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1089ブログ

修理をする立場から

こんにちは、保存修復課保存修復室の野中です。

住友財団修復助成30年記念 特別企画「文化財よ、永遠に」では、国内は、北は岩手県から、南は高知県、そして海外からはベトナム(11月24日まで)より、木で造られた仏像、神像、能面など、修理が行われた彫刻たち26件54点が集結しました。

関心がある方は、テレビなどで文化財修復の特集が組まれた映像を観られたことがあるかもしれません。
ご存知の通り文化財の修理は、ギュッと編集された映像におさまらない、修理に至るまでの所有者や行政担当者、相談を受けた専門家の方々の準備期間、修理が始まってからの技術者たちが汗を流した様々な時間が詰まっています。

修理に至るまで、所有者の方々がまず苦労されるのが費用の工面です。
所有者の方々はその準備に奔走されますが、その時に助成金への申請が検討されます。
代表的なものが今回の展覧会の主催である住友財団の修復助成です。
費用の工面には1年、または2年以上かかる場合があります。
時には、費用が工面できず計画を一時断念されることもあるでしょう。

今回の展覧会では、費用工面の難題を乗り越え、修理自体に4年間かかったお像も展示されています。
所有者の方々にとっては、検討し始めてから修理を終え、お像が戻ってくるまで、とてもとても長い文化財に向き合う時間があります。


岩手県指定文化財 七仏薬師如来立像 平安時代・12世紀 岩手・正音寺蔵
2015年から中尊(真ん中の少し大きめのお像)の修理を始め、その後2体ずつ計4年をかけて修理が行われました。(修理:株式会社 明古堂)



文化財は、100年ほどの期間で何度か修理を繰り返し現在に伝わっています。
修理をすると、後世の修理に関わった人たちの存在にも出会います。
後世の人も同じような苦労を乗り越え、修理に至り、守ってきた過去があります。
そうやって数百年もの間、たくさんの文化財が伝わってきています。


重要文化財 千手観音菩薩立像 平安時代・9世紀 福井・髙成寺蔵 
1997年より4年をかけて修理が行われ、背面の裾の内側に江戸時代(元禄14年(1701年))の修理墨書が発見されました。 (修理:公益財団法人 美術院)


解体した背面と発見された修理墨書


修理の仕事に関わっていると、せっかく苦労して修理が行われても、その後の文化財をとりまく地域や環境の変化で、朽ちていくものも目にします。
文化財の保存には、修理ができることだけではなく、関心をもつ人など文化財を取り巻く環境を維持していくことが、その後とても重要になっていきます。


福島・龍門寺
東日本大震災直後の状況 


和歌山県指定文化財 家都御子大神坐像(熊野十二所権現像のうち)
安土桃山時代・16世紀 和歌山・熊野那智大社蔵 
修理前の頭頂部の虫損被害状況


令和となった今、さらに文化財の活用に力を入れる時代になりました。
文化財の活用は、観光への取り組みに繋がっています。

観光は、字のごとく地域の「光を観る」ことです。
文化財という地域の光が、途絶えることのないよう、この展覧会へぜひ足を運んでいただき、「文化財よ、永遠に」というテーマを多くの方に考え、感じる機会になっていただけたら幸いです。

カテゴリ:彫刻特別企画

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posted by 野中昭美(保存修復課) at 2019年11月27日 (水)

 

「文化財よ、永遠に」の展示デザイン

こんにちは。デザイン室神辺です。特別企画「文化財よ、永遠に」の展示デザイン、グラフィックを担当しました。

普段、展示室を歩いていると、じっくり解説を読まれて、そのままちらっと作品に目をやって、通り過ぎていくお客様をお見かけすることがあります。
もちろん、博物館での過ごし方に正解も不正解もありませんし、お客様の鑑賞方法に、とやかく言うつもりもありません。ただ、たまには、いつもとは違った鑑賞方法で、博物館を楽しむのも一興ではないでしょうか。秋ですし(←雰囲気で言ってみました。深い意味はありません)。

「文化財よ、永遠に」展では、お客様に作品鑑賞についてのある提案を試みました。
その提案とは「じっくり仏像と対面する時間を持ってみてはいかがでしょう。」というものです。
そのため、思い切って鑑賞空間から作品解説を切り離してみました。仏像を展示しているステージに、作品解説はありません。作品解説は、ステージ手前のとても低いところにあります。
えっ、そんな低いところにある解説、ちゃんと読めるのかしら?
解説大好き派は心配されるかもしれません。大丈夫。読めます。



ただし、解説を読んだ後、仏像をご覧になるためには、首を傾け、少し仰がねばなりません。ここはあえて、身体的な動作を取り込んで、「見る」ということを意識してやっていただこうと思っています。
展示室の多くの仏像は、ケース越しではなく、直に見ることができます。そのため、仏像と対峙したとき、そのお姿だけでなく、衣のひだ、素地の感じ、残っている彩色などの美しさを、しっかりご覧いただけます。
玉眼がある仏像のお顔は、玉眼がキラリと光るよう照明調整もしております。
特別企画「文化財よ、永遠に」は12月1日(日)までです。どうぞ、お見逃しなく。

カテゴリ:彫刻特別企画

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posted by 神辺知加(デザイン室) at 2019年11月21日 (木)

 

修復・修理の意義 「文化財よ、永遠に」より


みなさんは、愛用しているものや大切にしているものが壊れてしまった時、どうされますか?
壊れたままにせず修理して、また再び大事にお使いになるのではないでしょうか。

文化財でも事情は同じです。今に伝えられる文化財は、そのほとんどが何度も何度も修理を繰り返してきたものばかりです。
特別企画「文化財よ、永遠に」では、公益財団法人住友財団が30年の長きにわたって修復を助成してきた文化財1,100件以上のうち、当館では仏像を中心に展示しています(泉屋博古館(京都・東京)、および九州国立博物館でも同タイトルの展覧会を開催しておりましたが、会期は終了いたしました)。
仏像はお堂の須弥壇上や厨子内に大事に安置されているのだから、壊れることなんてあまり考えられないのでは? と思った人もいらっしゃるかもしれません。

ところが、日本の仏像の多くは木材でできています。皆さんもご存知だと思いますが、木材は湿気を含めば膨張し、乾燥すれば縮みます。四季によって温湿度が大きく変わる日本の自然環境の中では、木材は絶えず伸び縮みを繰り返しています。
たとえば表面が綺麗に彩られた仏像や金箔が貼られた仏像の場合、木材と、表面の彩色層や漆箔層の収縮率が違うために、長い時間が経てば彩色層や漆箔層が木材から浮き上がってしまうことが多々あります。仏像の損傷のうち、もっとも多い損傷と言ってもよいでしょう。


漆箔の剥離 修理前

こちらのお像は漆箔層が浮き上がっています。茶色の部分は漆箔層の下の木材です。木材が露出しているところは、すでに漆箔層が剝落してしまったところです。
修理では、こうした浮き上がりを丁寧にもとにもどします。また剥落片がある場合には、それを元の位置に復位します。展覧会に仏像がお出ましになる際、時に湿度70%以上になることのある寺院環境から、博物館環境に移動させるときには、表面の状態に非常に気をつかいます。彩色像を開梱するときは特に緊張します。

また、湿気で鎹や釘など木材どうしを留める金属製の金具が腐食し、錆が生じると釘がふくらみ周辺の木材を傷めることもありますし、逆に乾燥が木材の割れを引き起こすこともあります。


干割れ

ご尊像の頭部に干割れがはしってしまうと、尊容を損ねることにもなってしまい、難しい修理となる大変やっかいな損傷です。年輪の中心である木芯から割れてしまうことが多いため、仏像をつくる際には、木芯が入らないように製材した芯去り材が使われていることが多いです。

木材を好んで食べる虫もいます。


虫蝕

たくさんの小さな穴が開いているのがお分かりになりますでしょうか。仏さまを食べるなんて仏さまには迷惑な話ですが、虫たちはありがたく命を頂戴しているのかもしれません。

今年はノートル・ダム寺院や首里城などで、いたましい火災が相次いでしまいましたが、木材にとって火も大敵です。かたや何らかの要因で水にさらされ続ければ腐食することもありますし、高湿度のなかでは黴が生えたりすることもあります。


朽損 修理前

木材が腐食してスカスカになっている様子がわかります。表面に少し手が触れただけで簡単に崩れ落ちてしまうきわめて危険な状態です。

こうやって損傷の事例を見てくると、何百年もの昔につくられた仏像が今に残ってるのは奇跡だと思われませんか?
形ある物はどんなに大切にしていたとしても、時が経てばどうしても傷んでしまいます。仏像もまた、つくられてから月日が経って傷んでしまったときに、修理しようと立案した人、修理の技術を持っていた人、費用を負担した人、その他さまざまな人が協力をして修理されてきたであろうことは想像にかたくありません。また修理が一度だけではなく、何度も繰り返すことのできるコミュニティがなければ、仏像はどこかの時点で朽ち果て失われてしまったことでしょう。

仏像が背負っているものは、これをつくった人々、長きにわたって守り伝えてきた人々、また現在、これを大切にされているご所蔵者はじめ地域の人々の祈りでもあるのです。

 

カテゴリ:彫刻特別企画

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posted by 皿井舞(平常展調整室長) at 2019年11月20日 (水)

 

中国絵画、「愛好の歴史」の探りかた

現在、東洋館8室では、特集「中国書画精華―日本における愛好の歴史」(前期:11月24日(日)まで、後期:11月26日(火)から12月25日(水)まで)が展示中です。

東洋館8室展示場
東洋館8室展示場

「中国書画精華」は、毎年秋恒例となった、東博所蔵および寄託作品の名品展ですが、今回はサブテーマとして「日本における愛好の歴史」を設けています。

展示解説を読まれれば、「〇〇家伝来」「〇〇の旧蔵品」「〇〇の鑑定書がつく」などと、作品がどのような人びとの手を経て現在まで伝えられてきたかについて、簡単な文章が添えられているのに気付いていただけるかもしれません。

ところで、このような「愛好の歴史」は、一体どのように判明していくのでしょうか。
手がかりは、作品から離れて存在するもの、作品とともに伝わってきたもの、の2種類にわけられます。

作品から離れて存在する手がかりとしては、まず、コレクション目録や茶会の記録などの書物があげられます。

例えば、伝趙昌筆「茉莉花図」(常盤山文庫蔵)は、足利将軍家のコレクション目録である『御物御画目録』中の「花 趙昌」に該当する、足利将軍家由来の品と考えられてきました。

重要文化財 茉莉花図軸
重要文化財 茉莉花図軸 伝趙昌筆 南宋時代・12~13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵 ※前期展示

御物御画目録 伝能阿弥筆
参考】御物御画目録(部分) 伝能阿弥筆 室町時代・15世紀 東京国立博物館蔵 ※展示の予定はございません

また、模写、もしくはそこから強い影響を受けたと思われる別の絵画の存在も、作品から離れて存在する手がかりのひとつです。

李迪筆「紅白芙蓉図」は、伝周文筆「芙蓉図」(正木美術館蔵)や曽我宗誉筆「芙蓉図」(大徳寺真珠庵蔵)など、本図を翻案したとみられる作例の存在から、室町時代の京都ではすでに知られた名品であったと推測されています。

国宝 紅白芙蓉図軸
国宝 紅白芙蓉図軸 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197) 東京国立博物館蔵 ※前期展示

また、伝禅月筆「羅漢図」には、狩野派が制作した模写があり、この図様が江戸時代の画家たちによく知られていたことがわかります。

羅漢図 伝禅月筆 羅漢図(模写)竹沢養渓筆
画像左:羅漢図 伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 東京国立博物館蔵 ※後期展示
画像右:【
参考】羅漢図(模写) 竹沢養渓筆 江戸時代・安永10年(1781) 東京国立博物館蔵 ※展示の予定はございません

一方、作品とともに伝わってきた手がかりには、どのようなものがあるのでしょうか。
特に中国本土に伝わってきた作品によくみられるのは、後世の人々によって散文や韻文のかたちで書き付けられた考証や感想である題跋(賛)、そして、作品を収蔵した人々がその記録として捺した印章である鑑蔵印です。

李氏筆「瀟湘臥遊図巻」のあちこちにみられる清朝最盛期の皇帝、乾隆帝の書き込みや印はその代表的な例です。

国宝 瀟湘臥遊図巻
国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆 南宋時代・12世紀 東京国立博物館蔵 ※前期展示

そして、保存箱に同封される手紙や鑑定書も重要な資料となります。

重要文化財 猿図軸
重要文化財 猿図軸 伝毛松筆中国 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵 ※前期展示

伝毛松筆「猿図」付属の武田信玄書状
【参考】伝毛松筆「猿図」付属の武田信玄書状 東京国立博物館蔵 ※展示の予定はございません

伝管道昇筆「墨竹画巻」付属の狩野常信鑑定書
伝管道昇筆「墨竹画巻」付属の狩野常信鑑定書 東京国立博物館蔵 ※後期展示

このほか、表装の好みや、保存箱のしたてなどからも、その作品がどのような道筋をたどって、東京国立博物館まで行きついたかが推測できることがあります。

紙や絹といった脆弱な素材に表わされた絵画が、千年、数百年の時を超えて、今なお存在するということは、よく考えれば奇跡的なことです。
この奇跡は、まさに作品を大切に伝えようとしてきた人たちのたゆまぬ努力があったからこそ。
名品を楽しむと同時にそのような「愛好の歴史」にも想いを馳せていただきたければ幸いです。

特集「中国書画精華ー日本における愛好の歴史」


特集「中国書画精華―日本における愛好の歴史」

2019年10月29日(火)~12月25日(水)
(前期:11月24日(日)まで、後期:11月26日(火)から)
東洋館8室

※こちらの画像には後期展示の作品が含まれています。

特集「中国書画精華ー日本における愛好の歴史」

特集「中国書画精華―日本における愛好の歴史」
2019年10月29日(火)~12月25日(水)
(前期:11月24日(日)まで、後期:11月26日(火)から)
東洋館8室
※こちらの画像には後期展示の作品が含まれています。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室研究員) at 2019年11月19日 (火)

 

焼き締め茶陶―日本人の心の原風景

博物館情報課の今井です。現在本館14室にて特集「焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―」を開催中です(12月8日まで)。




信楽の花入にはどんな花を生けようか、備前の食器にはどんな料理を盛ろうか、不思議と想像力が湧きます。


蹲花入(うずくまるはないれ) 信楽 室町時代・15世紀


反鉢(そりばち) 備前 江戸時代・17世紀


備前の水指に志野や唐津の茶碗を取り合わせると、茶席の表情がぐっと豊かになります。


耳付水指(みみつきみずさし) 備前 江戸時代・17世紀 個人蔵


10月29日の横山研究員のブログにもあるように、焼き締め陶は平安時代の末から、壺、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)といった生活の実用品として、技術変革を経ることなく、作られ続けてきました。

前近代において、陶磁器の製作技術は、常に中国から、ときに朝鮮半島を経由してもたらされました。中国では、古い技術はしばしば新しい技術に取って代わられます。たとえば、宋時代の官窯(かんよう・宮中の御用品を焼く窯)の製品は青磁でしたが、異民族王朝の元時代をはさんで、明時代になると、景徳鎮窯(けいとくちんよう)で焼かれ、絵付けが施された白磁に替わります。


青磁輪花鉢(せいじりんかはち) 南宋官窯 南宋時代・12~13世紀 横河民輔氏寄贈(東洋館5室で展示中)


青花唐草文高足碗(せいかからくさもんこうそくわん) 景徳鎮窯 「大明宣徳年製」銘 明時代・宣徳年間(1426~35)(展示予定はありません)


これに対して、日本では新しい技術が入ってきても、在来の技術の上に次々と積み重なってゆき、あたかもミルフィーユのような様相を呈します。このため、日本の陶磁器は、世界的にみても驚くべき多様性を示しています。

侘び茶の祖、珠光の有名な「心の一紙」には、備前や信楽にむやみに飛びつく風潮をたしなめる一節があり、15世紀の末頃には和物が茶の湯の具足として流行していたさまがうかがえます。

瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前に、新たに発見された越前が加えられて、「六古窯(ろっこよう)」の名が小山冨士夫氏によって提唱されたのは、昭和23年(1948)頃のことであり、高度経済成長期にブームとなりました。


自然釉刻文大壺 信楽 室町時代・15世紀(2020年3月10日より本館13室で展示予定)

画像は写真集『信楽大壺』(1965)を発表した写真家土門拳(1909~90)の旧蔵品で、「御所柿」の銘があります。日本陶磁史の底流に通奏低音のように流れ続ける焼き締め陶は、日本人の心の原風景なのかもしれません。
 

特集 焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―

本館 14室
2019年9月18日(水)~ 2019年12月8日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 今井敦(博物館情報課長) at 2019年11月15日 (金)