今年もお正月恒例の特集「博物館に初もうで」が始まりました!
平成30年の干支である戌(犬)は古くから世界中で人間に飼われていた、最も身近な友達ともいえる動物です。
今回の特集では、この犬にちなんだ東京国立博物館選りすぐりの作品をご紹介いたします。
まず、今年の目玉は何といってもこの「朝顔狗子図杉戸」です!
朝顔狗子図杉戸 円山応挙筆 江戸時代・天明4年(1784)
江戸時代を代表する巨匠・円山応挙(1733~95)の手によるこの杉戸絵、コロコロ・フワフワとした五匹の子犬が戯れる姿を愛らしく描いています。
12年前の戌年には切手趣味週間のデザインにも選ばれたこの絵は、数多くの名作を生みだした応挙の作品の中でも特に有名な逸品です。
前回みなさんの前にお目見えしたのが2015年の夏でしたから、おおよそ2年半ぶりの登場となります。
次に注目していただきたいのがこの「緑釉犬」。
緑釉犬 中国 後漢時代・2~3世紀 武吉道一氏寄贈
中国の後漢時代(2~3世紀)に作られたこの犬の焼き物。先の丸まった耳と尻尾を立て、短い四肢を踏ん張って吠える姿がいじらしく、とても愛嬌ある表情をしています。
首輪と胴のベルトは、多産の象徴とされるおめでたい子安貝で飾られた凝った意匠で、飼い主から彼に注がれた愛情の深さが感じられます。
中国では古くから犬を表した工芸作品が作られましたが、これらは墓を守る番犬とも、死者を冥界へ導く犬とも言われています。
人間の最も身近な友人として、死後の世界においても犬と共にいたいと願った当時の人々の心情が偲ばれます。
さて、様々な分野の愛らしい犬たちが一堂に会するこの特集ですが、実は二つのテーマで構成されています。
一つは日本人に愛されてきたかわいらしい子犬や珍しい異国の犬の造形に注目する「いぬのかたち」。
もう一つは、常に人と共にあった犬の文化史的な意義を追う「いぬとくらす」です。
時に世俗から離れて暮らす牧歌的な理想の生活のなかに、時に都市の雑踏のなかに、あるいは美女に抱えられた犬の姿を通じて、人々の愛した犬のイメージとバラエティーに富んだ素材や表現による作品を楽しんでいただきたいと思います。
思わず顔がほころぶような可愛らしい犬たちと、そこに込められた愛情深いまなざしと共に新年をお迎えください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、博物館に初もうで、特集・特別公開
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posted by 末兼俊彦(平常展調整室) at 2018年01月04日 (木)
こんにちは。研究員の横山です。
今日は、ずっと温めていた特集のご紹介です。
いつも、展示室でご覧いただいている作品たち。
ふだん、展示室に出ていないときは、どのような箱に入っているのでしょうか。どのように保管されているのでしょうか。気になりませんか?
特集「やきもの、茶湯道具の伝来ものがた ―付属品・次第とともに観る―」(平成館企画展示室、2018年1月28日(日)まで)は、作品の箱など付属品(一緒に伝わっているもの)までお見せします、という展示です。
ここでは日頃担当している陶磁器や、茶の湯関係の作品を中心に紹介しています。
この企画、実は博物館に入る前から関心のあったテーマでした。
茶道をされる方は目にすることがあるかもしれませんが、お茶の道具にはとにかく「大切に、大切に」扱われ守られ伝えられてきているものが多くあります。
たとえば、茶入にはいくつもの仕覆(しふく:茶入を包む袋)がともなって、まるで「着せ替え人形」のようなものもありますし、著名な茶人が「これは確かなものですよ」と記した箱は、それだけで価値のあるものとなります。
さらに、その箱を守るためにまた箱を新たにつくって、“マトリョーシカ”のような二重三重の箱になっていることもあります。
唐物肩衝 銘 松山 中国 南宋~元時代・13世紀 原田吉蔵氏寄贈
作品と付属品がずらり勢ぞろい。小さな茶入にこれだけのものが付属しています。
この茶湯道具における付属品(「次第(しだい)」ともいいます)の重要性は、先の特別展「茶の湯」にかかわっていくなかでも、あらためて実感することでした。
箱の蓋を保護するために覆う紙、小さな紙札、更紗など特別な裂であつらえられた包裂…。
その一つひとつが作品を大事に守り伝えてきた証であり、歴史を物語る大切なものばかり。
作品を展示台に並べる際も、展示を終えてもとに戻す際も、それらに触れると何ともいえない緊張に包まれました。
重要文化財 青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀 三井高大氏寄贈
茶の湯展にも登場した名碗。この展示では箱と伝来記も一緒に御覧いただきます。
作品それ自体が興味深いものばかりの博物館の所蔵品ですが、その周辺に付属するものを見ていくと、前の所有者の「顔」や「思い入れ」がうかがえることがしばしばあります。これは博物館研究員の役得ですね。
学生時代から近代数寄者やコレクターについて関心のあった私にとって、博物館入職以来、ワクワクすることの連続です。
ぜひ、こういう世界も展示で楽しんでいただけたらいいな、という思いもずっと抱いてきました。
彫唐津茶碗 銘 巌 唐津 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 広田松繁氏寄贈
この特集では、東京国立博物館の陶磁器や茶の湯関係のコレクションの中核をなす、広田不孤斎と松永耳庵の二人を取り上げました。
加えて、昨年から保存修復課に属し、「どのようにして作品を後世に伝えていくか」ということを、前にも増して考えるようになりました。
作品の修理にかかわることが主な仕事ですが、作品をいかに安全に収蔵していくか、作品周縁の環境づくりも大切なミッションです。
そうしたなかで、新しい保管箱を作るなどしていくと、私自身もまたある種、作品の付属品づくりにかかわり、ものの歴史に関与していくことになります。
銹絵十体和歌短冊皿「八十一歳乾山」銹絵銘 乾山 江戸時代・寛保3年(1743)
乾山の共箱をともなう作品。箱も大切に伝えていくため、10客の皿は新たに誂えた保管箱に収蔵しています。
…そんなこんなで、いろいろな思いが重なって、今回の特集につながりました。
展示室をご覧いただくと、いつもとは少し違う雰囲気をお楽しみいただけるのではないかと思います。
なお、展示室やこのブログでお伝えしきれなかったよもやま(?)話は、1月20日の月例講演会でお話しできたらなと思っています。
合わせて足をお運びいただければ、幸いです。
特集「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり ―付属品・次第とともに観る―」は、2018年1月28日(日)まで展示中です。
それではみなさま、どうぞよいお年を!
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posted by 横山梓(保存修復室) at 2017年12月18日 (月)
こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。
街にクリスマスのイルミネーションがみられるようになりましたね。この時期になると思い出すのは、イエス・キリストの母マリアのことです。教会付属の幼稚園に通っていた私は、クリスマスに年長組の出し物でマリア役を演じました。
寒い冬の夜。夫ヨセフとともに一晩泊めてくれる宿を探すのですが、どこも貸してくれません。やっとのことで貸してもらった家畜小屋で、無事にイエスが生まれ、天使や東方三博士が祝福に来てくれました。そのうれしさと安ど感…。
6歳にして、母の気持ちを味わってしまったのでした。
重要文化財 聖母子像 ヨーロッパ 16世紀後期~17世紀初期 長崎奉行所旧蔵品
幼子イエスを抱く聖母マリア。世界で最もよく知られた母子の姿といえます。
聖母マリアとイエス・キリストの関係は、宗教学的な深い解釈がある一方で、まずもって「母と子」であることが、多くの人々の心をとらえ、信仰へと導いたと思われます。逆に、ふつうの人間の母子像であっても、その親密さと情愛が神々しさを帯びれば、「聖母子」の姿にみえることがあるでしょう。
十字架上のキリスト図 フランス・パリ トマ・ド・ルー版刻・刊行 16世紀末期~17世紀初期 福井にて発見
左下では、聖母マリアが手を組み、十字架上のイエスを見上げています。
一方、イエスの最期において。ヨハネの福音書によれば、イエスがゴルゴダの丘で十字架にかけられたとき、マリアは下でその死を看取ったといいます。
母として、大切に育てた自らの子の最期に立ち会うのは、極めて厳しいことです。命が尽き、十字架から降ろされたイエスとその遺骸を抱くマリアを表した聖母像はとくに「ピエタ」と呼ばれますが、その造形に多くの人が感銘を受けるのは、誰もがその苦しみに感情移入できるためでしょう。
重要文化財 聖母像(親指のマリア) イタリア 17世紀後期 長崎奉行所旧蔵
シドッチ神父がイタリアから携行した、極めて美しいマリア像です。
17世紀以降、日本ではキリスト教が禁じられ、多くの宣教師、信者が処刑、国外追放となりました。その後、キリスト教禁制下の日本にあえて潜入したイタリア人宣教師がいました。ジョヴァンニ・バティスタ・シドッチ(1667-1714)です。
幕府の重臣新井白石(1657-1725)は、宝永5年(1708)12月6日にこの知らせをきき、翌年、江戸へ護送されてきたシドッチと面会。11月22日から12月4日にかけて尋問を行ないました。
新井白石が著した尋問記録『西洋紀聞』によれば、シドッチはイタリア、シチリア島パレルモ出身。家族は11年前に亡くなった父ジョヴァンニ、母エレオノーラ(65歳)。4人兄弟の長女は幼い時に亡くなり、兄ピリプス、次が自分で41歳(今の私と同い年…)、弟は20年前に11歳で亡くなった、ということです。
白石がイタリアに残した老いた母や兄について問うと、シドッチはしばらく憂いを浮かべて黙り、身体をさすりながらこう言ったそうです。
「そもそも国の推薦による使命を受けており、ともかく日本へ布教することだけを考えてきました。老いた母や兄もまた、私が日本へ行くことは、キリスト教のため、国のため、これ以上の幸せはないと悦びあいました。けれどもこの身は捧げても、家族のことは別です。生きてこの身がある限り、家族を忘れることはできません」
白石は取り調べ後、博識で思慮深いシドッチを高く評価し、本国へ送り返すことを幕府へ言上します。「老いたお母さんへ会わせてあげたい」という気持ちもあったのではないでしょうか。
しかし、12月29日に下された沙汰は、「切支丹屋敷への終身収容」でした。そして、正徳4年(1714)シドッチは47歳で没し、切支丹屋敷(現文京区小日向)裏門脇に埋葬されました。
「親指のマリア」をみつめるシドッチ神父…ぜひ会場へお越しください。
そして、没後300年の、平成26年(2014)。
驚いたことに、この節目の年、シドッチは再び江戸の青空のもとに出現したのです!
集合住宅建設にともなう切支丹屋敷跡の発掘調査が行われ、3つの墓から3体の人骨が発掘されました。そしてそのうちの1体が、国立科学博物館のDNA分析によりイタリア人と判明。関連する歴史資料の調査もふまえ、シドッチ本人のものとわかったのです(『東京都文京区 切支丹屋敷跡―文京区小日向一丁目東遺跡・集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―』2016年)。
現在、開催中の特集「親指のマリアとキリシタン遺品」(2017年12月25日(月)まで、本館2階特別2室)では、文京区教育委員会のご協力により、国立科学博物館が頭蓋骨から復元したシドッチ頭部像を、「親指のマリア」とともに展示しています。
300年ぶりに再会した「親指のマリア」の表情はシドッチの苦しみに寄り添うような悲しみをみせ、シドッチ神父の表情は逆に驚くほど穏やかにみえます。
クリスマス。家族やお母さんを想って過ごしてみませんか。
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posted by 瀬谷 愛(保存修復室主任研究員) at 2017年12月08日 (金)
2017年ユネスコ「世界の記憶」登録記念 特集「朝鮮国書―朝鮮通信使の記録」
日本時間10月31日、当館が所蔵する重要文化財「朝鮮国書」を含む『朝鮮通信使の記録』が、ユネスコ「世界の記憶」(Memory of the World)に登録されました。これを記念し、現在本館特別1室において、「朝鮮国書」を中心とした特集展示(2017年ユネスコ「世界の記憶」登録記念 特集「朝鮮国書―朝鮮通信使の記録」、2017年12月5日(火)~12月25日(月))を行っています。
「朝鮮国書」は、朝鮮国王が徳川将軍に向けた使者「朝鮮通信使」にもたせた国書のこと。国書は、両国王の名で取り交わされる最も重要な外交文書で、現代の外交においても元首の間で交わされます。当館では江戸時代に12度行われた通信使のうち、9度の使節に関わる国書を有しています。
重要文化財 朝鮮国王国書(部分) 朝鮮国王李淏・孝宗 朝鮮 朝鮮時代・乙未年(1655)
なかでも特異な国書が1617年のもの。これは対馬藩が改作したものです。ときは豊臣秀吉による朝鮮出兵の動揺が収まらぬ江戸時代初期、幕府将軍は2代秀忠。対馬藩は室町時代以来、対朝鮮外交の実質的窓口であり、同時に貿易を通じて巨利を得ていました。対馬藩にとって、両国が対立したままでは不都合で、国書の文面を融和に導くよう書き換えたのでした。しかし、この国書を秀忠が受け取ったことで、両国の国交が回復したのです。
ところで国書は本幅とも呼ばれ、これに対となるのが別幅。別幅とは通信使が持参し、徳川将軍に献呈した進物品の目録のことです。国書(本幅)が外交上の挨拶や通信使派遣の意図を述べているのに対し、持参品を一つ一つ書き上げているのが別幅です。
別幅に記載された品々は、当時の朝鮮で得られた希少なものです。年によって異同はありますが、鷹・虎皮・豹皮・駿馬・人参・黄蜜・筆・墨・紙・金襴・綿紬・緞子・繻子等々献上品にふさわしい品々が、通信使により届けられました。
重要文化財 朝鮮国王国書別幅(部分) 朝鮮国王李焞・粛宗 朝鮮 朝鮮時代・己亥年(1719)
朝鮮通信使人物図 江戸時代・19世紀
正装の朝鮮通信使・正使
朝鮮通信使は両国の国力衰退や、東アジア世界の政治的変動などを背景に1811年をもって最後となります。しかしながら、江戸時代に唯一国交のあった朝鮮国の使者がもたらした影響は、とりわけ文化交流の面で大きく、朱子学をはじめとした朝鮮文化、そして朝鮮を通じて中国文化を間接的に触れることができたのでした。また総勢400人あまりに及ぶ大使節団が宿泊、休息、通行した土地土地では、現代までその名残を芸能や民謡などに伝えているところも少なくありません。
朝鮮人行列図(部分) 江戸時代・18~19世紀
正使の前方、白馬に乗る人物が持つ赤い箱が国書箱
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posted by 冨坂賢(保存修復課長) at 2017年12月07日 (木)
”メジャーリーグ”昇格への長い道のり -特集「室町時代のやまと絵」のみどころ-
現在、本館2階 特別1・2室で「室町時代のやまと絵―絵師と作品―」(2017年10月24日(火)~12月3日(日))と題する特集を行なっています。
この特集は東京国立博物館の所蔵品を中心に、室町時代に制作されたやまと絵をテーマとして、その豊かな表現世界を紹介する意図のもと、企画したものです。
これらの作品のなかには、前代までの作品とは異なり絵師の名前が判明する作例も多くみられることから、”絵師と作品”をサブテーマとしました。
ただ、室町時代のやまと絵と聞いて、具体的なイメージがなかなか思い浮かばないのではないでしょうか。
室町時代の美術と言えばやはり、京都の金閣や銀閣に代表される、足利義満の北山文化や足利義政の東山文化、もしくは雪舟をはじめとする水墨画の印象が強いのではないかと思います。
それもそのはず。中学校の歴史の教科書や高校の日本史の教科書でも、残念なことに室町時代の文化の項でやまと絵はほとんど取り上げられていません。
昨今注目を浴びる日本美術のスター選手(作品)に比べ、非常にマイナーな存在と言っていいでしょう。
とはいえ、私も大学で日本美術史の授業を受けるまで、その存在は全く知らなかったので、偉そうなことは言えません。
ですが、その授業で平安時代や鎌倉時代とは異なる、いわく言い難い室町やまと絵の魅力を知り、卒業論文は室町時代のある絵巻を取り上げたものでした。
それから十数年、今回、室町やまと絵を紹介する特集が組めたことを心からうれしく思っています。
前置きはさておき、今回は大きく三つのテーマから「室町時代のやまと絵」を紹介しています。
最初のテーマが「室町時代のやまと絵屏風」。
室町時代のやまと絵が注目されるようになったのは、ある作品の「発見」がきっかけでした。
それが今回展示している「浜松図屏風」(個人蔵)です。
室町時代、15世紀にさかのぼる制作とされるこの屏風の発見により、多くの室町やまと絵屏風の発掘が進み、この時代のやまと絵の研究が大きく進みました。
重要文化財 浜松図屏風 室町時代・15世紀 個人蔵 (展示:~2017年11月12日(日))
金によってまばゆい輝きを放つ安土桃山時代や江戸時代の屏風とは異なる、月夜で淡く、にぶい光を放つような印象を受ける、室町時代やまと絵屏風随一の優品。
今回の展示では、この「浜松図屏風」のほか、いくつかの室町やまと絵屏風を展示しています。
重要文化財 松図屏風 伝土佐光信筆 室町時代・16世紀 (展示:通期)
室町時代後期の絵所預(えどころあずかり)、土佐光信筆の伝承を持つ屏風。
今年、重要文化財に指定された作品で、本年度の「東京国立博物館 展示・催し物のご案内」(※配布は終了しました)の表紙も飾っています。
二つ目のテーマが「六人のやまと絵師たち」。
京都・嵯峨の清凉寺に伝わる「融通念仏縁起絵巻」を紹介しています。
この絵巻、詞書を後小松上皇や将軍足利義持をはじめとする豪華メンバーが執筆しており、それだけでも非常に貴重な作ですが、絵の筆者が分かる点でも非常に稀有な作例です。
というのも、絵巻の裏側に絵師の名前を記した紙が貼ってあり、これにより六人の絵師たちが分担して描いたことが判明するのです。こうした作例は類例がありません。
重要文化財 融通念仏縁起絵巻 巻上(裏面、部分) 六角寂済・粟田口隆光・藤原光国・藤原行広・永春筆 室町時代・応永24年(1417) 京都・清凉寺蔵 (展示:~2017年11月12日(日)) 上巻第三段を担当した粟田口隆光の名前があります。絵巻の裏面ですので、残念ながら展示室ではご覧いただけません。 |
特集 室町時代のやまと絵―絵師と作品―
本館 特別1室・特別2室 2017年10月24日(火)~ 2017年12月3日(日)
※会期中、展示替えがあります。作品リストをご覧ください。
図録 室町時代のやまと絵―絵師と作品―
編集・発行:東京国立博物館
定価:1,080円(税込)
当館ミュージアムショップにて販売。
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posted by 土屋貴裕(特別展室) at 2017年11月07日 (火)