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金色堂の仏像(2)

いよいよ開幕いたしました、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
そのみどころから、前回に引き続き国宝仏像11体について、今回は阿弥陀三尊像をご紹介いたしましょう。
 
国宝 阿弥陀三尊像(左から:勢至菩薩立像、阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像) 展示風景
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
金色堂中央壇の中心に安置される阿弥陀三尊像は、いわば金色堂のご本尊です。嫌味や誇張のない円満な姿で、ふっくらとしたやわらかい表情が特徴です。
制作者の名は残念ながら知られませんが、当時の一流仏師の作と見てよいでしょう。平安時代後期より仏像の世界を席巻した大仏師定朝の系譜を正統に受け継いだ仏師の作と見られます。
 
とは言え、その魅力は単に京都の仏像に引けを取らないというだけにとどまりません。
阿弥陀如来像に注目してみましょう。
円満なお顔のはち切れんばかりのプリッとした頬の表現は、鎌倉時代の仏像様式を先取りしたかのようです。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
背面にまわってみましょう。後頭部の螺髪(らほつ)の刻み方は、左右に振り分けるようにあらわします。
パンチパーマのセンター分けとでも呼ぶべき(?)、この螺髪のあらわし方は、実は鎌倉時代以降に流行するのです。
 
 
阿弥陀如来坐像背面(部分)
 
もうひとつ、右肩にかかる袈裟の表現をご覧ください。隙間が見えます。
つまり、衣を別材で造って貼り付けているのです。こうした表現手法が平安時代に全く見られないわけではありませんが、例えば仏像を裸に造って実際に衣を着せるような表現は鎌倉時代以降に流行します。この衣の一部を別材製とするのもこうした表現の先取りと言ってよいでしょう。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
このように、阿弥陀如来像には当時の最先端を行く表現が用いられている可能性があります。
なぜでしょうか。
 
おそらく、当時の京(みやこ)の貴族文化が前例主義にとらわれていたのに対し、奥州藤原氏は京の文化を巧みに取り入れながらも前例に縛られることなく良いものを積極的に受け入れる先進性と柔軟性を持ち合わせていたのではないかと考えられます。そして、これこそが平泉の仏教文化の真骨頂だと思うのです。
 
ところで、このようにちょっとムチムチとした阿弥陀三尊像の姿は、前回ご紹介した地蔵像の頭部を小さくつくるプロポーションや胸を平板にあらわすスリムな体形と、二天像のやはり頭部を小さくつくり激しい動きを示す姿とは一線を画します。これは制作年代の違いと考えられます。
 
金色堂中央壇諸仏展示風景
 
また、地蔵像と二天像がカツラ材製であるのに対して、阿弥陀三尊像はヒバないしはヒノキと見られる針葉樹材製です。素材の点からも今の中央壇諸仏はもともとセットではなかった、寄せ集めなのではないかと考えられます。
 
金色堂内には3基の須弥壇が設置され、それぞれに11体ずつ計33体の仏像が安置されています。各壇の11体の構成は共通していて、阿弥陀三尊像(3体)・六地蔵像(6体)・二天像(2体)です。実は、これらの仏像は長い歴史の中でその安置される壇を移動している可能性が高いことがわかっています。
 
その移動が意図的なものか、あるいは混乱による偶然のものなのか定かではありませんが、残された仏像の造形表現や素材・構造を検討・分類することで、それぞれの仏像の原位置を推定できるようになっています。
その詳細は本展会場に掲示しているパネルもしくは図録をご覧いただくことにして結論を申し上げると、阿弥陀三尊像は元々中央壇に安置されていた仏像と考えられます。つまり、藤原清衡(きよひら)が夢見た極楽浄土の阿弥陀三尊像として造像されたとみられるのです。
 
(手前)国宝 阿弥陀三尊像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
(奥)重要文化財 金箔押木棺 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
そして、制作年代が異なる可能性を指摘した六地蔵像と二天像は、阿弥陀三尊像より後の時代、おそらく二代基衡(もとひら)の壇に安置されていた像と考えられます。その壇の中心には、現在西北壇に安置されている阿弥陀如来像が坐していたと推定できます。
 
阿弥陀三尊像は金色堂上棟の天治元年(1124)から清衡の没した大治三年(1128)頃の制作と考えられます。
これに対して六地蔵像と二天像が基衡壇に安置されていたとするならば、その制作年は基衡の没した保元二年(1157)頃と推定されます。その差は約30年です。
是非その年代観を会場で体感してください。
 
これまでに中尊寺金色堂を訪れた経験のある方もたくさんいらっしゃることでしょう。その際、ガラス越しで少し遠くにご覧いただいた仏像たちのお顔はわかりましたか?
金色堂の輝きに目を奪われ、おそらくはっきりとはわからなかったのではないでしょうか。
本展で間近に国宝仏像をご覧いただくことで、きっと身近に感じ、今回それぞれの個体識別ができるようになるのではないかと考えています。
 
阿弥陀如来坐像と金箔押木棺
 
スポーツ観戦や観劇をされる方にはご理解いただけるのではないかと思いますが、選手や俳優の顔やしぐさを知っていれば、球場や劇場で豆粒ほどにしか見えない選手や俳優でも、ちゃんと識別して見えていますよね。あ、砂かぶりのいい席でご覧いただいている方々でなくともという話です。
仏像もそれと同じことです。やはり展覧会だけで満足せずに、本来あるべき姿、つまり金色堂に安置されている仏像をご覧いただきたいのです。
今回、本展で仏像を間近にご覧いただき親しむことで、次に金色堂を訪れた際にも「東博で会ったあのアゴの上がったお地蔵さんだ!」と認識できるようになる、そんな展覧会になればいいなと願っております。
 

カテゴリ:彫刻「中尊寺金色堂」

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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月08日 (木)

 

金色堂の仏像(1)

いよいよ開幕いたしました、《建立900年 特別展「中尊寺金色堂」》。ここでは、展覧会のみどころのひとつ、国宝仏像11体についてご紹介いたしましょう。

中尊寺金色堂には須弥壇(しゅみだん)が3基築かれています。この須弥壇内は奥州藤原氏歴代が今なお眠る厳粛な聖空間です。
本展ではこのうち初代清衡(きよひら)が眠る中央壇上に安置されている国宝仏像11体を展示しています。
 
会場展示風景
 
持国天・増長天の二天像は大きく腕を振り上げ、それに呼応して袖が翻るダイナミックな動きが見どころです。 
 

国宝 増長天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

国宝 持国天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
 
この姿を模したと思われる仏像がいくつか見つかっており、平泉が流行の発信源であったことがわかります。中世では、この二天像が中尊寺で一番有名な仏像だったかもしれません。キュッと引き締まったウエストは、鎧を脱いだらいったいどれだけ細い体なのでしょうか。 
 
持国天立像の引き締まったウエスト
横から見た姿
 
 
それでも、横から見るとぷっくり膨れています。不思議な体形ですが、このようにやや誇張された姿は神将形像の典型的なプロポーションです。
 
ユーモラスな姿が魅力の、踏みつけられている邪鬼はおそらく明治期の修理時に補作したものと見られます。  
 
持国天立像邪鬼
 
なんと、オリジナルグッズとして邪鬼のぬいぐるみを本展オリジナルショップで販売中です。時には踏んづけ、時には抱きしめ、時には踏まれる邪鬼に同情してあげてください。
  
ショップに並ぶ「邪鬼ぬいぐるみ」 価格:3,850円(税込)
 
次にご紹介するのは、とても愛らしい地蔵菩薩像です。
 
 

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

六体セットのいわゆる六地蔵です。六地蔵とは釈迦の滅した後の無仏時代に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を輪廻転生して苦しむ衆生を救い極楽往生へと導いてくれる存在です。
極楽浄土の阿弥陀三尊だけでなく六地蔵を安置するところに、奥州藤原氏の「絶対に極楽往生する!」という強い意志を感じます。たとえ極楽往生できずに六道を輪廻しても、六地蔵が救ってくれるのです。可愛らしい見かけによらず、とても心強い味方です。
 
こちらは前期(3月3日まで)展示中の国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅(こんこうみょうおうさいしょうおうきょうきんじほうとうまんだら) 第三幀です。画面左下方にご注目いただきましょう。
 
 
国宝 金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀 全図及び部分 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺大長寿院蔵
前期展示:2024年1月23日(火)~3月3日(日)
 
この錫杖(しゃくじょう)を持つ僧形は金光明最勝王経では妙幢菩薩(みょうとうぼさつ)と呼ばれていますが、実は地蔵菩薩のことです。殺生するのを見届けているようですね。この後、殺されたものだけでなく殺生して地獄に落ちた者も救ってくれるのでしょう。できれば、殺したり殺されたりする前に救われたいのですが、いずれにせよ、殺生して地獄に落ちても救ってくれるのがお地蔵さんです。
 
普段、金色堂ではこの6体の地蔵菩薩像は阿弥陀三尊像の左右に3体ずつ縦に並んでいるのですが、本展会場では横一列に整列しています。せっかくの機会ですので、6体それぞれと親しく向き合ってみてください。全部同じに見える? いえいえ、実はちゃんと個性があるのです。ここでは、顎の角度にご注目いただきましょう。
 
左列内側に展示している前方の像はグッと顎を引き、中央の像はスーッと正面を見据え、外側に展示する後方の像は顎をクイッと上げます。 
 
アゴを引く(内側・前方)
正面を見据える(中央)
アゴを上げる(外側・後方)
 
 
今回の展示は横一列に並んでおりますので、内側からグッ、スーッ、クイッの順でご覧いただけます。横からご覧いただくと分かりやすいですよ。
 
地蔵菩薩立像展示風景
 
集合写真で後ろに並んだ方が写りこむよう一生懸命顎を上げている、そんな風にも見えてきます。なんとも、いじましい姿ですね。 
 
この順序で並んでいるのがいつのことからか定かではありません。ただ、左右両列ともこの順序で並んでいるのは、こうすると顔が見えやすいことにどこかの段階で気づいて並べなおした結果かもしれません。もしかすると、当初からこうした並び順を意識して制作した可能性すらあります。というのも、その証拠に顎を上げている左列後方像は、首の後ろのお肉がムニュっと盛り上がっているのです。顔の向きと顎の角度とに有機的に連動した肉付き。ちょっとリアルで、なんともかわいい。。。ぐるっと360度ご覧いただける展覧会ならではの醍醐味です。
 
地蔵菩薩立像(背面)
 
ところで、こちらは先ほどご覧いただいた国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀の右上方に描かれる釈迦如来です。釈迦の白毫から放たれた光が六道(傍題では四趣)を照らすという同経の内容を描いています。光の筋の先に地獄や餓鬼、畜生の姿が見えていますね。 
 
 
金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀(部分)
 
これを参考にするならば、顎を上げて一生懸命顔を見せてくれようとする姿は、実は六道輪廻する衆生を救済し極楽往生へ導こうとする地蔵菩薩の本願を見事にあらわした姿なのかもしれないことに気づかされます。つまり、六道をしっかりと見据えようと顎を上げてくれているのです。そう思うと、いじましいだけでなく、有難さもひとしおです。是非、会期中に間近でご覧ください。
 

カテゴリ:彫刻「中尊寺金色堂」

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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月06日 (火)

 

皆金色の極楽浄土! 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」が開幕します

明日1月23日(火)から、本館特別5室で、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」が始まります。
 
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」会場入口
 
今年2024年に上棟(じょうとう)から900年を迎える中尊寺金色堂。
これを記念して開催する本展では、中央の須弥壇(しゅみだん)に安置された11体の国宝の仏像や、きらびやかな荘厳具(しょうごんぐ)の数々を通じて、金色堂の魅力をお伝えします。
 
音声ガイド案内
 
音声ガイド・ナビゲーターを務めるのは、「進撃の巨人」エレン・イェーガー役や、「僕のヒーローアカデミア」轟焦凍(とどろきしょうと)役などを担当された声優の梶裕貴(かじゆうき)さん。
アニメ「平家物語」では、奥州藤原氏と縁の深い源義経役も演じられています。
展示作品とあわせ、音声ガイドによる解説もお楽しみください。
 
それでは、会場をご覧いただきましょう。
 
8KCGにより再現された中尊寺金色堂 ©NHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺 
 
最初にみなさんをお迎えするのは、こちらの巨大なスクリーン。
幅7m、高さ約4mのディスプレイ上に、8KCGで再現された金色堂が原寸大で映し出されます。
実際の金色堂は、劣化を最小限にするために建物全体をガラスで仕切っており、参拝者はガラスの外から拝観します。
一方この映像では、仮想的に金色堂の内部にはいりこみ、須弥壇上の仏像や内陣の装飾を、間近に見るという体験ができます。
 
特別5室 展示風景
 
続いて、本展最大の注目作品である国宝の仏像11体をご覧いただきましょう。
金色堂内には3つの須弥壇(中央壇、西北壇、西南壇)が設けられており、各壇上に11体(計33体)の仏像が安置されています。
本展では中央壇上の仏像すべてを展示。阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像(六地蔵)、二天像という構成です。
なお、本展図録では他壇上22体の仏像の写真も掲載しています。33体すべて見たい!という方はぜひお買い求めください。
 
国宝 阿弥陀三尊像(左から:勢至菩薩立像、阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像) 平安時代・12世紀 岩手県・中尊寺金色院蔵
ふっくらと穏やかで優美な姿が特徴。金色堂建立当初から安置されていた可能性が高いとされます。
 
国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手県・中尊寺金色院蔵
阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置される地蔵菩薩立像。阿弥陀三尊と六地蔵のセットは六道輪廻からの救済を願う往生思想を体現しています。
 
金色堂の仏像1体1体を全方位からつぶさにご覧いただける大変貴重なこの機会。
京(みやこ)の仏像と比較しても遜色のない優れた造形を、ぜひご堪能ください。
 
金色堂を装飾していた荘厳具も見逃せません。
 
国宝 金銅迦陵頻伽文華鬘 平安時代・12世紀 岩手県・中尊寺金色院蔵
 
金色堂の柱の上部を横にわたる長押(なげし)にかかってたものです。
左右には、人の顔をした鳥が描かれているのがわかるでしょうか。
迦陵頻伽(かりょうびんが)と呼ばれる、極楽に住んで美声で鳴く空想上の鳥です。
たいへん愛らしい姿をしていますね。
 
国宝 紺紙金銀字一切経(中尊寺経) 平安時代・12世紀 岩手県・中尊寺大長寿院蔵
 
金字と銀字で交互に書写された、大変珍しいお経です。
一切経は5400巻近くにも及ぶ経典で、金色堂を建立した藤原清衡(きよひら)が8年もの歳月をかけてこの書写事業を完成させました。
大部分は高野山に移管されており、国宝指定のもので中尊寺に残るのは十五巻のみとなりますが、まさに奥州藤原氏のもつ莫大な富を象徴する作品です。
 
最後には金色堂の模型展示も。本品のみ撮影OKです!
 
豪華絢爛な金色堂の至宝を東京でご覧いただける、大変貴重な機会となっています。
ぜひ足を運んでいただき、清衡が目指した極楽浄土の世界を体感してください。
 
会期は4月14日(日)まで。事前予約は不要ですが、事前にチケットをお買い求めいただくと入館はスムーズです。
チケット情報は展覧会公式サイトから。
 
お見逃しなく!
 

カテゴリ:彫刻「中尊寺金色堂」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2024年01月22日 (月)

 

日本彫刻史の闇に光を射す

特別展「京都・南山城の仏像」展覧会タイトルを見た人の「なんざんじょう?…」という反応が目に浮かびます。

山城は京都の古い呼び方南はその南部。それでもピンとこないであろうから、「京都」をつけて、京都にかかわる仏像の展覧会であることがわかるようにしました。

南山城(みなみやましろ)は聞きなれませんが、そこにある浄瑠璃寺や岩船寺はよく知られたお寺です。海住山寺の十一面観音菩薩立像は美術全集に掲載されます。

とはいえ馴染みのないお寺や仏像もあります。私は、出品作品中に見たことがなかったという仏像はありませんが、薬師寺、寿宝寺、松尾神社、現光寺、極楽寺には訪れたことがありません。

本展覧会は、交通の便が悪いため拝観の機会がない仏像を見ることができる、またとない機会です。そして、展覧会を見たら、仏像が本来置かれているお寺をぜひ訪れてください。素晴らしい風景がひろがります。

展覧会場には私にとって懐かしい仏像があります。禅定寺には十一面観音菩薩立像を含め多くの仏像があり、学生時代に仏像の勉強をする仲間と詳しく調査をさせていただきました。

重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺

薬師寺の薬師如来像は京都府立山城郷土資料館に預けられていて、そこで調査をさせていただきました。

重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 京都・薬師寺

さて、そのような仏像のなかから、私の気になる像をご紹介します。

重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺

阿弥陀寺の薬師如来像は9世紀前半に製作された像で、一木造り、翻波式衣文(ほんぽしきえもん、丸みのある大きな襞としのぎ立った小さな襞を交互に配する、おもに平安時代前期に用いられた衣の表現)、異相の表情とその時代の仏像の特徴がそなわります。

同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像。右袖の翻波式衣文をご覧ください


同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像(近赤外線写真)。ヒゲが描かれています

しかしさらに、製作した工房の作品の特徴が表れている可能性があります。

その工房の特徴を指摘したのは、学生時代に禅定寺や薬師寺の仏像調査を一緒にした奥健夫氏(現武蔵野美術大学教授)です。

学生時代に執筆された「東寺伝聖僧文殊像をめぐって」(『美術史』第134号、美術史学会、1993年)という論文のなかで、京都・東寺の聖僧文殊像(しょうそうもんじゅぞう)、空海が造立に関わった同寺講堂の五大明王像、奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像(国宝)には共通した特徴があり、それと同じ特徴をもつ像がほかに複数あって、それらは同一の工房で製作された可能性があるとしました。

奥氏は、その工房については多くの作品を検討しなければならないので稿を改めるとされましたが、新しい論文はまだないようです。

平安時代前期は仏師や造仏工房に関する資料が少ないことから、仏師の暗黒時代ともいわれています。そこで、ぜひ論じていただきたいという期待をこめて、阿弥陀寺の薬師如来像がその工房で製作された可能性があるということを述べたいと思います。

工房の作品の特徴とされる表現を、奈良国立博物館の薬師如来像(〈注〉本展には展示されません)と比較しながら見てみましょう。

(1)寸がつまった体形をしています。
 
(左)重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺 (右)国宝 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 奈良国立博物館

(2)口元を引いています(奥氏は論文では工房の特徴にあげていません)
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(3)耳上部の輪郭線が折れ曲がるように耳の中心に向かい、その部分が平(たいら)です。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(4)低平な帯状の大波としのぎ立った小波を等間隔に重ねます。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(5)先端
が茶杓形(ちゃしゃくがた)の衣の襞を、左右から対抗するように配置する衣文表現。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

奥氏はほかにも特徴を指摘しますが、それらは、阿弥陀寺の薬師如来像にはそなわっていません。

その理由は、阿弥陀寺の薬師如来像が奈良国立博物館の像よりも十年以上後につくられたためでしょう。時代が経つにつれ表現が変化したのです。そのことは変化しながらも同じ表現を長期間維持する工房が存在したことを示し、平安時代前期の造仏工房のありようがうかがえるのです。

このように、南山城には日本彫刻史研究にとっても貴重な仏像が伝わります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」にぜひお越しください。
 

(注)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像の画像はすべて出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「京都・南山城の仏像」

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posted by 丸山士郎 at 2023年10月19日 (木)

 

九体阿弥陀に込められた人々の願い

現在、本館特別5室では、浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」が開催中です(1112日(日)まで)。
京都府の最南部の南山城(みなみやましろ)地域に点在する寺社から、この地を代表する仏像が一堂に会しています。


展示風景

本展では、11の寺社から出品いただきましたが、すべてを実際に巡ろうとすると車で23日ほどかかります(通常は公開していない寺社もあります)。もちろん旅行がお好きな方にはぜひ現地を訪れていただきたいですが、遠出が難しい方には、南山城のエッセンスがぎゅっと詰まった本展をご覧いただいて、南山城の奥深さを感じていただきたいと思います。

展示室でひときわ強い存在感を放つ、金色の阿弥陀如来坐像。木津川市の浄瑠璃寺の本尊である九体阿弥陀(くたいあみだ)という9体の阿弥陀如来像のうちの1体です。

今回のブログではこの阿弥陀如来坐像および九体阿弥陀について紹介します。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺

平安時代半ばごろ、仏の教えが正しく伝わらない時代に至るという末法思想を背景に、この世での幸せよりも、死後、極楽浄土へ行って幸せを求める信仰が広まりました。極楽浄土の主である阿弥陀如来への信仰が高まって彫像や堂宇(どうう)の造立が盛んになり、その事例の一つとして、9体の阿弥陀如来像を作ることが行なわれました。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園

阿弥陀如来に関する『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』という経典によると、生前の行ないや信心深さに応じて、極楽往生の仕方には9段階あると説かれています。
一番上の段階では、多くの菩薩や飛天を引き連れて極楽浄土からやってきた阿弥陀如来にすぐに会うことができます。一番下の段階では、亡くなった人の魂を載せる蓮華の台だけがやって来て、その後、時間をかけて往生します。ただし、重要なのはどの段階であっても最終的には極楽往生できるという点です。

この9段階の極楽往生になぞらえて作られた9体の阿弥陀如来像を九体阿弥陀といい、9体を横一列に安置する横長の建物、つまり九体阿弥陀堂や九体堂と呼ばれる専用の堂宇も建てられました。


浄瑠璃寺九体阿弥陀堂

阿弥陀如来像の大きさは、仏像の大きさの基準のひとつである一丈六尺(約480センチ。坐った像では半分の約240センチ)が主流で、9体もの大きな阿弥陀如来像の制作や、それらを安置するための大きな堂宇の建立には、それに応じた財力や権力が必要でした。そのため九体阿弥陀の発願者は主に貴族でした。

九体阿弥陀と九体阿弥陀堂のセットは、記録上、約30例ほど確認できますが、平安時代当時の仏像と堂宇が現存するのは浄瑠璃寺だけです。

では、次に像を見てみましょう。

本展に出品されている浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期に流行した穏やかな作風を基調としています。丸い顔立ちに優しげな目線、抑揚をおさえた体つきなど、極楽往生を切に願う人々を安心させるような大らかさが感じられます。

  
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺(顔正面と左斜側面)

側面から見てみますと、正面の印象に比べて思いのほか上半身の厚みが薄いことに気づきます。
これは正面から見たときの美しさを重視した当時の傾向といえます。

 
同じく阿弥陀如来坐像(右側面と左側面)

また、本展は2018年度から5か年をかけて修理された九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されるものです。仏像は作られてから幾度も修理されることで、後の時代へと伝えられます。この像もこれまで何度か修理されてきました。

その一端が光背の裏面に記されています。


阿弥陀如来坐像(光背裏面と光背裏面の赤外線撮影)

「勧進御光結縁人数之事」という書き出しで、何人かの人の名前が列記されています。これは、「御光」すなわち光背を修理した時に関わった人の名前です。そして末尾には、「文正元年丙戌六月三日」の日付が記されており、文正元年(1466)の修理記録であることが分かります。

今回の修理は明治時代以来、およそ110年ぶりです。
修理を契機に開催されている本展ですが、次に九体阿弥陀をお寺の外でご覧いただける機会は、さらに100年後かもしれません。

またとないこの機会に展示室でご覧いただき、そして、展覧会終了後は、ぜひ現地で9体そろった圧巻の情景をご覧いただけましたら幸いです。

堂内では通常は壇で隠れて全体が見えない台座も、会場では間近でご覧いただくことができます

 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「京都・南山城の仏像」

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posted by 増田政史 at 2023年10月06日 (金)