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1089ブログ

漆工の国宝 水の流れはどこへゆく

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」前期展示(~11月13日)の「舟橋蒔絵硯箱」「片輪車螺鈿手箱」はご覧いただけましたでしょうか。
本展第2展示室の中心に2点が対峙する形で展示されておりましたが、会場の様子を見ていると、知名度・人気とも若干「舟橋」の方に軍配があがるかな? という印象でした。


国宝 舟橋蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀

同 蓋表部分


異様なかたちと存在感に目が行きがちですが、その地文様は、大きめの粉を打ち込んだ金地に付描(漆で線を加えて金粉を蒔く技法)によって曲線を連ねた波文様。この表現、じつはお向かいに展示されていた「片輪車螺鈿手箱」の地文様と全く同じなのです。
今見ても新鮮な造形は、鎌倉時代に好まれた技法・様式がベースになっていることが、両者を見るとお分かりいただけるかと思います。

 


国宝 片輪車螺鈿手箱 鎌倉時代・13世紀

同 身側面部分


さて、片輪車の文様については、以前にも2021年に執筆した「博物館に初もうで」のブログですこしご紹介したことがありますが、なかなかにややこしい問題を含んでいます。

片輪車とは、牛車の車輪が水流や地面から、半分だけぴょこんと頭を出した状態のものを構成した文様です。
斜めに倒れた状態の車輪を描いているので、楕円形に歪んでいるのが約束事になっています。何がややこしいって、どうして車輪なんてものを主題にしたのでしょうか?またその理由は、時代を経ても不変だったのでしょうか?

もちろん現代でも意味の分からないモチーフ選択は随所に転がっています。私も変なレスラーのマスクがデザインされたTシャツを持っていますが、まあ意味はわからない。どんなものでもデザインソースにはなりえますし、理由があると思い込むのも危険かもしれません。

しかし「片輪車螺鈿手箱」のような沃懸地螺鈿の最高級品に、よくわからんモチーフのデザインを採用するでしょうか。
蒔絵師がひねくれもので、「こんなものを描いてやれ」と奇抜なデザインで進行させる…という可能性も、当時の制作体制を考えるとあり得ないでしょう。実際に大枚をはたく注文主が、その作品の使用目的から意匠の方向性を決定し、ゴー! を出さない限り施工は進まないのです。

「片輪車螺鈿手箱」のデザインを見ると、片輪車の配置は整理され、すでに文様として成熟の域にあることが窺えます。
つまり本作が制作された鎌倉時代、片輪車は生まれてから時を経た伝統文様であり、最高級品にもふさわしい格式を持つものと見なされていました。

工芸品の文様には、吉祥や願望などの具体的な意味を込める場合のほかに、直接的な意味よりも伝統や格式が重視される場合もあります。片輪車が生まれたのは平安時代後期と考えられるので、当時としてはそれほど長い伝統ではないですが、少なくとも平安時代に先例があったことは本作の意匠選択の大きな理由になっていたはずです。

その先例が、本展後期(11月15日(火)~12月11日(日))に展示される「片輪車蒔絵螺鈿手箱」です。

テレビや出版物などメディアで紹介されることも多く、片輪車の手箱と言えばこちらの方が、圧倒的に認知度が高いかと思います。丸みを帯びて優しくふくらむ蓋の甲面、厚い夜光貝を大きく扱う螺鈿の表現など見どころの豊富な作品です。なかでも揺らめく線を引き連ねて描く水流はすばらしく、よくぞ見事に意匠化したものだと思います。

 


国宝 片輪車蒔絵螺鈿手箱 平安時代・12世紀

同 蓋表部分


この線、近づいてよく見ると必ずしも巧緻さを感じる線ではありません。どちらかというとユルくてたどたどしい、何やら書道をはじめたばかりの人が筆で書いた線のようにも見えます。

しかしそんな線で統一して緩急つけながら描くことで、全体に調和した動きをもたらしているのです。
ふつう蒔絵の名品に描かれる波は均整のとれた鋭い線で構成されており、蒔絵師は皆そうした線が引けるように一生懸命修行します。この独特の調子を出すのは、逆に難しいのではないでしょうか。

当館では江戸時代に制作された本作の模造も所蔵していますが、やはり模造作者も一流の蒔絵師、どうしても線を美しく引いてしまいます(模造品は本展では出品されません)。

 


片輪車蒔絵螺鈿手箱
法隆寺献納宝物 江戸時代・17~18世紀

同 側面部分


平安時代の蒔絵には、どこか抜けたような味わいがあって、語りつくせない魅力があります。
前期に鎌倉時代の「片輪車螺鈿手箱」をご覧になった方も、その先例がまとう雰囲気の違いをお楽しみいただければと思います。

ところでこの作品、正徳四年(1714)に貨幣改鋳事件に伴って処罰を受けた銀座年寄の所蔵品売立に関する記録から、このとき流罪となった深江庄左衛門が所持していたらしいことが指摘されています。同じく銀座年寄であった中村内蔵助は尾形光琳の庇護者として知られていますね。そして深江庄左衛門の息子、芦舟が絵師として師事したのもまた、尾形光琳でした。

当時すでに名物として知られていた「片輪車蒔絵手箱」は、意外と光琳に近い文化圏に存在していたわけです。
もしかしたら、光琳も目にして何らかの刺激を受けていたかもしれません。

本展後期、「片輪車蒔絵手箱」に対峙して展示されるのはこの尾形光琳作「八橋蒔絵螺鈿硯箱」です。

 


国宝 八橋蒔絵螺鈿硯箱 江戸時代・18世紀

同 下段内面


橋と燕子花を描きながら、そこにあるはずの水流は省略されています。
上段の硯箱を外し、下段の中を覗き込んではじめて、内側全面に滞りなく続く流麗な曲線が展開し、見えなかった水の流れが現れる趣向です。

あまり知られていないかも知れませんが、実は底部にも同じ水流の描写があります。きわめて鋭く伸びやかな線で構成された水流は、「片輪車蒔絵螺鈿手箱」とは逆の意味で印象的です。蓋を閉めても、使用者の脳裏には波の影がのこります。蓋を開け、硯を使用し、中を見てからもとに戻す、この過程すべてが本作の鑑賞体験です。
残念ながら展覧会場では蓋を開けると全体像が見えず、閉めると内面が見えません。
あらかじめ、この波の姿を脳裏に刻み込んだ上で、どうぞ会場に足をお運びください。

カテゴリ:工芸東京国立博物館創立150年

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posted by 福島修(特別展室) at 2022年11月14日 (月)