ほほーい! ぼくトーハクくん。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」が大人気と聞いて、見に来たほ。担当研究員の川村さんが案内してくれるんだほ。
こんにちは、トーハクくん。
あ、川村さん! 話題の展覧会、楽しみだほー!。
ところで…へいばようって何だほ?
トーハクくん、その質問は早すぎるよ。兵馬俑を知るには、まずは始皇帝を知ることから始めないと。
しこうてい…?
兵馬俑を作った人だよ。字のとおり、最初の皇帝なんだ。
最初の皇帝! すごそうな人だほ。
そりゃあもう! 中国で初めて天下を統一した人で、世界史上の有名人だよ!!
い、いきなりスイッチが入ったほ。目がキラキラ…。
よーし、じゃあ展示作品から始皇帝について説明しようか。この「両詔権(りょうしょうけん)」を見てごらん。
両詔権
秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵博物院蔵
単なる金属のかたまりだほ。
いやあ…(汗)。これは現在でいう分銅のようなもので、重さの基準として、全国に配られたものだよ。
…?
つまりね、始皇帝が天下を統一するまでは国によって重さの単位がバラバラだったんだ。他にも体積や長さ、貨幣なんかもバラバラだったんだけど、それを統一したのが始皇帝。
天下を統一しただけじゃないんだほ。
そう! 単に領土をひとつにまとめただけじゃなくて、ハードもソフトもってところが、始皇帝のすごいところなんだよ!!
またスイッチが入ったほ! 目がキラキラだほ。
そもそも、天下統一なんて誰も成し遂げたことがなかったんだ。そこで、始皇帝は考えたんだよ。「今まで国で一番偉かったのは“王”だけど、自分は王よりもスゴイことを成し遂げた。だから、自分には王を超える称号が必要だ」
それが「皇帝」?
そのとおり! 「皇帝」という言葉は始皇帝がつくり出したんだよ。
両詔権の銘文にも「始皇帝」という言葉が見えます。
展示室でご確認ください!
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院
知らなかったほ。
20世紀の清王朝の「ラストエンペラー」、宣統帝・溥儀(ふぎ)まで、皇帝の称号は続くんだ。
ほー。
始皇帝は、その後の中国に絶大なインパクトを与えた人物なんだよ。
そんなにすごい人なら、住んでいたところもすごかったほ?
全体像はわかっていないんだけど、恐らくは規模の大きな、贅を尽くした宮殿に住んでいたと考えられているね。
これが、始皇帝の宮殿址から出土したものだよ。
取水口・L字形水道管・水道管
戦国~秦時代・前3世紀 咸陽宮殿址出土
秦咸陽宮遺址博物館蔵
水道管なんてあったほ?
そうだよ、排水設備が整っていたということだね。
瓦も出土しているから、宮殿は瓦葺きの建物だったはずなんだけど、当時、瓦は贅沢品だったんだ。
きっと立派な宮殿だったんだほ~。
ここまでわかると、お墓だってすごいんだろうなって思わない?
ほー!
そこで、兵馬俑なんだよ!
(左)将軍俑 秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土
(右)跪射俑 秦始皇帝陵2号兵馬俑坑出土
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院
雑技俑
秦始皇帝陵K9901坑出土
すべて秦時代・前3世紀、秦始皇帝陵博物院蔵
兵馬俑センパイ!!
そうだね、兵馬俑は紀元前3世紀、日本でいうと弥生時代のものだから、トーハクくんよりも、ざっと700年くらいセンパイだね。
1体1体、じっくりつぶさに見ていって欲しいな。
みんな違う顔やポーズをしているんだほ!
そのとおり! 今回は、軍馬を含めて10体の兵馬俑を展示しているけど、顔のない1体を除いて、みんな顔が違うでしょう? 兵馬俑は未発掘のものも含めて、全部で8000体ほどあると考えられているんだけど、やはり全て顔が違うんだ。
8000体、全部が違うんだほ?
ほぼ間違いなく。
ほー!
兵馬俑は実在の軍団をモデルに作られ、服装や髪型など、1体1体忠実に再現されていると考えられているんだ。
この写実性、本当に素晴らしいよね!!
なんで始皇帝は、こんなにリアルに作ったんだほ?
実は始皇帝…「仙人」になりたかったんだ。
仙人?!
つまり不老不死の存在だね。でも、もしかしたら仙人になる前に死んでしまうかもしれない。そこで、たとえ死んでしまったとしても、せめて霊魂だけは永遠に存在したい、と思ったんじゃないかな。
永遠に?
そこで、自分の霊魂がとどまるための世界として、始皇帝は自分の暮らしていた宮殿内外の施設のコピーを造り、お墓としたんだ。
兵馬俑もその一部だよ。
宮殿をコピー?
そうなんだ。兵馬俑は都や宮殿を守っていた軍団のコピーだし、ほら、兵馬俑の他にこんなものも見つかっているよ。
(左)1号銅車馬 (右)2号銅車馬
秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵銅車馬坑出土
秦始皇帝陵博物院蔵
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院
馬車だほ。
馬も御者も車輪の部品も手綱も、みんな青銅で作られているんだけど、とてもリアルでしょう?
細かいところもリアルだほ!
この銅車馬は生前の始皇帝が乗っていた馬車の模型だと考えられているんだ。
こんなふうに、始皇帝は自分のまわりの世界を忠実にコピーしていったんだね。
……。(←もはや言葉が出てこないトーハクくんです)
始皇帝のお墓の広さは56平方キロメートルと言われているけど、世界のコピーを造ろうなんて、やることが常人とはかけ離れているよね。
そんなこと、とても思いつかないんだほ。
恐らく「霊魂が皇帝として永遠にとどまるためには、皇帝を頂点とした新しい秩序そのままの完璧なコピーじゃないとダメなんだ! 」と、始皇帝は考えたんじゃないかな。それくらい徹底した写実性、徹底して忠実にコピーしている。
とってもとってもスケールの大きな話なんだほ!
お墓の概念を超えるスケールだよね。お墓に人形などを副葬する習慣は、始皇帝の前の時代にも後の時代にも見られるけど、始皇帝のお墓は規格外。まさに空前絶後だよ!!
いやはや、始皇帝はすごい人ってことがよーくわかったほ。
それなら良かったよ。始皇帝が徹底してこだわった「写実性」を実際にご覧いただき、多くの人に始皇帝のすごさを感じていただけるとうれしいな。
川村さん、今日はありがほーございました。
始皇帝のスケールにも、始皇帝について語る川村研究員にも、圧倒されっぱなしのトーハクくんなのでした
※会場内に記念撮影コーナーを設置しています。
カテゴリ:2015年度の特別展
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posted by トーハクくん at 2015年12月09日 (水)
こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。
特集「一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰」(~12月13日(日)、本館特別1・2室)は会期後半になり、一ヶ所だけ絵巻の巻き替えを行ないました。
安心してください、国宝聖絵はそのままですよ!
巻き替えたのは、「一遍聖絵」(模本)巻第12。一遍往生の場面になりました。涅槃図を意識した構成が印象的です。
会期前半は、11月7日(土)月例講演会で神奈川県立歴史博物館の薄井館長が肖像彫刻のお話をされたこともあり、巻末の一遍像の場面を出していました。
薄井館長によれば、この場面に描かれるお像は、一遍終焉の地である兵庫の観音堂(現・真光寺)にかつてあったお像ではないか、とのことです。真光寺のお像は昭和20年(1945)3月の神戸大空襲で焼失してしまい、今はモノクロ写真が1枚残るのみ。文化財にとって、火事は本当に恐ろしいものです。
平成25(2013)年8月には、一遍生誕の地とされる松山・道後温泉の宝厳寺のお像も、焼失してしまいました。文明7年(1475)銘のある貴重な基準作だったのです。
(詳しくは、「国宝 一遍聖絵」展覧会図録209ページに薄井館長のコラムが掲載されています。)
いま、宝厳寺は新しいお堂の建設真っ最中。
地元の方たちが、宝厳寺の再建資金を募る「もういっぺんプロジェクト」を立ち上げています。一遍をイメージした起き上がりこぼしがかわいらしいですね。会津の起き上がりこぼしに似ています。
愛媛は一遍のふるさとですから、聖絵に登場する重要な聖地もあります。
例えば、山岳霊場である菅生岩屋(四国八十八ヶ所第45番霊場)。
右に見える岩屋へ通じるはしご。簡単そうに見えて、かなりの難関です。恐怖心を抑えて昇りきると、自分の殻が一枚脱げたような気になるのですから不思議なものです。一遍も同じような気持ちになったでしょうか。
また、芸予諸島・大三島にある大山祇神社は、一遍の出自である伊予の豪族河野氏の氏社です。聖絵では、壇ノ浦の戦いで活躍した一遍の祖父河野通信が厚く信仰したことが語られています。
境内には、一遍が寄進したと伝えられる石造の宝篋印塔が3基あります。
この塔は文保2年(1318)に念心という人が寄進したことが銘文からわかるので、実際には一遍没後に制作されたものなのですが、この念心という人は西大寺系律宗に関連する石工だったことが指摘されています。
聖絵によれば、一遍は大三島で神官と地頭に「殺生禁戒」を誓わせたといいます。
一遍の布教スタイルといえば、(1)遊行、(2)踊り念仏、(3)賦算(念仏札配り)ですが、法然が唱えたような専修念仏からは少し離れ、仏教の戒律も重視していたようです。そう思ってみると聖絵には全編にわたり戒律や釈迦(舎利)を重んじる場面が見出せます。
最も重要な熊野の場面。一遍をインスパイアしたのは、戒律を重視する律僧でした。
他にも例を挙げればきりがありません。こういったところから聖絵の制作には、実は律宗への意識が大きく働いていると私は考えています。一遍や聖戒は律宗と深いつながりがあり、そこから聖絵制作のパトロンとなった上流貴族たちへとつながっていったのではないでしょうか。
この説については、去る11月15日(日)に遊行寺宝物館・神奈川県立歴史博物館・神奈川県立金沢文庫主催(会場:東京国立博物館平成館大講堂)で行なわれた記念シンポジウム「一遍聖絵の全貌」で研究報告をしました。
五味文彦先生(放送大学/東京大学)他、歴史、美術史、芸能史、建築史など様々な分野の先生方のご講演、研究報告をまとめたシンポジウムの成果は、来年度、高志書院より書籍化される予定です。
11月19日(木)から始まった神奈川県立金沢文庫での「国宝 一遍聖絵」展覧会図録に掲載されている大塚紀弘先生(法政大学専任講師)のコラム「一遍聖絵に描かれた律僧」によれば、往生が近い一遍と観音堂(現・真光寺)で最後の法談を行なった「光明福寺住持」も律僧であろうとのことです。
一遍の悟りを引き出し、またその最後をみとったのも律僧であるというのは、聖絵の制作環境を考える上でとても示唆的です。
関連事業
ギャラリートーク「一遍とみる聖地と信仰」 2015年12月1日(火) 14:00~14:30 本館 特別2室
4館共同一遍聖絵スタンプラリー「一遍と歩こう」(神奈川県立歴史博物館のウェブサイトへリンクします)
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posted by 瀬谷愛(保存修復室主任研究員) at 2015年11月27日 (金)
ボランティアデーと平成28年度からのボランティア募集のお知らせ
12月5日(土)と12月6日(日)に、東博ボランティアデーを開催します。
トーハクでボランティアにお会いになったことはありますか?
総勢約160名のボランティアが曜日ごとにわかれて、月曜日以外、毎日館内で活動しています。
本館の展示室の入り口や平成館への連絡通路の手前などで、今日のおすすめの展示をお知らせしたり、体験コーナーでサポートをしたり、腕章をつけたボランティアが皆様をお迎えしています。
イベントやワークショップ、スクールプログラムや盲学校対応、保存修復活動のお手伝いもしています。
また、全部で16のガイドツアーなどのグループがあります。
たてもの散歩ツアー(左)と刀剣ツアー(右)の様子
東博ボランティアデーの2日間は、ボランティア活動をぎゅっと凝縮しています。
ボランティアによるすべてのガイドツアーも、この2日間に体験することができます。
それぞれのボランティアグループが、いつもとは一味違う特別なガイドのコースを用意したり、衣装や小物を手作りしたりと、現在準備を重ねているところです。
今回特におすすめなのは、休館中の法隆寺宝物館から出て、法隆寺宝物に関連した作品を東洋館でご案内するツアーや、リニューアルした考古展示室をご案内するツアーなど。また、庭園公開の時期に合わせて、紅葉した庭園をご案内する樹木ツアーや庭園茶室ツアーで、秋のトーハクを満喫していただければと思います。
*一部、事前申込制や定員制もあります
また、ボランティアに興味を持っている方のために、この二日間だけ、「活動紹介ツアー」を行います。普段、館内でどのようなボランティア活動を行っているのか、ツアー形式でご案内します。お客様との対応の仕方や、ボランティア活動のやりがいなど、直接現役ボランティアとお話しするチャンスです。
あわせて、平成28年度から活動されるボランティアを募集するにあたり、「募集説明会」も開催します。
昨年の活動紹介ツアーと募集説明会の様子
12月最初の土日、丸1日ゆっくり博物館でお過ごしいただき、興味のあるツアーに参加したり、ボランティアとのおしゃべりを楽しんでみたりしてはいかがでしょうか?
現在、平成28年度から3年間活動するボランティアを募集しています(応募は12月10日(木)より受付)。
募集案内はこちらをお読みの上、2016年1月14日(木)までに郵送でお送りください。お待ちしております。
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posted by 鈴木みどり(ボランティア室長) at 2015年11月26日 (木)
特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」企画のきっかけについて
前回のブログでは、中国の白磁の起源とも呼ぶべき、6世紀の鉛釉陶と白磁について紹介いたしました。今回は、この特集のきっかけとなった作品についてお話したいと思います。
中国文学者 竹内実の文章のなかに、清水安三著『支那の心』を引いて
「(中国人の思想には)持続への依拠と尊重が根底にある」
とあります(『中国の思想』、1967年)。
この「持続」という言葉を思い出すたび、単純ながら、私は昨年の特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」において出品された「永楽年製」銘のある白磁雲龍文高足杯を思い浮かべます。
白磁雲龍文高足杯 明・永楽年間(1403~1424) 景徳鎮窯 台北國立故宮博物院蔵
平成館の展示室に設けられた壁付きのケースは、基本的に書画を見せるためのもので、ガラスの大きさやケースの奥行は残念ながら工芸作品の展示には適していません。果たしてケースのなかでこれほど小さな酒杯は映えるだろうか、展示するまでとても心配でした。
しかし、白磁雲龍文高足杯はケースの大きさを忘れるほど、キラキラと光輝いていました。展示にあたった台北故宮 器物処の余佩瑾副処長も満足そう、そして一緒に展覧会を作ったスタッフも「宝石みたい」とため息をついたほどです。
この作品は、脱胎、つまり胎土があるかどうかわからないほど薄く、口縁はまるで紙のようです。それでありながら、白玉のような柔らかさがあります。このような白磁は「甜白」と評されました。さらに、その薄い素地に雲龍文を刻むとはまさに「神業」。
中国史上、もっとも栄えた時代といわれる15世紀初頭、明の永楽帝のころに至って、景徳鎮窯の白磁は玉にも優る究極の美しさを手に入れました。そしてこの時期の白磁をひとつの見本として、その後の皇帝たちは国を挙げて写しを作らせるようになり、頂点を極めた技術はさらに「持続」していくのです。
白磁雲龍文高足杯を見たとき、中国の陶工たちはこのうつわを目指して数千年もの長いあいだひたすらにやきものを作り続けてきたのだということに私は深く感動しました。残念ながら当館の中国陶磁コレクションには永楽の白磁はありませんが、この白磁雲龍文高足杯が今回の特集を企画するきっかけの一つとなりました。
今回の展示では中国において白いやきものがどのように発生し、展開したのか、そしてベトナム、朝鮮、日本の周辺地域において白磁生産はそれぞれどのような違いを見せているのか、というところにもふれています。
そのなかでもう一つ、私がお伝えしたかったことは、日本陶磁の面白さです。
昨秋、本館特別5室にて開催された日中韓国立博物館合同企画特別展「東アジアの華 陶磁名品展」では、小規模ながら中国・韓国・日本の陶磁器の名品が国別に時代を追って展示されました。
中国や朝鮮半島における陶磁器の歴史は、大きく言えば、硬質磁器の白磁を目指して展開してきたものです。それぞれの歩んだ道には違いがありますが、行き着くところは皇帝、権力者の愛した真っ白な磁器でした。作品を時代順に展示していくと、胎土や釉が次第に精製されていく様子をそれぞれにみることができました。悠久の時間を感じながら、発展の流れを追うのは、通史的展示の醍醐味です。
しかし、日本の陶磁史の面白さは16世紀から17世紀にかけて、さまざまな特徴をそなえたやきものの生産が一気に開花したところにあるのではないでしょうか。「陶磁名品展」でも、真っ黒なうつわであったり、ごつごつした土の肌を残していたり、釉を幾何学的に掛け分けたり、上絵付けで専門絵師の手かと思わせる精緻な図を配したり・・・と、とにかくバラエティに富んだ作品がならびました。
ここで注目したいのは、白い素地に下絵付けをして、白濁した長石釉を掛けて焼きあげた志野のうつわ。日本でいち早く本格的に下絵付けで装飾を行なった志野には、白い素地を活かしてさまざまな装飾技法が生まれました。
鼠志野秋草図額皿 美濃 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 個人蔵
「陶磁名品展」では文化庁より重要文化財の鼠志野草花図鉢をお借りしました。現在、東洋館5室でも鼠志野の優品を展示しています。素地に鬼板とよばれる鉄を含んだ土を掛け、草花文を掻き落としてあらわし、釉を掛けて焼きあげたもので、文様を反転させたこの技法も、白い素地を持つ志野ならではのものです
このような名品は権力者や、その近くにあった茶人が手にしたものですが、当時、美濃や信楽、伊賀、備前、唐津などの各地で作られた賑やかなうつわが、京・大坂・堺をはじめとする都市を中心に大量に流通したのです。その背景には、茶の湯が町衆のあいだにも広く浸透したことが挙げられますが、中国や朝鮮半島との違いは、町衆と呼ばれる人々が力をつけて、経済や文化を大きく動かすというこの時代の日本社会独特の構造にあると言えるかもしれません。
日本には日常を豊かに彩るやきものがたくさんあります。それぞれ個性的で、見ても使ってもとても楽しいものです。東京国立博物館の陶磁器コレクションを通して、やきものの魅力にふれていただきたいと思います。
特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」(東洋館5室、2015年12月23日(水・祝)まで)
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posted by 三笠景子(東洋室研究員) at 2015年11月24日 (火)
特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」報道発表会
来春、トーハクでは、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」(2016年3月23日(水)~5月15日(日))を開催します!
開催に先立ち、11月17日(火)に報道発表会を行いました。
本展覧会担当研究員・松嶋雅人より「展覧会趣旨」の説明を、東京文化財研究所・山梨絵美子より「黒田清輝、その人と作品について」解説いたしました。
(左)当館 松嶋研究員、(右)東京文化財研究所 山梨企画情報部部長
皆さんは「黒田清輝」と聞いて、どの作品を思い浮かべますか?
やはり有名な「湖畔」でしょうか。
重要文化財 湖畔 黒田清輝 1897年(明治30) 東京国立博物館蔵
切手や教科書で親しまれています
日本近代洋画の巨匠と呼ばれており、日本の美術界に偉大な功績を残した黒田ですが、その人生は意外にも葛藤に満ちています。封建的な明治の日本社会で、世界に認められる洋画を目指すことは、並大抵のことではありませんでした。
今回の総作品数は約240件(黒田作品200件以上)!
当館の所蔵品に加え、国内外27箇所の機関および個人の方からご出品いただく作品が、トーハクに集まります。
黒田清輝の初期から晩年までの作品を通して、黒田が歩んだ苦闘の道のりを感じていただけることでしょう。
(左)木かげ 黒田清輝 1898年(明治31) 公益財団法人ウッドワン美術館蔵
(右)野辺 黒田清輝 1907年(明治40) ポーラ美術館蔵
さて、本展の見どころはそれだけではありません!
黒田が学んだ同時代のフランス絵画を展示。黒田作品のルーツをたどります。
羊飼いの少女 ジャン=フランソワ・ミレー 1863年頃 オルセー美術館蔵
©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay)/Michel Urtado/distributed by AMF
オルセー美術館より特別出品!
フロレアル(花月) ラファエル・コラン 1886年 オルセー美術館蔵(アラス美術館寄託)
©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay)/Hervé Lewandowski/distributed by AMF
黒田の師、コランの代表作
報道発表会では、本展ゲストキュレーター東京大学・三浦篤教授に説明していただきました。
東京大学 三浦教授
三浦教授の「日本における黒田ではなく、世界における黒田を見直す良い機会」という言葉が印象的でした。
他にも、日本の近代洋画の展示など、まさに黒田清輝生誕150年にふさわしい展覧会です!
観終わった後、あなたの黒田清輝像が変わるかも・・・。
黒田清輝ポートレート
特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」、どうぞお楽しみに!
カテゴリ:絵画、2016年度の特別展
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2015年11月24日 (火)