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江戸時代が見た中国絵画(2) 東博所蔵の木挽町狩野家模本について

絵画というと、展覧会に並んでいるものというイメージが強く、画家はその個性を競いあって作品を描いていた。そう思っている人が多いでしょう。今回の特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」には、江戸時代の絵師が中国絵画を見て描いた多くの模本が並んでいます。本物と見まがうような精巧に描かれた模写は、コピーではなく作品としてみることが出来るような「本物」感のあるものもあります。これらは、狩野派模本と呼ばれており、木挽町(こびきちょう)狩野家に伝来したとされています。実際には、何度かに分けて博物館に収蔵され、狩野派以外の絵師が制作したものとの区別が難しいものもあります。また模本類は、明治になって、博物館で制作されたものを加えて再整理が行われており、1点1点確認をおこなわないと正確な伝来を確定するのが難しいのが現状です。しかし、仕立ての様子や、模本に添えられた絵師のメモから、狩野探幽の弟尚信の家系である木挽町狩野家が関与したものが大量にあることは間違いありません。

木挽町狩野家は、尚信の息子常信が江戸時代前半の幕藩体制の確立期、諸大名が藩の組織を確立する時期に活躍して多くの藩の御用を勤めたため、以後も子孫が各藩の御用を継承し、前例と家系を重視する江戸時代に、御用絵師集団の中心的存在として君臨しました。同家8代目の狩野伊川院栄信は、古画に学んだ堅実な画風で知られ、その子晴川院養信は幼い頃から模写を行っていました。パパの教育の成果でしょうか、15歳で写した「竹図(模写)」は、筆のかすれを写すという至難の業をこなし、墨の濃淡も巧みに写しています。

竹図
(左) 竹図(模写) 狩野晴川院(養信)模 江戸時代・文化7年(1810)
 東京国立博物館蔵
(右) 竹図(原本) 伝趙孟頫筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵


それに対してその子勝川院雅信の「林檎折枝図(模写)」は、13歳という2歳のハンディはあるものの、原本である南宋時代の「折枝画」の特徴を写そうという意識は感じられません。これを見た父はどう思ったことでしょう?会場には精緻な模写「林檎図(模写)」もありますから比較して見てください。模写を通して作品の質、そして画家の呼吸を感じ取るような訓練が、写す行為の中にはあります。
子供の頃、習字の塾では先生が書いたお手本を写すように書き、それが認められると次のお手本に進んで書道を習いました。狩野派でも同様な段階を追った学習をしていました。私の場合は、残念ながら入門1年後に家を引っ越したため、お習字レベルは、小学校2年で止まったままですが。

林檎折枝図模写と本図
(左) 林檎折枝図(模写) 狩野勝川院(雅信)模  江戸時代・天保3年(1832) 東京国立博物館蔵
(中) 林檎図(模写)  筆者不詳 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
林檎図(原本) 伝李迪筆 中国  南宋時代・13世紀  個人蔵 (本特集ではパネル展示のみ)


模写作品は、写真の代わりになるもので、現在無くなってしまった作品の記録として重要なばかりでなく、写す行為によって描いた画家を理解していく体験でもありました。
橋本雅邦は、勝川院雅信の弟子で、木挽町狩野家の様子を記した「木挽町画所」(『国華』3号 明治22年)の中で、これらの模本がどのように管理されていたかを語っています。長老格の弟子により厳重に管理され、月に2度の点検が行われ、隔年に修繕もされました。こうして大事にされた模本が展示されているのです。これらは、江戸時代に絵師の見た絵画の資料庫であるばかりでなく、中国絵画を含んだ古画理解の源でもありました。
今回の特集陳列を、そんなことを改めて思いながら見たのでした。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2013年05月27日 (月)