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列品解説「東大寺山古墳出土大刀群と金象嵌銘文の世界」 補遺3

特集陳列 「よみがえるヤマトの王墓―東大寺山古墳と謎の鉄刀―」(~2011年8月28日(日))も、あと6日間ほどとなりました。



会期末は担当者として寂しい反面、多くの方にご覧いただいたという安堵感も入り混じり、いつも少々複雑な気分です。
しかし、これからの方はもちろん、もう一度見ていただく方にも新たな発見をしていただけるように、前回のブログ 補遺2で遺した、当時の人々が大刀の意義について「満足した部分(X)」と、「満足できなかった(?)部分(Y)」があったという予測にもとづく大刀改造の謎の背景について、追加の補足をさせていただきたいと思います。


金象嵌銘大刀(きんぞうがんめいたち)を含む家形・花形飾環頭大刀(いえがた・はながたかざりかんとうたち)は、中国製大刀を改造して、中国式環頭をモデルにした日本列島独自の意匠を"鏤(ちりば)めた"環頭に付け替えたものでした。
類例がない独創的な造形には、高度なテクニックと並々ならぬ情熱を感じさせます。


苦労して製作した環頭には、直弧文(ちょっこもん)や家形など、当時の人々にとってなじみ深いモチーフが選ばれていました。
少なくとも、これらの大刀がよほど大切にされたことは間違いありません。


素環頭大刀と青銅製環頭(左:中国出土:当館・天理参考館蔵、右: 東大寺山古墳出土:形・形飾環頭・当館蔵)

もう一度、金象嵌銘文を見てみましょう。
前々回のブログ 補遺1で、銘文は古代東アジアの刀剣銘文の典型で大きく3つの部分で構成されていることを記しました。

A:中国王朝の権威が及ぶことを示す後漢の元号
B:架空の日付を伴う材質・製作の正当性を示す常套句
C:辟邪除災(招福)(へきじゃじょさい(しょうふく))を意図する吉祥句

環頭が付け替えられた理由は、銘文のC部分にあると予想がつきそうです。
それは、大事にされた理由が中国皇帝の権威を示すA部分や高い品質を述べたB部分とすると、わざわざ傷付けてしまうことは少々矛盾するからです。
しかも、気に入っていたのはCでも、壮大な宇宙観[ブログ 補遺1:画像1]を語る前半部分よりは"現世利益(?)"的な後半部分である可能性が高いようです。

象嵌銘文(1)
「A:中平□□[184~189](年)、B:五月丙午、造作文刀百練清(釖)、C:上應星宿、(下辟不祥)」

それは、列品解説(7月26日(火))でご紹介した厳密な古代中国の宇宙観を表していた方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)[ブログ 補遺1:画像2]は、国産化されるとすぐに四神像が形骸化し、渦巻き文様(渦文)化することからも解ります。


四神像の変遷(変形方格規矩四神鏡[4~5c])[田中 琢1981]


国産鏡(倣製鏡)では、四神などの霊獣像はさらに簡単な図像に変化して数を増したり、ついには半球形や点状に変化してしまいます。
変形方格規矩四神鏡の他に、倣製鏡の獣形文鏡は
捩文鏡(ねじもんきょう)  →  乳文鏡(にゅうもんきょう ) →  珠文鏡(しゅもんきょう) 
と変化します。
その移り変わりは、考古展示室の銅鏡(舶載鏡と倭鏡)コーナーでも展示していますので、是非ご覧いただきたいと思います。


舶載(輸入)鏡と倭(国産)鏡 ([3~6c]当館蔵) [考古展示室]


中国王朝の権威や壮大な宇宙観、舶来の稀少な品質よりも、自分たちに身近な存在に深い関心を寄せる。このような側面は、東アジアでも有数の日本列島製の刀剣銘文にも窺うことができるようです。

その典型は、実は考古展示室で展示している国宝の銀象嵌銘大刀(熊本県玉名郡和水町江田船山古墳出土:[5c]当館蔵)に見ることができます。
これらの多くは、どうも当時の人々に気に入るような形に中国式銘文が"改造"されているようです。

象嵌銘文(4)
「A':治天下獲□□□歯大王世、D1:奉事典曹人名无(利)弖、B:八月中用大鐵釜併四尺廷刀、
八十練(九)十振、三寸上好(刊)刀、C:服此刀者長壽子孫洋々、得恩也、不失其所統、
D2:作刀者名伊太(和)、D3:書者張安也」

ここでは中国の銘文形式(A~C部分)を踏襲しながら、随所に日本列島独特の文章(D部分)が挿入されていることが判ります。
Aに中国王朝の権威を示す元号はなく、代わりに日本列島の大王の世界観を示す「治天下」という言葉が使われています。
(Bはともかく・・・)Cではこの大刀のもつ呪力を具体的に述べますが、その根拠となる宇宙観は示されていません。
特徴的なのは中国式銘文にはないDで、銘文の主人公「无(利)弖」(D1)と刀鍛冶「伊太(和)」(D2)や、作文した撰文者(せんぶんしゃ)「張安」(D3)が登場します。
もちろん、「獲□□□歯大王」は記紀にみえるワカタケル大王[幼武尊・若建命など](雄略天皇)と考えられる人物で、「无(利)弖」(D1)の主人(A':D4)です。
また、D2・3は製作に尽力した人物であることは容易に推測できます。


国宝 銀象嵌銘大刀(熊本県玉名郡和水町江田船山古墳出土:[5c] 当館蔵) [考古展示室]


同様な部分は、埼玉県行田市埼玉稲荷山古墳出土鉄剣ではより顕著に表れています。
主人公・「乎獲居臣」(D1)に至る8代の系譜とその人間関係が記され、まさにDだらけです。
B'も主人公の指示と語っており、濃密な(ベタベタの?)人間模様が描かれていることが解ります。

象嵌銘文(5)
「A':辛亥年[471or531]七月中記、D1:乎獲居臣、D2:上祖名意富比跪、D3:其児多加利足尼、D4:其児名弖已加利獲居、D5:其児名加披次獲居、D6:其児名多沙鬼獲居、D7:其児名半弖比[表面]」
「D8:其児名加差披余、D9:其児名乎獲居臣、D1':世々為杖刀人首奉事来至今、獲加多支歯大王寺、在斯鬼宮時、吾左治天下、B':令作此百練利刀、D1'':記吾奉事根原也[裏面]」

家形・花形飾環頭大刀への改造は、これらの銘文と同じように自分達にもっとも関心が深い(大好きな・・・)ものを追加するという行為で、やはりよほど気に入っていたからに違いありません。
大陸の権威や宇宙観を横眼に(?)、身近な伝統的装飾や社会関係に関心を寄せる姿は、海外の"大国や先進国"から自由な精紳で活動していた証(あかし)といえるでしょう。
良くも悪くも、その後の日本人の気質やものづくりにも一脈通ずるものが感じられる気がしますが、如何でしょうか。

東大寺山古墳に副葬された"改造大刀"の出現は、その後の日本列島に住む人々の行動や性格の行方(ゆくえ)を占うともいえるもので、古墳時代の人々のそんな素朴な、いじらしいとも云える一面をこれらの大刀は物語っているように思われます。




ご来場の皆様にはその一端でも感じ取っていただければ、今回の展覧会の目的の一つはすでに果たされたといえます。
どうぞ当時の人々の関心の在り処や情熱に想いを馳せて、ご覧いただければ幸いです。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2011年08月23日 (火)