本館15室では12月20日(火)から特集「臨時全国宝物取調局の活動―明治中期の文化財調査―」の展示が始まります。今年の8月から10月にかけて同室で特集「壬申検査―博物館草創期の文化財保護活動―」が展示されましたが、この壬申検査に続いて行なわれた日本全国の宝物を対象にした文化財の調査活動を担ったのが臨時全国宝物取調局です。
局名にあるように「臨時」の活動でしたので、組織は明治21年に発足し、10年間で廃止となりました。廃止の時点で調査はほとんど終わっていたようですが、残務を帝国博物館(当館の前身)が引き継いだため、当館に多くの記録が伝わっています。今回の展示では当時の文化財調査ではどのようなことが行なわれていたのか、調査対象になった作品と調査記録からご紹介しています。
国宝 紅白芙蓉図 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197)
展示期間:2017年1月9日(月・祝)まで
当館を代表する名品の一つであるこの紅白芙蓉図も調査の対象になりました。
作品には臨時全国宝物取調局から発行された鑑査状が附属しています。また、調査記録の中にも紅白芙蓉図の記録が確認できました。1つの作品についてこれだけの記録が作成されたのだということを示す例として関連資料と一緒に展示しています。
紅白芙蓉図は2017年1月9日(月・祝)までの展示です。東洋館での展示が多いため本館での展示はあまりないことかと思いますので、少し違う気分でこの美しい芙蓉の花をお楽しみいただければと思います。
今回の展示ではガラス乾板を展示します。宝物調査の前半期には写真師の小川一真が同行し、多くの写真を撮影しました。当館には小川の撮影した写真のガラス乾板約1400枚が納品時の木箱と共に伝わっています。1つの木箱には24枚ほどの乾板が入りますが、1枚300~500gあるのでとても重いです。調査では近隣で宝物を持ち寄ってもらう場合もありましたが、お寺ごとに巡回することが多く、頻繁に移動しての調査であったことを考えると割れ物で重い原板の管理はとても大変だったのではないかと思います。展示室では、ガラス乾板の質感や重さが少しでも伝わるように極力全体が見えるように展示しています。
東大寺三月堂破損仏 小川一真撮影 明治21年(1888)
展示期間:2017年1月24日(火)~
小川一真が撮影した宝物の焼付け写真です。1月22日(日)で一度展示替えをしますが、本当にたくさん撮影している中から調査の様子がわかるものを選びました。
最後に、臨時全国宝物取調局の場所についてご紹介します。所在地は展示でも少し触れていますが現在の銀座と上野公園内の2ヶ所が記録に残っていました。そのうち銀座の方は「支局」と表現されていて発足から数年で引き払っているようなので、上野公園が本局の所在地だっただろうと考えられます。当時の所在地名から地図で該当の場所を探してみると現在の科学博物館のあたり(赤色で囲った部分)になります。博物館のすぐ近くです!
このように博物館の近くに本部を置き、博物館と深く連携して行なわれた全国宝物調査の具体的な姿を、展示を通してご覧いただければ幸いです。
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posted by 三輪紫都香(百五十年史編纂室) at 2016年12月20日 (火)
東京国立博物館のある上野公園では、10月21日から来年の1月15日にかけて「冬桜イルミネーション」が開催されています。
冬のさかりに桜を思わせるピンクのイルミネーションが煌めく風景は、なかなかどうして見ごたえ十分です。
クリスマスシーズンに入ってからの東京は日に日にきらびやかさを増していますが、飾りつけによって華やかさを演出するのはなにも西洋的な文化だけではありません。
仏教においても「荘厳(しょうごん)」と言って、仏像や仏堂を重厚美麗に飾る行いがあります。
善美を尽くした装飾は人々に浄土を想起させ、それ専用に製作された装飾品を「荘厳具」と呼びます。
法隆寺宝物館に展示された国宝「法隆寺金銅灌頂幡」はその最たるもので、日本金工史上最高の荘厳具と言えるでしょう。
国宝 法隆寺金銅灌頂幡 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館蔵 法隆寺宝物館にて通年展示
全てが金色に染まる仏の世界をイメージするため、これら荘厳具の多くは黄金色をしています。
模造 迦陵頻伽文華鬘 昭和時代・20世紀 東京国立博物館蔵 ※この作品は現在、展示されていません
原品=国宝 迦陵頻伽文華鬘 平安時代・12世紀 中尊寺金色堂所蔵
とは言え、一見純金に見える荘厳具もその多くは銅でできています。金や銀は大変美しい鉱物ですがその分とても高価なため、素材すべてを金で賄うことはできないからです。
銅は本来赤味がかった赤橙色をしている金属ですが、表面に「鍍金(ときん=水銀を用いたメッキ)」を行うことで、純金に負けない金色を得ることができるのです。
こうした金属への加色・彩色表現は荘厳具だけではなく、密教法具などその他の金属工芸作品にもしばしば用いられました。
重要文化財 八仏種子五鈷鈴 平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵
※この作品は現在、展示されていません
この五鈷鈴がところどころ黒ずんでいるのは、長年の使用によって、その部分の鍍金が剥がれてしまったためです。
重要文化財 八仏種子五鈷鈴 平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵 部分拡大
また、鍍金以外にも、表面に彩色を行う例も存在します。
華鬘 室町時代・16世紀 和歌山県丹生都比売神社伝来 東京国立博物館蔵
※この作品は現在、展示されていません
これは和歌山県丹生都比売神社に伝来した華鬘です。先ほどの「迦陵頻伽文華鬘」では銅板を切透すことで表現していた2体の迦陵頻伽を色彩で表現している点に注目してください。
当時の人々がより一層の美麗を求め、様々な表現を試行錯誤した結果と言えます。
日本美術の特質の一つである「装飾する精神」があらわれた好例と言えるでしょう。
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 末兼俊彦(平常展調整室研究員) at 2016年12月15日 (木)
今年も残すところひと月となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
以前このブログでご紹介いたしました、平成館企画展示室にて開催中の特集「南太平洋の生活文化」(12月23日(金・祝)まで)も残すところ2週間余りとなりました。展示や展示作品に関するエピソードは、11月15日の「南太平洋の生活文化」現地レポート(セピック川の日々)をご覧いただくとして、今回は民族作品の魅力を身近に感じていただくヒントをいくつかご案内したいと思います。
ヒントその1:作品の形や色づかいを楽しむ
この特集で展示しているのはオセアニアと台湾の作品です。オセアニアはオーストラリア大陸、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアを含めた南半球の広大な地域です。日本人観光客でにぎわうハワイ、ニュージーランド、モアイ像で有名なイースター島など、魅力あるたくさんの島々があります。広大な地域から構成されているため、気候や自然環境などが多様であり、そこに育まれた文化も地域ならではの素材や技術で作られたものばかりです。まずはそうした作品の形や色づかいをお楽しみください。
左:腰巻(女用) ミクロネシア、サイパン島 19世紀後半~20世紀初頭 (後藤充蔵氏寄贈)
中:褌(男用) ミクロネシア、サイパン島 19世紀後半~20世紀初頭 (後藤充蔵氏寄贈)
右:腰簑 ミクロネシア、パラオ 19世紀後半~20世紀初頭 (坂本須賀男氏寄贈)
左:袖無上衣 台湾、プユマ族 19世紀後半~20世紀初頭
中:脚絆 台湾、ツアリセン族 19世紀後半~20世紀初頭
右:袖無上衣 台湾、パイワン族 19世紀後半~20世紀初頭 (佐藤正夫氏寄贈)
ヒントその2:作品の質感を楽しむ
作品が露出展示されているわけでもなく、またハンズオンのように直接触れるわけでもないのに、どうやって質感を楽しむのか…難問かもしれません。しかしながら、作品に直接触らなくても質感を間接的に楽しむことはできます。例えば、下の写真をみてください。こちらはワニを捕まえるための木製の釣り具です。ワニの口に引っ掛ける、ルアーのような道具と考えらます。2枚目は向かって右側の逆「く」の字状になった屈曲部分を拡大したものです。よくご覧いただくと、木の表面が縦にギザギザに剥がれたり擦れているのがお分かりになるのではないでしょうか。なんだか痛々しいようすです。実は、この痕はワニを釣り上げる際に付けられたものと推測されます。イメージを膨らませるならば、大あばれするワニを引き上げる際にできた傷かもしれません。作品がどのように使われたものかを考え、じっくり観察すると、色々な状況証拠が残っています。そんな魅力がたくさん隠れているのも民族作品ならでは、と思います。
触らなくても楽しめる質感、いかがでしょうか。
ワニ釣針 メラネシア、ニューブリテン島 19世紀後半 (吉島辰寧氏寄贈)
ヒントその3:異なる時代、地域の作品を比べて楽しむ
次の写真は今回展示している木製の仮面です。メラネシアに属するパプアニューギニアの作品です。木を刳りぬいて作っています。アーモンド形をした面長の顔に楕円形の目。口元は笑っているようにも見え、何もよりも鉤鼻をした大きな鼻が印象的です。
精霊の仮面 メラネシア、ニューギニア島北東部 20世紀初頭 (藤川政次郎氏寄贈)
一方、下の作品は、日本の縄文時代後期の土面です。丸い顔にややつり上がった目。粘土を貼り付けて眉を盛り上げています。丸い鼻とぽっかり空いたような口があどけない印象を与えていますが、見方によってはすごみを効かせた表情にもみえます。こちらの土面は企画展示室の隣にある平成館考古展示室に展示してあります。材質、顔の構成部分、表情など、比べてみると、似ているところ、異なるところがまだまだ沢山ありそうです。こうしたお面をつけて一体どのような衣装で踊っていたのでしょうか。
土面 縄文時代(後期)・前2000~前1000年 長野県松本市波田上波田出土 (徳川頼貞氏寄贈) ※平成館考古展示室で展示中
さて、次の写真はアプークと呼ばれるパラオ諸島の木製のうつわです。舟形に刳りぬいて、両端の耳の部分には貝殻の象嵌が施されています。その下はアイヌの木器です。本館16室に展示されています。向かって左側の作品は舟形をしていてアプークと形は似ています。アプークのような貝殻の模様はありませんが、アプークよりも深めに作られており、汁物を盛り付ける容器としても使えそうです。赤道に近い熱帯と、冷涼な北海道という環境が全く異なりながらも、似たような物質文化が育まれたことが不思議だとは思いませんか? 器にどのようなものが盛り付けられたか考えながら眺めてみてください。
食器(アプーク) 19世紀後半~20世紀初頭、ココヤシ匙 19世紀後半~20世紀初頭 (いずれも柴田定次郎氏寄贈)
椀 樺太アイヌ19世紀 (徳川頼貞氏寄贈) ※本館16室にて2016年12月18日(日)まで展示中
足早ではありましたが、いかがだったでしょうか。日本とは自然環境も文化も異なる、はるか南太平洋の民族作品ではありますが、見方をちょっと変えるだけで作品が色々と語りかけてくれます。また、本館、東洋館、平成館考古展示室をはじめ、似ている他の分野の作品を探し歩くのもトーハクならではの楽しみ方かと思います。
民族作品をより身近に感じて頂く際の何かのヒントになれば幸いです。何かと気忙しい年末に、ちょっと一息ついてみませんか。
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posted by 井出浩正(考古室研究員) at 2016年12月09日 (金)
今年のトーハクの展示も残すところ2週間余りとなりました(年内は12月23日(金・祝)まで開館)。
ということは……東洋館8室で開催中の「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡―印の世界と中国書画コレクション―」(~12月23日)をご覧いただけるのも、残りわずかなのです。
本展は11月29日(火)から後期に突入し、展示作品も大幅に入れ替わりました。
メインの小林斗盦(1916~2007)が刻した印のほか、斗盦が収集した古印や中国書画の優品など、後期展では新たに87件がお目見えし、前期後期を通して展示されるものを含めて、現在160件以上の作品が皆さんのご来場をお待ちしております。
さて、前置きが長くなりましたが、斗盦の制作に関する展示を取り上げた前回に続き、今回は、斗盦の収蔵家としての一面を伝えるコレクションについてお伝えしようと思います。
制作に関する展示:プロローグ「篆刻家 小林斗盦」、第1部「古典との対峙」、第2部「作風の軌跡」、第4部「制作の風景」、第6部「翰墨の縁」、エピローグ「刻印の行方」
収集に関する展示:第3部「篆刻コレクション」、第5部「中国書画コレクション」
左:第3部「篆刻コレクション」、右:第5部「中国書画コレクション」
斗盦の師である篆刻家の河井荃廬(かわい せんろ、1871~1945)や古印学者の太田夢庵(おおたむあん、1881~1967)、あるいは中国文物のコレクターとして著名な林朗庵(りんろうあん、1898~1968)らが所蔵したものなど、時に旧蔵者との親密な交流を背景として入手に至った斗盦のコレクションには、篆刻書画いずれにおいても名品が少なくありません。
第3部 篆刻コレクション
斗盦が収蔵したおよそ戦国時代から南北朝時代の古印のなかでも、太田夢庵の没後に、ご令室のご厚意により譲渡された夢庵遺愛の玉印8顆が特筆されます。
斗盦はこの玉印を自身の所蔵印の中で「最高の瓌宝」として愛蔵し、夢庵への謝意を込めて、書斎の名を「懐玉印室」と命名しました。本展では、そのうちの6顆が出品されています。
秦・漢の時代に確立された官印の制度下では、玉製の印は皇帝の璽に限られ、多種ある材質のなかでもとりわけ玉は、中国古来より神聖な対象として特別視されてきました。
展示中の玉印には、緑色や淡く青色がかった白色、また珍しい黒色など、多彩な玉材が使用され、玲瓏という玉の透き通るような美しさは見る者の目を奪います。
そして、材としてだけではなく当時の文字資料としても貴重で、このような様々な時代の古印の様式を斗盦は学び、自身の篆刻の糧としたのです。
左:「信城侯」白文印 中国 戦国時代・前5~前3世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
中:「宋嬰」白文印 中国 前漢時代・前1世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
右:「程竈」白文印 中国 後漢時代・1世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
上から印全景、印面、印影
また、斗盦は清時代以降の名家の刻印、例えば鄧石如(とうせきじょ)から呉昌碩(ごしょうせき)に至る鄧派と称される一派の作なども体系的に収集しました。
清時代の乾隆・嘉慶期に活躍した鄧石如(1743~1805)は、従来主流であった漢時代の古印を基調とする様式を一変させます。鄧石如の新様式は、秦・漢時代の書に素地を得た自身の篆書を印面に表現するというものでした。
これに追随した呉熙載(ごきさい、1799~1870)、徐三庚(じょさんこう、1826~1890)、趙之謙(ちょうしけん、1829~1884)、呉昌碩(1844~1927)ら鄧派の諸家の作を、斗盦は熱心に収集し、その作風を研究したのです。
左:「見大則心泰礼興則民寿」白文印 鄧石如刻 中国 清時代・18~19世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
中:「三退楼寓公」白文印 呉熙載刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
*印影は小林斗盦氏寄贈印譜『乙酉劫余継述堂印存』より展示
右:「如夢鶯華過六朝」朱文印 徐三庚刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
*印影は小林斗盦氏寄贈印譜『似魚室印蛻』より展示
上から印面、印影
これらの印のほか、斗盦は質が高い膨大な量の古今の印譜を収蔵し、日中でも有数のコレクションを誇りました。
平成14・15年度には、コレクション中の稀覯印譜(きこういんぷ)と篆刻資料、都合423件を当館にご寄贈いただき、平成16・18・20年にはそのうちの一部を東洋館8室で特集陳列いたしました。
本展の第3部では、一部の印をそれが捺された寄贈印譜と並べて展示し、斗盦の幅広い篆刻コレクションの一端を窺います。
画像左:「為五斗米折腰」朱文印 趙之謙刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
画像右:趙撝叔印譜第2冊 趙之謙作 中国 中華民国時代・民国5年(1916) 東京国立博物館(小林斗盦氏寄贈)
第5部 中国書画コレクション
斗盦の中国書画コレクションの骨子は、青銅器や石碑など金石の書に魅せられた清時代以降の諸家の作品でした。
例えば、碑学派に先行して金石の書に眼を向けた揚州八怪の一人、金農(1687~1763)の書画を斗盦は熱心に収集し、一連の論考を雑誌『書品』(東洋書道協会)などに発表しました。
隷書冊 金農筆 中国 清時代・乾隆9年(1744) 個人蔵
倣金冬心墨梅図 小林斗盦筆 昭和23年(1948) 個人蔵 *第2部「作風の軌跡」にて展示
金農の墨梅図に倣った斗盦32歳時の作。
また、鄧石如、呉熙載、徐三庚、趙之謙、呉昌碩らの書跡は、碑学派による篆書・隷書の作風の展開をたどるうえで、あるいは諸家の書と篆刻との関係性を窺ううえで貴重な作品群で、斗盦の学究的な態度が垣間見られます。
*鄧石如、呉昌碩の書は現在展示しておりません
篆書漢書礼楽志安世房中歌横披 呉熙載筆 中国 清時代・19世紀 個人蔵
隷書張衡霊憲四屛 趙之謙筆 中国 清時代・同治7年(1868) 個人蔵
河井荃廬から譲り受け、そのため東京大空襲による焼失を免れたという呉熙載「梅花図軸」などは、斗盦が荃廬や西川寧(にしかわやすし、1902~1989)らとともに鑑賞した逸話を伝えて興味深い作品です。
斗盦は師との鑑賞を介して中国書画の眼識を一層確かなものとして、充実したコレクションを築いていったのでしょう。
第5部「中国書画コレクション」では、金石書画を愛好した先人たちへの眼差しを窺います。
梅花図軸 呉熙載筆 中国 清時代・咸豊11年(1861) 個人蔵
制作に必要不可欠な篆刻や書の古典研究を行うかたわら、斗盦は自らも古典となる璽印や印譜、中国書画の収集に情熱を注ぎました。周辺分野の所産に直に触れて、常に篆刻という文化を見つめ続けたのです。
コレクションには、所蔵者の人となりや交遊などが投影されます。本展を通して、生涯を篆刻に捧げた小林斗盦の収蔵家としての一面に想いを馳せていただければ幸いです。
本展図録をミュージアムショップにて販売中!
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2016年12月06日 (火)
教育普及室の川岸です。
みなさんは書や絵画に、普段使うハンコとは違うデザインの印が押されているのをみたことはありますか?
実はこれは、作者のサインのひとつ。この印をつくることを篆刻といいます。
11月26日(土)、東洋館8室で開催中の特集「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション―」(~2016年12月23日(金・祝))に関連したワークショップ「篆刻体験 自分だけの印をつくろう!」を行いました。
午前は小学生とその保護者、午後はおとなの方を対象にした全2回。その様子をご紹介します。
参加者のほとんどが篆刻初体験!
今回は自分の名前のなかの一文字を印にしました。
自分の名前のなかの一文字がすでに付された印材を手に、篆刻の道具がならべられた席に着くと、始まる前からもう期待が高まっているよう。
反転した文字が書き入れられた印材
まずは謙慎書道会の岩村節廬先生、河西樸堂先生による説明から。
こどももおとなも、みんな真剣!
説明のあとはいよいよ体験です。
岩村先生、河西先生のほか、
國定青陽先生、尾崎早織先生、中田聰山先生、谷崎桃薫先生、山本青郁先生も指導に加わってくださいました。
手を切らないように、素敵な印ができるように。真剣に。丁寧に。
先生が印刀を持つと、参加者の皆さんのときとは全く違う石の削れる音が響き、石の粉が舞います。
やっぱり違う!とみんなで驚きながら、教えてもらいそれぞれコツをつかんでいきます。
やっぱり印は捺してみないと!
ということで、展示作品の趙之謙筆「楷書斉民要術八屛」(11月27日(日)で展示終了)から一文字を選んで筆で書き、自分の印を捺してみました。
できあがった作品です。
改めて・・・・完成した印の陰影を見てみましょう。
私たちの名前には、こんな子に育ってほしいという願いや、たくさんの愛情をこめられていたはず。
きっとそれはきちんと伝わり、名は体をあらわす、のかもしれません。
自分の名前を自分で篆刻した印には、人柄が表れるような気がします。
字体の選定や、印材への文字の書き入れまでは事前に先生がしてくれましたが、印刀を握り彫ったのは参加者自身。
緊張して、変に力が入ってしまった部分もあるのかもしれません。
慎重に少しずつ少しずつ彫ったかもしれません。
楽しくてテンポよく豪快に彫りすすめたかもしれません。
本人の気分や力の入れ具合により、線の強弱、印の雰囲気が作られるのではないでしょうか。
だとすればこの印は、来年の自分には作れない。
いまの自分にしかできない印。
まさに、いまの自分の「しるし」になる特別な印。
ある小学生は、印が大事すぎて、お母さんに預けたり、かばんに入れたりしたくないと握り締めて帰りました。
どうぞ大切に使ってください。
ワークショップの最後には、富田研究員から展示についての説明がありました。
小林斗盦は、ただデザイン性の高い印をつくるのではなく、書はもちろん、中国の古い時代の文字や絵画などについても深く学び、その知識や経験をいかして、生涯を篆刻に捧げたのだそうです。
たしかに展示室には、甲骨文字や青銅器が展示されています。
「こんな古いものに書かれている文字まで研究して印を作っていたの?」
「彫った跡の雰囲気が自分の印の彫った跡とぜんぜん違う!」
参加者同士話しながら、展示をお楽しみいただきました。
どんな言葉や文字を、どんな線で、どんな材に彫り、どんな作品に捺すのか。
小さな印の奥に、それをつくった人の姿や、それを捺した作品の世界が見えるのかも。
そういうところが、印や篆刻の楽しみだと気づかされたワークショップでした。
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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2016年12月01日 (木)