美術解剖学のことば 第2回「黒田清輝と美術解剖学」
まず初回は、黒田清輝(1866-1924)の言葉から紹介したいと思います。
黒田が留学先のパリから日本の義母に宛てた手紙には、
美術解剖学やヌードデッサンについての記述が残っています。
義父宛には「一筆啓上仕候・・・」の文語調の手紙で、
義母宛には平易な文章をひらがなで綴っていますが、
かえってその表現が美術解剖学の「本質」を突く、
率直な思いが表われていて味わい深ものがあります。
死んでいる人間を、いやどんな動物でも解剖して、その仕組みを見るということは、
皮を剥ぎ、ナイフやメスを使って「切ら」なければなりません。
それは一見怖いような、気持ちが悪いような気もしますが、
黒田が母への手紙に書いているように、「二度も見ましたら、もう何とも無いようになりました。」
僕は黒田のその言葉に、アーティストとしての生まれ持った素養、光るものを感じます。
正しく対象を「見ること」、そして木炭や絵筆をとって「画面を切る=描くこと」、
その「痕跡」として残された画面が、
美術作品としていま私たちの目に訴えかけるものを残しています。
解剖学実習 1987年2月
東京藝術大学の美術解剖学で、4名のグループで3日間の実習を行いました。
ウサギを解剖して、足の骨・筋肉・腱の構造を観察しているところです。
黒田清輝が、1877年のパリで残した「裸んぼ=裸婦・裸体」のデッサンは、
いまトーハクの特集陳列「美術解剖学 -人のかたちの学び」で展示されています。
盟友 久米桂一郎の同モデル・同ポーズの「裸んぼ」と合わせてご覧ください。
(左) 裸婦習作 黒田清輝筆 明治20年(1887)
(右) 裸婦習作 久米桂一郎筆 明治20年(1887) 東京・久米美術館蔵
(いずれも2012年7月3日(火)~2012年7月29日(日)展示)
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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2012年07月04日 (水)