このページの本文へ移動

1089ブログ

半跏思惟像の仲間たち

こんにちは。彫刻担当の西木です。
奈良を代表する四寺の仏さまをご覧いただいている、特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」(~9月23日(月・祝))。

今回ご紹介するのは、岡寺所蔵の菩薩半跏像(以下、岡寺像といいます)です。じつは、トーハクでは半跏像の仲間がたくさん見られるので、このブログでは、トーハクの半跏像と比べながらご紹介しましょう。


重要文化財 菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう) 奈良時代・8世紀 岡寺蔵

「半跏(はんか)」というのは、片脚を組んで坐る姿勢のことです。一般的な仏像は、立っていれば「立像」、坐っていれば「坐像」、椅子などに坐って両脚を降ろしていれば「倚像(いぞう)」といいます。

岡寺像は、裙(くん)と呼ばれる、下半身にまとうスカートのような衣が台座にかかっており分かりにくいですが、背もたれのないスツールのような椅子に坐っています。横から見ていただくと、スカートとは別の布を被せて紐でくくっているのが分かります。

本展をはじめ、今は「半跏像」と呼ぶことが多いですが、こうした坐り方の菩薩像のうち、右手で頬杖を突いて考えごとをするようなポーズの像が多いため、「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」と呼ぶこともあります。教科書に出てくるのは「半跏思惟像」ですね。


岡寺像は、人差し指と中指が頬にくっついています。

さて、ここまで読んできて疑問に思われたかと思いますが、なぜ「菩薩半跏像」もしくは「半跏思惟像」というのでしょうか。結論からいいますと、こうした姿の菩薩像は、地域によってさまざまな名前で信仰されており、なかなか特定できないからなのです。

たとえば、インドでは出家される前に思い悩む姿として半跏思惟像が現われます。つまり、それがお釈迦様ですね。本名がゴータマ・シッダールタなので、中国では悉達太子(しっだたいし)と呼ばれました。また、手に蓮華を持つものがあり、これは観音菩薩と捉えられていたようです。

日本では、未来に現われる救世主である弥勒菩薩として信仰されることもありました。飛鳥時代の日本とつながりの深かった朝鮮半島にも半跏思惟像は多いので、同じく弥勒菩薩と考える説もあります。日本では、台座の下方に山岳を描くものがあり、兜率天(とそつてん)と呼ばれる天上で瞑想にふける弥勒菩薩の特徴とも指摘されています。


菩薩半跏像 朝鮮 三国時代・7世紀 小倉コレクション保存会寄贈(東洋館10室にて展示中)

 

 

【上】重要文化財 菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

【下】重要文化財 菩薩半跏像(台座)

【左】重要文化財 菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

【右】重要文化財 菩薩半跏像(台座)

中国で盛んに造られた、樹の下に表わされる半跏思惟像は、やはりお釈迦様が思い悩む姿と思われます。「龍(華)樹」と彫られた像があるため、弥勒菩薩が教えを説く前の姿とも言われています。

菩薩五尊像 中国 北斉時代・6世紀
東洋館1室にて展示中)

 

 

菩薩五尊像(背面)

岡寺像は、お寺では本尊の如意輪観音菩薩坐像の像内から発見されたと伝えられるため、如意輪観音として信仰されてきましたが、こうした事情により本展では他にならって「菩薩半跏像」としています。半跏思惟像の名前を決めるのは、案外難しいのです。

つぎに、岡寺像はいつ頃造られたのでしょうか。

法隆寺宝物館には、常に10体もの半跏像をご覧いただけます。法隆寺宝物館に行ってみましょう。

どれも飛鳥時代(7世紀)に造られたものと考えられていますが、たとえば【1】の菩薩半跏像は、衣のひだが規則的に整えられており、裾には折り畳まれて「品」という漢字に近い形が表わされています。やや厳しい表情も特徴です。法隆寺金堂の釈迦三尊像を造った止利仏師(とりぶっし)のスタイルに近いですね。半跏像以外では、如来坐像や、如来立像も典型的な止利風を示します。

【1】重要文化財 菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

 

 

【2】重要文化財 如来坐像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

法隆寺宝物館で多いのは、もっと頭が大きくて、衣が賑やかに表わされたものです。台座に山岳文が表わされている【3】菩薩半跏像もそのひとつで、衣には品字形のひだがありますが、縁にタガネと呼ばれる道具で細かく文様が彫られており、華やかさを感じます。顔はまんまるとして、子どものようであることから、「童子形(どうじぎょう)」と呼ばれています。【4】は童子形でありながら、顔は眉毛がつながる濃い顔立ち、体は肉づきよく、外国から新しい表現が入ってきたことを思わせます。衣のひだも、だいぶ乱れていて、賑やかになりました。

【3】重要文化財 菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

 

 

【4】重要文化財 菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

一方で、岡寺像を見てみましょう。

表情は少しはっきりしませんが(とくに目は墨で描いていたのでしょう)、目鼻は整っており、やや大人びた顔立ちのようです。体は細身ですが、ふっくらとした肉づきを感じさせます。衣のひだは少なく、シンプルですが、組んだ右脚の輪郭がはっきりとでており、足首で引っ張れたひだは、とても自然に表わされています。品字形に近いひだもありますが、だいぶ崩れているようです。

 

 

いずれも、近い表現を法隆寺宝物館で見ることはできません。飛鳥時代より写実的な表現が進んでいる点から、奈良時代(8世紀)に入って製作されたことが推測できます。

ところが、頭の飾りには、古い要素が確認できます。たとえば、頂点に上向きの三日月と太陽の組み合わせがあり、中央に房飾りを垂らしています。これは辛亥年(651)に造られたことがわかる【5】観音菩薩立像や、同じ頃に製作されたとみられる【6】観音菩薩立像に典型的に見られるものです。しかし、いずれも衣のひだが左右対称に整えられる点など、その表現は岡寺像とまったく異なります。

 

【5】重要文化財 観音菩薩立像(頭部) 飛鳥時代・白雉2年(651)(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

 

 

重要文化財 観音菩薩立像(正面)

 

【6】重要文化財 観音菩薩立像(頭部) 飛鳥時代・7世紀(法隆寺宝物館第2室にて展示中)

 

 

重要文化財 観音菩薩立像(正面)

想像になりますが、飛鳥時代(7世紀)、あるいは同じ頃かそれより古い時代の中国や朝鮮半島由来の古い仏像が伝えられており、これを模倣して奈良時代(8世紀)に新しく造られたのが、岡寺像ではないでしょうか。とても重要な像であったからこそ、本尊のなかに納められていたとも考えられます。もちろん、小さな金銅仏は持ち運びも簡単なので、本来どこにあったものなのかすら確かではありませんが、東アジアにおける仏像の歩みを物語る、貴重な証人であることはまちがいありません。

今回紹介した「半跏像」の仲間は、現在 東洋館法隆寺宝物館で展示中です。
特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」とあわせてご覧いただけますので、ぜひチェックしてみてください。

 

特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」

本館 11室
2019年6月18日(火)~ 2019年9月23日(月)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像特別企画

| 記事URL |

posted by 西木政統 at 2019年09月11日 (水)

 

1