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1089ブログ

【禅展】研究員のおすすめ 「山楽の吼えるトラ」

 

阪神VS中日、ではないけれど・・・。

現在開催中の特別展「禅―心をかたちに―」に展示されている重要文化財「龍虎図屛風」(狩野山楽筆)の前に立つたびに、ついつい、こうつぶやいてしまいます。プロ野球のタイガースとドラゴンズの試合ではない、という単なるギャグなのですが、野球ではどちらのチームにも友達に熱烈なファンがいて、友達を失いたくない僕は、中立の立場をとるようにしています(笑)。

それはさておき、この屛風の龍虎も、なかなか熱い対決をくりひろげています。


重要文化財  龍虎図屛風 狩野山楽筆 安土桃山〜江戸時代・17世紀 京都・妙心寺蔵
展示期間:11月8日(火)~11月27日(日)

まず画面の大きさそのものに圧倒されます。裂・縁ふくめて天地は約2メートル。通常の屛風が等身大程度ですので、見上げるように背の高い屛風なのです。だから龍も虎もビッグサイズ。けれど、その大きさをさらに増幅させているのが、画そのものの迫力にほかなりません。  

右隻に天空から風雨を巻き起こしながら降りてくる龍、左隻に振り向きざまに咆哮する雄虎と雌虎(当時、虎は日本に生息しておらず、豹は雌の虎と思われていました)が描かれ、龍虎相撃つ図様となっています。さて、どちらが勝つのか!?

右隻のムチのようにしなり鋭く伸びる枝、切れるようになびく熊笹の動勢が、舞い降りる龍のスピード感と風の強さを増幅し、その風は、左隻に入って下草や左端の竹葉までなびかせています。でもその動勢は、振り返る虎の迫力によって、一挙に撥ね返されます。最強の虎の描写、これほどの迫力と存在感を放つ猛獣の絵は、ほかに狩野永徳の「唐獅子図」くらいしかないでしょう。大地を揺るがす巨大な虎の咆哮、それは、まるで絵の前に立つ我々を「一喝」しているかのようです。



構図や形態とともに、ここで特に注目しておきたいのが、右隻の天空から降りる龍の描き方です。


(右隻)

金箔地に水墨、つまり墨の濃淡を透して金地の輝きをみせるという手法が用いられています。金箔地水墨のかなり早い例で、実験的な手法がとられているわけですが、よく観察しますと、単純に金箔地の上で筆を走らせたのではないことが分かります。必ずしも水墨の偶然の効果をねらったのではなく、かなり手の込んだ描き方をしているのです。

まず濃墨線で龍の輪郭をつくり、その内側に薄く胡粉地を置いてごく淡い墨の面を重ねています。その上に濃墨で目鼻口の線を引き、ザラザラした皮膚を表わすべく、かすれぎみの短い中墨・淡墨線を無数にほどこし、金泥や胡粉を処々に置いてハイライトにしています。ハイライトとなる金泥は、顔にかなり多用されています。暗雲部にも、渦巻をしめすように金泥が用いられています。

(部分)

一見、金地に一気呵成、水墨のみで描かれているようでありながら、実はきわめて丁寧な作りこみがなされているのです。金地に墨という実験的な手法を用いると同時に、その効果を確かめながら、細部に手間をかける山楽の周到さ。もう舌を巻くしかありませんね。ずばり「一流の絵画」と呼びましょう。一龍だけに。

左隻の虎の目、口の中の生々しさを表わす実に細かな描写、微妙に諧調を変化させた体皮や、生えた場所によって墨・代赭・胡粉と使い分けた毛描きも同様です。豪放な画は、実はとても手の込んだ高度な技術に支えられていたのです。たまらなく、すばらしいですね。思わずスタンディング・オベーションしたくなります。


(左隻)

(部分)

一大禅宗寺院である妙心寺に、おそらく制作当初から伝わった狩野山楽の「龍虎図屛風」。この屛風が発する躍動感、生命力は比類がありません。この対決をライブで観てみませんか? 試合時間は、11月27日(日)まで、もう数日しかありません。ゴングは鳴りました。

さぁ、会場に向かいましょう!!

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 山下善也(絵画彫刻室主任研究員) at 2016年11月18日 (金)

 

「南太平洋の生活文化」現地調査レポート(セピック川の日々)

もう何年か前、私が東京国立博物館(トーハク)に勤めはじめたころ、とある収蔵庫の片隅に石のお金が無造作に置いてあるのを見つけました。白い石でできた大きなドーナツみたいな貨幣です。ほかに、ワニの釣針やココナッツジュースの容器なんかも見かけました。これらは19世紀後半から20世紀初頭にトーハクにもたらされた南太平洋の工芸品ですが、当時はそのような南洋資料はほとんど展示されておらず、館員でもなかなか見ることがなかったので、とてもめずらしく思われました。

石貨
石貨 ミクロネシア、ヤップ島 19世紀後半   東京国立博物館蔵(田口卯吉氏寄贈)

その後、東洋館の改装(リニューアル)が行なわれ、南洋資料も少しずつ展示されるようになってきました。このたび「南太平洋の生活文化」(2016年11月15日(火)~12月23日(金・祝)、平成館企画展示室)と題して、南洋資料をいくらかまとめて展示するにあたり、それらが現地ではどのように扱われているのかを調査する機会にめぐまれました。南太平洋には無数の島があれば、それらの島々を見てまわるのは難しいので、トーハクの所蔵品の内容を検討し、まずはパプアニューギニアのジャングルを流れているセピック川の流域を調査地に選びました。ここの人々には自分たちの先祖をワニだとする信仰があり、現在でも男子が成人する時には、その体にカミソリでワニの鱗(うろこ)のような傷をつけてゆく儀式があります。私たちの調査に同行してくれた案内人のフィリップさん(現地には西洋風の名前をもつ人がいます)の体にも見事な鱗が刻まれていました。

セピック川
ニューギニア島のジャングルを流れるセピック川。ワニがいる。

ワニ像
ワニ像 メラネシア、ニューギニア島北東部  19世紀後半~20世紀初頭  東京国立博物館蔵(藤川政次郎氏寄贈)

フィリップさん
調査に同行してくれたフィリップさん。胸にワニの鱗が刻まれている。


現地での交通手段はカヌーが中心で、となりの村に行くにもカヌーです。カヌーを作るのは専門の職人ではなく、成人した男子であれば、自分の力で家族のためのカヌーを作ります。そして地図もなく、地形を目印にして、複雑に流れている大小の川をこぎまわります。フィリップさんは銛(もり)を使うのがとても上手く、疾走するカヌーから水面下のウナギを一発で仕留めました。そのウナギはブツ切りにして、そのまま石をならべた炉(ろ)で焼いて、私たちにふるまってくれました。裂き方といい、焼き方といい、野生味あふれたものです。

カヌー
細長いカヌーに並んで座る。この状態で何時間もかけて川を行き来する。

カヌー作り
家族のためにカヌーを作る。たくましい男の仕事。

ウナギ
ブツ切りウナギを炉におく。関東風とも関西風とも異なるワイルドな焼き方。

飲み物はもちろんココナッツ(椰子の実)のジュースです。濃厚な甘い味だと思われがちですが、実際はポカリスエットみたいなすっきり味です。現地の男の子が椰子の木を器用によじ登って、実をねじ切って、下の川にボチャンと投げ落としてくれます。それを女の子が拾いあげて、大きなナイフでバカッ、バカッと叩き割ってくれます。セピック川に沿っていくつもの村を訪れましたが、どこでも子供たちがやって来て、私たちについてまわりました。ここの人々は大きな目をしていて、特に黒目が丸くてきれいですが、その顔を見ていると、ニューギニア島の東方にあるニューアイルランド島の石像の印象的な瞳を思い出しました。

ヤシの実をとる男の子
枝のない椰子の木を上手に登って、実をねじり取る男の子。

現地の子どもたち
調査の見物にきた子供たち。みんな目がきれい。

女性像
女性像(クラプ) メラネシア、ニューアイルランド島 19世紀後半 東京国立博物館蔵吉島辰寧氏寄贈)

このように書いていると、現地では今なお伝統的で豊かな暮らしが行なわれているようですが、いろいろ見たり聞いたりすると、やはり生活の変化はいちじるしく、このような生活様式がいつまでも続くかは分かりません。彫刻と彩色で飾られる儀式用の精霊小屋(ハウスタンバラン)も建て直されなくなってきています。現地の人々にトーハクの南洋資料の写真を見てもらうと、すでに見かけなくなったものがあると教わりました。まだ人々の記憶があるうちに、多くのことを確かめておかなくてはならないと痛感する調査となりました。

対話
現地の人々との対話は夜遅くまで行われた。

精霊小屋
建て直されずに骨組みだけが残った精霊小屋。

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 猪熊兼樹(出版企画室主任研究員) at 2016年11月16日 (水)

 

トーハクくんがゆく!「『ゆるキャラ®グランプリ2016 in 愛顔のえひめ』に行ったほ!」

ほほーい!ぼくトーハクくん!
11月5日(土)と6日(日)の2日間、ぼくとユリノキちゃん、それから京都国立博物館のトラりんの3人で「ゆるキャラ®グランプリ2016 in 愛顔(えがお)のえひめ」に出場するために愛媛県松山市に行ってきたんだほ!

 
ゆるキャラ®グランプリ会場入口


トラりん、ぼく、ユリノキちゃんの3人でブースの前でパチリ

会場は松山市のまんなか、城山公園芝生広場。会場からは松山城が見える絶好のロケーション。お天気もよくって気持ちよかったほー。


会場入口右上に見えるのは松山城

お客さんもたくさん来てくれて写真もいっぱい撮ってもらったほ!


みんなに囲まれてアイドル気分だほ♪

それに新しいおともだちもたくさんできたのもうれしかったほ! みんなとってもフレンドリーで、すぐに仲良くなれたほ。

左から、やいちゃん(静岡県焼津市)、トラりん、ユリノキちゃん、さいたまっち(埼玉県)、ぼく、コバトン(埼玉県)、ミムリン(埼玉県美里町)


はにぽん(埼玉県本庄市)とは、はにわ同士、話がはずんだほ!


「刀剣乱舞-ONLINE-」のコンノスケ

そうそう、くまモンと再会できたのもうれしかったほ。

左からつがーるちゃん(青森県つがる市)、ユキマサ(日本行政書士会連合会)、トラりん、くまモン(熊本県)、ユリノキちゃん、アルクマ(長野県)、ぼく

トラりんはファッションショーにも出場したのでぼくとユリノキちゃんは応援に行ったんだほ(ぼくたちも出場希望したけど残念ながら落選したんだほ…)。トラりんは、今、京都国立博物館で特別展覧会「没後150年 坂本龍馬」を開催中ということで龍馬さんの衣装で登場、とってもかっこよかったほ!

トラりんは坂本龍馬の衣装で登場


トラりんの出番はまだかな…


「トラりんかっこいい!」ってユリノキちゃんも大はしゃぎだほ

それからステージ上でのアピールタイムもあったんだほ。ぼくは当然得意のダンスを披露したんだほ! 行く前にしっかり練習をしたからばっちりきまったほ!


ステージ上でのPRタイム!

おいしい食べ物屋さんや愛媛のお菓子の試食コーナーもいっぱいでたらふく食べたんだほ!あー今思い出しても楽しい思い出ばっかりだほ!


キッズにも大人気!

さて、肝心のゆるキャラ®グランプリ2016の順位はというと、僕は総合2201票で629位、ユリノキちゃんは1096票で総合886位、トラりんは総合15424票で201位(トラりん、すごいほ!)。みんな投票ありがほー!
来年はもっと上位を目指すほ! ユリノキちゃん、トラりん、来年も一緒に出場するほー!


トーハク、キョーハク(京都国立博物館)のみんなとパチリ。来年もよろしくだほー!

カテゴリ:newsトーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん at 2016年11月14日 (月)

 

古典と向き合い続けた小林斗盦(とあん)の多彩な作品

東洋館8室では、「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡―印の世界と中国書画コレクション―」(前期:2016年11月1日(火)~11月27日(日)、後期:2016年11月29日(火)~12月23日(金・祝))を開催しております。先週は、トーハクのアイドル、ユリノキちゃんが、開会式や展示会場の様子をお伝えしてくれました

本展の主な出品作は、小林斗盦(1916~2007)が制作した作品(篆刻・書画)と、収集した作品(古印・印譜・中国書画)に分かれます。そこに、制作に関わる資料などを加えて、6部とプロローグ・エピローグからなる展示構成となっています。今回は、斗盦の制作に関する展示についてご紹介しましょう。

制作に関する展示:プロローグ「篆刻家 小林斗盦」、第1部「古典との対峙」、第2部「作風の軌跡」、第4部「制作の風景」、第6部「翰墨の縁」、エピローグ「刻印の行方」
収集に関する展示:第3部「篆刻コレクション」、第5部「中国書画コレクション」

第1部「古典との対峙」 第6部「翰墨の縁」
左:第1部「古典との対峙」、右:第6部「翰墨の縁」


プロローグ 篆刻家 小林斗盦
本展は、篆刻家・小林斗盦の生涯における記念碑的な作品で幕が開けます。斗盦は昭和58年(1983)、67歳の時に「柔遠能邇」白文円印を第15回日展に出品し、この作で第40回日本藝術院賞・恩賜賞を受賞しました。
言葉は、『尚書』の一節に拠った「遠くの民を安んじ近くの民をよくする」という意味の4字句です。秦時代の円形の印の様式に、絵画的要素の強い西周から春秋戦国時代頃の金文の造形を合わせて、朱白の対比がたいへん美しい、動的で表情豊かな作に仕上げています。
斗盦はその後、実作と研究における優れた業績から、77歳で日本藝術院会員、82歳で文化功労者顕彰、88歳の時には篆刻家として初めて文化勲章を受章します。「柔遠能邇」白文円印は、当代を代表する篆刻家としての位置を確かなものとした、とても重要な作なのです。

「柔遠能邇」白文円印側款拓
    
「柔遠能邇」白文円印 小林斗盦刻 昭和58年(1983) 原印:東京・日本藝術院、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓



第1部 古典との対峙・第2部 作風の軌跡
91年の生涯において、斗盦は実に幅広い作風の篆刻作品を残しました。「古典を尊重模倣し、近世の名人の作品を分析咀嚼して、完璧を期す」という頑なまでに守旧的な制作観は、斗盦を、生涯にわたり篆刻とその前提となる文字や書の資料に向かわせ続け、多様な作品群を生むことになりました。
では、斗盦はどのようなものを学び、自身の篆刻作品を生み出したのでしょうか。第1部では、殷時代の甲骨文や西周時代の金文、戦国時代から南北朝時代までの璽印に、封泥や陶文、そして清時代の名家の篆刻など、作品の背景にある古典を対照させて、斗盦の多彩な作風を概観します。続く第2部では、斗盦の代表的な篆刻作品を年代順にたどり、作風の軌跡を窺います。

「独往」朱文印側款拓
「独往」朱文印 小林斗盦刻 平成11年(1999)  原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓


「ただひとりで行く」という意味のこの二字句を、斗盦は作風を変えて、幾度となく制作を試みています。83歳の時に第31回日展に出品したこの作品は、西周から春秋戦国時代の金文を基調としたものです。古代中国の各時代の字形の長所を合わせて、ひとつの秩序を作りだしており、斗盦の金文表現の到達点を示す作と言えます。

婦ひん卣  蓋銘拓
婦ひん卣 中国 西周時代・前10世紀 東京・台東区立書道博物館蔵
左:全景、右:蓋銘拓



「愚者之定物以疑決疑」朱文印側款拓
「愚者之定物以疑決疑」朱文印 小林斗盦刻 昭和62年(1987) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:
側款拓

71歳の時に、『荀子』解蔽の言葉を小篆で刻した作品で、清時代の趙之謙(1829~1884)の作風に倣ったものです。斗盦はこのような趙之謙風の緻密な構成の朱文多字印を得意としました。本作でも、1辺3cm余りの小さな印面に、3行合計9字が手足を伸ばしたかのような躍動感のある字形で布置されています。


第4部 制作の風景
晩年まで衰えることなく数々の名品を生み出し続けた斗盦は、昭和52年(1977)、61歳の時に、川越から東京へと拠点を移し、永田町にある高層マンションの一室に居を構え、そこを制作の場としました。自ら懐玉印室(かいぎょくいんしつ)と名づけた斗盦の書斎は、篆刻という芸術を表すかのように、決して広いとは言えない空間でありながら、そこから無限の創造は紡ぎだされたのです。
第4部では、生前に斗盦が愛用した篆刻の道具や文房具、書斎を彩った文雅な扁額など、懐玉印室という制作の風景を眺めてみます。また、メモ魔でもあった斗盦が、書斎を初めて訪れる賓客に必ず署名を求めたという芳名帳からは、幅広い交遊が窺えます。

行書「懐玉印室」扁額
行書「懐玉印室」扁額 沙孟海筆  中国  中華人民共和国・1988年 個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


57歳の時に、師の太田夢庵遺愛の玉印8顆を譲り受けた斗盦は、その喜びから、ほどなくして懐玉印室という室号をつけました。西泠印社長を務めた沙孟海(1990~1992)によるこの扁額は、斗盦にとって、敬愛していた沙孟海との厚誼を記念する特別な意味をもった作品でもありました。本作品は、斗盦篆刻が生まれる懐玉印室という空間、また現代における日中書壇の親密な交流状況をも象徴するものと言えます。

晩年に斗盦が愛用した文具
晩年に斗盦が愛用した文具


第6部 翰墨の縁
篆刻家の作品には、ただ芸術表現に終始したものだけではなく、往々にして実用を意識して制作されたものがあります。斗盦の篆刻作品にも依頼や応酬によるものが多く含まれ、相手や用途に応じた作風が見られるとともに、政界・学界・文壇・芸苑など各界の著名人との交流の様子や斗盦作品の評価の高さが垣間見られます。
例えば、文壇では、永井荷風(1879~1959)や武者小路実篤(1885~1976)、司馬遼太郎(1923~1996)ら誰もが知る作家の印も見られます。第6部では、それらの作から斗盦が生涯に結んだ翰墨の縁を窺います。

「荷風散山」朱文印
 永井荷風からの礼状
「荷風散人」朱文印 小林斗盦刻 昭和24年(1949) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)
上:印影、下:永井荷風からの礼状


「武者小路実篤璽」白文印
「武者小路実篤璽」白文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


「司馬遼太郎印」白文印
「司馬遼太郎印」白文印 小林斗盦刻 平成5年(1993) 原印、印影:大阪・司馬遼太郎記念館蔵
前期展示:~11月27日(日)



エピローグ 刻印の行方
篆刻家は、その人物や、姓名・雅号などに込められた重層的な意味に想いを馳せて、語句にふさわしい作風を考慮して印を刻します。そして人手に渡った刻印は、篆刻家の意図から離れ、所蔵者がつくる新たな場を舞台に、印影として様々な表情を見せます。
例えば書作品に押された印影はどうなのでしょうか。作品の画龍点睛となる印は、あくまでも小さく控えめな存在ながら、時として作品よりも多くの事情を雄弁に語りかけてくれます。本展の結びに、文化勲章を受章した青山杉雨(1912~1993)による書作品から、篆刻家・小林斗盦が残した刻印の行方を眺めてみましょう。

篆書「胸中丘壑」額
篆書「胸中丘壑」額 青山杉雨筆 昭和62年(1987) 東京国立博物館蔵(水谷洋氏寄贈)

青山杉雨は30歳の頃に西川寧に師事して、昭和から平成初めにかけて書道界の発展に大きく寄与した人物です。杉雨はこの作品に西川門の同輩である小林斗盦の刻印3顆、「東夷之書」朱文印(引首)、「文長寿」白文印(落款)、「囂斎」朱文印(押脚)を使用しています。書作品に押された印影は、筆者のサインであるに留まらず、書を効果的に引き立て、作品を影ながら支える存在と言え、そこには筆者の好尚が反映されます。


東夷之書」朱文印「文長寿」白文印 「囂斎」朱文印
左:「東夷之書」朱文印 小林斗盦刻 昭和61年(1986) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
中:
「文長寿」白文印 小林斗盦刻 昭和59年(1984) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
右:「囂斎」朱文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵


生涯、古典と向き合い続け、その美しさを背景にもつ斗盦の多彩な作品を通して、篆刻という方寸の世界に繰り広げられる壮大な芸術をお楽しみいただければ幸いです。


本展図録をミュージアムショップにて販売中!

図録
「生誕百年記念 小林斗盦 篆刻の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション―」
編集・発行:東京国立博物館、謙慎書道会
定価:2,500円(税込)
全298ページ(A4判変形)
 


関連事業

月例講演会「小林斗盦の篆刻の世界」 
2016年11月19日(土) 13:30~15:00  平成館大講堂
定員380名(先着順)
聴講無料(ただし当日の入館料が必要)

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2016年11月10日 (木)

 

特別展「平安の秘仏」10万人達成!

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」(9月13日(水)~12月11日(日)、本館特別5室)は、11月4日(金)に10万人目のお客様をお迎えしました。
ご来館いただいた多くのお客様に、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、東京都八王子市よりお越しの田中和江さん。
本日は、お嬢さんの良実さんと一緒にご来館いただきました。
田中さんには、当館学芸研究部長 富田淳より、記念品として展覧会図録と本展オリジナルTシャツ(特設ショップで大好評販売中!)を贈呈しました。


特別展「平安の秘仏」10万人セレモニー
左から学芸研究部長の富田淳、田中和江さん、田中良実さん
11月4日(金) 本館エントランスにて


実は田中さん、櫟野寺(らくやじ)にいらっしゃったことがあるそうです!
記念すべき10万人目のお客様が、現地に行かれたことのある方だなんて、観音様がご縁を結んでくださったのかもしれません。
「正直、そんなにすごい仏像があるとは思わなかったので、行ってみてとても驚きました」と、田中さん。
お帰りになってからも、櫟野寺にまた行きたいと思っていた折、新聞記事で本展の開催を知り、ご来館くださったそうです。

展覧会での田中さんのお目当ては、本尊の十一面観音菩薩坐像。
「360度見られると聞いて、楽しみにしていました」とお話しくださいました。
本尊は普段は厨子に納められているため、ご開帳時でも全体を見ることはできません。
現地でも見られない本尊の横顔や背中など、ぐるりと360度ご覧いただけるのが、本展の大きなポイントです。
今だけの貴重な展示を、どうぞお見逃しなく!

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」は、12月11日(日)まで。
皆様のご来館をお待ち申し上げております。

カテゴリ:news彫刻2016年度の特別展

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2016年11月04日 (金)