日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」報道発表会実施!
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)、当館平成館にて日中文化交流協定締結40周年記念
特別展「三国志」を開催します。
2月20日(水)に本展の報道発表会を行いました。
まずは当館副館長の井上洋一よりご挨拶いたしました。
当館副館長 井上洋一
2世紀末、漢王朝の権威がかげりをみせるなか、各地の有力武将が次々に歴史の表舞台へと躍り出ました。
中でも、曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)、孫堅・孫権(そんけん・そんけん)父子が台頭し、魏、蜀、呉の天下三分の形勢が定まり三国時代が幕を開けたのです。
魏、蜀、呉の動向は歴史書や小説に記され長く人々の親しむところとなりました。
そして近年、三国志をめぐる研究は曹操を葬った墓-曹操高陵(そうそうこうりょう)の発掘など重要な考古成果が相次いだことで新たな局面を迎えました。
それらは実物ならではの説得力と、歴史書や物語をしのぐ迫力を有しています。
本展は、「リアル三国志」を合言葉に、漢から三国の時代の文物を最新の研究成果によって読み解きます。
三国志勢力図
本展の見どころについて担当研究員の市元塁より解説いたしました。
【みどころ1】
必見!最新の発掘成果が解き明かす三国志の実像
三国志研究史上、最大の発見で、海外初出品となる河南省の曹操高陵出土品や、呉の皇族クラスの墓と目される江蘇(こうそ)省の上坊(じょうぼう)1号墓など、最新の発掘成果が目白押しです。三国志の実像に迫ります。
金製獣文帯金具(きんせいじゅうもんおびかなぐ)
金、貴石象嵌 後漢時代・2世紀 2009年、安徽省寿県寿春鎮古墓出土 寿県博物館蔵
体躯をくねらせた瑞獣(ずいじゅう)を立体的にあしらい、随所に貴石を象嵌し、金粒細工を施しています。魏の文帝(ぶんてい)もこうした豪奢な金具をつけた帯を欲しましたが、すでに作り手は絶えていたといいます。
揺銭樹台座(ようせんじゅだいざ)
土器 後漢時代~三国時代(蜀)・3世紀 2012年、重慶市林口墓地2号墓出土 重慶市文化遺産研究院蔵
富裕層の墓に置いた揺銭樹=「金のなる木」の台座です。
貨客船(かきゃくせん)
土器 後漢~三国時代(呉)・3世紀 2010年、広西壮族自治区貴港市梁君垌14号墓出土 広西文物保護与考古研究所蔵
漢から三国時代にかけて、呉の沿岸部の墓では船型模型が集中的に出土します。対外交易がさかんだった海洋国家・呉ならではの文物です。
【みどころ2】
潜入!曹操高陵!
2009年、河南省安陽市で曹操を葬った墓-曹操高陵を発見。その知らせは国内外の学者たちの注目を集め、現在も調査研究が続いています。
本展では、この曹操高陵の実像に迫ります。
石牌「魏武王常所用挌虎大戟」(せきはい「ぎのぶおうつねにもちいるところのかくこだいげき」)
石 後漢~三国時代(魏)・3世紀 2009年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵
「魏の武王」は曹操を指します。これにより発掘された墓が曹操高陵であることの決め手となりました。
罐(かん)
白磁 後漢~三国時代(魏)・3世紀 2009年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵
中国磁器文化の礎ともいうべき白磁は、従来、6世紀末頃出現すると考えられてきましたが、
本品はこれを300年以上さかのぼります。
※白磁についてはこちらのブログをご覧ください。
【みどころ3】
競演!さまざまな三国志との夢のコラボレーション!
小説やマンガ、ゲーム、人形劇など幅広いジャンルで世代を超えて親しまれている三国志。
本展覧会では、コーエーテクモゲームスのゲームや、横山光輝さんの漫画、川本喜八郎さんの人形劇をはじめとする様々な三国志とのコラボレーションを予定しています。
今回の報道発表会には、NHK「人形劇 三国志」で実際に使用された、川本喜八郎さん作の曹操の人形に、長野県・飯田市川本喜八郎人形美術館よりはるばるご来場いただきました。
放送から35年経つ現在でも、とても繊細かつ豊かな表情に作られていることが、よく分かります。
NHK「人形劇 三国志」の人形は、本展会期中に展示室内で数体展示される予定です。
NHK「人形劇 三国志」より 曹操
飯田市川本喜八郎人形美術館蔵 (c)有限会社川本プロダクション
このほか、三国時代に使われていた武器ややきもの、壁画など貴重な文物が一同に会します。
2019年夏、いざ、リアル三国志へ参らん!
どうぞ、お楽しみに。
なお、本展は、2019年10月1日(火)から2020年1月5日(日)まで、九州国立博物館でも開催いたします。
【おまけ】
期間限定の、お得な早割「3594(さんごくし)」3 枚セット前売券を、3月9日(土)から4月8日(月)まで期間限定で発売いたします。
詳しくは本展公式サイトをご覧ください。
3枚つづりで3,594円!
三国志ファンよ、本展覧会に集まれ!
カテゴリ:2019年度の特別展
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posted by 長谷川 悠(広報室) at 2019年02月27日 (水)
平常展調整室の三笠です。
現在、東洋館5室にて特集「白磁の誕生と展開」(~4月21日(日))を開催中です。
これに関連して、1月12日(土)に展示企画・出品のご協力をいただきました常盤山文庫の佐藤サアラ氏(当館客員研究員)をお招きして、月例講演会を行ないました。
まだ新年明けて間もなく、とても寒い日だったにもかかわらず、沢山のお客様にお運びいただき、盛況な会となりました。ありがとうございました。
佐藤サアラ氏講演風景
ここで、「白磁」についておさらいをしておきましょう。
白磁とは、胎土(化粧をする場合もある)に灰を主成分とする釉をかけて高火度で焼きあげてできる白いやきものです。
美しく清潔で、しかも堅牢な白磁は、いまや世界中でひろく使用される器。
それは中国で生まれ、中国から世界へ広まったものです。
では、その始まりはどのような姿だったのでしょうか?
この問題にとり組んだ本特集は、佐藤氏のご研究に基づいています。
画期的な成果は、“白磁の始まり”に位置づけられる隋~初唐の資料を中国古墓発掘報告に基づき整理した結果、たとえば横河コレクションの「白磁杯」(TG-646)のように、かつて「唐白磁」と考えられた一部の作品の制作年代がさかのぼるなど、短命王朝であった隋とそれに続く初唐までの100年余のあいだに現れた白磁の初期的様相が把握できるようになったことです。
白磁杯 隋・7世紀 東京国立博物館 横河民輔氏寄贈
この作品は陶磁研究家の小山冨士夫(1900~75)も愛した逸品。薄づくりで精緻な形に魅了されます。今回の研究で、この形式の杯が隋末のごく限られた時期の、ごく限られた地域でしか出土していないことがわかりました。
白磁天鶏壺 隋・6~7世紀 常盤山文庫
4世紀頃、江南において青磁でつくられていたいわゆる天鶏壺ですが、隋になって華北地方において白磁でつくられるようになります。不思議な形をしたこの器の用途は、いまのところよくわかっていません。釉の青みが強く、青磁とも見える作例です。つまり、灰を主成分とする釉がかかった高火度焼成の青磁の土や釉から不純物を取り除くと白磁ができる。白磁が青磁生産の流れのなかで始まったことを教えてくれます。
重要文化財 白磁鳳首瓶 初唐・7世紀 TG-645 横河民輔氏寄贈
同上 蓋を外した姿
トーハク中国陶磁コレクションの顔ともいうべき名品。ガラスを写したのか、金属器を写したのか、はっきりとした祖形は現在のところ見いだせていません。その形の特殊性をじっくりとご覧いただくために、今回はあえて蓋を外して展示しています。
なぜ、隋において白磁がつくられたのか、その具体的な生産動機はよくわかっていません。しかし、隋の貴人墓の副葬品をみると「白」を強く志向している様子がみとめられます。
隋・開皇15年(595)没 河南省安陽張盛墓出土品(2009年河南省博物院にて筆者撮影)
ご記憶の方も多いと思いますが、一部が2010年の特別展「誕生!中国文明」に出品されました。なかには釉のかかっていない土製のものもありますが、俑やミニチュアの明器など多くが白磁でした。
このような不思議な隋~初唐の白磁はその後どのように姿を変えていったのでしょうか。
そして、白磁はその後どのように中国から世界へ羽ばたいていったのでしょうか。
つづきは、東洋館5室「中国の陶磁」のコーナーも合わせて、展示室でぜひご覧ください!
もっと詳しく知りたいという方は、常盤山文庫発行の『常盤山文庫中国陶磁研究会 会報7 初期白磁』をオススメいたします(東洋館ミュージアムショップで販売中)。
これであなたも白磁の世界にどっぷり浸かることができます。
ところで。
先日、今夏に東博で開催予定の特別展「三国志」(2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝))の報道発表が行われました。
日本でも大人気の三国志。
登場人物のなかでも欠かすことのできない英傑、曹操(155~220)の墓が近年河南省安陽で発見され、その副葬品に含まれていた「世界最古?」の白磁罐がやってくる、と大きなニュースになったことは皆さまのご記憶にも新しいところではないでしょうか。
え?世界最古?
三国時代の白磁?
うそでしょー、
あの写真、白く見えないし。
と思った方もたくさんいらっしゃったはず。
我々トーハクのスタッフのあいだでも、当初疑問の声が上がりました。
2016年に刊行された発掘報告書でも白磁(白瓷)とされていたものですが、昨年末に河南省文物考古研究院において調査を実施し、灰を主成分とする釉をかけて高火度で焼きあげた白いやきもの、つまり白磁であることを確認しました。
2018年12月の調査風景(河南省文物考古研究院にて潘偉斌先生、陳彦堂先生、市元研究員と)
この罐が3世紀頃につくられたであろうことは、当時普及していた耳付罐との器形の類似性からうかがうことができ、青磁を生産する技術に基づいて突発的に白磁ができても不思議ではないのですが、「三国時代に白磁が始まった」という確証には至っていません。
曹操が白いやきものを愛し、つくらせたのか…? と想像は膨らみますが、そうした背景を決定づけるものが魏の貴人墓からまだ見つかっていないうえ、これに続く三国時代以降の白磁は6世紀まで確認されていないのです。
曹操墓出土品の白磁罐は、まだ多くの謎に包まれています。
今後、三国時代の古墓の発掘がさらに進み、関連資料の発見が望まれるところです。
というわけで、夏を楽しみに待ちながら、まずは東洋館で白磁の誕生と展開について一緒に予習いたしましょう!
カテゴリ:特集・特別公開、2019年度の特別展
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posted by 三笠景子(平常展調整室主任研究員) at 2019年02月26日 (火)
こんにちは。
本館特別1室・特別2室で開催中の特集「上杉家伝来の能面・能装束」はご覧いただけましたか?
担当しました川岸です。
トーハクのある職員に、どうして能面の解説には「表現が形式化している」「迫力がない」などネガティブなことを書くのか、と聞かれたことがあります。
確かに、欠点をさがしている意地悪な解説に思えるかもしれませんね。
でも、じつはこれがとっても大切なポイントなんです。
能面には古い能面の特徴を、傷なども含めて写し取るという「写し」の文化があります。
きっと大名たちが欲しがったのでしょう。有名な能面はたくさんの写しが作られ、各地に伝来しています。
ところが似せようとした結果なのか、写しを写したためか、あるいはそのほうが使いやすいためか、元の能面にはあった自然な表情、彫りの鋭さなどの独創性が失われてしまうことが少なくありません。
その結果、形式化したり、迫力がかけたりしてしまうのです。
能面の系譜や作られた経緯、時代、作者などを考えるには重要なことで、ネガティブな解説もただ悪口を言っているのではないのです。
ということを踏まえたうえで、今日は上杉家伝来の能面と、東京国立博物館所蔵のほかの能面を比べることで見えることについてご紹介したいと思います。
まずはこちらのふたつの能面をご覧ください。
能面 天神 「福来作」銘 上杉家伝来 江戸時代・18世紀 (特集「上杉家伝来の能面・能装束」で展示中)
能面 天神 「出目洞水」焼印 江戸時代・17世紀 (こちらは展示していません)
どちらも菅原道真役、神の役などに用いる天神面。
顔かたち、耳の表現… よく似ていると思いませんか?
上が上杉家伝来の面で、裏に室町時代の面打(能面作家)福来の作だと書かれています。しかしこの銘は後世のものと思われます。同じ筆跡の銘がある能面が上杉家にはいくつかあるので、おそらく上杉家の所蔵となった後に書き加えられたのでしょう。
一方、下の裏には江戸時代中期の面打「出目洞水」の焼印があります。
多くの天神を作る中で、省略したり強調したりすべき点を整理した「型」があって、それに基づいて作られたように見えます。
作者は同じか、近い人物なのかもしれません。
一方、こちらの天神面はどうでしょうか。
重要文化財 能面 大天神 金春家伝来 室町時代・15世紀 (こちらは展示していません)
金春家に伝来した大天神。室町時代15世紀の作
上杉家伝来の能面とは似ていませんね。
同じ天神の面でも異なる系統のものがあることがわかります。
頬の盛り上がり、眉間の皺など、今にも動き出しそうな、触ったら柔らかいかもしれないと思わせるような表現で、耳の彫り方もよりリアル。
「型」をもとに作ったのではなく、「型」ができる前の自由な造形に見えます。
この金春家伝来面と比べると、上杉家伝来面、洞水の焼印のある面は、室町時代の作とは言い難いのです。
こんな風に比べながら、考えながら、能面と向き合っています。
この特集でご覧いただいただけるのは能面だけではありません。
展示室でも目を引く豪華な金唐織は、4代藩主綱憲、8代藩主重定が誂えさせたのでしょう。
彼らはそれぞれに能に傾倒して財を投じ、それは藩の財政を悪化させる一因でもあったといいます。
困窮する米沢藩。その裏で藩主たちが収集し、大切に受け継いできた能面・能装束。
じっくり見てみると、比べてみるとわかることがまだまだあります。
ぜひ展示室で向き合ってみてください。皆さんにはどんな風に見えるでしょうか。
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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2019年02月16日 (土)
世界の国からこんにちは―北米・欧州ミュージアム日本美術専門家連携・交流事業レポート
調査研究課の今井です。去る1月15日から19日まで開催された「北米・欧州ミュージアム日本美術専門家連携・交流事業」をレポートします。
当事業はアメリカ、カナダおよびヨーロッパのミュージアムの日本美術専門家を日本にお招きし、各館が抱える課題の共有と情報交換、そして人的ネットワークの構築を目的とするもので、今年で5回目になります。
初日は東京国立博物館にてまず、反物に見立てた細長い和紙をきものの形に仕立て、きものの構造を学ぶワークショップ、そしてきものの畳み方、桐箱の扱い方の実習をしたのち、東京文化財研究所にて同研究所の歴史と役割について学びました。
2日目と3日目は、金沢へエクスカーションです。
石川県立美術館の文化財修理所の見学、金沢能楽美術館での能楽体験、加賀友禅の工房の見学など盛りだくさんです。
もちろん兼六園も訪れました。
4日目は再び東京に戻り、国際シンポジウム「世界の中の日本美術―オリエンタリズム・オクシデンタリズムを超えた日本理解―」です。
ずいぶん難解なテーマですね(私が考えたのですが)。
平たく言えば、誤解や偏見、あるいは単なる自己賛美に陥らずに、どのように日本美術を伝えるかということです。
海外から4名、そして私が発表し、パネルディスカッションが行われました。
内容は大変刺激的なものでした。
たとえば、「トランスカルチャー研究」という概念が提示されました。
これは、従来形の異文化研究「インターカルチャー」では、異文化間の勢力の構図を克服できないという反省にたち、異文化との遭遇を通して対話と解釈を継続的に行うことにより、複数の文化の間で共有される経験と価値観に着目する視点です。
最終日は専門家会議とフィードバックセッションです。
午前中の専門家会議では、外国人来館者の増加に対応するための多言語での解説パネルのあり方などについて討議されました。
午後のフィードバックセッションでは、「もっと多くの人に発言の機会を与えるべきだ」「アジアのミュージアムの代表も加えるべきだ」といった、前向きの発言が多く聞かれました。
本事業の参加者の間で、所蔵する日本美術作品の共同調査の計画もさっそく持ち上がっていると聞いています。
国外の日本美術研究者との交流が深まり、また日本人自身が日本美術について深く考える機会となった有意義な5日間でした。
カテゴリ:news
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posted by 今井敦(調査研究課長) at 2019年02月15日 (金)
着物を着かえて 帯しめて
今日は私も 晴れ姿
春の弥生の このよき日
なにより嬉しい ひな祭り
都内は寒さ厳しい日々が続いておりますが、トーハクでは一足早く恒例の特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室、~2019年3月17日(日))が始まりました。
おひなさまやその御道具を眺める心地は、華やかで楽しいものですが、トーハクでお人形を担当する私としては、毎年展示に苦労する季節でもあります。
企画展示の陳列作業は、だいたい午前中に撤収があり、午後から新しい展示の陳列作業が行われます。
こまごました人形や御道具は、どれも一つ一つ丁寧に包んで収蔵庫に納められていますが、午後の1時から陳列をはじめて、休憩を入れつつ5時には空箱の返却も含め全ての作業が終了していなければなりません。
とても壊れやすい作品を安全に扱いつつ、時間内に終えることができるのか・・・。陳列に携わるスタッフ一同の大変な思いは、おひなさまを展示している全国の美術館・博物館において、担当者共通の思いでしょう。
さて、こうして出来上がった今年の展示は、江戸を代表する金物商であった三谷家(みたにけ)伝来の雛飾りを中心として、御所人形の名品も一堂に集めました。
三谷家の雛飾りの中心は、豪華な御殿に収められた雛人形。牙首雛(げくびびな)というもので、頭部をはじめ、手足など肌を表す部分を象牙で作っています。全国的にも類例が少ないなかで、特にその代表作と言える貴重なお人形です。
牙首雛(内裏雛) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
この牙首雛の表情は雛人形には珍しいほど個性的。特に仕丁(しちょう)という役目で庭を掃除しているお爺さんは、顔のシワや手の指の節だった様子などが、わずか身長10センチ程のなかで精緻に表現されており、驚異的とも言える出来映えです。
牙首雛(仕丁) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
お雛さまの御殿は、京都御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)に倣った造り。
正面の軒下には「紫震殿」の額が掲げられています(「震」の字を使ったのは天皇の住まいを指す「宸」の字に遠慮したからでしょうか)。
紫宸殿(雛用御殿) 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
江戸時代、京都を中心に関西地方ではこうした紫宸殿に倣う雛御殿が飾られていましたが、江戸の地においては、飾ること自体遠慮されるものだったようです。
それというのも、高価な雛道具が競って作られた江戸後期、安永八年(1779年)に日本橋の十軒店(じっけんだな)に店を開いて以来、江戸一番の売れっ子職人だった初代・原舟月(はら しゅうげつ)は見せしめの意味もあったのか捕らえられ、江戸の地から追放されます。
その時の罪状の一つが紫宸殿に倣った御殿を作ったのが不敬にあたるというものでした。
本質的には関西の雛御殿に倣った飾りを江戸でも売り出したというだけの話で、全くの言い掛かりですが、その後江戸では紫宸殿型の雛御殿は見られないようになります。
しかし、三谷家の雛飾りにあっては、堂々と御殿に「紫震殿」と掲げられています。そこには三谷家の持った社会的力の強さが表れているのではないでしょうか。
展示室中央の独立ケースには、三谷家伝来の紫檀象牙細工蒔絵雛道具(したんぞうげざいくまきえひなどうぐ)を展示しています。高価な材料を駆使して緻密に造り上げた作品であり、トーハクの雛人形コレクションを代表する雛道具です。
紫檀象牙細工蒔絵雛道具 江戸時代・嘉永3年(1850)頃 三谷てい氏寄贈
金物を表す部分は象牙で出来ているのですが、長持の四隅の部分など、丸みのある形に添うようピシッと収められており、さすがの出来映えと感心します。
今回は箪笥の扉を開いた状態で展示しましたので、中の引き出しに施された蒔絵にもご注目ください。そこには婚礼を象徴するは蝶々が舞い遊ぶという華やかさで、粋な遊び心を見ることができます。
また今回は、日本の人形文化を代表する作品として、御所人形(ごしょにんぎょう)を展示しました。
御所人形は京都の御所を中心として、公家(くげ)や大名家(だいみょうけ)などの間で好まれた人形です。宮中では、ご下賜(かし)をはじめとした贈答に用いられたため、お土産人形とも呼ばれています。まるまると肥えた男の幼児を表しており、胡粉(ごふん)を塗って作られた肌は白く艶やかに輝いています。
枕草子に「ちごどもなどは、肥えたるよし」とあるように、健康的に育つ赤ん坊の姿はめでたさに溢れています。こうした吉祥性を高めるため、御所人形にはさまざまな意味を持つ見立てが行われました。
その代表が能の見立てで、今回は「羽衣」に取材した天女の姿と思われる御所人形と、「鶴亀」の御所人形を展示しています。
どちらも高さが70センチ程もある超大型のお人形で、大名家の雛飾りなどでも、こうした人形が活躍しました。
御所人形 見立て鶴亀 江戸時代・19世紀
※この写真はトーハクにある九条館の床の間で撮影したものです。
「鶴亀」は、春を迎えた唐の宮廷で、皇帝の長寿を祈って鶴と亀が舞い踊り、これに感じ入った帝も踊りだすというお目出度い演目です。
見立て鶴亀の御所人形は、手足を動かしてポーズをとらせることが出来るので、今回の展示では、実際に踊っているような姿にしましたのでご注目ください。
日本は諸外国では全く例を見ないほど、人形制作を芸術に高める文化が発達しました。
本来子供の遊び相手である人形の制作に大変な手間隙をかけ、気品高く可愛さを表現してきた歴史は、今日国際的にも用いられる「カワイイ」という美的価値観の源流をなすものでしょう。
おひなさま巡りが盛んとなるこれからの季節、是非トーハクにも江戸時代の「カワイイ」に会いに来てください。
特集 おひなさまと日本の人形 本館 14室 2019年2月5日(火) ~ 2019年3月17日(日) |
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posted by 三田覚之(工芸室研究員) at 2019年02月13日 (水)