ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は井出研究員に、“じょうもん土器先輩”のところへ連れて行ってもらうほ。
どんな先輩なのか…土器土器するほー!
こんにちは!トーハクくん。
井出さん、今日はよろしくお願いしますほ!
その前に…。そもそも土器って、なんだほ?
土器とは、粘土をこねて形を作り、焼いてできたうつわのことだよ。素材はトーハクくんと一緒だね。
土器が発明されたことによって、煮る、炊く、蒸すといった基本的な調理ができるようになり、人々の食生活は大きく改善され、暮らしが安定するようになったんだよ。スープを食べられるようになったのも、土器のおかげなんだよ。
ほー。僕もうつわにされていたら、「踊るはにわ」ならぬ「踊るうつわ」なんてよばれていたかもしれないほ…。
じゃあ、「じょうもん」というのは、どういう意味なんだほ?
縄文時代に使われた土器が縄文土器と呼ばれているよ。
ちなみに縄文土器の呼び名は土器の表面の縄目の文様に由来しているんだ。
縄目以外にも、竹や木、貝がらなどを加工して使ったり、そのまま押しつけたりした文様もあるよ。
なわめ?もんよう? むー、いったいどんなふうに作られているんだほ?
(キリッ)縄文土器は、粘土をこねて、ドーナツ状のわっかをつくり、それをだんだんと重ねてうつわの形をつくります。
土器がある程度乾いたら、表面に、縄を転がしたり、押し付けたり、竹や木、貝がらなどを使ったりして、いろいろな文様を飾ります。日陰でしばらく乾かしてから、野焼きで焼いて完成です。
中には、さらに赤い顔料で模様を描いたり、漆を塗って表面をコーティングしたりと入念に仕上げているものもあります。
ほほー。ドーナツ… いや、縄で文様をつけるから、「じょうもん」なんだね!
ところで井出さん、ここにいる“じょうもん土器先輩”たちは、人間の顔や動物の形みたいなものがついているけど、なんでだほ?
(ふたたびキリッ)縄文時代には土器のほかに、人をかたどった土偶や動物の形の土製品があります。
これらは粘土で作った、いわば縄文時代のフィギュアともいえるでしょう。現代のフィギュアと大きくちがうのは、縄文時代の土偶や動物形土製品は、おもにお祈りやまじないといった特別な場面で使われた可能性が高いのです。たいていの土偶がバラバラの状態で発見されるのは、こうした場面でわざと壊されているからだと考えられています。
人や動物の姿を土器に飾るのは、縄文時代はじまりの頃までさかのぼります。最初は小さな飾りだったものが、しだいに土器の目立つ部分に、大きく、はっきりと飾られていくようになります。今から4500年位前の勝坂式土器(かつさかしきどき)とよばれるものは、そういった人物や動物文様が流行した頃の代表例です。
ほほー。こちらの山梨県北杜市出身の“じょうもん土器先輩”たちは、カツサカシキ?から選ばれし先輩たちなの?
そうだね。まずはこの土器から見ていきましょう。
顔がふたつ、見えるほ?
土器の口のところと胴のところに、顔のような装飾が見えるよね。顔以外にも土器の表面の盛り上がった部分や線状の文様をよくみると、人間の体をまねたような文様があるよ。
胴のところの顔は、その人体をあらわしたような文様からこちらをのぞきこんでいるようにも見えるね。
この土器は、赤ちゃんがお母さんのおなかからまさに生まれ出ようとする、その瞬間をあらわしているとして「出産文土器」とも呼ばれているんだ。土器の口の部分についた顔が、お母さん、胴のところの顔が赤ちゃんというわけなんだ。
縄文人の安産祈願や豊饒への願いが込められていると考えられているよ。
顔面把手付深鉢形土器 山梨県北杜市 津金御所前遺跡 5号住居跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年 山梨・北杜市教育委員会蔵
後ろ側にも同じような顔の文様がついているんだ。
展示室では見られない、後ろ側
なんと!生命誕生の神秘! じょうもんの先輩たちは、土器に祈りを表現したんだね!
次は、こちら。
こ、これは!ぼくの大好物のクッキーみたいだほ!!おいしそうだほ~(ヨダレ…)
トーハクくん、食いしんぼうなんだね…(汗)。
たしかにクッキーみたいなのが、前と後ろに二つけられているよ。
人形装飾付深鉢形土器 山梨県北杜市 寺所第2遺跡 T-11号住居跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年 山梨・北杜市教育委員会蔵
(左が展示室でご覧いただける姿、右は後ろ側)
二つの顔は表情がまったく違うんだ。
一方の顔は、眉をひそめてつりあがった目元、口を一文字につぐんで見るからに怒っているようだね(下の右側の写真)。もう一方の顔は、目尻が垂れて口元は弓なりに上がって、まるで微笑んでいるように見えるね(下の左側の写真)。この土器のように、一つの土器に、対照的な顔や人体の文様が二つ以上、施されることがあるんだ。
右が展示室では見られない、後ろ側。表情を見比べてみてください。
それは男女の違いや、カミとヒトなどを対照的にあらわしているとも考えられているんだ。
この土器のほかにも、展示室には、一方はお尻が大きく、もう一方は小さく表現された二つの人体文様をもつ土器もあるよ。これは男女の違いを表しているのかもしれないね。
おや、こっちは、ずいぶんとフクザツなかたちをしているほー?
重要文化財 人形装飾付異形注口土器 北海道北斗市茂辺地出土
縄文時代(後期)・前2000~前1000年 東京国立博物館蔵
これはボールのような丸い胴体に、橋をかけたような頸(くび)がついている、見るからに変わった注口土器(ちゅうこうどき)だね。
注ぎ口の部分がなくなってしまっているけれど、前後に顔、左右に人形、合計4人の顔が表されているんだ。
(展示室ではこの土器の細部を三次元計測機によって計測し展開させた図面を掲示しています)
チューコー土器?
注口土器は土瓶(どびん)や急須の形に似ていることから、液体を注ぐ容器だったと考えられているよ。
ほほー。井出研究員だったらお酒を注ぐところだほ…(ニヤニヤ)。
ん?何か言った?
ところで、この土器は配石遺構(はいせきいこう)という、石で囲まれた特殊な遺構の周辺で発見されたんだよ。
配石遺構は、人が亡くなった際に行われた儀礼で使われた場所とも考えられているんだ。
今も昔も亡くなった人を偲んでお酒をのむのにかわりがなかったのかな?
土器についている顔は、亡くなった人の顔に似ているのかな?
(最後にキリッ)今まで見てきたこれらの土器に、わざわざ多くの時間と労力をかけて、人や動物をあらわした装飾を施すはっきりとした理由は残念ながらよくわかっていません。
しかし、土偶や土製品ではなく、あえて、うつわに装飾を施したことに縄文人からの強いメッセージを感じます。
こうした土器が、どのような場面でどのように使われたのか、最新の発掘調査の成果を見ながら考えてゆかねばなりません。
井出研究員がそのナゾを解き明かしてくれるのを期待するほ!
今日はいろいろな“じょうもん土器先輩”を紹介いただき、ありがとうございました!
井出研究員お気に入りの“顔面把手先輩”たちと記念撮影
特集陳列「縄文土器に飾られた人物と動物」
平成館 考古展示室 2013年7月9日(火) ~ 2013年10月27日(日)
| 記事URL |
posted by トーハクくん at 2013年08月10日 (土)
今年1月から2月に期間限定で実施いたしました託児サービスは、
お客様からご好評をいただきました。
そこで、再び託児サービスを実施することになりました。
現在開催中の特別展「和様の書」(2013年7月13日(土)~9月8日(日))、
今秋開催される特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(2013年10月8日(火)~12月1日(日))、
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」(2013年10月1日(火)~11月24日(日))にあわせて
託児サービスを実施いたします。
託児サービスは特別展をご観覧になるお客様はもちろん、総合文化展をご観覧のお客様もご利用いただくことができます。
0歳児には専門のシッターが必ず1人専属でお世話する「マンツーマン託児」、1歳児には2名様で1人、2歳児以上には3名様につき1人の専門のシッターがお世話いたします。
詳細は下記のご案内のページをご参照ください。
料金は0~1歳児2,000円、2歳児以上1,000円、事前予約制です。申し込みはお電話で。
東京国立博物館 託児サービスのご案内(ご利用可能日・時間帯をご確認ください)
子育て中のお父様、お母様も安心して展示をご覧いただけるよう、小さいお子様も責任を持ってお預かりいたします。
定員には限りがございますが、8月以降の予約状況にはまだ空きがございます。
お申し込みはどうぞお早めに。
今年の夏は『親子でトーハク』を合言葉に、お子様とトーハクまで足を運んでみてはいかがでしょうか。
皆様のご来館をお待ちしております。
カテゴリ:news
| 記事URL |
posted by 石坪直紀(総務課) at 2013年08月06日 (火)
特別展「和様の書」を楽しむために 鑑賞編の3回目は「散らし」の美についてです。
散らしとは、その名のとおり、文字を散らして書くこと。
たとえば、行の頭や行と行の間をそろえず、さまざまな変化をつけて書くことです。字の大小もさまざま、斜めに書いたり、余白をとったり、なかには、あっちにいったりこっちにいったり、かなり遊んでいるものもあります。
この作品を見てください。
小さな四角い色紙に和歌を一首記したものです。
升色紙「いまはゝや」 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀 東京国立博物館蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~9月8日(日)]
すっきりと美しく、えもいわれぬ風情があります。
これを見てください。
先ほどの作品の行頭と行間をそろえてみたものです。
「東京国立博物館ガイド 本館編 一歩近づいて見る日本の美術」(東京美術)より
字のうまさや線の美しさという意味では同じはずです。
でも、なんだか面白みが無い。面白くないだけなく、単調で躍動感がない。
どうでしょう。散らして書いたからこその美しさ、おわかりいただけましたか?
しかし、「きれいだなあ」とは思うけれど、それがなぜなのか、どこが見どころなのかよくわからない、という方も多いのではないでしょうか。
では、なぜ散らして書いたものは美しく、心地よく見えるのか、そのヒミツを探ってみましょう。
散らしのヒミツ其一 まるで絵のような・・・ 遠近感と奥行きの美
(1) まずはたっぷりと墨を含んだ筆で1行目を書きました。
(2) すこし墨が薄くなって線も細い2行目。
(3) 余白をとって消え入るような細い線の3行目。
(4) その3行目に絡まるように再び少し濃く太い4行目
一行目から順に、近景、中景。 少し離れて、遠景、そして中景に。
まるで絵のような奥行きと立体感を感じませんか?
散らしのヒミツ其二 響きあう行間 余白の美
2行目と3行目の間がほかと比べて広く空いています。この加減も絶妙です。
もうあと1センチ広かったら、2行目と3行目はそっぽを向いてしまい、互いの関係性が感じられなくなるでしょう。行と行が響きあうぎりぎりのところまで間を開けているのです。
散らしのヒミツ其三 脇役も大切です 調和の美
たとえば、一行目の「や」は大きくて形も個性的ですぐに目に飛び込んできます。しかし、その次の「こ」はむしろ個性がなく控えめです。
三行目の「たのめし」は消え入るような線ですが、次にくる「いのち」の濃い線によって、むしろその個性が引き立ってみえます。
脇役として控えることによって主役を引き立てたり、文字と文字との関係によってそれぞれがより引き立って見えたり。全体の調和を大切にする日本人独特の美学が感じられます。
散らしのヒミツ其四 うねってまとめる 空間の美
最後の行の末尾「なりける」の4文字は、右に曲がって3行目の下に入り込んでいます。さらに最後の一文字「る」はより一層中に入り込んでいますね。
これによって紙面の外の、ある1点に4行が収束していくような構成が生まれ、全体としてのバランスとまとまりがとれているのです。
もちろん、散らしのヒミツはこれだけではありません。作品ごとにさまざまな工夫やしかけがあるでしょう。しかし名品といわれるものに共通しているのは、文字と文字、行と行、下絵のあるものは、書と絵が美しく響きあっているということです。
会場では、その美しい響きに耳を澄ましてみてください。
ちなみにこの歌の意味は
恋しくていますぐに死んでしまいそうだけど、またあいましょうといってくれたあなたの言葉だけが私の命を支えているのです
といったところでしょうか。
意味がわかればなお楽しく、かといって意味がわからなくても散らしの美は味わえます。
今回のように、まずは読まずに書を楽しんでいただければと思います。
ここで、散らし書きの作品を楽しむための、とっておきの方法をお教えします。
最後の一行を頭の中の消しゴムで消してみてください。
さて、あなたならどう書きますか?
下絵のある作品であれば、文字を消してみましょう。
たとえば、この作品。等伯が余白を大きくのこした檜林を描き、その上に近衛信尹が奔放な大字を書き付けています。
(三輪の檜原に)の部分は絵に代用させている点も面白い作品です。
檜原図屏風 書:近衛信尹 画:長谷川等伯 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 京都・禅林寺蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~8月25日(日)]
さあ、あなたならどう書きますか?
*広報室より、特別展「和様の書」関連番組のお知らせです。
NHK総合 2013年8月3日(土) 15:05~15:56
トーハク女子高 夏期講習 カワイイのルーツは平安にあり!?
「和様の書」展の会場で行われた、とある女子高の夏期講習にTVカメラが潜入。
テーマは「カワイイのルーツを探せ」。
架空のトーハク女子高の生徒たちとカワイイのルーツを探っていきます。
本ブログを執筆した島谷副館長が、校長先生として登場します。
※ただし 近畿 8月4日(日) 16:00~、九州・沖縄は未定
※国際(ワールドプレミアム)でも放送 8月5日(月)15:15~(日本時間)
カテゴリ:2013年度の特別展
| 記事URL |
posted by 島谷弘幸(副館長) at 2013年08月02日 (金)
学芸員(トーハクでは研究員といいます)にはたくさんの仕事があります。
文化財の調査研究や展示は、学芸員ならではの仕事といえるでしょう。
とはいっても、いずれもお客様には見えない部分の仕事。
そこで、その「見えない部分」をすこしだけ体験していただくのはどうだろう?と思いつき、7月28日、ワークショップ「学芸員に挑戦!」を開催しました。
まずは、学芸員の仕事の真骨頂、展示を見に本館展示室へ。
展示の工夫の話に興味津々。
ここでお話しするのは作品解説ではなく、作品の展示の工夫です。
みなさんから小さな声がもれてきます。
「えー、そんな細かいことを気にしているんですか・・・」
そうそう、展示って、いつも同じように、ただ並べるだけではないんです。
「作品を展示するための道具に注目したのははじめて!」
そうでしょう、そうでしょう!道具にも色んな工夫があるんです。
作品を安全に、見やすく展示するために専用の道具が使われることがあります。
錫杖や鏡を展示するための道具。木でできていたり、フェルトが貼ってあったり。展示室でご確認ください。
展示の構成、順序、方法には、いろんな工夫が隠れているんです。それこそまさに、学芸員の腕の見せ所。
見学のあとは作品の取扱体験です。(今回はレプリカを使用しました)
作品をきちんと扱えなければ大切な文化財を傷めてしまう、細心の注意が必要な仕事です。
取り扱う際の決まりごとを聞き、デモンストレーションを見て、実際に・・・
たとえレプリカと知っていても、緊張するものです。
特にお茶碗をいれた箱の紐の掛け方、御物袋の扱い方にみなさん四苦八苦。
大丈夫、学芸員だって緊張します。
お茶碗のほか、絵巻の取り使いも体験。鳥獣人物戯画の絵も楽しみながら扱いました。
博物館で働いている学芸員を身近に感じてもらいたい、という気持ちもありました。
取り扱い方を通じて、文化財が守り伝えられてきたことのありがたさを知ってもらいたいという気持ちもありました。
そして、この体験を通じて、「展示の楽しみ方が増えました」といっていただけたことがなによりもうれしいです。
「学芸員になりたかった夢が叶った」と笑ってくれたおとなの方、また、こんな機会を設けることができればと思っています。楽しみにしていてくださいね。
「いつか学芸員になりたい」と終了後も熱心に取り扱いの練習をしていた中学生、いつか一緒に働ける日が来るのを東博の学芸員は待っていますよ。
みなさん、暑い中、ご参加いただきありがとうございました。
| 記事URL |
posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年08月01日 (木)
断簡は絵巻が分断されて、その一部分(部分図)が掛け軸などに仕立てられたものです。
絵巻が分割されるに至った事情は様々です。書の分野では室町時代、茶道の隆盛のなかで茶掛けとして飾って鑑賞するために、積極的に能書をバラバラにしてしまったことも数多くありました。絵画の場合はもともと完全なかたちであった絵巻が、戦乱や災害など、所蔵者の望まない状況で分けられてしまったものが多いようです。
「佐竹本 三十六歌仙絵巻」が切れ切れになってしまったエピソードは広く知られています。佐竹本は、久保田(秋田)藩主の佐竹家に伝来したもので、「万葉集」の時代から平安時代までに活躍した歌人36人を描いた絵巻で「歌仙絵」の代表的なものです。
大正6年(1917)に佐竹家から離れ、実業家のコレクションとなりますが事業に失敗し、絵巻は再度売りに出されます。そのとき、三井財閥の創立に関わった実業家で、大茶人であった益田孝(鈍翁)が音頭をとり、大正8年(1919)12月に財界きっての茶人たちが集まりました。絵巻があまりに高価すぎたため、歌仙ごとに分断して、それぞれの歌仙図を各人が購入しようということになりました。茶掛け(掛け軸)にして茶会で披露することも目的のひとつだったのかもしれません。 この時、どの歌仙を手に入れるか、くじ引きによって決められたのですが、その会場は鈍翁の自宅、御殿山(東京都品川区)にあった応挙館でした。現在、応挙館は寄贈、移築されて東京国立博物館本館北側の庭園にあります。
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(住吉大明神) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(松永安左エ門氏寄贈)
下巻巻頭の扉絵です。(展示未定)
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(壬生忠峯) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(原操氏寄贈)
(2013年8月6日(火) ~ 9月16日(日) 本館3室 宮廷の美術―平安~室町にて展示)
コレクターたちにとって、地味な男性歌仙図は不人気でした。
今回、特集陳列でとりあげる「狭衣物語絵巻断簡」の場合も、絵巻がバラバラになってしまった事情は劇的です。徳川将軍家のコレクションであった「狭衣物語絵巻」は、戊辰戦争の時、江戸城宝物庫から上野の寛永寺中堂(上野公園の噴水辺り)へ疎開していました。そして絵巻は幕府の彰義隊と新政府軍が戦った慶応4年 (1868)5月15日の上野戦争の戦火で灰塵に帰したものと思われました。しかし、瓦礫のなかから奇跡的に絵巻の一部が出現し、6幅に分けられコレクターの手に渡るのです。ちょっとよくできた話ですが、そのうち5幅は現在、東京国立博物館の所蔵となっています。戦火にさらされた絵巻が、救い出されたその場所で大切に保管されている不思議な縁のようなものを感じます。
「狭衣物語」は11世紀に成立した物語で、「源氏物語」にも並び称されるほど好評を博した物語です。主人公の狭衣は「源氏物語」の光源氏のように、次から次へと女性遍歴を繰り返すわけでなく、貴族であるが故に、その身分からの逸脱もできない、優柔不断な男です。ですが、当時の貴族の典型的人物像ともいえ、全体に物悲しさが漂う物語で、読者(貴族たち)は感情移入できていたのかもしれません。「源氏物語」の光源氏のふるまいは、現代からみれば 「とんでもない」の連続ですが、この狭衣もたいへんなものです。機会があれば、日本文学全集などで、ぜひ確認してみてください。
この二つの絵は、もともと一場面です。バラバラにみても何が描かれているかよくわかりません。画面下部に戦火にさらされた跡が痛々しく残っています。この場面は、宮中で管弦の遊びがあった時、狭衣が笛を吹くと、紫雲がたなびいて天稚御子(あめわかみこ)が天下り、狭衣を天国に連れていこうとします。帝たちに引きとめられ狭衣は誘いを断り、天稚御子は天上に帰っていきます。「狭衣物語」にはSFファンタジーの一面もあります。
(左)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(A-11951)
(右)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(A-10491)
狭衣吹笛、天稚御子降下の場面。
狭衣物語絵巻 筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(A-10131)
絵巻の往時の彩り豊かな画面を彷彿させる。
江戸時代に模写された絵巻によって、往時の絵巻の全体像を知ることができますので、本来、一続きの場面であったものが、現在は2幅の断簡となっているのがわかります。また湧き出した雲を見上げる人々の左には前栽があったことも模本によってわかります。断簡では、その部分は失われているのですが、丁寧に修理されたことも理解できるでしょう。
「狭衣物語」に親しんだ人々は、この断簡をみたときに、「ああ、この場面は狭衣が天国へ誘われる場面だ」と理解できるでしょう。現存する「狭衣物語絵巻断簡」の諸場面は、物語のはじまりの部分(巻一)です。今は失われてしまったこれに続くシーンを人々は、頭のなかで想像して、往時の絵巻に思いを馳せるのです。確かに戦乱や災害などで、多くの文化財は失われています。その歴史のなかで「断簡」という形態によってその一部が保存され、未来へ大切に受け継がれていきます。そして失われた部分も人々の心のなかで、悲哀を秘めた物語(ドラマ)とともにしっかりと語り継がれていくのです。
カテゴリ:研究員のイチオシ
| 記事URL |
posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2013年07月26日 (金)