兎蒔絵螺鈿硯箱(まめうさぎまきえらでんすずりばこ)」は、ちょっと大きな二段重ねで、硯の下に紙を入れる部屋があります。外は蒔絵と螺鈿で大豆の文様(もんよう)。派手ですがデザイン的にはシンプルですね。

豆兎蒔絵螺鈿硯箱
伝永田友治作 江戸時代・19世紀
豆好きかと思いきや、蓋を開けると、裏にうさぎがいました。

持ち主は密(ひそ)かにうさぎ好きのようです。家人や弟子に知られたくなかったのでしょうか。なかなか小粋な趣向です。
この硯箱に附属するものではありませんが、「織部兎文硯(おりべうさぎもんすずり)」(個人蔵)という、うさぎ形の硯もあります。うさぎの体が硯面になっていて、頭と尻尾、脚が周りに付いているのですね。ちょっと不思議な感じです。
(撮影不可の作品のため、実物は展示室にてご覧ください。)
そして、墨を擦るための水を注ぐための水滴(すいてき)。墨汁の普及した今ではあまり見掛けませんが、以前は必須アイテムでした。これもうさぎ形がたくさんあります。ふくらんだ子(図1)や振り返る子(図2)、首をかしげた子(図3)もいます。小さいものは硯箱に入れていたのでしょう。これも蓋を開けると、ひょっこり現れたことでしょうね。
(図1)

(図2)

(図3)
図1~3 兎水滴
江戸時代・18~19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈
紙と墨は今回ありませんが、筆は…。
実物はありませんが、「米庵蔵筆譜(べいあんぞうひっぷ)」という、江戸時代の文人・市河米庵(いちかわべいあん。1779~1858)の唐(中国)筆コレクションの図録には、「兎毫(とごう)」という、うさぎの毛のものがあります!

米庵蔵筆譜
市河米庵編 江戸時代・天保5年(1834) 徳川宗敬氏寄贈
(赤枠内が兎毫の筆です)
硯箱を開けてうさぎとご対面、うさぎの硯にうさぎの水滴で水を注ぎ、うさぎの毛の筆でうさぎを摺りだした料紙にうさぎの和歌を書いたら…、うさぎ好きには堪(たま)らないでしょうね。墨もうさぎ膠(にかわ)で固めていたりして。そんなうさぎ尽くしの書斎は、実際にあったのか、卯年(うどし)の初夢なのか。ちょっと、そんな気分を味わいに、是非平成館企画展示室へお運び下さい。

特集「博物館に初もうで 兎にも角にもうさぎ年」展示風景
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posted by 清水健 at 2023年01月12日 (木)
東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」前期展示(~11月13日)の「舟橋蒔絵硯箱」「片輪車螺鈿手箱」はご覧いただけましたでしょうか。
本展第2展示室の中心に2点が対峙する形で展示されておりましたが、会場の様子を見ていると、知名度・人気とも若干「舟橋」の方に軍配があがるかな? という印象でした。


異様なかたちと存在感に目が行きがちですが、その地文様は、大きめの粉を打ち込んだ金地に付描(漆で線を加えて金粉を蒔く技法)によって曲線を連ねた波文様。この表現、じつはお向かいに展示されていた「片輪車螺鈿手箱」の地文様と全く同じなのです。
今見ても新鮮な造形は、鎌倉時代に好まれた技法・様式がベースになっていることが、両者を見るとお分かりいただけるかと思います。


さて、片輪車の文様については、以前にも2021年に執筆した「博物館に初もうで」のブログですこしご紹介したことがありますが、なかなかにややこしい問題を含んでいます。
片輪車とは、牛車の車輪が水流や地面から、半分だけぴょこんと頭を出した状態のものを構成した文様です。
斜めに倒れた状態の車輪を描いているので、楕円形に歪んでいるのが約束事になっています。何がややこしいって、どうして車輪なんてものを主題にしたのでしょうか?またその理由は、時代を経ても不変だったのでしょうか?
もちろん現代でも意味の分からないモチーフ選択は随所に転がっています。私も変なレスラーのマスクがデザインされたTシャツを持っていますが、まあ意味はわからない。どんなものでもデザインソースにはなりえますし、理由があると思い込むのも危険かもしれません。
しかし「片輪車螺鈿手箱」のような沃懸地螺鈿の最高級品に、よくわからんモチーフのデザインを採用するでしょうか。
蒔絵師がひねくれもので、「こんなものを描いてやれ」と奇抜なデザインで進行させる…という可能性も、当時の制作体制を考えるとあり得ないでしょう。実際に大枚をはたく注文主が、その作品の使用目的から意匠の方向性を決定し、ゴー! を出さない限り施工は進まないのです。
「片輪車螺鈿手箱」のデザインを見ると、片輪車の配置は整理され、すでに文様として成熟の域にあることが窺えます。
つまり本作が制作された鎌倉時代、片輪車は生まれてから時を経た伝統文様であり、最高級品にもふさわしい格式を持つものと見なされていました。
工芸品の文様には、吉祥や願望などの具体的な意味を込める場合のほかに、直接的な意味よりも伝統や格式が重視される場合もあります。片輪車が生まれたのは平安時代後期と考えられるので、当時としてはそれほど長い伝統ではないですが、少なくとも平安時代に先例があったことは本作の意匠選択の大きな理由になっていたはずです。
その先例が、本展後期(11月15日(火)~12月11日(日))に展示される「片輪車蒔絵螺鈿手箱」です。
テレビや出版物などメディアで紹介されることも多く、片輪車の手箱と言えばこちらの方が、圧倒的に認知度が高いかと思います。丸みを帯びて優しくふくらむ蓋の甲面、厚い夜光貝を大きく扱う螺鈿の表現など見どころの豊富な作品です。なかでも揺らめく線を引き連ねて描く水流はすばらしく、よくぞ見事に意匠化したものだと思います。


この線、近づいてよく見ると必ずしも巧緻さを感じる線ではありません。どちらかというとユルくてたどたどしい、何やら書道をはじめたばかりの人が筆で書いた線のようにも見えます。
しかしそんな線で統一して緩急つけながら描くことで、全体に調和した動きをもたらしているのです。
ふつう蒔絵の名品に描かれる波は均整のとれた鋭い線で構成されており、蒔絵師は皆そうした線が引けるように一生懸命修行します。この独特の調子を出すのは、逆に難しいのではないでしょうか。
当館では江戸時代に制作された本作の模造も所蔵していますが、やはり模造作者も一流の蒔絵師、どうしても線を美しく引いてしまいます(模造品は本展では出品されません)。


平安時代の蒔絵には、どこか抜けたような味わいがあって、語りつくせない魅力があります。
前期に鎌倉時代の「片輪車螺鈿手箱」をご覧になった方も、その先例がまとう雰囲気の違いをお楽しみいただければと思います。
ところでこの作品、正徳四年(1714)に貨幣改鋳事件に伴って処罰を受けた銀座年寄の所蔵品売立に関する記録から、このとき流罪となった深江庄左衛門が所持していたらしいことが指摘されています。同じく銀座年寄であった中村内蔵助は尾形光琳の庇護者として知られていますね。そして深江庄左衛門の息子、芦舟が絵師として師事したのもまた、尾形光琳でした。
当時すでに名物として知られていた「片輪車蒔絵手箱」は、意外と光琳に近い文化圏に存在していたわけです。
もしかしたら、光琳も目にして何らかの刺激を受けていたかもしれません。
本展後期、「片輪車蒔絵手箱」に対峙して展示されるのはこの尾形光琳作「八橋蒔絵螺鈿硯箱」です。


橋と燕子花を描きながら、そこにあるはずの水流は省略されています。
上段の硯箱を外し、下段の中を覗き込んではじめて、内側全面に滞りなく続く流麗な曲線が展開し、見えなかった水の流れが現れる趣向です。
あまり知られていないかも知れませんが、実は底部にも同じ水流の描写があります。きわめて鋭く伸びやかな線で構成された水流は、「片輪車蒔絵螺鈿手箱」とは逆の意味で印象的です。蓋を閉めても、使用者の脳裏には波の影がのこります。蓋を開け、硯を使用し、中を見てからもとに戻す、この過程すべてが本作の鑑賞体験です。
残念ながら展覧会場では蓋を開けると全体像が見えず、閉めると内面が見えません。
あらかじめ、この波の姿を脳裏に刻み込んだ上で、どうぞ会場に足をお運びください。
カテゴリ:工芸、東京国立博物館創立150年、2022年度の特別展
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posted by 福島修(特別展室) at 2022年11月14日 (月)

ほほーい、ぼくトーハクくん! 今日のぼくは、ひと味ちがうんだほ。ユリノキちゃん見て見て!
本当だ、トーハクくん、今日はおめかししてるのね。

インドの細密画にたくさん描かれているヒンドゥー教の神様、クリシュナ風のコスプレだほ! そう言うユリノキちゃんも、いつもと服が違うほ?

私のはクリシュナのパートナー、ラーダーの衣装がモチーフなのよ。ところでトーハクくん、私たちがお着替えした理由、覚えてる?
も、もちろんだほ?!
もう、しっかりして! 今週開幕した「博物館でアジアの旅」[9月8日(火)~10月11日(日)] を皆様にご案内するためじゃない。
(そうだったほ!)大丈夫だほ、秋のトーハクといえば「アジアの旅」ほ! 今年で7回目になる恒例企画だほ。
そうそう、東洋の美術・工芸・考古遺物を展示している「東洋館」を舞台に、毎年違うテーマでアジア各地の名品をご紹介しているのよね。今年のテーマは「アジアのレジェンド」なの。
埴輪界のレジェンドを目指すぼくとしても、見逃せないテーマだほー。
ただ、去年までと違って、今年はご来館前に日時指定券の事前予約をお願いしているの。それに「博物館でアジアの旅」と言えば研究員が添乗員に扮して展示室をご案内する「スペシャルツアー」が定番だったけれど、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、残念ながら今年は見合わせることになったんですって。
がーん!!! ぼく一人じゃ、あの大きな東洋館をどう回ったらいいかわからないほ……。
安心してトーハクくん、館内で無料配布中の「博物館でアジアの旅 2020 PASSPORT」があるわ! ここには「アジアのレジェンド」の主な関連作品を見つけるためのヒントが載っているのよ。パスポートの答えは、同じく館内で配布しているオリジナル・シールを見ればわかるんだって。展示室を回った後にシールを受け取って、答え合わせしてみてね。

パスポートおよびオリジナル・シールは、10月11日(日)までの間、東洋館インフォメーションでお配りしています。※数に限りがございます。
それに、ガイドブックに見立てた図録では、主な関連作品について詳しく解説されているの。これを読めば「アジアのレジェンド」への理解が深まること間違いなしよ!

ガイドブックは、本館・東洋館のミュージアムショップで販売中です。
さすがユリノキちゃん! 安心したほー。それじゃあ早速この2冊をお供に、「レジェンドを探す旅」へ出発だほー!
「博物館でアジアの旅」は関連作品が館内のあちらこちらに散りばめられているから、テーマにちなんだ作品を探しつつ、各展示室をぶらぶら散策するのが楽しいよね。
うんうん。これまで気づかなかった面白い作品を発見できることもあるから、わくわくするほ!
ところでトーハクくん、「レジェンド」ってどういう意味か知ってる?
改まって聞かれると困るほ……なんかすごい人のことだほ!
ちょっと惜しいかも。「レジェンド」はもともと「伝説」を意味する言葉なの。そこから今トーハクくんが言ったような「偉人」などといった意味が派生したんですって。最近は「殿堂入り」を果たしたスポーツ選手や芸能人もレジェンドと呼ばれたりするわよね。
ほほー、なるほどー。一言で「レジェンド」と言ってもいろいろだほ。
まさにそうなの。だから今回は、そうした意味の広がりを踏まえながら、レジェンドにまつわるいろいろな作品をご紹介しているのよ。「博物館でアジアの旅」の関連作品は、そばにオレンジ色の札が付いているから、それを目印に探しましょう。

この札があるものは「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」関連作品です。
あ、クリシュナがいたほ!


ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ(部分) ビーカーネール派 インド 18世紀後半 東京国立博物館蔵 東洋館13室にて通期展示
トーハクくんの衣装のモデルになった絵ね。クリシュナはインド神話の英雄で、指一本で山を持ち上げて、牛飼いたちを雨から守ったんですって。
すごい力だほー!ぼくもそんなパワーがほしいほ。

粉彩牡丹文大瓶 中国・景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清時代・雍正年間(1723~35) 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて通期展示
こっちは大きな瓶だほー。お花の絵がとってもきれいだほ。でも、これはどこが「レジェンド」なんだほ?
この作品は、東洋陶磁収集のレジェンドとされる、建築家の横河民輔氏が集めたコレクションのひとつなの。今回は「レジェンドが集めたもの」として、横河コレクションの優品がたくさん展示してあるのよ。

顔氏家廟碑 顔真卿筆 中国 唐時代・建中元年(780) 東京国立博物館蔵 9月22日(火・祝)まで東洋館8室にて展示
こっちも大きい作品だほ! 迫力満点だほー。
こちらは書の世界のレジェンド的存在、顔真卿(がんしんけい)の代表作と評される作品よ。こんなふうに「レジェンドが作ったもの」もご紹介しているの。でも、こちらの作品をはじめ、一部の作品は「博物館でアジアの旅」の期間途中で展示が終了するので、お目当ての作品がある方はご来館前に作品リストで展示期間をお確かめくださいね。
わ、レジェンドな作品がいっぱいあるほ! ぼくの旅はまだまだこれからだほー!
「博物館でアジアの旅 アジアのレジェンド」は10月11日(日)までです。ぜひ皆様も異国情緒たっぷりの東洋館で、「レジェンドを探す旅」をお楽しみください。

カテゴリ:考古、中国の絵画・書跡、博物館でアジアの旅、絵画、工芸
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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2020年09月10日 (木)