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1089ブログ

「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝」は古代バクトリアを知る展覧会

特別展「黄金のアフガニスタン―守りぬかれたシルクロードの秘宝」がスタートしました!連日の展示作業を振り返って感じることが2つあります。
とにかくもの(展示品)がいい!ということ。
そして、なんといっても黄金に囲まれた至福の時間であった・・・ということです(金とはまったく無縁の僕は、研究員になっていなかったら、こんなにも金製品に触れる機会はなかったと思います)。

さて、アフガニスタンの古代美術といえば、仏教関係の遺跡や遺物をイメージする方が多いのではないでしょうか。
会場では平山郁夫氏が描いた在りし日のバーミヤーン大仏のスケッチをご覧いただけます。


ヒンドゥクッシュ山脈海抜二六〇〇メートル バーミアン石窟大石仏 アフガニスタン  
平山郁夫画 1997年 平山郁夫シルクロード美術館蔵

バーミヤーンの大仏や、仏像を生み出したガンダーラ美術は日本でもよく知られており、これらを主題にした展覧会は幾度となく開催されてきました。それに対して、今回の特別展は仏教以前のアフガニスタンを、初めて、そして大々的に紹介するものです。

仏教以前のアフガニスタンにはどんな文化があったのでしょうか?
今回の展覧会の中心は、アフガニスタン北部にある4つの遺跡で発掘された出土品です。その大部分は前3世紀~紀元後1世紀頃の遺物です。この頃、この地域はバクトリアと呼ばれていました。日本の弥生時代に並行する時代です。

紀元前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征を敢行し、その版図はインダス河畔にまで及びました。バクトリアにもギリシア人が移住し、ギリシア都市が建設されるようになります。その結果、ギリシア文化の影響を色濃く反映しつつ、周辺地域の文化を融合させた独特の文明が栄えます。これが仏教以前のアフガニスタン、古代バクトリアの姿です。本展覧会ではバクトリアの文明を象徴する出土物が来日しているのです。

今回のブログでは、バクトリアとギリシア文化との関わりの出発点ともいえる展示品をいくつか紹介しましょう。2章で紹介されているアイ・ハヌムは、アレクサンドロス大王の遠征のあとに建設されたギリシア都市の遺跡。3世紀中頃からグレコ・バクトリア王国の中心都市として栄えました。

 
コリント式柱頭 前145年以前      瓦の端飾 前3世紀

宮殿などの建造物では、中庭に面した回廊やエントランスにギリシア様式の柱が立ち並び、屋根にもギリシア様式の瓦の端飾が並んでいました。目につく場所にギリシア風の装飾を意図的に配していたと考えられます。
また、宮殿の「宝物庫」で出土した銘文から、都市の行政の公用語がギリシア語だったことが分かります。



銘文付アンフォラ断片 前145年頃
(印の部分に掻き消された文字が残る)

「宝物庫」で出土したこの壺には、銀貨が納められていたことを示す銘文が記されています。もともとは地中海地域、おそらくロードス島から輸出されたワイン壺でした。当時のギリシア世界にはロードス島産のワインが広く流通していたことが知られています。よく見ると、表面を引っ掻いて文字を消した痕が残っています。内容物が変わるたびに書き直していたのでしょうか。アイ・ハヌムの役人たちがギリシア世界とのつながりを感じさせるこの壺を愛用していた様子が伝わってきます。

アイ・ハヌムでは劇場や体育場など、ギリシア都市に共通して見られる施設が発掘されています。市民たちは、劇場でギリシアの悲劇や喜劇に親しみ、体育場で自由な時間を過ごすなど、「ギリシア人」らしい暮らしをしていたと考えられます。バクトリアにギリシア文化が根づいたのは、このような都市の繁栄があったからに他なりません。


グレコ・バクトリア王国が前145年頃に滅びると、バクトリアは周辺の遊牧系部族が侵入する混乱期に入ります。ティリヤ・テペでは、この頃に勢力を拡大した遊牧民の王族の墓が発掘され、おびただしい数の黄金製品が出土しました。これらは第3章で展示しています。


4号墓出土の黄金製品 1世紀


その後、1世紀から3世紀にかけて、バクトリアはクシャーン王朝の支配下に入ります。4章で紹介するベグラムでは、この時期に活発化したシルクロード交易によってもたらされた東西の宝物が発掘されました。


ローマ帝国から伝わったガラス器 1世紀

ティリヤ・テペやべグラムの出土物にも、ギリシアの神々やギリシア神話を題材にした作品が多く含まれています。展示室ではバクトリアに根づいたギリシア文化を実感できるのではないでしょうか。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(東洋室研究員) at 2016年04月23日 (土)

 

黒田清輝の気になる作品《七面鳥》

黒田は人物画や風景画、あるいは庭の草花を描いた作品などを多くのこしていますが、動物画、それも油彩のものとなると、実は数えるほどしかありません。

フランス留学中の写生帖には、羊や牛、馬やガチョウなどのスケッチがしばしば登場しますが、油彩作品としては《七面鳥》が挙げられる程度。《田舎家》や《羊を抱く少女》、はたまた《豚屋》などにも動物は描かれていますが、それらはあくまで添え物的な扱いです。

そう考えると、スケッチ的な絵ではありますが、この《七面鳥》がとても異質な作品に思えてこないでしょうか。


 七面鳥 黒田清輝 1891~92年(明治24~25) 東京国立博物館蔵

片足立ちしてポーズをきめ、どこか憂いを含んだ表情など、なんとなく七面鳥ばなれしています。さらに会場でご覧になった方はお気付きかもしれませんが、この《七面鳥》、一緒に並んでいる《豚屋》や《羊を抱く少女》に比べると、やたらと立派な額に収められているんです。この額を選んだのが黒田自身であったのかどうかはわかりませんが、どうしたってなにか特別な絵なのかな?と思ってしまいます。


左隣に展示された《豚屋》と比べると額の豪華さがわかります(会場風景)


この作品でもっとも気になるのが、無背景だということ。とはいえ、黒田は決してカンヴァスを単色で塗りつぶしたりしているわけではありません。緑や青、黄色に赤など、七面鳥を描くのに使った色と同じ系統の色をパステルトーンで施しています。

 それにしても、室内や風景などの具体的な背景を描かずに、こうした抽象的な背景を施すというのは、肖像画などの単独人物像に多く見られる手法です。帰国後の1897(明治30)年に描かれた《犬》という作品では、犬が寝そべる日陰のくさむらがきちんと描き込まれていますが、この七面鳥はどこにいるのか、外にいるのか、あるいは鳥小屋の中にいるのかまったくわかりません。


犬 黒田清輝 1897年(明治30) 東京国立博物館蔵 ※黒田展には出品されていません 

 
もしかしたら、と考えられるのが、日本画との関係です。たとえば有名な尾形光琳の《風神雷神図屏風》には、金箔の押された無背景な画面に、風神と雷神のみが描かれています。こうした余白を生かした構図は日本画の大きな特徴のひとつですが、幼い頃に狩野派の画家・樋口探月について日本画の初歩を学んでいる黒田も当然、こうしたことはよく知っていたでしょう。

 
重要文化財 風神雷神図屏風  尾形光琳筆  江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵 ※展示は未定です

 
また、フランスで黒田が師事したラファエル・コランは大の日本好きで、錦絵や陶磁器をコレクションしていました。さらに《画室の一隅》や《画室にての久米桂一郎》には、日本の屏風が描き込まれています。留学中、黒田はフランスという日本から遠く離れた国にいながら、その傍らには日本の美術品があったことがわかります。  


画室の一隅(いちぐう) 黒田清輝 1889年(明治22) 東京国立博物館蔵
画面右側に屏風が見えます

《机による女》で黒田が日本の屏風と西洋の女性を一緒に描いているように、なにげなく描かれているように見えるこの《七面鳥》も、もしかすると、意識的にか無意識的にか、こうした黒田の日本人的な感覚が顔をのぞかせた作品だったのかもしれません。


机による女 黒田清輝 1890年(明治23)頃 東京国立博物館蔵
女性の後ろに「扇柄」の屏風が描かれています

ご紹介した《七面鳥》は、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」(平成館、5月15日(日)まで)第1章に展示されています。会場で見つけてみてください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2016年度の特別展

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posted by 田所泰(東京文化財研究所) at 2016年04月22日 (金)

 

平成28年 新指定 国宝・重要文化財を展示します!

毎年恒例「新指定展」の季節がやってまいりました。
ゴールデンウィークのお楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。


平成28年は、新たに絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍からそれぞれ1件ずつ4件が国宝に、また、絵画8件、彫刻10件、工芸品5件、書跡・典籍3件、古文書5件、考古資料8件、歴史資料7件の計50件、さらに追加で5件が重要文化財に指定されることとなりました。

特集「平成28年 新指定 国宝・重要文化財」(2016年4月19日(火)~5月8日(日) 本館8室・11室)では、このうち52件を展示します(写真パネルのみの展示含む)。
※絵画、彫刻(4件)、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料、歴史資料は本館8室、その他彫刻9件は11室で展示します。
詳しくは、展示作品リストをご覧ください。
 

ここでは、国宝指定を受けた2件を中心に紹介いたします。

まずは当館所蔵、岩佐又兵衛筆「洛中洛外図屏風 舟木本」としておなじみの作品がこのたび国宝に指定されることになりました。
2013年に開催された特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」での展示やプロジェクションマッピングも記憶に新しいところでしょう。
当館では、それ以来の公開となります。

国宝 紙本金地著色洛中洛外図(舟木本)
国宝 紙本金地著色洛中洛外図(舟木本) 岩佐勝以(又兵衛)筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
※画像は右隻。上記作品の指定名称は当館での通常の展示名称と異なります


六曲一双の画面に京都市中の景観が描かれ、とくに人物の描写が生き生きと表現されているのが特徴です。当館での展覧会をはじめ、近年、洛中洛外図や岩佐勝以(又兵衛)に関する研究が進展し、文化史的、美術史的重要性が再認識され、国宝に指定の運びとなりました。


なお、トーハクWEBサイトでは、国宝指定決定記念として、人物や京の風俗をクローズアップしてご覧いただける「洛中洛外図 舟木本 あなたがいちばん見たいシーンは?」のアンコール投票を実施していますので、合わせてお楽しみください。



もう1件は、彫刻より、善春作「木造叡尊坐像」(奈良・西大寺蔵)です。


国宝 木造叡尊坐像
国宝  木造叡尊坐像(部分) 善春作 鎌倉時代・弘安3年(1280)奈良・西大寺蔵

叡尊は、興福寺学侶慶玄の子として誕生し、主に密教を学びました。34歳の頃、戒律復興の志を立て、荒廃していた西大寺を真言律宗の根本道場として復興させた人物です。
本像は弘安3年(1280)、叡尊が80歳の時に弟子達が造らせた肖像彫刻で、鎌倉肖像彫刻の傑作と評価されています。
作者である善春は興福寺所属の工房の仏師で、父善慶を継いで叡尊関係の造像を手掛けています。
また、納入品についても叡尊伝の基本史料『自誓受戒記』など種類の豊富さ、情報量の多さから、日本の像内納入品の遺例中、代表的な品ということで合わせて国宝指定となりました。

このほか国宝指定をうけた文化財は、「黒韋威胴丸 兜、大袖付」(奈良・春日大社蔵)、「称名寺聖教 金沢文庫文書」(神奈川・称名寺蔵)です。


トーハク所蔵品からは「臨時全国宝物調査関係資料」も重要文化財指定を受けました。本館15室「歴史の記録」で展示される機会もあるので、目にしたこともあるかもしれません。

こちらは明治21年(1888)に宮内省内に設置された臨時全国宝物取調局等が実施した全国に所在する宝物類の調査事業に関係する、5359点にものぼる資料群です。日本美術史の形成過程や、今日の文化財保護行政の揺籃期の歴史を知る上での学術価値が評価されました。

臨時全国宝物取調写真
重要文化財「臨時全国宝物調査関係資料」より
無著立像 興福寺 臨時全国宝物取調写真 小川一真撮影 明治21年(1888) 東京国立博物館蔵




歴史の生き証人として、受け継がれてきた貴重な文化財。
それぞれが持つ物語に思いを馳せながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

カテゴリ:news特集・特別公開

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2016年04月19日 (火)

 

上海博物館と東京国立博物館 2つの「汝窯青磁盤」

現在、東洋館5室にて特集「中国陶磁の技と美」(~5月15日(日))を開催しております。
この展示は、陶磁研究の第一線を歩んでこられた大先輩、町田市立博物館の矢島律子さんの発案からなる「中国陶磁みてあるき2016」と題した企画の一環で、東京都内で同時期に開催されている下記3つの中国陶磁名品展と連携してひらかれているものです。

五島美術館「中国の陶芸」(3月27日(日)にて終了)
町田市立博物館「常盤山文庫と町田市立博物館が語る―中国陶磁うつくし―」(5月8日(日)まで)
松岡美術館「松岡コレクション 中国陶磁 漢から唐まで」(4月16日(土)まで)
「松岡コレクション 中国陶磁 宋から元まで」(4月26日(火)~9月24日(土)まで)

五島美術館 重要文化財 五彩透彫水注 常盤山文庫 米色青磁瓶
左:重要文化財 五彩透彫水注 明時代・16世紀 五島美術館蔵
右:米色青磁瓶 南宋時代・12~13世紀 常盤山文庫蔵(町田市立博物館で展示中)


町田市立博物館 加彩仕女 松岡美術館 白釉黒花牡丹文瓶
左:加彩仕女(部分) 前漢時代・前3~2世紀 町田市立博物館蔵
右:白釉黒花牡丹文瓶 金時代・12世紀 松岡美術館蔵(2016年4月26日(火)より展示予定)


矢島さんからのお話を受けて、当館でもぜひ中国陶磁をお楽しみいただこうとこの特集を企画していたところ、昨年博物館に大きなニュースが2つも舞い込んできました。

1つ目のニュースは、今年、上海博物館から贅沢にも1年もの長きにわたって名品をお借りできることです!
総件数は55件、もちろん陶磁器もあり、4月から東洋館展示室にぞくぞく登場します。そして今秋の「博物館でアジアの旅」では、「上海博物館との競演」と題し、名品を一斉にお披露目する予定です。

そして2つ目のビックニュースは、なんと東京国立博物館に北宋の名窯「汝窯」の作品が寄贈されることになったことです!!


青磁盤 東京国立博物館蔵(香取國臣・芳子氏寄贈)
青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 東京国立博物館蔵(香取國臣・芳子氏寄贈)
2年前、特別展「
台北 國立故宮博物院―神品至宝」にあわせて、東洋館で開催した特集「日本人が愛した官窯青磁」にご出品いただいた、あの汝窯青磁盤です。

汝窯といえば、北宋の宮廷がつくらせたと伝わるもので、世界的にも稀少な中国陶磁として知られています。
その生産期間は北宋の末のごく短いものであり、文献によると民間に流れたものもあったようですが、南宋時代にはすでにそれらも手にすることが大変困難になっていたようです。
「雨後の空の色」、明るく陽が差しはじめたけれども、うっすらとまだ雲がかかっている。その雲間にのぞいた晴れやかな天空の色がまさに中国人が青磁の理想とする色であったと考えられています。

というわけで、4月12日(火)より東洋館5室では上海博物館と東京国立博物館の2つの汝窯盤をならべて展示しております!

青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 上海博物館蔵
青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 上海博物館蔵

この2つの汝窯盤はまるで双子のように似ています。釉調は神秘的な青色。総釉で底には汝窯に特徴的な小さな針目跡が残っています。ともに薄くととのった形で、清の乾隆帝に見いだされた台北故宮の所蔵品にも見劣りしません。

上海博物館所蔵品は、清朝末期の文人として知られる呉大澂のコレクションであったと伝わります。一方、1950年代初頭に日本で偶然に発見された東京国立博物館所蔵品の汝窯盤は、その後文豪川端康成が愛蔵したことでも知られています。呉大澂と川端康成、中国と日本の知者、粋人の眼にかなったという点でもこの2つの盤には何か因縁のようなものを感じます。


今春より東洋館で展示される上海博物館所蔵品を1089ブログでも随時ご紹介する予定です。どうぞお楽しみに!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 三笠景子(東洋室研究員) at 2016年04月15日 (金)

 

黄金の光に包まれた裸体

重要文化財《智・感・情》は、1900年のパリ万博に出品した5件のうちの1件。 黒田清輝、珠玉の代表作です。


重要文化財 智・感・情  黒田清輝 1899年(明治32) 東京国立博物館蔵

この作品に関しては、そのタイトルが意味するところや、三人の女性がとる不可思議なポーズについて、発表当時からさまざまに議論されてきましたが、制作の経緯などを示す下絵もないので、はっきりとしたことがわかっておらず、その明確な回答はいまだ出されていません。いわば「謎」の絵です。

師ラファエル・コランや当時のフランス近代絵画の作品に倣った作品が多い黒田の作品のなかで、この《智・感・情》は異彩を放っています。金箔地で無背景の「裸体像」としても異色といえるでしょう。

 
よく見ると金色が残っています

当時の日本人女性の平均的なプロポーションは六頭身であったそうですが、人体の美の理想として七頭身半で描いています。黒田はこの神秘的な裸体像で世界に日本の油画を問うたのです。万博で銀牌(その上に金牌、大賞牌があります)を受賞しますが、コランには不評でした。万博後に黒田は《智・感・情》をアトリエに保管したまま世を去ります。当時の評価に黒田は満足していなかったのかも知れません。

展示室では金糸を用いた壁紙を背に、《智・感・情》の画面を美しく照らし出す照明と、壁面を広範に照らす照明の二種類を重ね合わせています。画面の金箔地と金色の額縁、そして壁紙が黄金の光を放つことで、まるで教会や寺院で祈りを捧げる祭壇画や仏画でみる女神のように、日本人女性の裸体が浮かび上がっています。


黄金の光に包まれた《智・感・情》(会場風景)

ぜひ「生誕150年 黒田清輝」展会場で確かめてみて下さい。

 

 ※なお、この展示照明は科研費25282078「中世から近代における日本絵画の受容環境の復元的考察」(代表:松嶋雅人)による助成を受けた研究成果です。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ絵画2016年度の特別展

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posted by 松嶋雅人(平常展調整室長) at 2016年04月13日 (水)