このページの本文へ移動

1089ブログ

生贄(いけにえ)とは何か?

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している学芸研究部長の河野一隆です。
 
メソアメリカ文明と向き合う重要な要素の一つに、人身供犠(じんしんくぎ)、いわゆる生贄があります(図1)。
現代のヒューマニズムの観点からすると、眉をひそめてしまう習慣ですが、当時の人々にとっては、社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく自らをも犠牲にしなければならないという、利他精神に支えられた儀式でした。
 
図1 アステカの生贄儀礼(マリャベッキ絵文書)
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」図録より
 
神と人間とが協力して初めて成し遂げられるモニュメントの造営には、人身供犠が付きものです。それはメキシコ以外の文明でも例外ではありません。
たとえば、メソポタミア文明のウルの王墓では、調査によって人身供犠の儀式が最も詳細に解明されています。
 
図2 メソポタミア・ウルの王墓での殉葬場面(復元)
ウーリー(瀬田貞二・大塚勇三訳).『ウル』.みすず書房,1958年 より
 
図2の発掘者レナード・ウーリーの復元によれば、棺に入った王が墓室内に安置された後、戦車、人々や動物たちは斜めのスロープを下りて地下へ向かいます。兵士・楽師たちはそれぞれ手に自らの道具を携えて整列し、めいめいが陶器製の小さな盃を手にしていました。その中に入っていたのは毒薬です。儀式が最高潮に達すると、それぞれが盃をあおり、静かに墓の中に崩れ落ちます。そして、すべての儀式が終わると、土で埋め立てられ、王と死出の旅路を共にするのです。メソアメリカ文明同様、メソポタミア文明でも神に自身を捧げる行為はたいへん名誉なことでした。
また、歴史の父、ギリシャのヘロドトスも、黒海沿岸のスキタイ王の埋葬について記録しています。死せる王と共に殉死させられたのは、料理番、馬丁(ばてい)、侍従、馬などでした。さらに、1年後には最も王に親しく仕えた侍臣50名が選出され、馬に乗せた状態で王墓の周りに立て並べられました。
 
それでは、殉死者のすべてが望んで殉死したかというと、そういうわけでもないようです。
たとえば、『日本書紀』には、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇后・日葉酢媛(ひばすひめ)の死に際し、生きたまま墓の周囲に立てられた人間や馬の代わりに埴輪を代用することを豪族の野見宿祢(のみのすくね)が進言したという埴輪の起源説話が記録されています(図3)。
 
図3 埴輪 盛装の男子
群馬県太田市 四ツ塚古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
(注)現在展示していません
 
形象埴輪の起源が、この説話の通りでないことは、現代の日本考古学が証明していますが、神に捧げる対象が生身の人間や動物から仮器(模造品)に移行したことは重要です。この現象は、日本だけでなく世界各地の王墓でも知られているからです。
その代表例が、秦始皇帝陵(しんしこうていりょう)に付属する兵馬俑坑(へいばようこう)です。地下宮殿を守護する写実的に造形された衛兵たちは、それ以前の殷代の王墓で生贄を土壙(どこう)に投げ込んで神に捧げていた段階よりは、はるかに進化した社会のように見えなくもありません。
 
しかし、そうとばかりも言い切れないと私は思います。
 
神への捧げものが、なぜ実物から代用品へと移り変わるのでしょうか?
それは、決して社会における神の地位が低下したからではなく、反対に王墓の被葬者である王自身が神格化したからだと考えます。つまり、王も殉死者もさらには八百万の神々さえも、自らを犠牲にしなければ維持できなかった社会から、王が神となり、自身に奉仕することが社会秩序を安定させるための手段だと見なされた社会への移行です。エジプトのウシャブティなどはまさにこの典型例といえるでしょう。王に権力が集中するためには、王への奉仕者は、その役割がはっきりと分化していなければなりませんでした。時代が下るにつれて、マヤの土偶のように人物の造形描写がよりリアルなものへと変わってくるのはこのためです。
 
人身供犠の消滅は、現代の私たちにとっては喜ぶべきことのように見えます。しかし、当時の人々にとっては、王が神と肩を並べた絶対的存在として社会に君臨し、自らのむき出しの権力をいっそう強め、人民を抑圧し搾取するようになったと捉えられたのかもしれません。かくして、王墓や装飾墓などの「見せる埋葬」が、ますます鮮明になってくる時代が到来します。

カテゴリ:「古代メキシコ」

| 記事URL |

posted by 河野一隆(学芸研究部長) at 2023年08月17日 (木)

 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」20万人達成!

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(6月16日(金)~9月3日(日))は、8月12日(土)午後、来場者20万人を突破しました。
多くのお客様に足をお運びいただきましたこと、心より御礼申し上げます。

これを記念し、12日、千葉県印西市からお越しの加納さんご家族に、当館館長藤原誠より記念品を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。左から2番目、館長の藤原誠
 
加納さんご家族はお友達のご家族グループといっしょにご来館。
コロナのためなかなか外出して遊ぶ機会がありませんでしたが、お友達から古代メキシコ展に行こうとお誘いがあり、今回初めて当館にお越しになったそうです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は9月3日(日)まで。
また、金・土・日曜日は本特別展のみ19時まで開館します(最終日9月3日(日)は17時まで)。
日本で古代メキシコの至宝をご覧いただける貴重な機会です。どうぞお見逃しなく。

カテゴリ:「古代メキシコ」

| 記事URL |

posted by 天野史郎(広報室) at 2023年08月16日 (水)

 

「台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画」毎日書道顕彰特別賞受賞と20年の歩み

令和5年(2023)6月12日、台東区立書道博物館と東京国立博物館は、毎日書道会より第36回毎日書道顕彰特別賞を受賞し、7月23日の表彰式において両館に賞状が授与されました。


表彰式の様子
左から富田淳(東京国立博物館副館長)、藤原誠(東京国立博物館長)、山中翠谷氏(毎日書道会総務、独立書人団常務理事)、丸山昌宏氏(毎日書道会理事長)、服部征夫氏(台東区長)、荒井伸子氏(台東区立書道博物館長)、鍋島稲子氏(台東区立書道博物館主任研究員)、金子大蔵氏(毎日書道展審査会員、創玄書道会評議員

毎日書道顕彰は、昭和63年(1988)に創設され、書道に関する芸術・学術・教育の振興に著しく貢献した個人、およびグループを一般財団法人 毎日書道会が顕彰するもので、平成12年(2000)より「毎日書道顕彰特別賞」も加えられました。

台東区立書道博物館と当館は、徒歩15分で往来できる近距離にあります。両館の収蔵する中国書画は、収集の時期や内容など共通する部分も少なくありません。これらの利便性や共通点を活かして、平成15年(2003)に開催時期や展示内容を連携させる展覧会を始めました。

今でこそ他館との連携による展覧会は各地で行われていますが、20年前はほとんど実施されていませんでした。書道博物館と当館の連携企画は、その先駆けといえるでしょう。単館では不可能な企画も、複数館なら実現できます。この連携企画は両館を軸にしつつ、連携館を増やして開催することもありました。区立と国立、時には私立を加えた異なる組織が一緒に展覧会を行うのは容易ではありませんが、各館が実現可能な範囲の仕事を請け負って続けてきました。

当初は予算が少なく、他館からの作品借用はもちろん、図録の刊行もありませんでした。細々と続けるうちに、次第に他館からの借用や、図録の制作も可能になり、展覧会が少しずつ充実してきました。海外から作品をお借りした例もあり、平成24年(2012)の第10回では、香港中文大学文物館が所蔵する「蘭亭序」の名品7件を展示しています。

連携企画の図録は、第7回より毎回制作しています。図録は(1)図版が美しく、(2)気軽に読むことができ、(3)知的興奮が得られる等の点に留意しながら、読みやすく楽しい内容を目指しています。また書跡のみに偏らず、絵画(注)もふんだんに盛り込み、文化史的なアプローチを心がけています。
(注)1089ブログ「『王羲之と蘭亭序』その2 蘭亭雅集の様子を想像してみよう!」

連携企画は小さな展覧会ですが、その積み重ねが大きな展覧会の構想につながり、平成25年(2013)に特別展「書聖 王羲之」、平成31年(2019)にも特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を開催するに至りました。

連携企画が、東京国立博物館での特別展に結実したことは、連携企画に携わってきたスタッフの誇りでもあります。また近年は、連携企画が海外からも注目されるようになってきました。

令和5年(2023)1月31日から4月23日まで開催した、節目となる第20回の創立150年記念特集「王羲之と蘭亭序」では、多数の外国人来館者のほかに、海外からも多くの図録の注文を受けました。


「王羲之と蘭亭序」会場の様子


特集展示の内容は、オンラインギャラリートーク 2月「創立150年記念特集 王羲之と蘭亭序」をご覧ください。
中国と日本の文人たちが憧れた王羲之の書。最高傑作「蘭亭序」や制作背景となった雅集などについて、展示作品からご紹介しています。

当館ではこのたびの受賞を励みとして、さらに充実した連携企画を目指したいと思います。

 

カテゴリ:news書跡中国の絵画・書跡

| 記事URL |

posted by 植松瑞希・富田淳・六人部克典(台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画担当) at 2023年08月07日 (月)

 

古代メキシコのマスク

【はじめに】

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している考古室長の井出浩正です。
本展も残すところひと月程となりました。皆さまご覧になられましたでしょうか。
 
突然ですが、みなさんは、「目は口ほどに物をいう」ということわざをご存知でしょうか。目つきやまなざしから言いたいことや気持ちが伝わることのたとえです。
あるいは「目力(めぢから)」という言葉はご存知でしょうか。一般的には、目の表現や視線で相手に与える迫力の程度を指す言葉です。
 
なぜ、そのようなことをいうかというと、この展覧会の注目作品のひとつである赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクの目力がすごく強いと私は感じるからです。
 
【赤の女王のマスク】
 
 
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明 7世紀後半
パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクをご覧ください。
端正で力強い直線的なまなざしは、王族としての揺るがない強い意思とともに、慈愛に満ちているように思われます。見つめているうちに、だんだんとこちらの心が見透かされ、やがてその瞳に吸い込まれてしまいそうではないでしょうか。
見つめ合い続けられずに私は思わず目をそらしてしまいます。
でも、もしかしたら、私と同じような感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクは孔雀石(くじゃくいし)の小片を組み合わせて作られたマスクです。頭蓋骨周辺から116個もの破片の状態で発見されました。瞳には黒曜石、白目には白ヒスイ輝石岩を嵌めています。硬質なヒスイではなく、軟らかい孔雀石を用いた、豊かな表情が特徴です。
 
続いて、テオティワカン文明やアステカ文明のマスクを比べてみましょう。
 
【テオティワカンのマスク】


マスク
テオティワカン文明 150年~250年
テオティワカン、太陽のピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵

マスク
テオティワカン文明 350年~550年
テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
 
 
のマスクは、太陽のピラミッドの中心付近で出土しました。地下に存在したであろう王墓への奉納品と推測されています。
瞳が黄鉄鉱で作られており、当初はキラキラと輝いていたと思われます。
このマスクは、テオティワカンで現在確認されている最古のマスクです。テオティワカンのマスクは、これまで550点ほど見つかっています。
のマスクは、ラ・ベンティージャ複合施設の工芸家区域で出土したものです。一部が未完成か、製作直後に未使用のまま遺棄された可能性があります。白目には貝、瞳に黄鉄鉱が象嵌(ぞうがん)されています。口元には、先ほどのマスクと同様に貝で歯の一本一本を表現しており、目や口の象嵌によってよりリアリティがある造形です。
 
【アステカのマスク】
マスク
テオティワカン文明 200~550年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
耳飾り
アステカ文明 1469~81年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館
 
アステカの世界観を凝縮した力強い彫刻作品が特徴的です。
中央のマスクは、テオティワカンの仮面に、メシーカ人が目や歯、耳飾りをつけるなどして、手を加えたものです。彼らは過去の文明の遺物を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なるものとみなし、大神殿に奉納していました。
 
先ほどご紹介したテオティワカンのマスクと見比べてみると、目や口元の表現がよく似ていると思いませんか。アステカの人々がテオティワカンの遺産を継承し、そして、アステカの人々にとっても白目と瞳をもつ目の表現が意識されていたことが窺えます。
 
【おわりに】
いかがでしたでしょうか。
今回は、レイナ・ロハのマスクをきっかけとして、テオティワカン、マヤ、アステカのマスクをご紹介いたしました。
ある一つの造形や表現に注目して鑑賞してみると、お互いに似ているところや似ていないところなど、それぞれの特徴が改めてみえてくるかもしれません。
ぜひ会場でみなさま独自の着眼点で古代メキシコの至宝を心ゆくまでご堪能いただければ幸いです。

カテゴリ:「古代メキシコ」

| 記事URL |

posted by 井出 浩正(考古室長) at 2023年08月03日 (木)

 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」に行ってきたほ!

手をあげるトーハクくんほほーい!ぼく、トーハクくん。特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」にやってきたほ。
 
ほほえむユリノキちゃんこの展覧会は日時指定不要。だけど正門チケット売場は混雑することがあるから、事前にオンラインで当日券を買っておいたわ。
 
喜ぶトーハクくんさすが準備がいいほ。スムーズに入館だほ。
 
 
会場入口。全作品写真撮影OKです。
 
傾くユリノキちゃん第一章「古代メキシコへのいざない」では、序章として3文明に通じる「多様な自然環境」「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」というキーワードをもとに、各文明の作品を紹介しているよ。
 
腕を組むトーハクくんこれはなんだほ。
 
オルメカ様式の石偶
オルメカ文明、前1000~前400年
セロ・デ・ラス・メサス出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
解説するユリノキちゃんメソアメリカ最古の文明と言われるオルメカ文明の作品よ。ヒスイでできた幼児の像は、人とジャガー両方の特徴を持つとされるわ。
 
両手をあげるトーハクくんジャガー!わかるようなわからないような…。この恰幅のよい土偶はなんだほ。腰に何か巻いているほ。
 
球技をする人の土偶
マヤ文明、600~900年 ハイナ出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
考えるユリノキちゃん腰に厚い防具を着けて、大きく重たいゴムのボールを打つ球技がメソアメリカ各地で行われていたのよ。特にマヤの王侯貴族にとって、球技は戦争や、人間を神への生贄とする人身供犠とも深くつながる重要なものだったみたいよ。
 
驚くトーハクくん戦争や自分の命運をわける球技…想像を絶する世界だほ。
 
微笑むユリノキちゃん続いて第二章「テオティワカン 神々の都」。テオティワカンは海抜2300メートルのメキシコ中央高原にある都市遺跡で、死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と立ち並んでいたの。
 
第二章 会場風景
 
喜ぶトーハクくんピラミッドの写真が迫力あって、世界遺産に囲まれているみたいだほ。この作品はなんだほ。光を放っているようにも見えるほ。
 
 
死のディスク石彫 
テオティワカン文明、300~550年
テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
喜ぶユリノキちゃんこの作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表すと考えられているの。メキシコ先住民の世界観では、太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていたのよ。
 
元気なトーハクくんこっちはなんだほ。 
 
左から「シパクトリ神の頭飾り石彫」「羽毛の蛇神石彫」
テオティワカン文明、200~250年
テオティワカン、羽毛の蛇ピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
 
解説するユリノキちゃん背景の写真は「羽毛の蛇ピラミッド」。羽毛の蛇神とシパクトリ神の頭飾りは、ともに王権の象徴とされているのよ。
 
喜ぶトーハクくん背景があるから、現地の様子が分かりやすくて、展示室を歩いていて楽しいほ。旅行気分だほ。
 喜ぶユリノキちゃん私もトーハクくんと旅行できて楽しいわ。次は、第三章「マヤ 都市国家の興亡」にいってみましょう。
 
第三章 会場風景
 
驚くトーハクくんまっかっかだほ!
 
元気なユリノキちゃんマヤ地域に碑文や王墓を伴う王朝が明確に成立したのは1世紀頃。この頃、ピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦をはじめ、力強い世界観を持つ王朝文化が発展したの。なんと当時のマヤの都市の神殿は真っ赤に塗られていたみたいよ。
 
腕を組むトーハクくん厳かな雰囲気の部屋にやってきたほ。
 
「赤の女王」展示空間
 
喜ぶユリノキちゃんこの展覧会一番の注目作品である「赤の女王」の展示空間よ。赤の女王は都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃と言われているわ。
 
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明、7世紀後半
パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
 
頬を赤らめたトーハクくん表情がやわらかい感じがするほ。
 
解説するユリノキちゃん「赤の女王のマスク」をはじめ、王妃の墓の出土品は王朝美術の傑作ともいわれているのよ。女王の人柄がなんとなく伝わるような作品ね。
 
第四章 会場風景
 
元気なトーハクくん最後は第四章「アステカ テノチティトランの大神殿」だほ。
 
解説するユリノキちゃんアステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明よ。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市で、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていたの。アステカも、他の文明の伝統を継承して、王や貴族を中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行われていたのよ。
 
鷲の戦士像
アステカ文明、1469~86年
テンプロ・マヨール、鷲の家出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
関心するトーハクくん巨大な彫刻があるほ。鳥の口の中に人の顔が見えるほ。
 
明るいユリノキちゃんテンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった像で、戦闘だけでなく宗教においても重要な役割を担ったアステカの勇敢な軍人とされているのよ。
 
  
トラロク神の壺
アステカ文明、1440~69年
テンプロ・マヨール、埋納石室56出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
驚くトーハクくんこっちの青い壺は…2本の鋭い牙がついてるほ。これに噛まれたら痛そうだほ。
 
解説するユリノキちゃん雨の神であるトラロクはメソアメリカでもっとも重要視され、多くの祈りや供え物、生贄が捧げられたの。水を貯えるために壺にトラロク神の装飾を施すことで、雨と豊穣を祈願したの。展示はここまでね。
 
寝転ぶトーハクくんばっちり記念写真を撮っていくほ。
 
本展オリジナルグッズ「トゥーラのアトランティス像」ショルダーバッグ(左)と
当館公式キャラクター「トーハクくん」(右。非売品)
 
口に手を当てるユリノキちゃんトゥーラのアトランティスさんじゃない!ツーショットうらやましいわ!
 
喜ぶトーハクくんオリジナルグッズも盛りだくさんだほ。
 
明るいユリノキちゃん会期は9月3日(日)までよ。お見逃しなく!
 

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん「古代メキシコ」

| 記事URL |

posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2023年07月31日 (月)