特別展「京都・南山城の仏像」。展覧会タイトルを見た人の「なんざんじょう?…」という反応が目に浮かびます。
山城は京都の古い呼び方、南はその南部。それでもピンとこないであろうから、「京都」をつけて、京都にかかわる仏像の展覧会であることがわかるようにしました。
南山城(みなみやましろ)は聞きなれませんが、そこにある浄瑠璃寺や岩船寺はよく知られたお寺です。海住山寺の十一面観音菩薩立像は美術全集に掲載されます。
とはいえ、馴染みのないお寺や仏像もあります。私は、出品作品中に見たことがなかったという仏像はありませんが、薬師寺、寿宝寺、松尾神社、現光寺、極楽寺には訪れたことがありません。
本展覧会は、交通の便が悪いため拝観の機会がない仏像を見ることができる、またとない機会です。そして、展覧会を見たら、仏像が本来置かれているお寺をぜひ訪れてください。素晴らしい風景がひろがります。
展覧会場には私にとって懐かしい仏像があります。禅定寺には十一面観音菩薩立像を含め多くの仏像があり、学生時代に仏像の勉強をする仲間と詳しく調査をさせていただきました。
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺
薬師寺の薬師如来像は京都府立山城郷土資料館に預けられていて、そこで調査をさせていただきました。
重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 京都・薬師寺
さて、そのような仏像のなかから、私の気になる像をご紹介します。
重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺
阿弥陀寺の薬師如来像は9世紀前半に製作された像で、一木造り、翻波式衣文(ほんぽしきえもん、丸みのある大きな襞としのぎ立った小さな襞を交互に配する、おもに平安時代前期に用いられた衣の表現)、異相の表情とその時代の仏像の特徴がそなわります。
同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像。右袖の翻波式衣文をご覧ください
同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像(近赤外線写真)。ヒゲが描かれています
しかしさらに、製作した工房の作品の特徴が表れている可能性があります。
その工房の特徴を指摘したのは、学生時代に禅定寺や薬師寺の仏像調査を一緒にした奥健夫氏(現武蔵野美術大学教授)です。
学生時代に執筆された「東寺伝聖僧文殊像をめぐって」(『美術史』第134号、美術史学会、1993年)という論文のなかで、京都・東寺の聖僧文殊像(しょうそうもんじゅぞう)、空海が造立に関わった同寺講堂の五大明王像、奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像(国宝)には共通した特徴があり、それと同じ特徴をもつ像がほかに複数あって、それらは同一の工房で製作された可能性があるとしました。
奥氏は、その工房については多くの作品を検討しなければならないので稿を改めるとされましたが、新しい論文はまだないようです。
平安時代前期は仏師や造仏工房に関する資料が少ないことから、仏師の暗黒時代ともいわれています。そこで、ぜひ論じていただきたいという期待をこめて、阿弥陀寺の薬師如来像がその工房で製作された可能性があるということを述べたいと思います。
工房の作品の特徴とされる表現を、奈良国立博物館の薬師如来像(〈注〉本展には展示されません)と比較しながら見てみましょう。
(1)寸がつまった体形をしています。
(左)重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺 (右)国宝 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 奈良国立博物館
(2)口元を引いています(奥氏は論文では工房の特徴にあげていません)。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(3)耳上部の輪郭線が折れ曲がるように耳の中心に向かい、その部分が平(たいら)です。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(4)低平な帯状の大波としのぎ立った小波を等間隔に重ねます。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(5)先端が茶杓形(ちゃしゃくがた)の衣の襞を、左右から対抗するように配置する衣文表現。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
奥氏はほかにも特徴を指摘しますが、それらは、阿弥陀寺の薬師如来像にはそなわっていません。
その理由は、阿弥陀寺の薬師如来像が奈良国立博物館の像よりも十年以上後につくられたためでしょう。時代が経つにつれ表現が変化したのです。そのことは変化しながらも同じ表現を長期間維持する工房が存在したことを示し、平安時代前期の造仏工房のありようがうかがえるのです。
このように、南山城には日本彫刻史研究にとっても貴重な仏像が伝わります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」にぜひお越しください。
(注)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像の画像はすべて出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
カテゴリ:研究員のイチオシ、彫刻、「京都・南山城の仏像」
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posted by 丸山士郎 at 2023年10月19日 (木)
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(10月11日(水)~12月3日(日))では、現在、四大絵巻を一同に展示していますが、ご覧いただけたでしょうか。
本展では、書の料紙装飾も「やまと絵」と比較しながらご紹介しています。室町時代・15世紀以降になると、連歌懐紙の料紙下絵が華やかに描かれるようになりました。
法楽歌仙連歌懐紙 初折
室町時代 応永30年(1423) 愛知・熱田神宮
展示期間:10月11日(水)~11月5日(日)
二紙を半期で展示します。二折は11月7日(火)~12月3日(日)まで展示します。
これは、応永30年(1423)11月13日に熱田神宮(愛知)で行われた法楽連歌を記した懐紙です。
本来はこれを横に半分に折って表と裏で見るものですので、下半分が天地逆に描かれています。上端と中ほどにそれぞれ金銀の揉み箔が撒かれていて、金銀泥などを使って下絵が施されています。
雲に少し隠れた金色の太陽と山と田舎屋、川で舟をこぐ人物も見えます。その先にある鳥居と松は神様を暗示していると考えられます。下半分には鶴と、笹が拡大して描かれています。この下絵は、以後に作られる連歌懐紙の下絵とは違い独特の雰囲気を持っています。
このあと16世紀に入ると連歌懐紙の下絵はおおらかな画風となります。
大原野千句連歌懐紙 第十帖
細川藤孝筆 室町時代 元亀2年(1571) 京都・勝持寺
展示期間:10月11日(水)~11月5日(日)
左側にいる蛙をさがしてみてください。
これは、元亀2年(1571)2月5日~7日、勝持寺(京都)で行われた千句連歌を、細川藤孝(幽斎、1534~1610)が清書した懐紙です。勝持寺は、現在も「花の寺」と呼ばれますが、「西行桜」をはじめ桜の名所として有名です。この千句連歌では、最初に「花」を詠む決まり事となっていたため、中央に桜が大きく描かれています。
この懐紙の下絵は、連歌で詠まれた内容に対応しています。そのため、「袖ふれて花の香とりの宮居哉(三大)」「藤なみこゆる露の玉垣(白)」「雨そそく池の蛙のうかひ出て(紹巴)」にあわせて、桜を中心に、右側に藤、鳥居と玉垣、伏籠、左側に雨と池から顔をのぞかす蛙が表されています。鳥居と玉垣は、勝持寺と歴史上深い関係にあった古社・大原野神社を示していると考えられます。
のびのびとした描線で楽し気にも見える下絵は、この時代の連歌懐紙の特徴ともいえます。それは、時代とともに変化した「やまと絵」の影響を受けているのではないでしょうか。
ぜひ、書の料紙下絵も注目して、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」をご覧ください。
カテゴリ:「やまと絵」
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posted by 惠美 千鶴子(客員研究員) at 2023年10月18日 (水)
現在、平成館企画展示室では特集「羽黒鏡―霊山に奉納された和鏡の美」(2023年11月19日まで)を開催しております。同じような大きさの円い鏡ばかりが並んでおりますが、そのみどころについて、1089ブログで2回に分けてご紹介したいと思います。
特集「羽黒鏡―霊山に奉納された和鏡の美」展示会場
「和服」、「和食」、「和室」、「和風」……、「和」は美称として頭に「大」をつけることもあり(「大和」)、「やまと」すなわち日本を指すことばとしてなじみのあるものです。現在当館で開催中の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」のタイトルにある「やまと絵」も、「大和絵」と記されることもあり、中国絵画の主題や様式を反映した「唐絵(からえ)」や「漢画」に対して、日本的な主題や様式を示す絵画に対して用いられてきたものです。
それでは一般の方にはちょっとなじみの薄い「和鏡」とは、一体どういったものでしょうか。
日本において前近代には鏡は銅(青銅)で作られるのが一般的で、顔を写す面とは反対の面(鏡背<きょうはい>)には様々な装飾が施されました。銅鏡は溶かした銅を型(かた)に入れて作る鋳物(いもの)なので、型に表した文様(もんよう)を鋳出(いだ)して装飾することがよく行われました。中国・漢の時代には幾何学的な文様や観念的な神仙世界の文様が好まれましたが、唐の時代になると、鳥や花といったモチーフが大きく生き生きと鏡背に表されるようになりました。和鏡のルーツはこの唐代の鏡(唐鏡<とうきょう>)に求められます。
唐の鏡は飛鳥から奈良時代に、遣唐使によって日本にもたらされました。奈良にある興福寺の中金堂の地下から発見された瑞花双鳳八花鏡(ずいかそうほうはっかきょう)は唐鏡と考えられるもので、中央にある鈕(ちゅう 紐などを通すためのつまみ)を挟んで左右に鳳凰(ほうおう)が向き合って表され、上下には中国風の花文様が配置されています。
他にも瑞雲双鸞八花鏡(ずいうんそうらんはっかきょう)のように、鈕の左右に鸞(らん)という想像上の鳥が向き合って表され、上下に雲、界圏(かいけん)と呼ばれる円い線の外側(外区)に雲や蝶が配置された鏡もあります。こちらは日本で唐鏡を型にとって作られた(これを「踏み返し」といいます)鏡のようで、コピーを繰り返した画像のように文様がぼやけてきているのが特徴です。
こうした唐代の鏡やこれを模倣した鏡(唐式鏡<とうしききょう>)が和鏡の遠いご先祖様に当たるといえます。
平安時代になると、踏み返しから脱却し、唐鏡をお手本にした鏡が日本で作られるようになります。平安時代に主流となる瑞花双鳳八稜鏡(ずいかそうほうはちりょうきょう)は、鈕の左右に向かい合う鳳凰、上下に中国風の花文様(瑞花)が表され、外区には花唐草(はなからくさ)の文様がめぐっています。これは基本的には先に見た瑞花双鳳八花鏡と瑞雲双鸞八花鏡の構成を踏襲していますが、中国に例がなく、唐鏡を元にしてこれを翻案し、日本で創出されたと考えられます。
重要文化財 瑞花双鳳八稜鏡
平安時代・11~12世紀(E-19934)
(展示の予定はありません)
また、907年に唐が滅んだ後、五代十国の興亡を経て、960年に強大な帝国を築いた宋の時代に作られ、民間の貿易船などによってもたらされた鏡(宋鏡<そうきょう>)も和鏡のご先祖様に当たります。
これら宋鏡の特徴は、鏡胎(きょうたい)が薄く作られていることや内区と外区を分ける界圏がないこと、鈕がとても小さく文様などが表されないところにあります。中国からもたらされた京都・清凉寺(せいりょうじ)の本尊・釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)の胎内に納められていた鏡や獅子唐草文六花鏡(ししからくさもんろっかきょう)はそうした特徴を備えた作例です。
獅子唐草文六花鏡
宋時代・10~13世紀 中国(TE-81)
(展示の予定はありません)
これら唐鏡には見られない特色も和鏡に反映されており、唐鏡と宋鏡をルーツに、平安時代・11世紀後半頃に、和鏡が成立したと考えられるのです。
つまり、和鏡は、中国の鏡が年月をかけて、日本風にアレンジされたものということができます。そしてその主題も、中国の鏡やこれを模倣した鏡に見られたような瑞花や鳳凰といった空想上の存在から、秋草や松、鶴や雀といった身近に存在する植物や鳥へと移っていったのです。
今回特集して展示している、山形県鶴岡市の羽黒山(はぐろさん)にある出羽三山神社(でわさんざんじんじゃ)の御手洗池(みたらしいけ)から出土したいわゆる「羽黒鏡(はぐろきょう)」は、そうした和鏡の極致を示すものとしてよく知られています。
例えばその中の一つである菊楓蝶鳥鏡(きくかえでちょうとりきょう)では、鈕を挟んで植物文と鳥がそれぞれ向かい合い、界圏で内区と外区が分かれる構図は維持しながらも、植物は菊に、鳥は雀のような小鳥に替わっています。蝶が外区に留まっているのも唐鏡の要素を色濃く残している点で興味深い作例です。
同じ主題で他の作例も見てみましょう。菊枝双鳥鏡(きくえだそうちょうきょう)では、同じく界圏を残す形式ながら、界圏を無視して菊花が勢いよく伸びていき、鳥は向かい合うのではなく、並ぶように飛んでいます。ここでは既に唐鏡の構図が完全に崩れているのがわかります。
また、界圏がなく、鈕の小さい宋鏡の系譜に位置づけられる菊枝双鳥鏡(きくえだそうちょうきょう)では、文様的な構成を脱却し、一幅の絵画のように菊と小鳥が表されています。このような構図の自由さも和鏡の魅力の一つです。こうした絵画的な構図は同時代の他の工芸品にも見られるもので、当時のやまと絵はもちろん、これに影響を与えた中国・宋代の絵画の様式を受け継いでいると考えられます。
菊枝双鳥鏡
山形県鶴岡市羽黒山御手洗池出土 平安時代・12世紀(E-15395)
(特集「羽黒鏡―霊山に奉納された和鏡の美」にて2023年11月19日まで展示)
「和」というと、純粋に日本で創造されたように思われがちですが、中国の先進的な文化を受容し、それを基礎にして作り上げられたのが和鏡の形状であり、鏡背文様の構図であるといえます。とはいえ、和鏡の文様に感じられる心和むような安堵感や自由な構図には、自然の豊かな東方の島国で育まれてきた日本人の好みが深く刻み込まれているのではないでしょうか。
次回は羽黒鏡にみる和の文様についてご紹介したいと思います。
第2回「和鏡の文様を愉しむ」へ移動する
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posted by 清水健(工芸室) at 2023年10月17日 (火)
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(10月11日(水)~12月3日(日))が開幕しました。
カテゴリ:「やまと絵」
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posted by 江原香(広報室) at 2023年10月16日 (月)
東洋館で開催中の「博物館でアジアの旅」。今年は「アジアのパーティー」をテーマとした作品を展示している中から、今回は、東洋館10室で展示中の重要文化財「透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)」についてご紹介します。
重要文化財 透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)
三国時代(新羅)・6世紀 伝韓国昌寧出土 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示
「透彫冠帽」の側面
台形を2つ組み合わせた形状の冠帽の側面には両翼のような金銅板が斜めに取り付けられ、冠帽の上部には尾状の飾り板が伸びています。
騎馬人物形土器(きばじんぶつがたどき)
慶州金鈴塚 新羅 国立中央博物館所蔵
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posted by 玉城真紀子(東洋室) at 2023年10月14日 (土)